3、「見つめるだけで胸が痛い」か、相手は頭が痛いだろうに



「長谷部くん、昨日もさんから電話来なかったんだけど、本当に伝えてくれた?」
 と、昨日と同じく俺を開口一番に非難してきた燭台切光忠。昼休みのたびに俺の所属部署へまでやってきて好きなようにしゃべられるのは鬱陶しい。俺はそれを隠そうともせずに顔に出しながら、燭台切の顔も見ずに返事をする。
「伝えた」
「じゃあなんでさんから電話が来ないんだよ」
「俺が知るか。お前に興味ないんじゃないか?」
「あっ、ひどいなぁ。もうちょっとオブラートに包んでよ」
 燭台切が眉を下げたが、俺としてはかなりオブラートに包んだつもりだ。先輩はお前に怯えているとはっきり伝えたほうがいいのかもしれないが、それを言うと面倒なことになりそうな気がする。もしくは、あの斜め上の前向きさを発揮して意味が伝わらないか。
「うーん……昨日バラの花束をプレゼントしたし、途中まで一緒に帰ったから照れてるのかな? 焦らすなぁさんも」
「……一緒に帰った、ではなく無理矢理付きまとった、の間違いじゃないのか」
 昨日言っていた、荷物持ちに乗じて先輩の自宅を把握するという恐ろしい計画を実行したらしい。しかし途中までとはどういうことなのか。
「自宅までは付きまとってないのか」
さんが降車駅まででいいって譲らなかったんだよ。遠慮なんてしなくてもいいのにね」
 降車駅までということは、先輩の自宅はまだ知らないということか。俺は謎の安堵感を覚えて胸を撫で下ろしたが、それは束の間のことだった。
「でもやっぱり心配だったから、こっそり後ろから見守ってたんだ。無事に自宅まで着くまでは安心できないよね」
「は? お前、先輩の後をつけたのか?」
「やだなぁ、人聞きの悪い。ちゃんと部屋に入るところまで見送ったって言ってよ。本当は部屋の中まで安全を確かめたかったんだけど、部屋に入ると絶対ムラムラしちゃうからそれは我慢したんだ。やっぱり押し倒すのは付き合ってからじゃないとね」
 最後の言葉はかろうじて納得できるが、それ以外は全くもって理解できない。要するに、駅から自宅まで後をつけて自宅の場所を割り出したということだ。なんということだ。先輩はついに逃げられないところまで来てしまったのかもしれない。
「はぁ……さん、いつになったら僕の気持ちに応えてくれるんだろう。告白してからもう四日もたってるのに」
「いや、先輩はすでに拒否しているだろう」
「今日も会えるかなと思ってここに来たけど、やっぱりいないなぁ。昼休みは社外に出てるほうが多いのかな? さんの姿を見るだけでも、昼からの仕事頑張れそうなんだけどな」
 そう言うと、燭台切は切なげに先輩不在の机を見つめた。俺の言葉は相変わらず無視らしい。というか、独り言モードになると他人の言葉は普段以上に耳に入らないらしい。それならずっと壁に向かって話していればいいものを、なぜわざわざ俺に言うんだ。イライラが募るばかりだが、先輩の安否が気にならないと言えば嘘になるので耳を傾けている。
「はぁ……さんのことを考えるだけで胸が痛いよ。恋って楽しいことばっかりじゃないんだね」
「お前のその気持ちは恋というより執着心だろう」
「初めてだよ、こんな気持ち」
 胸に手を当ててうなだれる燭台切。その殊勝な様子に、俺はなんとも言えない気分になった。こいつのことは俺の昼休みを時間的にも精神的にも台無しにする厄介者ということで正直嫌いだが、こんな情けない姿を見たいわけでもない。おそらく、こいつは自分から人を本気で好きになったことがあまりないのだろう。友人関係にしても恋愛関係にしても、相手のほうから寄ってくるのだと思う。燭台切のほうも付き合った相手に好意を持つことは持つだろうが。そういう相手はほぼ自分の思い通りに動く。だから、自分の思い通りにならない先輩に執着するのか。先輩も、燭台切のそういう面を無意識に感じ取っているのかもしれない。そもそも、一目惚れしたという相手を警戒するのは当たり前だ。自分の内面をよく知らないうちに好きになったといわれても、それをすぐに信じることは中々できないものだ。
「……お前は自分の思いを押し付けすぎだ。それでは先輩が警戒するに決まってるだろう」
「長谷部くん?」
「逆に考えろ。お前は、一目惚れしたから付き合ってと言って毎日付きまとってくる女を受け入れられるか?」
「うーん……つまみ食いならするかも?」
「真面目に考えろ!」
「はいはい……まあ、特に興味は持たないかな。目に付かないうちは自由にさせておくね」
 こいつに一般的な感覚を求めることが間違いだったのかもしれない。俺はため息をつくと、はっきり言ってやった。今日の俺は仏心に満ちているようだ。
先輩からしてみれば、お前が自分の欲望を満たすために近づいてきた奴に見えるんじゃないのか。まず信用されてない状態なんだ。気持ちに応えてもらいたければ、もう少し先輩の気持ちを考えて行動しろ」
 と言うと、燭台切は押し黙った。いつも浮かべている微笑みが消えて無表情になった。それだけで、燭台切の雰囲気が冷たいものになる。
「長谷部くん」
「なんだ」
「僕って、さんに嫌われてるのかな?」
 俺と視線を合わさないまま、燭台切がポツリと言った。声の調子は特に普段と変わらなかったが、外見の与える印象が違うだけで別人に見えた。俺はちらりと部署の出入り口を見やると、燭台切の質問に答えた。
「さあな。俺が受け取る印象と先輩が思っていることは、必ずしも一致するとは限らない。本人に聞けばいいんじゃないか」
「本人?」
 俺の視線に気がついた燭台切が、視線の先へと振り返る。部署の出入り口には戦々恐々とした様子でこちらの様子を伺っている先輩の姿があった。
さん……」
 思わず先輩のほうへ駆け寄ろうとする燭台切だったが、先輩が例に漏れず逃げてしまったことにより足を止めた。昨日までだとそのまま追いかけていったのだが、俺の指摘を受けてしおらしくなってしまったのか。そう思い燭台切を見る。
「……本人に聞く、か。それが一番かもね」
 そうつぶやくと、小さな声で俺にありがとう、と言って先輩の後を追った。その姿を見送った後、俺は、余計な口出しをしてしまったのではないかと少し後悔した。先輩が燭台切を本当はどう思っているかは定かではないが、もし本当にやつのことを迷惑に思っていたなら、俺のしたことは先輩にとって余計な横槍でしかない。だが、もう後の祭りだ。今更燭台切を止めにいく気もしない。仏心など持つものではないということか。
「先輩、俺はもう口を出すべきではないのかもしれません……」
 という懺悔は、やはり聞く相手もなく俺の口の中で消えていった。



さん、待ってよ!」
「……っ! は、放して!」
「やだ、ダメ。……ねえ、僕のこと、嫌い?」
「え?」
「逃げるくらい僕のこと嫌い? 迷惑?」
「え……いや、その……」
「嫌いなら嫌いって、今はっきり言って。ねえ、さん」
「う……き、嫌いとか、そういうんじゃない、けど……」
「けど?」
「い、いきなり燭台切くんみたいにかっこいい人が私なんかに一目惚れしたって言われても、すぐには信じられないよ……」
「……僕のこと、嫌いじゃないってこと? じゃあ好き?」
「え、それは違う」
「そこはすぐに否定するんだね……参ったなぁ。すぐに信じられないなら、僕が本気だってこれからじっくりわからせてあげる。だから、電話番号教えてよ」
「ええ……」
「あ、なんなら直接さんちまで行ってもいいよ? さんちの場所はもうわかってるから」
「え、なんで!? ってまさか、昨日あとつけてたの!?」
「もう、さんまでそんな言い方して、人聞き悪いなぁ。さんが無事に家に帰るのを遠くから見送っただけだってば」
「それを尾行したって言うの! 怖すぎるんだけど……!」
「もう家の場所まで知ってるんだよ? 電話番号くらい今更じゃないかな? だから、教えてよ。教えてくれるまでこのまま放さないからね」
「ええぇぇ……」


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