お見合い騒動 その二



「……今、なんて言ったんですか」
 太郎の口から出た言葉が信じられず、呆然と聞き返す。太郎は表情を変えずに、同じ言葉を言う。
「見合いを受けてください、と申しました」
「な、なんで……どうしてそんなこと言うんですか?」
 一体どうしたというのだろうか。昨日、にお見合いの話が出ているというだけで、受けると決まったわけでもないのに、その話の片鱗を聞いただけでおろおろと取り乱していたのは見間違いだったのか。その取り乱した理由も、にお見合いなんて受けて欲しくないからではないのか。てっきりそう思っていたのに、太郎から全く逆の言葉を聞くことになるとは、予想外を通り越してしまっていた。
 昨日の太郎と同じような状態になっているを見ても、太郎は表情を変えなかった。淡々との疑問に答える。
「今回の話は、主にとって悪い話ではないはずです。断れば、表立って影響はないかもしれませんが、主の立場が悪くなる可能性もあるでしょう。戦いがこれからも続く以上、政府の心象を悪くすることは避けたほうが無難。無碍に断るより、受けたほうがよろしいかと」
 太郎の返答を聞き、は開いた口がふさがらなかった。呆然と太郎の顔を見返すが、やはりなんの表情も読み取れない。
「そ、そんな……そんなこと、太郎さんが気にする必要なんて」
「ありますよ。私は主の近侍です」
 何を言っても太郎の表情が変わらないことが怖かった。太郎の真意が読めない。
「太郎さん……それ、本心で言ってるんですか? 私が縁談を受けてもいいって、本当に思ってるんですか」
「……主」
「もし私がお見合いの話を受けたら、その時太郎さんはどう思うんですか」
「…………」
 太郎の頬がぴくりと動いた。これまで保ってきた鉄面皮をやっと崩したかと思ったが、その頬の動きは一瞬だけだった。すぐにまた、冷たい無表情になる。
「……その時は、貴女の幸先が良い事を祈るだけです」
「……!」
 こうまで言われてしまうとは正直思っていなかった。は衝撃を隠そうともせずに顔に出す。きっと、昨日の太郎と同じでこの世の終わりのような顔をしているに違いない。
 太郎は引き止めてくれると思っていた。そんな話は受けないで欲しいと、自分以外の男になど会わないで欲しいと、そう言ってくれるものかと思っていた。だが、どんなに問い詰めても太郎の返事は、その予想とは逆の言葉だった。そのことがショックで、頭に血が上っていくのを感じた。鼻の頭が熱くなっていく。気がつけば、は涙を流していた。
「太郎さん……太郎さんからそんな言葉、聞きたくなかった……太郎さんだけには……」
「……っ」
 の涙を見て、太郎が目を背けた。そんなことすらから距離をとっているように思えて、ますます胸が痛む。
「わからないよ……太郎さん、わからないよ……! 太郎さんのバカ!」
「主っ……」
 はかっとなって太郎に罵声を浴びせると、わき目も振らずに部屋を飛び出した。太郎の姿など、今は見たくない。太郎が呼び止める声がした気がするが、今はとても聞き入れられなかった。
 離れと母屋を結ぶ廊下で、山姥切と次郎の姿が見えた。昨日の今日で、心配して見に来てくれたのかも知れない。だが今は、そのことに礼を言う余裕もない。
「あれ、主ちゃん?」
「おい……」
 二人の呼びかけにも応えずに、横を走り去った。おそらく泣いていることは二人からも見て取れただろう。心配そうな声が後ろからかかったが、は足を止めなかった。息が上がって肺が苦しくなるが、走り続けて母屋を出る。どこへ向かっているわけでもなかったが、足は自然と人気のない裏山へと向かっていた。
(わからない……どうして、どうしてそんなこというの、太郎さん……私が好きなのは、あなただけなのに!)
「……おい、待て……おい!」
 後ろから声がしたかと思うと、手をぐっとつかまれて強制的に立ち止まらされた。振り返ると、山姥切がいた。泣いているを追いかけてきてくれたようだ。
「山姥切、くん……」
「どこへ行くつもりだ。また一人で裏山にいくのか」
「……今は、一人になりたい……ごめん、手を放して」
「あいつと何があったんだ、言ってみろ」
「う……で、でも……」
 太郎とのやり取りを思い出してまた涙がこみ上げてくる。だが、人目のあるところでは泣けない。他の刀剣男士が見たら、心配させてしまう。そのことが気にかかって泣けないのだと察した山姥切は、口の中で舌打ちすると、おもむろに自分のかぶっていた布をにかぶせた。
「わっ」
「見られたくないなら、これでもかぶってろ。少し汚れているが、それは我慢しろよ」
 と言うと、今度はの手を取って歩き出した。裏山のほうへと向かっているのかと思ったが、途中で道をそれた。彼の向かった場所は厩舎だった。
「ここの裏は、あまり人が寄り付かない。そこでなら話せるか?」
「え……あ、うん……」
 裏山よりは母屋に近く、だが人気のない場所を選んでくれた山姥切の気遣いに、思わず涙が止まった。以前に裏山に行って雨に降られてしまったり、眠り込んで体を冷やしてしまったりした例もある。敷地内で何かあるわけでもないが、より母屋に近ければ安全だと思ったのだろう。少々、いやかなり獣くさいが、裏は多少軽減される。話しているうちに気にならなくなるだろう。
 厩舎の脇には中の作業で使う用具や資材が置かれている。それらを通り抜けて裏へと回ると、木々が生い茂っているだけであった。これならば、声の大きさに気をつけていれば、誰にも気付かれないだろう。
「で、なにがあったんだ。まあ、あんたが泣くほどだから、ろくなことじゃなさそうだが」
 山姥切が促すがままに、太郎とのやり取りを打ち明ける。山姥切は黙って話を聞き終わると、眉を寄せた。
「意味がわからないな」
「でしょ? 私も、わけわかんなくなっちゃって」
「意味がわからないが……だが、あんたのことを思っての行動だろうな」
「え?」
「あいつが動く理由はあんたしかない。何をするにもまず主が一番先に頭にあって、自分のことなんか考えてない。それがあいつへの印象だ」
「……山姥切くん」
「まあ、あんたの意思を無視したのは、あいつの頭が固いせいだろうがな。あんたとあいつはそういうところが似てる」
「え、似てる?」
「ああ。相手のことを思うあまり、相手の意思よりも自分の考えに目が行って視野が狭くなるときがある。そういうところが似てる」
 山姥切の指摘についてには自覚がなかったが、太郎に関してはうなずけるものがある。太郎があんなことを言い出す前、つまり昨日は、何かを考えあぐねて迷っているようなそぶりを太郎は見せていた。太郎が自分のことで迷うというのは確かに考えにくい。自分に関することで選択を迫られたときは、意思をはっきり示すか、なんでもいい、というような反応のどちらかである。
(太郎さん……どうしてお見合いを受けて欲しいなんていったのか、あんな理由じゃ納得できないよ。やっぱり、会って話したい)
「その様子なら、もう大丈夫そうだな。俺はもう行く」
「山姥切くん、ありがとう。いつもごめん、話を聞いてくれて」
「別に……この件は俺も気になっていたからな」
 山姥切から借りていた布を返すと、彼は立ち上がってそれをかぶった。思えば、彼が布をかぶってない状態で日の当たる野外に出ていたのは、かなり稀有なことだったのではないだろうか。それだけ彼に心配をかけてしまったのかもしれない。それをいうと絶対に機嫌を損ねるので、口には出さないが。
 彼が去った後、泣いて重くなったまぶたを閉じる。涙はとっくに引いているが、まだまぶたが熱い。そんなにひどく泣いた覚えはないが、取り乱していたので、知らぬうちにまぶたがはれるまで泣いてしまったのかもしれない。
 厩舎からは馬の息遣いや鼻を鳴らす音、草を踏みしめる音が聞こえる。獣くささに目をつぶれば、一人になるにはちょうどいいかもしれない。ただ、今はちょうど人がいない時間というだけかもしれないが。一人になれる新しい場所を発見して、少しだけ嬉しくなった。
(一人になれる場所を見つけて嬉しくなるなんて、太郎さんに怒られそうだけど)
 たまに本丸を抜け出してぶらつくことがあるが、そのたびに太郎に迎えに来てもらうのが当たり前になっていた。二人で過ごす時間を積み重ねるにつれて、迎えに来てくれるまでの時間が短くなっていくのがたまらなく嬉しかった。いまだにが、頻繁ではないとはいえ一人になりたがることを太郎は快く思っていないだろうが、黙って迎えに来て暖かく包み込んでくれる。その優しさが何よりも愛おしい。
 太郎のことを考えていると、また涙が出そうになる。それほどまでに、太郎からお見合いを受けろと言われたことがショックだったのかと、袖口で目をこすった。
 その時、不意に人の足音がした。馬当番の誰かがの気配に気付いたのかと振り返ると、そこには息を切らせた太郎の姿があった。口の端が切れて血がにじんでいる。まるで殴られた後のような顔に、思わず泣いていることも忘れて太郎のほうへと寄る。
「た、太郎さん、どうしたんですかその顔……!」
 太郎はその言葉を聞き終えるよりも早く、を引き寄せて抱きしめた。抱きしめられる直前に見えた太郎の表情は、苦しそうなものだった。
「申し訳ありません、主……! 貴女を泣かせてしまうなど、近侍失格……いえ、恋人失格です……」
 抱き寄せる太郎の腕は力強く暖かかった。そのぬくもりに包まれて、いつものようにすっかり安心してしまう。は太郎の背に腕を回し、太郎の胸に顔を押し付けた。
「太郎さん……もう、本当ですよ……もうあんなこと言わないで下さいね」
「ええ、それはもちろん」
「でも、どうしてお見合いを受けろなんていったんですか? 全部事情を話してくれるまで、許しませんからね」
 が体を離して太郎を見上げると、太郎は深く頷いた。目を伏せて、自分の考えていたことのすべてを語り始める。


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