4、いつ電話しても話し中ってそれは着拒だ



「おっかしいなぁ。長谷部くん、聞いてよ。さんの……ってどこ行くの?」
 今日も今日とて昼休みに俺の部署までやって来て、何の遠慮もなく勝手にしゃべり出す燭台切。思えば、こいつが気を遣って時間や仕事は大丈夫かなどと訊いてきたのは最初の一日だけだった。聞いてよ、などと言っているが、どうせ独り言の壁うちになるのは目に見えている。俺はもう付き合っていられるかと席を立ち移動しようとするが、燭台切はすかさず俺を呼び止めた。
「お前の話に付き合う無駄な時間は持ち合わせていない」
「えーっ、今は昼休み中だろ。聞いてくれてもいいじゃない、冷たいなぁ」
「俺はお前の相談員じゃない」
「それがさぁ、昨日さんがやっと電話番号教えてくれたんだけど」
「話を聞け……」
 今日も俺の言うことは耳に入らないらしい。こいつの耳はどうなっているのか。いや、耳というより脳か。しかし、昨日何があったかは知らないが、先輩はとうとう電話番号を教えてしまったらしい。しつこく教えてくれと纏わりつかれたか、自宅の場所を知っているということをたてに脅されたかのどちらかだろう。どちらも先輩の心理的な恐怖を想像するだに同情する。じわじわと外堀を埋められ、燭台切の言われるがままにするしか選択肢がなくなっているという状況は、俺でも背筋が寒くなる。
さんの番号、いつかけても話し中なんだよね。誰と話してるんだろう?」
「話し中だと?」
「そう、いくら待ってても切れないんだよ。そんなに長電話する相手がいるものなのかな」
 俺は今の台詞でぴんときた。こいつは先輩に着信拒否されている。先輩のプライベートまではよく知らないが、社内での先輩の様子から推測すると、四六時中長電話をするほど電話が好きということは考えにくい。燭台切に番号を教えたものの、そう易々と電話を許すほどではないということか。
「また何かしたのか」
「やだなぁ、なんで僕が何かしたこと前提なんだい。さんは僕が本気かどうか知りたがってたから、さんに最初に電話した時に本音を隠さなかっただけだよ」
「……本音?」
 なぜだか嫌な予感がする。燭台切の先輩への本音ということは、まさか自分の欲望をそのまま包み隠さず伝えたということではないだろうか。いや、まさかそんな。そんなことをすれば余計に距離を取られてしまうことなど、その辺の中学生でもわかることだ。しかし、俺の予想を毎回悪い意味でぶち破るのがこの男だ。今回もそれに漏れなかったようだ。
「電話越しに聞く声がいつもと違うから興奮しちゃって……さんに会いたいなぁ、今からさんちに行っちゃおうかな、って言っただけなんだけど」
 それだ、着信拒否の原因は。電話で話すだけで毎回そんな欲望にかられてしまっては恐ろしいにもほどがある。しかも自宅の場所が割れている状況では、より一層本気の発言に聞こえる。いっそ着信拒否してしまえ、という先輩の判断は正しい。同じ状況なら俺だってそうする。
「急に具合が悪くなったからもう切る、って言って切られたし、変だよね。やっぱり昨日、様子を見にさんちまで行けばよかったな」
「おいやめろ」
さん、今日は出社してるんだよね? 具合悪そうにしてない?」
「……ちゃんと出社している。普段と変わらない」
 言うことを無視されてもなんだかんだ質問に答えてやるあたり、俺も随分人がいいものだ。しかしこいつの質問に答えなければ、答えるまでしつこく訊いてくるのだから仕方ない。燭台切のその辺りが、やはり不気味だと思う。先輩がこいつとどうなっていくのかはわからない。だが、脅されてとはいえ電話番号を教えたということは、燭台切のことは嫌いではないのだろう。もし交際することになったなら、さぞ苦労することだと思う。燭台切にここまで執着されて逃げ切れるかどうかもあやしいが。
「それなら良かった」
 俺の返答を聞いて胸をなでおろす燭台切。本当に安堵したような顔で笑っている。そういう穏やかな表情を見せれば、先輩もこいつを見直すかもしれないのだが、燭台切は先輩の前では異常行動しかしていないように思える。先輩を前にすると、こいつの理性は九割ほど削られるのか。
「恋と変は似ている……か」
「ん? なんか言った?」
「……もう少し落ち着いたらどうだ、と言ったんだ。いくらなんでも先輩にがっつきすぎだろう」
「え、そうかな?」
「俺から見ても異常だ」
「うーん……恥ずかしい話、僕自分から女性に迫ったことってあんまりないからわからないんだよね。さんは、僕のこと嫌いじゃないって言ってくれたけど」
「嫌いではないだけで、お前の行動には引いていると思うぞ」
「そうなのかなぁ」
 燭台切は腕を組んで悩み始めた。このまま俺の説得が順調に行けば、燭台切は先輩への熱烈すぎるアプローチを自粛するかもしれない。よく押してだめなら引いてみろというではないか。
「落ち着いたほうがいい、かぁ。あんまり電話しすぎないほうがいいのかな?」
「……お前の場合、電話だけじゃないが。まさか着信履歴を埋め尽くすような頻度でかけているんじゃないだろうな?」
「え、一応三十分に一回で我慢してるんだけど」
 俺は鳥肌が立つのを感じた。そんな頻度でかけられては、よほど電話好きの人間でもなければ着信履歴が一日で塗り替えられてしまう。これでは、着信拒否をしていなかったらまともに生活できたものではない。最初の通話でのあの一言がなくても十分着信拒否案件だ。しかも一応とはなんだ。本当はもっとしたいみたいな顔をしているが、三十分に一回でも警察沙汰になってもおかしくないレベルだ。
「あっ、さんだ」
 例のごとく部署出入り口で先輩を発見した燭台切が嬉しそうな声を上げる。だがやはり、これも例のごとくなのだが先輩は燭台切の姿を視界に入れた途端に回れ右をして立ち去ってしまった。先輩も、昼休みに燭台切が部署まで来て待ち構えているということを学んだほうがいいのではないだろうか。いや、先輩はいつ何時どこで出くわすかわからないと思っているのかもしれない。燭台切はいとも簡単にストーカー行為を働く男だ。
 先輩が見えなくなっても、燭台切は動こうとしなかった。いつもなら……というかここ数日に当てはめて考えたら、こいつは先輩をどこまでも追い掛け回すはずだが。
「ねえ長谷部くん、僕ってちょっと引いてみたほうがいいのかな」
 こんなことを聞いてきた。正直、何を今更と思ったが、それは声に出さなかった。不本意だが、俺もこいつの話し相手になっているうちに心が広くなってきたのかもしれない。
「引くというか、もう少し普通に接することが出来ないのか? 先輩以外の者に対する態度なら、先輩も逃げたりしないだろう」
「うーん……さんを前にすると、どうしても飛びつきたくなっちゃって……理性がなくなるっていうのかな、さんとこうしたい、ああしてみたいとか、触りたい舐めたい入れたいとかで頭がいっぱいになっちゃって、何も考えられなくなるっていうか……」
「おい、さらりと変態発言をするな、気持ち悪い」
「ていうか、僕って他の人にどんな態度取ってた? あんまり何も考えないで接してることが多いからよくわからないんだよね」
「それなら、その欲望のままに動く体をなんとか抑えろ」
「うーん……難しいけど、やってみる価値はありそうだね。さんの姿を見ちゃうと失敗しそうだし、あんまりさんに会わないほうがいいのかも」
 と言ってから、燭台切はなぜかうなだれた。なんだ、とうとう頭がおかしくなったのかと思っていたら、こんなことを言った。
さんに会えないって……すごくつらい。想像しただけでも胸が痛いな」
「そんな体たらくでどうするんだ。一週間ぐらい先輩の前に姿を現さないくらいでないと引いたとは言わせんぞ」
「えっ、一週間て長くない? 死んじゃうよ、そんなの」
「勝手に死ね」
「えーっ、ひどいなぁもう。はぁ……じゃあ、今日からやってみる。せっかく電話番号教えてもらえたのに、週末も電話できないなんて……」
「先輩はお前の番号を着信拒否しているから問題ないだろう」
「せめて、今日は思いっきりさんの机を触っておこう」
「おい待て」
 ようやく顔を上げたかと思えば、またしても意味のわからない変態発言が飛び出た。先輩の机を触ってどうするんだこいつは。まさか、そのよくわからない行動に乗じて先輩の私物を拝借する気ではないだろうな。
「おい、先輩の私物には触るなよ」
「え、なんで?」
「どさくさに紛れて先輩の私物を盗む気がまったくないとは言わせんぞ」
「えーっ、人聞き悪いなぁ。ちょっと借りるだけだって。身を引いてみる作戦の間、ちょっと使うだけだから」
 何に使うつもりだ、と聞き返しそうになったが、聞きたくもないおぞましい答えが返ってきそうなのでやめた。それに、こいつが使った後のものを返されても先輩はちっとも嬉しくないだろう。俺の予想する答えで合っている場合だが。
「ともかく、先輩の机には近づくな」
「えー……長谷部くんの意地悪。しょうがないなぁ……作戦中は撮り貯めたさんの画像でも見て発散するしかないな」
「撮り貯めた……先輩の画像だと?」
 先輩の画像を撮っているところなど見たことがない。そんな話を先輩からも聞いていないので、二人きりになったときに撮っているわけでもなさそうだが。と、ここまで考えて俺はある答えに行き着いた。口にするのも気色悪いが、こいつはこっそり先輩を隠し撮りしていたという答えが、俺の中で正解として固まりつつあった。
「じゃあね、長谷部くん。また週明けにね」
 血の気が引いていく俺をよそに、燭台切は俺に手を振ると部署を後にした。土日の間、燭台切に絡まれずに済むかと思うといくらか気分が晴れた。
「先輩……俺は間違ってませんよね……」
 さて、燭台切の作戦は先輩にどう影響を及ぼすのか。俺は柄にもなく野次馬根性で二人の今後の展開を気にしつつ、昼休みが終わるのを待った。



「はあ、はあ……って、あれ……追って、こない?」
(さっき長谷部くんと一緒にいたの、燭台切くんだったよね? なんで……いやいや、追ってこないのが普通だし……全然気にしてない、うん)


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