9、もう一度手を取って



 考え事と気晴らしがてらの散歩とはいうが、さすがに人がいるところは避けたい。刀剣男士たちは皆を慕ってくれているし、彼らと過ごすのはも楽しいのだが、考え事をしている姿は見せたくない。仮にも彼らの主人なのだから、不安にさせる材料はないに越したことはない。となると、自然と足は裏山のほうへ向いていた。
(まあ、ちょっとぶらつくだけだし)
 途中、畑や道場を通りかかった。畑の作業は午前中に終わったらしく誰もいない。道場のほうは、誰かの声と木刀を打ち合う音がしたので使用中だろう。厩舎は、今は誰も見かけなかった。
 裏山に足を踏み入れると、木漏れ日が差していて落ち葉が綺麗に照っていた。いつも腰掛けている大木の根元に行き、懐の手巾を敷いて座った。今日はあまり風が出ていないが、裏山ともなると時折木々の葉擦れの音が聞こえる。それ以外の音はせず、静かだった。
(落ち着く……)
 先程燭台切光忠が投げかけてきた疑問を思い起こす。
 もし、たちが歴史改変主義者たちを討伐し終わったら、刀剣男士たちはどうなるのか。それについて政府の説明はない。もうかれこれ二百年ほど争っていて説明がないということは、まだまだ戦いの見通しが不透明ということだろう。現に、が任務をこなしたり討伐命令を成功させても、政府から報酬があるだけで戦況の説明はほとんどない。細かい戦況は任務達成のために必要だが、大局を知らせたりはしてこない。
(それだけ、一進一退ということかな。勝ち続けていたら、それを誇示して士気を高めるっていう動きがあってもいいはずだし。それとも、末端の使い捨ての駒に知らせる必要がないと考えているのかな……)
 なんにせよ、戦いが終わるのはまだ先のことであると思っていいだろう。その限られた時間の中で、太郎とともに過ごすか、それとも今から別れの時に備えて気持ちを断ち切るか。
 どちらが正しいかはわからない。だが、どうせ別れを怖れるなら、一人で悶々と過ごすよりも、傷が大きくなろうと二人で幸せな時間を作りたい。
(もう、そういう方向で考えが固まっちゃったかも)
 この考えを太郎が納得してくれるかはわからない。でも、話してみたいと思ったのだ。あの夜に見せた彼の苦しそうな表情は、への恋慕の情を断ち切ろうとしても断ち切れなかったゆえのものだと、は期待せずにはいられなかった。
(……太郎さん、わかってくれるといいなぁ……)
 考えが前向きに変わったことで、心が少し軽くなったような気がする。しかしそのせいか、連日連夜の浅い眠りがたたったのか、は大木に背中を預けて眠りについてしまった。
「……主、主…………」
 耳に入ってきた声に目を開けると、目の前に太郎の顔があった。珍しく怒っているような険しい表情をしている。
「……ん、あれ? 太郎さん……?」
 状況がつかめず、目をこすって意識を覚醒させながら周囲を見渡した。すると、日はもう完全に落ちかけて、あたりは薄暗闇になっていた。目を閉じるだけのつもりだったが、がっつりと眠っていたようだ。
「あ、えっと……ご、ごめんなさい! 日が落ちる前に帰ろうと思ってたのに、ついうとうとしちゃったみたいで……」
 怒られる前に自分から謝る。こういうのは先手必勝だ。太郎を怒らせたことはないが、先の近侍である山姥切国広のときの経験で学んだことだ。太郎は、大きなため息を隠そうともせずに吐くと、恨めしそうな調子で言った。
「出歩かれる際は行き先を告げてくださいと、何度も申し上げたはずですが。それが、長時間でも短時間でも、です」
「う……はい……」
「今なら、初めて会った時の山姥切国広の気持ちがわかります。本当に、貴方を見つけるまで気が気ではありませんでした」
「うう……すみません……」
「謝られるくらいなら、今後気をつけてください、是非」
「はい……ごめんなさい」
 太郎はもう一度ため息をつくと、膝を払って立ち上がった。のほうへと手を差し出してくる。
「では、帰りましょう。皆が本丸で待っています」
「……うん」
 少しためらいながらも、太郎の手に自分の手を重ねた。太郎に触れるのは、あの夜以来だ。嬉しくて、少し気恥ずかしい。薄暗闇でなければ、の顔が赤いことを悟られていただろう。
 手を握った太郎はの手を引いて立ち上がらせることなく、そのまま固まってしまった。なんだろう、と怪訝に思っていると、太郎は再びの前に膝をついた。
「こんなに手が冷たくなって……主、いつからこちらに居たのです」
「え?」
 太郎に言われて、自分の手を見てみる。気付かなかったが、確かに指が動かしづらい。目が覚めたのがつい先程なので、冷えている自覚がなかったが、太郎の手を暖かく感じるくらいに冷えているようだ。
 まさか昼の三時すぎから、と正直に言うわけにもいかない。だが太郎も正確な返答を求めているわけではないようで、の言葉を待たずに、の両手をつかんだ。そして、両手を包み込むように握り締めると、顔を近づけて息を吹きかけてきた。
「たっ……太郎さん!?」
 いきなり何を、と思い手を引きかけるが、ぐっと力をこめられたので手を引くことは出来なかった。手を暖めるためにしているということはわかった。だが、いきなりのことでついていけなかった。
(太郎さん、たまに、こういう突飛なことするよね……)
 自分たちは、想いを断ち切ろうと接触をなるべく避けていた間柄ではなかったか。それを反故にするような行動に、は戸惑いつつも嬉しかった。
 指先を包んで暖めていた太郎が、不意に指へくちびるをつけた。思わず肩を強張らせると、太郎は視線を上げてを見つめた。熱のこもった、狂おしいような表情で。その視線に、なぜだか体の自由が利かなくなった。太郎がこちらへ手を伸ばすのが目に映ったが、は反応を返せなかった。そっと、手が頬に触れる。
「……頬も、こんなに冷えています」
 そうつぶやいてから両手での頬を包み込んだ。暖かい手の感触だったが、その手は少し震えている。肌寒さのせいではない震え。
「た、ろう……さん……」
 が震える声で太郎を呼ぶと、太郎の眉根がぎゅっと寄った。
 次の瞬間、は太郎の腕の中にいた。
 突然のことで、よく状況を理解できない。目の前にあるのは、太郎の服で、の背中に回っているのは太郎の腕だ。強い力でぎゅっと、痛いくらいに抱きしめられている。だが、その腕はやはり少し震えている。
「こうなると、わかっていたのに……貴女に触れてしまえば、抑えることなど出来ないと、わかっていたのに……」
「……っ、太郎さ、ん」
「……こんなに体を冷やしている、貴女が悪いのです、主……だから、今だけ……今だけはこうすることを許してください」
「太郎さん……!」
 が太郎の背に腕を回すと、さらに力をこめられる。
「っ……くるしいよ、太郎さん……」
「ああ、すみません」
 太郎が少し力を緩め、体を離す。互いの顔を見合わせると、太郎がくちびるを近づけてきた。キスされる、と思っていたが、太郎は直前でためらうようにのくちびるを避けた。頬を擦り合わせるような形になる。太郎はのくちびる以外の顔や耳元にキスをする。それを大人しく受けていただったが、やがて我慢できずに自分から太郎のくちびるにキスをした。
「……!」
 太郎が驚いたように体をはねさせた。離れようとする太郎の顔をつかんで、そのままキスを続けていると、太郎のほうから口を押し付けられる。が逃げられないように後ろ頭に手を回され、舌が口内に入ってきた。
「んっ……は、太郎、さ……ん……!」
 長く続くキスに息苦しさを覚えて太郎の胸を叩くと、ようやくキスから解放された。荒くなった息を整えようと思ったが、また苦しいほどに抱きしめられてしまった。
「……すみません。元は、私が言い出したことなのに……」
「……え?」
「あの一夜限りで、終わりにしようと」
「……あの、太郎さん。そのことで、少し話せませんか? 私も、あれからずっと考えてたんです」
「しかし、ここでは貴女の体がますます冷えて……」
「大丈夫です。……あの、たぶん、くっついていれば、あったかいです……」
 自分の言ったことに自分で恥ずかしくなり、顔をうつむかせる。太郎は珍しくきょとんとしていたが、言葉の意味を理解すると、すぐさまを抱きしめてきた。
「……では、こうしていましょう」
 太郎は一旦体を離すと、の後ろに回りこんで、後ろからを抱きしめてきた。身長が高く体格のいい太郎がそうすると、すっぽりとを包み込んでしまう形だ。体を冷やさないようにとの配慮からか、体はぴったりと密着している。おまけに、耳元で太郎の低い声が聞こえる。どきどきしないはずがない。
「……なんか、やっぱり恥ずかしい……」
 が思わず音を上げると、後ろの太郎が低く笑った。
「貴女が言い出したことですよ。我慢しなさい」
「……うう……」
「それで、話とは」
「あ、はい」
 本題を促され、は再び考えをさっとまとめる。ここで説得出来なければ、太郎とは本当にこれっきりかもしれない。そうならないように、は息を吸い込んで話し始めた。


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