くちびるの味



 ここ本丸の食事は、刀剣男士たちが自ら調理している。とはいっても得手不得手のあることなので、関わる者は限られていたが。審神者であるが家事を手伝っていたのは、まだ刀剣男士たちの数も少なく、それも人間で言えば年少の姿の短刀たちが多く、炊事を任せられるような状況ではなかった頃の話だ。今は家事それぞれに分担が決まっており、は審神者としての仕事に集中するようにと言われている。
 たまに、調理担当の刀剣男士たちが戦場に行ってしまっていて、が手伝うことがある。今日がその日だった。いつもは歌仙兼定や堀川国広、燭台切光忠が主に台所に立っている。今日は歌仙と堀川が出払っていた。ということは光忠と二人で台所に立っているという状況だ。
「……なんか、全然手伝ってない気がする」
 が来た時にはもうすでにあらかたの調理は済んでいたのである。あとは煮込むだけだったり野菜を切るだけだったり、ほとんど気を遣う作業ではなかった。の不満の原因を作った光忠は、不満げな主人のつぶやきもいつもの微笑みでかわす。
「だって、主を何時間も台所に立たせられないだろう?」
「それこそ仕方ないでしょ。戦場に行く面子は私が決めてるんだし」
「危ないよ。刃物だってあるし、火もあるし」
「そんなの、誰が台所に立ったって同じだよ。もう、家事も息抜きみたいなもんだって言ったのに」
 審神者の仕事は、日々の業務こそそんなに差し迫ったものではないものの、皆を戦場に送り出す恐怖や不安を感じたり、遠征部隊の安否が気にかかってしまって夜が眠れなかったりと心労が絶えない。ずっと政府からの書面とにらめっこをしているのも気が詰まるので、適度に体を動かしたり何らかの作業をして気分転換をするのだ。作業に没頭できる家事は、それにうってつけというわけだ。
 だが、隣で漬物を切っている男は首を縦に振らない。
「君は、僕たちがそろう前から色んな家事をやっていて手馴れてるし、心配する必要なんてないってわかってるんだけど、やっぱり目が離せないんだよ。主人のことはいつだって一番に気にかかるものなんだ」
「うーん……じゃあ、光忠くんが一緒ならやってもいい?」
「え?」
 の提案に光忠が手を止めてこちらを見る。思わぬことを言われたようで、きょとんとした顔をしている。
「目が離せないってことは、一緒ならいいってことじゃないの?」
「……それは……うん、そうだけど」
 が言ったことに頷きつつも歯切れが悪い様子の光忠に、煮物の鍋を揺らす手を止めて彼の顔を見た。顔色はそれほど変わっていないものの、珍しく照れているような表情をしていた。なぜだか、つられても照れくさくなってしまう。深い意味で一緒、といったつもりはないのだが。
「え、っと……漬物、いつもおいしいよね! 今日はにんじんの漬物なんだね、珍しい」
 二人の間に漂ったなんともいえない雰囲気を打破するために、が無理矢理口を開く。光忠は、いつもの微笑を浮かべて話にのってきた。
「そう? ありがとう。にんじんの漬物もおいしく出来てると思うよ。食べてみる?」
「あ、うん」
「はい、あーん」
「ん、ええ……!?」
 光忠の言葉に何気なく頷いただったが、当然のように差し出された彼の指に一歩引いてしまった。指というか、指にはにんじんの漬物があるのだが、それを味見しろというのか。いや、素手でつかんでいることに抵抗があるわけではなく。
(指に私の口がついちゃったらどうしようとか考えないの、この人!)
 光忠は、想像しただけで恥ずかしくなってくるとは違うようだ。素早く開いた距離をつめて、のくちびるに漬物をつけた。こうなると、口を開かないわけにはいかない。少しだけ、光忠の指先がのくちびるに触れる。
「ん……おいしい……」
「そう、よかった」
 満足げににっこりと笑っている光忠。の顔はごまかしようがないほど赤く染まってしまったというのに、彼は変わっていない。何食わぬ顔で手を洗っている。そのことが、はなんだか悔しかった。
 大人しく漬物を咀嚼していると、光忠が不意に顔から笑みを消した。急に黙ってしまった彼を見上げて、どうしたのだろうと思っていると、おずおずと彼が口を開いた。
「あのさ、さっきの話なんだけど……」
「うん?」
「僕が一緒なら、って君は言ったけど……それって、僕が君のそばにいてもいいってこと?」
「え……光忠くん……?」
「ここで否定しないんだったら、そういう意味と取るよ」
「……そういう意味って」
「……僕はずっと、君と一緒にいたいよ。そういう意味で」
 そう言った光忠は、いつもとは違う、珍しく照れくさそうな表情で頬をかいていた。いつも軽口のような感じで甘い言葉を言う彼は、いつもなら微笑んで照れた様子を見せない。なのに今は、いつもなら滑らかに動く口もさび付いてしまったかのようにぎこちなく、ありきたりな言葉を出している。そのありきたりな言葉が、の落ち着かない胸に届いて、さらに心臓がせわしなく動き出した。
「あの、えっと……はい、そういう意味、です……」
 当初は光忠の問うている意味で言った言葉ではなかったが、光忠の思わぬ真剣な眼を見ていると、頷いてしまった。先程まで自覚がなかったが、この動悸は彼を男性として意識しているということで間違いない。彼が一緒なら、嬉しいと思ってしまった。今ここで、光忠の考えている意味になってしまったのだ。
 恥ずかしさから思わず顔をうつむかせてしまったが、もしがこの時、光忠の顔を見ていたとしたら、彼の表情が変わっていく様子を見られただろう。の言葉を聞いて、呆然とした表情の後に、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにする様子を。
 体が引き寄せられたと思ったら、次の瞬間には光忠の腕の中にいた。苦しいくらいに強く抱きすくめられ、の胸も動悸が早くなり、苦しくなった。それと同時に、湧き上がってくるのは嬉しさと安堵感だった。
(両思いって、こういうことなんだ……すごい、幸せ、かも)
 彼の背に腕を回し、幸福感に浸っていると、不意に腕の力を緩められ、体を離された。何だろう、と思う間もなくくちびるを彼の同じもので奪われる。ん、と驚きの声が口内で発せられたのが、なんだか恥ずかしかった。だがその恥ずかしさもすぐに嬉しさで上書きされた。くちびるから伝わる熱を、目を閉じて感じ入る。
 口が離れる際に、光忠はぺろりとのくちびるをひと舐めして、「漬物の味がする」と言って笑った。くちびるを舐められたことやら光忠の言葉やら、が顔を真っ赤にして怒り出すのはそれから間もなくのことだった。


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