OH!MY DARLING! おしまい


※現代パロ
※名前変換ありません
※付き合ってないのに体の関係の描写あり。


 私がゆっくりと後ろを振り返ると、髭切先輩が私のすぐ後ろに立っていた。今日会社で会った時と同じ顔のはずだが、抱く印象はまったく違う。笑っているはずなのに場はまったく和まない。むしろ凍り付いている。絶対零度の目が怖い。今なら「人を殺したことがあるよ」と言われても信じる。その筋の人かもしれないと錯覚してしまう。私も、私の正面に座っている膝丸さんも真っ青な顔をして髭切先輩を見上げていた。
 髭切先輩の背後を、居酒屋の店員さんが困った顔をしてうろうろしている。そりゃそうだ。おひとりさまですか?と案内しようとしたら、この人が笑っているのに怖い顔をしてここまでスタスタと来たんだから。この様子では、先に入ってるんだけど、とかもたぶん言ってないんだろう。店員さん、悪いこと言わないからもう私たちのことは見て見ぬふりをしてくれないか。
 この雰囲気をどうにかしようと、私は口を開いた。なんとか、なんとか会話をするんだ。この凍り付いた空気を和ませるのだ。

「……お、お疲れ様です……髭切先輩」

 ガチガチに固まった顔の筋肉を動かして、なんとか声を発する。怖いけど彼を見上げて、残業上がりをねぎらうと、

「ありがとう。人があくせく仕事してるのを尻目に飲むお酒はさぞかしおいしいんだろうねぇ。それも男──僕の弟と、ふたりきりで、ねえ」
「あ、ははは……」

 あ、だめだこれは、笑うしかない。今はなにを言っても嫌味で返ってくる率百パーセントだ。ちょっと定型文の挨拶をしただけなのに、こんなにとげとげしく返されるとは思ってなかった。私を見下ろす目も今までにないほど冷たい。私が髭切先輩と同じ部署になって最大のミスをやらかした時でさえ、こんなに冷たい目ではなかった。こわい。

「兄者……彼女とは駅前でばったりと会って、訊きたいことがあるから立ち話もなんだろうと誘ったまでだ。決して兄者が疑うようなことは」
「へえ、一回しか会ったことないのに彼女に訊きたいこと。なにかな、連絡先とかかな」
「あ、兄者……」

 膝丸さんがフォローしてきたが、それは無駄な努力に終わった。取り付く島もないとはこのことだろうか。膝丸さんが困ったように眉を八の字にした。わかる、私もどうしたらいいのかわからない。

「窓からのぞいてた姿が君たちにそっくりだなあと思って来てみたんだけど、本当に逢引きの途中だったとはね。僕はフラれて、弟のほうがお眼鏡にかなったということなのかな」
「ち、ちが……」
「お前もお前で、彼女に惚れたの? 一回会っただけの女にここまで積極的になったことなんて、今までなかったよねぇ」

 なにかがおかしい。こんな、プライベートな時に他人に対して皮肉を並べる髭切先輩は見たことがない。髭切先輩は確かに仕事上では割と厳しいほうでぶっちゃけ鬼かと思ったこともある。けれど、ひとたび仕事を離れたらそんなことはない。ゆるふわを体現したかのような容姿にたがわず、ゆるふわっとした受け答えでつかみどころがないなぁと思っていたのに。
 私のことはいいけど、弟の膝丸さんに対してもそんなことを言うなんて。やっぱりおかしい。

「先輩……どうしたんですか? なんか、変ですよ」
「変、僕が……? 君は、一体なにを」

 見てしまった。私の問いかけを笑い飛ばそうとした髭切先輩の顔が、笑みの形の口元が、ぐしゃりと歪んで無表情になるのを。
 せんぱい、と言おうとした声は、私の口から出ることなく、のどの奥でつぶれた。髭切先輩が私の腕をつかんで強引に引っ張っていったからだ。いきなりのことに、椅子をうるさく鳴らして立ち上がって、その腕に従うしかなかった。

「あ、兄者!?」

 膝丸さんのあっけにとられたような声が後ろから聞こえる。ああ、お勘定払ってないなと頭の片隅で思うが、髭切先輩の力は強く、あっという間に店外へと連れ出された。すれ違う人たちの怪訝な目線が痛い。

「ど、どこへ行くんですか!?」

 先輩についていくために必死に足を動かしながら訊いてみるが、きれいにスルーされた。先輩の背中しか見えないので表情はわからないが、今までのようなゆるふわな表情をしていないことだけはわかった。まとう雰囲気が、冷たくて怖い。怒っている、というか、機嫌がものすごく悪いんだ。
 どこをどう通ったのかもよくわからないまま連れてこられたのは、ラブホテルと言われる場所だった。私はそれに気が付いた瞬間に逃げようとも思ったが、腕を痛いくらいにつかまれたままだったのでできなかった。というか目の前の男が怖すぎて体が動かなかった。

「ちょ、ちょっとまって……痛いです、先輩……!」

 部屋に入って足を止めたので、やっと落ち着いて話を聞いてもらえると思い声をかけてみる。そのせいかわからないが、手が離れた。ほっと息をつこうとした次の瞬間、またその手を取られてベッドに押し倒された。ほっと一息どころか状況がますます悪くなっている。そのまま私の服をはぎとろうとしてくる。

「ちょ、いやいやまってまって、先輩おかしいから!」
「おかしい? どこが、ベッドで男女がやることといったらひとつしかないだろう?」
「いやいやいやちょっとまってこの状況で及んだらさすがに最低すぎる! 話、そうまずは話しましょう、ね!」
「じゃあ君からどうぞ」
「その手をとめて! おかしいから! 先輩おかしいから!」
「さっきから僕のことおかしいっていうけど、僕はもともとこんな男だったよね? 君のこと強引に手籠めにした男、違いないよね?」
「……そうです、けど……今は、怖いです……」

 こわい、の一言に、髭切先輩は手をぴたりと止めた。私が恐る恐るその顔を見上げると、また笑うのに失敗したような表情をして、それからだんだんと表情が消えていった。私の服から手を離すと、顔を覆った。

「……わからない」

 絞りだすような、聞いたこともないような低い声だった。困惑しきった頼りない、まるで迷子になってここがどこだか、どこから来たのかもわからなくなった子供みたいな。

「わからない……僕は、君をどうしたいんだ。君を目の前にすると、どうしたらいいかわからなくなるんだ」
「え……」
「君がそばにいると、うまくいかなくて、思い通りにならなくてイライラする。でもそれがなんだか楽しいような気がして、君と離れたあとも君のことを考えてる。君がほかの男といると、どうしようもなく腹が立って──君がいると、イライラしてしょうがない」

 なんだろう、これは嫌われているのか。それとも熱烈な告白をされているのかわからなくなる。私ももうわからない。

「僕は君をどうしたいのか、もうよくわからない。この気持ちが世間で言う、好きなのかなんなのかも。ぐちゃぐちゃになりすぎて」
「……わ、たしだって……私だって、意味わかんないよ!」
「!?」

 ぐちゃぐちゃなのはこっちも同じ、いやそれ以上かもしれない。イライラするのはこっちだってそうだ。私の中で渦巻いてぐちゃぐちゃになっていた感情が一気に高まって吹き出す。先輩の肩を押しのけて起き上がり、向かい合う。服も髪も乱れたままだったが、それを気にする余裕もなかった。

「憧れてた先輩にいきなり口説かれて、それだけでも信じられないのに、いきなり体の関係まで持っちゃって……! 混乱しないわけないじゃない!」
「……信じられない? 僕の言うことが?」
「信じられるわけない! 私なんか顔もスタイルも頭も中の下で、髭切先輩みたいなハイスペックな人につり合わないって──あなたを好きになるたびに、あなたとの差がはっきりとわかって、手の届かない人だって──だから、こんなの夢みたいだって思って……どうせ、一時の気の迷いだって、そう思って」
「……僕のこと、信じられない?」
「信じられない……違う、髭切先輩じゃなくて」

 髭切先輩の言葉を素直に信じられないのは、それを受け取る私の心がひん曲がっているからだ。私なんか、と卑屈に思う心が、しなくてもいい深読みをして、裏があるんじゃないかと警戒して、そうしてまた卑屈になっていく。簡単に甘い言葉に乗せられない利口なふりをして、自分を自分で追い込んでいただけなんだ。

「私、自分が……自分に自信がないから、勝手に先輩と比べて、勝手に卑屈になってただけ……」

 だって、目の前のひとは、最初から。

「僕は最初から、君には本心を言っていたよ」
「髭切先輩……」
「君が好きで、君を手に入れたくてしょうがなくて、でも心を僕のものにする方法なんて、わからなかった。今までそんなこと考えたこともなかったから。誰かの心が欲しいなんて」

 髭切先輩のつぶやくような言葉に、妙に納得してしまった。この人は女のほうから言い寄られるばかりで、自分から本気で女を好きになったことがないんだろう。女は簡単に甘い言葉や色仕掛けで落ちるものと思っている。だから私にもそうしたんだ。それで、そんな髭切先輩に私は一層警戒してしまって、距離を詰めるどころか二人そろって遠回りをしたんだ。

「僕が信じられないなら、それでもいい。ただ」
「……?」
「ただ僕は……君に僕を好きになってほしい」

 まるで子供の言うことだ。好きになってほしい、それだけのことを伝えるのに、こんなにも、すれ違って。
 でも、どうしようもなく、私の胸を締め付ける。

「先週君が僕の部屋から出ていってから僕を避け始めて、ああもうだめかなと思ったよ。でも、ずっと君のことが頭から離れなくて……イライラする、苦しい、諦められない。だから……だから、君が諦めて、僕を好きになって」
「な……なんですか、その理論は……」

 でも悔しいかな、その気持ちはすごくよくわかる。髭切先輩の考えていることがわからなくてイライラするし、すぐに私に興味なくすんじゃないかと怖くなるし、ずっと髭切先輩のことを考えて苦しかった。

「その言い分だと、結局私はあなたから逃げられないんですよね」
「そうだねぇ。君の嫌がることはしたくないけど、君を諦めることはできないから。君が観念するしかないんじゃないかな。……ふふ、最初から君を逃がすつもりはなかったことを思い出したよ」

 にっこり。いつもの笑みを浮かべた髭切先輩に少しだけ安心してしまった。笑いながら言ってるセリフは不穏だったが。
 そうだ。この人は最初から言っていた。最初の夜に。

『僕が本気かどうかはこれから知っていけばいいよ。ゆっくりとね。……どうせ、逃がさないし』

 それを思い出して知らずため息をつくと、髭切先輩が私の頬に触れてきた。

「諦めた?」
「いや、もうなんか……諦めるしかないというか、その」
「ん?」
「私だって……ずっと髭切先輩が好きだったから、諦めるというより、やっと素直に自分に向き合ったって感じですかね」

 髭切先輩を好きという気持ちは、最近ではすっかりしぼんて冷え切っていたけど。それでも、自分の中からなくなったわけではない。好きよりも、不安と猜疑心のほうが大きかったから、冷えているように見えただけだ。
 私がぼそぼそと、ここにきても素直になりきれずに自分の気持ちを告白する。それでも髭切先輩はうれしそうに目を細めた。頬を両手で包まれて、顔が近づく。
 そっと触れたくちびるは、一度離れて、また合わさって。それを繰り返して、徐々に深いものへと変わっていく。舌をこすり合わせて、互いの呼吸までもむさぼるように。



「ふ、ぁ、ああっ……!」

 下からぐっと突き上げられて、私は寝転がった髭切先輩の顔の横に手をついた。髭切先輩がへたり込んだ私の背を支えるように腕を回して上体を起こす。その肩に手を置いて、抱き合うような体勢になる。

「ありゃ、もう音を上げるのかい?」
「……っ、ん……せんぱい……っ」

 こうして言葉を交わしている間にも髭切先輩は気まぐれに腰を動かして、私たちが繋がっている部分からは絶えず、くちゅ、ぐち、という音がなっている。

「こら、今は先輩じゃないって言ったのに……悪い子だねぇ」

 腰の動きが止まった。快感を与えられ続けていた中は、急に止まってしまった刺激を求めて勝手に収縮する。

「物欲しそうに締まるね」
「や、言わないで……!」
「今更」

 目を細めて楽しそうに笑う髭切先輩。そう、今更だ。髭切先輩を受け入れてもうどれくらい経ったかわからないし、受け入れる前にも何回いかされたか覚えてない。快楽に焼かれた脳ではもうなにもわからない。
 ただ、目の前の相手を一心不乱に求めるだけ。

「ほら、してほしかったらちゃんと僕を呼んで」
「ん……髭切、さん……」
「そう……いい子だね」

 髭切さんの甘くて、男性にしては高い声なのに妙に色気のある声が私の耳を刺激すると、カッと体が熱くなる。また私の中が収縮するのがわかって、私は顔を見られたくなくて髭切さんに抱き着いた。

「おや、まただね……ふふ、君はいい子なのか悪い子なのか……どっちだろうね。それとも、ただいい子でいやらしい子ってだけなのかな」
「い、いやらしくなんか……んっ」
「体は正直だよ。嘘をつく口はふさいでしまおうか」

 それ系の男優顔負けの台詞を吐いて、私の顎をつかんで強引にキスをしてくる。すぐに入り込んできた舌先が、歯列の裏側をゆっくりとなぞる。ざらついた舌で構内の性感帯を撫でられ、私はますます髭切さんに強くしがみついた。その間も小刻みに腰を動かされ、ゆるく中を刺激されている。時折、気まぐれに中の性感帯も突いてくる。激しさはないのに、確実に追い詰められていく。

「ん、んんっ」
「またいくの? いいよ、何回でも……」

 うう、とか、ああ、とか、そんなことしか言えなくなった私の口は、甲高い声を上げて息をつめた。
 目の前が白くなって、体勢を保っていられなくなる。髭切さんは一度腰を引いて、ぐったりとした私を抱えてベッドに横たえる。正直天地がよくわからなくなっている私は、もう無理、という意思表示のつもりで脚を閉じようとする。だが、脚は思ったように動かないし、脚を大きな手でつかまれて逆に開かされてしまった。

「や、もう、むり……」
「あともう少しだから、頑張って……ね?」

 むりむり、と頭を横に振る私をあやすように優しく頭を撫でる髭切さん。しかし、言っている内容は優しくない。鬼だこの人。
 直後に下腹部を襲った圧迫感と快感に再び高く声を上げる。だんだんと腰を突き上げるスピードが速まっていく。



 そこから先はもう、なにがなんだかよく覚えていない。無我夢中で彼の動きについていったと、翌朝の体の倦怠感と上機嫌かつやけにすっきりした髭切さんの顔から推測するしかなかった。ちなみに、あの夜一人取り残された挙句私の分の会計も払わされた弟の膝丸さんは、私と髭切さんが晴れて恋人同士になったと知ってなんだか複雑な顔をしていたが、最終的にはよかったな、と言ってくれた。
 結局毎週金曜日はこんな感じで、恋人になった髭切先輩としっぽりしけこむことが通例となってしまっている。就業時間中は必要な連絡ぐらいしかしないのに、金曜の夜に仕事が終わった途端私を甘く見つめてくる。正直、社内で公私をきっぱりと分けている意味がなくなるから、そんな視線を送ってくるのはせめて外に出た後からにしてほしいのだが。

「でも、嫌じゃないよね?」
「まあ……そう、です……けど……」
「あはは、まったく素直なんだか素直じゃないんだか」
「あーーもーーどうせ私は可愛くありませんよ!」
「誰も可愛くないなんて言ってないよ。素直じゃない君も可愛いし、素直な君はもっと可愛いよ」
「んん……だめ、恥ずかしくて死にそう……」
「死ぬのは僕の体の下か上にしてくれるかな?」
「殺す気なんですか!? やめてこわい!」
「殺す気はないけど、うっかり盛り上がってしまうからねぇ」

 いい大人が、自分の心をはかりかねて、近道をしようとして結局遠回りになって。お互いを散々ひっかきまわしてぐちゃぐちゃになってしまったけれど、なんというか、典型的な雨降って地固まるというやつだ。
 金曜の夜。いつもの柔らかい笑みの中に、少しだけ艶を混ぜた髭切さんに手を引かれ、私は歩き出した。

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