OH!MY DARLING! さらに続きの続き


※現代パロ
※名前変換ありません
※付き合ってないのに体の関係の描写あり。気持ちR15



「ふっ、服を着ろ!」

 と叫び、真っ赤な顔を隠すように口元を手で覆ってしまった男性。突然の展開にわけもわからず、とりあえず言われたとおりに服を着ようと、ベッドから出ようとする。すると、男性はぎこちない動きで肩をいからせた。

「ば、動くんじゃない! あらぬ部分まで見えてしまうだろう!」
「え? いや、でも動かないと服着れないんですけど……」
「わ、わかった、俺が後ろを向くからその間に服を着てくれ」
「はあ」

 といって、やはりぎこちない動作で私に背を向けた。

(見た目のわりに女慣れしてない反応だな……)

 見た目、そう見た目はすごくイケメンだ。つりあがった目じりと眉が少しきつい印象を与えるが、それを差し引いてもイケメンだろう。ぱっと見た感じでは背も高くスタイルもいいので、十人中十人の女は確実に振り返るだろう。そんなイケメンが全裸の女を前にあたふたとしている様子は、なんだかギャップがあった。
 私が昨日来ていたワンピースを着て、あとは上着に腕を通すだけ、というところで、浴室のドアが開いた。

「ありゃ、お前来てたのかい」
「兄者」

 浴室から顔だけのぞかせた髭切先輩が、私に背を向けている男性を見るなり目を丸くした。先ほどの叫び声やらなんやらは浴室に届いてもおかしくない大声だったが、聞こえていなかったのだろうか。
 そして、この男性が再び口にした「兄者」とは。私の疑問に満ちた思考を読み取ったのか、髭切先輩が浴室から出てきて、彼を紹介した。腰にバスタオルを巻いただけだったが、悲しいことにもう見慣れてしまった。見慣れるつもりもなかったのに。それでも直視するには目に毒すぎるウホッいい体だったので、なんとなく先輩のほうから目線を反らした。

「ああ、いきなり知らない男が来てびっくりしたでしょう。こいつは僕の弟で、えーっと、」
「膝丸だ」
「そうそう膝丸。こう見えて君と同い年だよ」
「こう見えて、とはどういう意味だ兄者」

 目の前で始まってしまった兄弟漫才をぼけっと眺める。やはり弟、それも私と同い年だった。険しい表情のせいか、なんとなく弟の膝丸さんのほうが老けて見える。そんなことを考えて、会ったばかりで失礼すぎると首を振って考えを振り払った。

「そうそう、彼女はね」

 髭切先輩が、今度は私を膝丸さんに紹介しようと口を開くと、膝丸さんは手を上げてそれを制止した。

「ああ、わざわざ俺に紹介しなくてもいいぞ、兄者。どうせ、覚えても無駄になるだろう」
「……はい?」

 膝丸さんの言っている意味がわからず、私は思わず素の声を上げてしまった。覚えても無駄、とは。髭切先輩もきょとんとした表情をして弟を見ていた。そんな私たちの様子を気にしたふうでもなく、膝丸さんは小さく息を吐いた。

「どうせ俺が覚える間もなく女を変えるんだろう、兄者。俺がここに来るようになってから、何人の女が入れ替わったと思っているんだ。あと、俺が来ると言っていた日に女を連れ込むのはやめてくれと何度も言ったはずだが……」

 膝丸さんの声がだんだんと遠くなっていった。自分でもわかるくらいに自分の心がすっと冷えていくのがわかった。

「膝丸、彼女の前でそんな話は」

 私の様子に気が付いた髭切先輩が膝丸さんを制止した。けれど、その前にはもう私は立ち上がって、持っていたままだった上着に腕を通していた。昨日は携帯を取り出すとかそんなことをする間もなくベッドになだれ込んだので、私の私物は全部バッグの中に納まったままのはずだ。ベッドの横に置いてあったバッグの持ち手を掴むと兄弟の顔も見ずに玄関へと歩き出した。

「私はお邪魔みたいなので失礼します。先輩、昨夜は大変お世話になりました。このお礼は後日必ず」
「ちょっと待って。弟の非礼は謝るから、ねえ」

 後ろから腕を取られる。髭切先輩が私の様子になにかを感じ取ったのか、常とは違う声の調子で引き留めてきた。しかし、そんなことでは私の心は温度を取り戻すことはなかった。その手をそっと振り払うと、玄関に揃えられていた自分の靴を履いた。
 後ろを振り返る。笑みを消した髭切先輩。そんな真剣な顔、こんな場面で見たくなかった。

「お世話になりました、髭切先輩」

 そう吐き捨てると、私は玄関の重いドアを一気に開けて部屋を飛び出した。ヒールだろうが朝だろうが関係ない。私はコンクリートの床をカツカツと鳴らして走った。先輩はさすがにバスタオル一丁では外に出れなかったのか、追ってこない。すっきりしたような、少しだけがっかりしたような。
 髭切先輩が私の視界から外れる間際。私のほうへと手を伸ばしたような気がするが、気のせいにしておこう。そうしないと、もやもやしたままになりそうだから。



(まあ、気のせいだと思い込んでももやもやするんですけどね)

 あれから、髭切先輩との接触を避けまくった。直属の先輩ではあるけれど、こんな関係になる前までは私的にやりとりするような仲ではなかったので、電話番号などはもともとお互いに知らない。それは、今となっては幸いと言うべきだった。社内での接触を避けるだけでいいのだから、それは楽だった。髭切先輩はああ見えて公私混同はしない。最低限仕事の連絡だけはしているけれど、それ以外は走って逃げた。髭切先輩の顔も見ずに逃げた。あからさますぎて同僚から怪訝そうに見られているが、そんなことは知ったこっちゃない。仕事はしているんだからそれ以外で文句を言われる筋合いはない。
 そんな態度を続けていると、髭切先輩からの動きは収まった。あまりにも頑ななわたしの姿勢に諦めたのだろう。仕事場で、誰が見ているとも知れないところでこんなことを繰り返すのは、さすがにまずいと思ったのかもしれない。賢い彼の頭に感謝だ。

(これでいいんだよ。元の関係に戻った。はじめにもどったんだ。なにもない、ただの先輩後輩に)

 気が付けば、もう週の終わり──金曜を迎えていた。急ぐ案件もない、進行中の案件はすべて取引先の連絡待ちという状況なので、雑務を片づけて残業もそこそこに退勤する。髭切先輩は抱えている案件があるのか、どこかと電話中だった。
 社外に出ると、残業はそれほどしていないとはいえ空は暗くなっていた。西の空には夕暮れの名残があるかもしれないが、建造物に隠れて見えない。私が見える狭い空は暗い。凝り固まった肩をほぐしながら、駅まで歩き出した。
 そういえば一人で過ごす金曜の夜も久しぶりだ。なにをして過ごそうか。髭切先輩と関係を持つ前までは当然のことだったが、久しぶりですぐには思い当たらない。

(ま、いっか……家に着くまでに思いつけばいいことだし、ゆっくり考えよ)

 などと考えていたらぼんやりしていたらしく、角を曲がってきた人とぶつかってしまった。

「あ、す、すみませんぼーっとしてて……」
「こちらこそすまない、大丈夫だろうか…………あ」
「ん? ……あっ!」

 相手の顔を見上げると、そこには見慣れた顔があった。正確には、見慣れた顔とよく似た顔が。先日髭切先輩の家で出くわした、弟さん──膝丸さんだった。



「少し、君と話がしたい」

 膝丸さんにそういわれ、半ば強引に駅の近くのちょっと洒落た居酒屋へと連れてこられた私は、彼の勧めるメニューを平らげ、お酒をちびちびと飲んでいる。話がしたい、と言われてひっぱってこられたのだから、彼の話をまともに聞けるような頭でないといけない。酒量をセーブしつつ、なおかつ水を途中で飲みつつである。なにより、先週の失敗もある。
 話とは、と本題を切り出しても、彼は食事中はあまり話さなかった。食事中は食べることにだけ集中したいのだろうか。立ち振る舞いや所作がなんとなく品がいいので、育ちがいいのかもしれない。

(とすると、髭切先輩もいいところの出、だったり……)
「すまないな、いきなり」

 食事が終わって、店員さんが皿を下げた後に、膝丸さんはやっと本題を切り出してきた。私はコップを置く。

「いえ、特に用事もなかったのでいいですけど……それより、話ってなんですか?」
「君と俺は同い年だろう。敬語は使わなくていい」
「あ、はい……わかった。それで、話って」
「あ、ああ……その……」

 やっと本題かと思ったら、膝丸さんはもごもごと言葉を詰まらせた。なんだろう、話しにくいのかな。窓際で、席と席の間はロールカーテンのようなもので仕切られていて、ほぼ半個室のような席だ。聞かれて困るような話をする間柄でもないし、なにをもごもごしているのだろうか。

「ていうか、髭切先輩の話じゃないの?」
「むぐっ……! な、なぜわかったんだ!?」
「だって、膝丸さんと会ったの一回だけだし、共通の話題なんて髭切先輩のことしかないでしょ」
「そ、それもそうだな……ばれているなら単刀直入に訊くぞ。兄者とはあれから会っているのか」
「会社で毎日会ってるけど」
「茶化すな、そういう意味じゃない。私的に、その、恋人として会っているのか」
「恋人もなにも、まだ恋人じゃないんだけど」
「……まあそんなことだろうとは思ったが」

 その返しに私が片眉を上げると、膝丸さんは慌てて咳払いした。自分のうかつな発言が火に油を注いでいることには多少の自覚があるらしい。

「兄者と私的に会っていないのは、やはり俺のあの発言が原因なんだろう。すまない、君の目の前で兄者の女関係についてしゃべるべきではなかったな」
「いや、なにも謝ることじゃ」
「だが、あれがきっかけで兄者を避けているんだろう? 兄者にも叱られてしまったのでな」
「叱られたんだ……いやでも、もう私には関係ないことだし。ていうかそもそも付き合ってないから」
「まるで兄者にはもう興味がないみたいな口ぶりだな……君は、兄者が好きで言い寄って関係を持ったんじゃないのか?」
「いや、言い寄ってきたのは髭切先輩のほうだけど」

 確かにはじまりの夜までは私も先輩のことが好きだった。けれど、そんな気持ちはもうしぼんで、先週のことで完全に冷え切ってしまった。今更どんな言葉をかけられても、もう先輩とは私的に会いたくない。
 膝丸さんは私の言葉に目を剥いた。

「あ、兄者から君に言い寄った……!?」
「なにその驚きようは。私が言い寄られるようなタマじゃないって? 確かに私は顔もスタイルも頭も平々凡々だけど」
「確かに……」
「あ?」
「い、いや、今までの女たちとは確かに君は違うタイプだが……なにより、同じ職場だろう」
「……?」
「兄者は今まで、どんなに言い寄られても同じ職場の女には一切手を出さなかったぞ。自分から口説くことも」
「え」

 そういえば、と髭切先輩と同じ部署になってからを振り返る。彼女とかいるのかな、と気になっていたからよく覚えている。確かに、社内に特定の付き合いをしている女性はいなかった。彼女がいるようないないような、そんなそぶりはないけれどスペック的にいないはずがない、社外の人と付き合っているんだろうと思っていた。
 ちびちびと酒を飲む手を止めて考え込んでいると、膝丸さんがわからない、といった様子で身を乗り出してきた。

「この間の様子なら、兄者とは一度だけ、というわけではないんだろう。少なからず兄者のことを好きだから拒み切れなかったのではないのか? 君が本当に心の底から嫌がっていたら、兄者があんな性格とはいえそれに気が付かないわけではない」
「……そんなこと」

 わからない。自分がどんな気持ちをあのひとに持っているのか。どうしたいのか。
 自分でも、なにをこんなに意固地になっているのだろうと思う。けれど、当分彼の顔は見たくないのだ。私に呼びかけるあの柔らかな声を聞いても、私の心は冷たいままだった。
 ほら、やっぱり。
 そう思ってしまったのだ、あの時。彼の弟が「俺が覚える間もなく女を変えるんだろう」と言った時に。
 私のことなんて本気じゃなかった。今は私に本気かもしれない。けれど、それがずっと続いている保証はない。どれだけの女が彼の隣にいても、それが長く続いたためしがない。今度こそ、私で続く、という保証はない。
 私に対して、ほかの女にはしたことのないような回りくどい口説き方もしたかもしれない。でもそれは、私がほかの女と毛色が違ったというだけだろう。

「兄者は君になんと言っていたのか、俺にはあずかり知らんところだが」

 膝丸さんの声に顔を上げると、先ほどまで思い浮かべていた彼と同じ瞳の色が、こちらを見ていた。

「君には本心を話していたんじゃないのか。女のことであんなに機嫌を損ねる兄は、見たことがない」
「本心……」

 なんて言っていただろう、髭切先輩は。先輩と関係を持ってから多くの言葉を交わしたけれど、私に対してなんと言っていただろうか。

(──あ……)

 あれは確か、初めて彼に抱かれた晩だ。髭切先輩はあの時。

「こんなところでデートかい、楽しそうだね?」

 不意に背後から聞こえてきた声に、さーっと血の気が引いていった。正面の膝丸さんも顔を青くして、私の背後に立っているだろう声の主を見ていた。

「僕も混ぜておくれよ、ねえ?」

 髭切先輩の声はどこまでも冷たくて、背筋が凍るようだった。

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