くちびるの味 続き



 燭台切光忠と思わぬ形で恋人同士になってから、一週間が過ぎた。あれから二人の仲は特に進展していない。まず二人きりになる機会が少ない。普段は仲間の誰かが本丸にいるし、加えてのそばには近侍の山姥切国広がいることが多い。光忠も、本丸にいる間は何らかの家事にいそしんでいるし、は近侍の監視のもと日課任務に励んでいる。これで進展を望めるほうがおかしいのだ。
(光忠くんとは友達みたいな関係から発展したもんなぁ……二人きりになっても普通の世間話で終わっちゃうことが多いんだよね)
 光忠と、そういった恋人らしいことをするのが嫌なのではない。ただなんとなく恥ずかしいだけだ。友達みたいな気安い関係だったのに、甘い雰囲気になることが。一週間前は確かにキスまでしたのに、その時どうやってあんな甘い雰囲気になったのかが自分でも不思議なくらいだ。
 今日は、その光忠が部隊を率いて戦場に出ている。特に重要な任務ではないので、夕方前には戻ってくるだろう。台所には歌仙と堀川国広が立っている。歌仙に邪魔だと言われてしまったので、は物干し場で洗濯物を取り込んでいる最中だ。今日は晴れていて若干の風もあったので、よく乾いている。
(邪魔ってひどくないかな……そりゃ、料理するのも久しぶりだから、勝手が違うんだけどさ)
 忌憚ない歌仙の意見に少し傷つきながら洗濯物をかごに放り込む。歌仙は彼なりに審神者である主人を気遣っているのかもしれないが、はっきり邪魔と言われればだってへこむ。あまり引きずってもしょうがないので、ここでため息と一緒に落ち込んだ気分を吐き出す。
 母屋のほうが騒がしくなった。おそらく、戦場に出ていた部隊が帰ってきたのだろう。あとで戦闘で傷ついてないか確認しなければ。と思っていると、足音が近づいてきた。振り向くと、先程まで考えていた恋人の姿があった。
(ああ、そうだった、隊長だから報告に来たのか)
 手を止めて彼のほうへと体の向きを変えると、光忠は顔をほころばせて近寄ってきた。も歩み寄る。
「ただいま。報告に来たよ」
「うん。無事みたいだね」
「ああ、全員無事だし怪我もしてないよ。君が作った装備品のおかげだね」
「あ、あれ役に立ったなら良かっ……うわっ」
「!」
 歩み寄っていたの足が、何かにつまづいて転びそうになる。すぐ近くまで来ていた光忠が、慌てて腕を伸ばしての体を抱きとめる。意図せずして光忠の腕の中におさまったは、鼻先を少し彼の胸板にぶつけてしまった。痛いが、転ぶよりはマシだろう。
「ふう、危ないところだったね」
「ご、ごめんね、ありがとう光忠くん」
「君って、しっかりしてるようで、今みたいに何もないところでつまづいちゃうからなぁ。だから目が離せないのかな」
「え、そんなことないよ。今だけだよ、つまづいたのなんて」
「ううん、そんなことある。僕は君以上に君のこと見てるからわかるんだよ」
「……よく、そんな恥ずかしいこと言えるね」
「本当のことだからね」
 と言って、光忠は喉の奥で笑った。その震動がくっついた体から伝わってくる。そのことで、今の今までずっと抱きとめられた状態のままだったことに気がつき、の頬が瞬く間に朱に染まった。
「あ、あの、もう放して」
「ん? ああ……」
 が光忠の胸に手をついて離れようとすると、光忠も一旦は腕を離そうとした。だが、すぐにまたを引き寄せて、腕の中に閉じ込めてしまった。
「み、光忠くん?」
「役得だからね、もう少しこのままで」
 と言うと、光忠は先程より強くを抱きしめた。の鎖骨に鼻を埋めるように顔を近づけてくる。彼の吐息が一瞬、の首筋と耳たぶをくすぐった。
「……っ!」
 ぞわっと駆け抜ける震え。当然それは密着している光忠にも伝わる。
「どうしたの? 緊張してる?」
「き、緊張……してる、かも」
「どうして?」
「だ、だって……改まってこんなことするの、恥ずかしいし……前みたいに、突然キスとかされたら、びっくりするし……」
「……じゃあ、予告すればキスしていい?」
 がどういう意味か聞き返す前に、光忠は顔を上げて片腕をの頬に添えた。逃げられないようにするためだろう。
「可愛い、耳たぶまで赤くなってるよ。ここにキスしていい?」
「え、う、うん……」
 がか細い声で承諾すると、光忠が耳にくちびるを落とした。始めは軽く触れるようなキスだったのに、だんだんと食むようなものになり、ちゅ、と音を立てだした。その音が耳に入るたびに、は体を強張らせる。
「ひゃ、あ、ちょっと」
「うん?」
「や、やだそれ」
「くすぐったい?」
「くすぐったいっていうか……あっ」
「耳、弱いんだ。もしかして……感じてる?」
「ち、ちが……」
「可愛い、ほっぺたがさっきより真っ赤だ。ここにもキスしていい?」
 いやいや、と首を振ると、光忠はあっさりとくちびるを離した。次の標的は頬らしい。頬ならいいか、とは小さく頷く。光忠は耳たぶのときと同じように、最初は触れるだけのキスをして、だんだんとリップ音を出しながら軽く頬に吸い付いた。
 それから、頬の次に髪、額、まぶたと許可を取りながらキスを降らせる光忠。彼のくちびるが肌に吸い付くたびに、は体を震わせていた。顔は羞恥でこれ以上ないくらいに真っ赤に染まっている。
 光忠は、まぶたからゆっくりとくちびるを離すと、頬に添えていた手を顎に移動させ、の顔を上げさせた。光忠の視線の先には、のくちびるがある。
「……キス、していい?」
 今度はどこへ、とは言わなかったが、彼の指している場所は視線で明らかだった。は、数秒間口を開けたり閉じたりさせていたが、きゅっとくちびるを引き結ぶと、目を閉じた。
 直後に、くちびるに光忠のそれがかぶさった。今までしたキスのような、触れるようなものからだんだんと食むようについばんでくる。やがて閉じているの口に湿ったものが押し付けられ、は再び体を強張らせた。
「ん、は……っ」
 薄く開いた口を割って、光忠の舌が口内に入ってきた。ゆっくりと、の口内を探るように動き、やがての舌を絡め取った。ざらざらとした舌の感触が、ゆっくりとした動きだけに余計に生々しく感じられる。ぞくりと電流のようなものが体に走った。
「んっ、んんっ」
 声を上げると、やっと光忠が口を離した。やっと解放された、と安心したのもつかの間、離れる間際にぺろりとくちびるを舐められた。
「!」
「今度は漬物の味はしないね」
「も、もう! なんで舐めるの!?」
「さあ、舐めるの好きなのかな?」
「好きなのかなって……!」
 羞恥心の限界を超えたが光忠の腕から離れようとするが、光忠は抱きしめたまま離さない。じたばたと暴れてみるが、腕ごと抱きしめられた状態では出来ることは少なかった。
「ねえ」
「何!?」
「今夜、部屋に行ってもいい?」
「え……今夜? なん……って、あ……」
 なんで、と聞き返そうとして、夜に部屋に男が忍んでいく意味を理解したが言葉を失った。
「そういう意味だって、わかった?」
「……う、ん」
「ねえ……いい?」
「っ……!」
 耳元で低く囁かれて、はぎゅっと目をつぶった。やはり耳が弱いのかもしれない、と余計なことを考えながら、はあちこちに視線を泳がせて迷った。ここで頷けば、光忠と最後まで進んでしまう。付き合って一週間、恋人らしいことをしていないと悩んでいたのはつい先程のことではなかったか。それが、今は夜這いの予告を受けているなんて。今度は早すぎる展開についていけない。
(でも……ここで断って、そのあとは……? 私は、そのあとどうするの?)
 光忠に関することについては、は今のところ受動的だ。断ってしまった後、が積極的に光忠を誘えるか。それは自分でも否と言わざるを得ない。
(それに……もっと、こうしていたい。すごく恥ずかしいけど、もっとキスとか、したい……)
 逃げ出したくなるほど恥ずかしいが、それと同じくらい光忠と触れ合うことが嬉しい。抱きしめられると、どきどきして体温が一気に上がったようになる。改めて彼のことが好きなのだと実感する。
「う、ん……いいよ」
 勇気を出して了承の返事をすると、光忠がじっとの顔を見つめてきた。本当にいいのか、本当は嫌がってないかを探るように。
「本当にいいの? 僕、君に色々……エッチなことするよ?」
「う、うん……」
「ここで言わないで、後でやっぱりダメっていうのは聞かないからね」
「うん……いい、よ」
 光忠の目を見つめ返して再度頷くと、再び強く抱きしめられた。光忠が吐く息が熱い。彼も本気だということがわかって、はさらに鼓動を早くする。その鼓動が落ち着く頃に光忠は体を離した。
「じゃあ、今夜行くね。寝てちゃダメだよ」
「うん……待ってる」
 と言うと、光忠は照れたように笑った。に手を伸ばしかけて、すぐに手を下ろした。
「……うん、夜まで我慢」
「え?」
「……なんでもない。さ、もう行こう。洗濯物たたまないとね」
 聞き返したの言葉にかぶりを振って、洗濯物の入ったかごを持って光忠は歩き出した。変なの、と思いつつ彼の後を追った。
 その後、夕食の席でも入浴の際にも、今夜光忠と一線を越えてしまうかもしれないという期待と不安で、たびたび顔を赤くするが見られた。その赤面の意味を知るものは、光忠以外誰もいない。


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