OH!MY DARLING! さらに続き


※現代パロ
※名前変換ありません
※付き合ってないのに体の関係の描写あり。R15



 自分の体の一部であるはずの腕が重い。ひたすらにだるく、寝返りを打つことも億劫だった。なんとか仰向けから横向きに体勢を変えると、ひときわ重たく感じる腰を折り曲げた。
 一週間働いてたまった疲れと、昨夜の行為で私は体力を使い果たしていた。疲労からか、こうして楽な体勢で布団にくるまっていると、すぐに眠気が襲ってくる。自然と降りてくるまぶたを必死で持ち上げた。

(ダメだ……ここで寝ちゃだめだ……ここで寝たら、髭切先輩の家で一日を終えることになる……!)

 そう、ここは髭切先輩の家であり、私が今寝転がっているのは髭切先輩のベッドなのだ。シーツからは髭切先輩のにおいがする。その中に混じって、汗と、男女の体液が混じったようなにおいもする。昨夜ふけっていた行為の──情事のにおいだ。



 なぜ髭切先輩の家にお邪魔することになって、挙句警戒していた事態にまで及んでしまったのか。それはやはり私の警戒が足りなかったというか、学習能力の低さが一番の問題なのだろう。
 髭切先輩とラブホで泡だらけになってから、またちょうど一週間後の金曜日。先々週から続く髭切先輩の色仕掛けにもう引っかかるまいと、固く心に誓っていた。先輩を避けるために残業していた先週とは逆で、今日は定時ダッシュをする。髭切先輩の仕事ぶりからすると、金曜に仕事を残すような人ではないが、だからといって前回と同じ手は使えない。そんなことをすればあっさりとつかまってあっという間に篭絡されてしまう。私が早いか彼が早いか。一か八かだがやるしかない。もうなし崩しで彼と寝るわけにはいかないのだ。

(今日こそは……! ちゃんと自分の部屋で金曜の夜を過ごすんだ!)

 という目標を掲げ、私は普段の倍の効率、とまではいかないものの、普段よりも早く仕事を進めていった。髭切先輩から何度か視線を感じたが、そんなものは気にしないことにした。いちいち気にしていては負けだ。
 そうして迎えた定時。最後の仕事を終わらせると、さっさとデスクの上を片づけ、パソコンをシャットダウンする。よし、私はもう帰るぞ。今日こそ金曜の夜を一人で飲んだくれてだらだら過ごすのだ。
 鞄をつかんで椅子から立ち上がったその時、背後から声がかかった。

「よし、今日は飲みに行くか」
(は、はあああー!? 今更っていうかこんなタイミングで言うんじゃねえええ)

 部長の提案に思わず殺意の衝動に目覚めそうになる。そういうことは今朝の時点で言っておいてほしい。こんな直前になって言うことではないと思う。失礼ながらこの人はあほなのではないだろうかと上司に対して反駁の意思を抱いていると、当の本人と目が合った。

「なんだ、お前今日は帰るのか? 珍しく俺がおごってやろうかとおもったのに」
「えっ……!? 部長のおごり!?」

 ふつふつと湧いていた殺意の衝動が一瞬で消え去った。おごりと聞いて黙って帰れるわけがない。金欠というわけではないが、飲み会で自分の腹を痛めずに過ごせるのはかなり魅力的……というか、抗いがたい誘いだった。先ほどまでの絶対なにがあろうと帰るんだ、という固いはずの意思は豆腐のように柔らかくなってほろほろと崩れていった。

「帰るわけがないでしょう!」

 そう鼻息荒く言い切った私を、髭切先輩が知れず苦笑いをこぼしていたらしいが、おごりの文字に目がくらんでいる私が気づくはずもなく。
 その後、めでたく酔っぱらってしまった私は、いつの間にか隣にいた髭切先輩に「家まで送るよ」と耳元でささやかれ、あっこれはやばいなと思ったところまで覚えている。絶対家の住所など明かすものか、とタクシーに乗せられながら決意したのだが、先輩は私に住所を聞くことなく、タクシーの運転手さんにどこかの住所を告げた。どこへ行くんだろう、と怪訝に思ったが、酔いが回った頭ではろくに考え事などできなかった。重くなっていくまぶたに逆らえずにいると、隣から腕が伸びてきて体を引き寄せられる。髭切先輩の肩に頭を預ける形になった。

「眠い? 着くまで少しかかるから、寝ててもいいよ」
「ん……でも……」
「いいから、おやすみ。──今のうちに休んでおくといいよ」

 先輩の発言の後半部分は、低い声のつぶやくような調子だったのでよく聞き取れなかった。髪を梳く温かい手と、寄りかかった体から伝わってくる体温が心地よく、私は誘惑に勝てずにそのまま目を閉じた。目を閉じた直後に、まぶたに温かい感触が降ってきた。少しだけお酒のにおいがしたそれはおそらく髭切先輩のくちびるで、優しく柔らかく触れた感触に思わず泣きそうになった。

(本当に、髭切先輩は私のことを、好きなんだろうか……)

 そう錯覚するくらいには。私の心の奥底にしまいこんだ、彼を慕う気持ちを思い起こさせるくらいには──。
 車が停まって、タクシーの運転手さんと髭切先輩の声がした。脇の下に手を回される感覚があった。

「着いたよ。起きて」

 私がうっすらとまぶたを持ち上げてから、髭切先輩は私に回した手に力を入れて私を立たせた。うつらうつらとしていたせいで、タクシーに乗ってからどれくらいの時間がたったのか、どれくらいの距離を走ったのかが不鮮明だ。もう私の部屋に着いたのだろうか。
 タクシーから降りると、すぐにドアが閉まる音がして、タクシーは走り去っていった。寝起きに近い私は後ろを振り返ることも億劫で、少しだけ視線を上げただけにとどまった。

「部屋までもう少し歩こうか。気分は悪くない?」
「ん……はい……」
「それならよかった」

 というと、髭切先輩は私の体に手を回したままゆっくりと歩き出した。オートロックを解除してマンションのエントランスに入ると、エレベータに乗り込む。エレベータ独特の浮遊感に、また意識がふわふわとする。眠そうな私の様子を見下ろしてか、髭切先輩の笑い声がした。
 この時点でなぜ気が付かなかったのだろう。私が住んでいるアパートにはエレベータなんてものはないし、そもそもオートロックの玄関もない。これだけ自分の住んでいる場所と違いがあるのに気が付かないなんて、この時は本当に酔っていたとしか言いようがない。
 マンションの重たいドアが開けられ、私は部屋の中へと連れ込まれた。ゆっくりと靴を脱がされ、座り込みそうになる体を支えられる。

(あれ、私鍵とか先輩に渡したっけ……)

 まだここが私の部屋ではないことに気が付いてなかった私は、ごく自然な疑問を抱いた。鍵もなにも渡してないのに、なぜ部屋に入れたのだろう。そうして目を開けて気が付く。ここ、私の部屋じゃない。

「えっ……え……!? ここどこ……!?」
「ありゃ、気が付いた?」
「気が付いた、って……先輩、ここって」
「僕の部屋だよ」
「は……はあ!?」

 さらりと返ってきた答えに私は完全に目が覚めた。髭切先輩の家。ここが。

「えっちょ、なんで……!?」
「なんでって、家に送ろうにも君は完全に酔っぱらってて受け答えができる状態じゃなかったから、僕の部屋でもいいかと思って」
「どこらへんがいいんですか!?」
「だって、一夜を過ごすんだったら、君の部屋だろうが僕の部屋だろうが大して変わらないだろう?」

 一夜を過ごす。それがただ一緒の空間でなにもせずに夜を明かすことではないということくらい誰でもわかる。血の気が一気に引いていく。またこの展開か。なぜこうも逃走が困難な状況になるまでぼけっとしていたのか。数時間前、いや数十分前の自分でいいから殴りたい。

「帰ります! お世話になりました、このお礼は後日必ず!」

 わき目もふらずに回れ右をする。私の靴は髭切先輩が脱がして、玄関のたたきにちょこんと置かれていた。それを急いで履いて、玄関のドアノブに手をかける。そしてそのままドアを開く、ということはなく。

「ここまで来て、帰っちゃうの?」
「っ……!?」

 後ろを向いたことで無防備になった私の体を、先輩の腕が絡み取る。耳元に吹き込まれた低い声に思わず硬直する。それをいいことに、私の体をゆっくりとなぞる先輩。体の線をなぞり、耳たぶを柔らかく食む。それだけでぞくぞくと私の体がすくむ。熱が体の中心に集まっていくような感覚を覚える。

「さっきまであんなに酔っぱらって、自分の部屋か僕の部屋かもわからなかった君を、このまま帰すと思う?」

 私の頭は、髭切先輩の言葉を正しく理解して、この手を振り払って帰れ、と命令しているのに、体はその命令を一向に聞いてくれない。その間にも先輩は私の両肩に手をかけて、上着を私の体からはがす。

「あ、ちょっ……」
「ふふ……こんな脱がせやすい服着てるから、僕の部屋に連れ込まれるの期待してるのかと思っちゃった」
「脱がせ……? ひゃっ……!」
「これ」

 上着の下には背中にファスナーが付いているワンピースを着ていた。それがなんだというのか、と思っていると、髭切先輩の指が私のうなじをいだずらに撫でた。電流のようなものが首筋に走り、それがじんじんとうずきだす。うなじをもてあそんだ指は、ワンピースのファスナーをゆっくりと下ろしていく。ジジ……という、決して大きくないはずの音が、やけに大きく私の耳に入ってきた。ファスナーを全部下ろした先輩の手が、再び私の両肩に乗った。そのまま、肩に引っかかっているだけのものを落とす。私の足元に、布ずれの音を立ててワンピースが落ちてくる。

「──ね?」

 笑いを含んだ声が耳をくすぐる。私の体を引き寄せると、うなじに噛みついてくる。

「あっ、ちょ、っと、まって」
「ん? なにを?」

 いきなり下着姿にされてしまった私は、色々と準備ができていない。色々というか主に、主にというか100%心の準備だけど。

「こんな状況で待ってと言われて、待つような男じゃないんだよね、僕」

 私の肌の上をゆっくりと、じっくりと、けれど好き勝手に這いまわる手。髭切先輩の言葉は、抵抗する私をやけに納得させた。納得はしたが、それで抵抗をやめるわけにはいかなかったが。
 その抵抗も、髭切先輩からすれば児戯のようなものだったけれど。

「ん、っ……!」

 背中や腰、太ももを撫でているけれど、胸や股間などは避けている。それなのに、私の体は正直に反応していた。

「待ってというけれど、君の体のほうも待ってはくれないみたいだよ」
「そ、んな……」
「だって、ほら。これ」

 髭切先輩の指が私の股へと滑った。下着の上から局部をなぞられると、そこは湿った音を立てた。

「もうすっかり、って感じだよね。こんなに濡れてたら下着の意味がないよね」
「うそ……! んっ……!」
「帰ろうとしてたけど、実際こんな下着じゃ帰れないだろう? 電車に乗れる?」
「ん、んっ、あ」

 湿った音が大きくなる。髭切先輩の指はどんどんと無遠慮になっていく。足の力が抜けて立っていられなくなる。

「──帰る、なんて言わないよね?」



 というわけで現在に至る。毎度毎度、なぜこうも流されてしまうのか。髭切先輩の言ったとおり「体の相性」が抜群だから? それとも、私はまだ彼のことが好きなんだろうか。こんな関係になってからは、すっかりしおれたと思っていた私の好きという気持ちは、まだ枯れずに残っているのだろうか。
 そんな考え事は、隣から伸びてきた腕に中断させられた。私の体を引き寄せた髭切先輩の腕だった。

「おはよう。よく眠れた?」
「……おはようございます。眠れたというか、気絶してそのままというか……」
「あはは、そうだねえ昨夜もいっぱい気持ちよくなったもんね」
「っ……! わ、笑い事じゃないですよ……おかげですごくだるい……」
「ありゃ、やりすぎちゃったかな? 柄にもなくはりきっちゃったし」
「は、はり……?」
「うん。君が僕の部屋にいるのがうれしくて」

 髭切先輩の言葉に思わず息を止めた。心臓も一瞬止まったかのように、一瞬遅れてとくとくと脈打つ。
 部屋はカーテンによって光を遮られていて薄暗い。けれど、それでも髭切先輩の表情はよくわかった。いつものように微笑んでいる、けれど、その琥珀色の瞳は蜜を溶かし込んだかのようにとろけそうな色をしていた。

 やめて。だめだ、そんな目で見つめられては。

 とくとく、と脈打つ心臓はどんどんと速度を増していくようだった。これ以上、彼の目を見ていられない。そう感じつつも、私はその琥珀から目を逸らせなかった。
 先に目線を外したのは髭切先輩だった。長いまつげに縁どられたまぶたを下ろして瞬きすると、上体を起こしてベッドから立ち上がった。

「さてと、もう少しゆっくりしていたいところだけど、そろそろシャワーでも浴びるとするよ」

 というと、意外とたくましい背中を見せつけながら浴室へと消えていった。私はその後姿を見送ると、再びまぶたを閉じようとした。すぐに髭切先輩が戻ってきたので、それはできなかった。

「そうそう、これ」
「なんですか……って、私のパンツ……?」
「うん。昨日のうちに洗濯しておいたから。もう乾いてると思」
「ちょっ……!? なにしてるんですか!? ありがとうございます!?」

 先輩が差し出してきた私のパンツを、体の倦怠感も忘れてひったくる。確かにあのままだと履けないから洗濯してくれたのはありがたい。ありがたいが、それを黙って許容できるほど私の羞恥心は擦りきれていない。

(先輩に下着を洗わせるなんて……! 恋人でもきついのに、よりにもよって髭切先輩に!!)
「真っ赤になっちゃって、可愛い」
「かっ……!? もう、いいから早くシャワー浴びてきてください!」

 顔から火が出るのではないかというくらいに顔に血が上った私をよそに、髭切先輩はそれはそれは楽しそうに笑って、再び浴室へと消えていった。少しして水音が漏れ聞こえてきたから、今度こそシャワーを使っているのだろう。

(気が回るのかデリカシーがないのか、どっちなのあの人……!)

 おそらく、私の反応を見越してのわざとだ。洗濯やら掃除やら、髭切先輩はそういうことにあまり気を回すようなタイプには見えなかった。先輩に対して失礼だけど。
 と、そこまで考えて、私は先輩の部屋を見渡した。よく片付いている。というか、もともとそんなに物が多くないように見える。その上、ある程度整頓されていて、ほこりなどもかぶっていない。テレビのリモコンや昨日着ていたスーツなどが多少散らばっているだけで、きれいに片付いているといってもいい部屋だった。それが、先ほど頭に昇った彼の印象からすると意外だった。

(実はきれい好き、とか……それとも、片づけるような人が誰か来てる、とか)

 片づけるような人。いるとすれば一体誰だろう。母親だろうか?

(もしかして)

 頭をよぎった考えに、すっと体の芯が冷えていくようだった。あまり考えないようにしていた。というか、髭切先輩の私に対する態度を信じていたのだ、この時まで。
 どくどく、と、ついさっき髭切先輩に見つめられた時とはまた違った脈打ち方をする心臓の音。それを鎮めようと自分の体を抱きしめた。
 ──と、その時。私の耳に、心臓の音やシャワーの音とは違う、金属のこすれ合う音がかすかに聞こえてきた。
 なんの音だろうかと耳を澄ませていると、ガチャ、と玄関が開く音がした。

(えっ……!? ちょっ、ちょっと待って)

 誰だろうか。こんな朝早く……時計をちらりと見ると、そんなに朝早くはなかったが、それでも他人の家を訪問するには早すぎる時間──朝8時すぎだった。
 こんな時間に部屋を訪ねてくる存在といえば。家族か、──恋人か。
 血の気が引いた。どちらにしても最悪の状況だ。私、今、素っ裸。
 急いで手にしたままだったパンツを履こうと、力の入らない体に鞭打って起き上がる。が、早朝の訪問者のほうが、部屋に入ってくるのが早かった。

「兄者、俺だ、膝丸だ。起きているか? ──な……」

 部屋に入り、ベッドに視線を向けてきた訪問者と目が合った。若い男だった。その顔には既視感があった。見慣れている顔よりも多少きつい印象を与える目つきをしているが、似ている。今なにも知らずシャワーを浴びている髭切先輩と。というか今この人まさに「兄者」って言った。

(ま、まさか……この人……)

 あんぐりと口を開いたままだった男は、わなわなと口を震わせている。そして、顔をさっと赤くすると、

「ふっ、服を着ろー!!」

 と、私に向かって至極当然のことを叫んだのだった。

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