8、青空相談室



 あの夜の出来事から、一週間が経とうとしている。太郎は近侍としての役目はこなすものの、との会話はほとんど最低限のことしかしない。本当に、まるで近侍になりたての頃に戻ったような。いや、それよりももっと距離が開いてしまったかもしれない。
 お互いが相手に対して何かしようものなら、それだけで相手を傷つけてしまいそうな、薄氷を踏むような雰囲気がと太郎の間に漂っている。他の仲間たちの前ではいつもどおりに振舞っているものの、二人になると途端に二人から表情が消える。このままではいられない、何とかしたいとは思っているが、どうすればいいかわからず、身動きが取れない。
 そんな思いつめた表情を見て取ったのか、山姥切国広が気遣わしげな視線を送ってきた。だが、それに応える気力もない。
(いくら山姥切くんでも、これは話せない、かな……)
 へたをすると、心配した山姥切と太郎の間で何か問題が起こり、太郎が仲間内で孤立してしまうかもしれない。あまり心配をかける前に、なんとかしなければ。
(でも、どうしよう……太郎さんと話すのが一番だと思うけど、でも……)
 太郎はあれから、との接触を避けるようにしている。自身も、気持ちの整理が上手くいってないうちから太郎と向き合って、拒絶されるのが怖い。もう一度拒絶されたら完全に立ち直れないかもしれない。そんな状況で太郎を捕まえることは難しかった。
「あれ、こんなところでどうしたの?」
 が考えにふけっていると、通りかかった燭台切光忠が声をかけてきた。こんなところというのは、ここが洗濯物を干している日当たりのいい庭で、家事から遠ざかって久しいがいるのは珍しいから言っているのだろう。時刻は昼を過ぎておやつの時間になろうとしている。もう少し経てば、短刀たちがおやつをもらいに台所へ押し寄せてくる頃だ。
「うん、ちょっと日向ぼっこ」
「今日は天気がいいからねぇ。隣、座っていい?」
「うん」
 光忠がの隣によいしょっと、などといいながら腰掛ける。見た目は黒いスーツ姿で、眼帯もしているから少し怖い印象を受ける彼だが、話してみれば中身は親しみやすく面倒見がいい。料理の腕も上手い。当初はそのギャップに驚いたものである。傍らに置かれた大きなかごがますます不似合いだ。
「これから洗濯物取り込むの?」
「うん、でもせっかく君と二人きりだから、それはまた後で」
「手伝おうか?」
「いいよ、手伝いなんて。そういうのは僕たちに任せてくれればいいのに」
 光忠の口説いているのか素なのかよくわからない台詞を軽く流す。彼はいつもこんな調子である。当初は素直に反応していたのだが、今では流すことにも慣れた。本気かどうかはいまだによくわからないが。
 ふと、会話が途切れる。は日の当たっている洗濯物を眺める。白い布が日の光を受けてまぶしい。少し肌寒いが、本当にいい天気だ。思わず眠たくなってくる。
「……よく、眠れないのかい?」
「……ん?」
「目の下、最近隈が出来てる」
 指摘を受けて、が思わず目の下を撫でる。確かに、最近よく眠れない。眠れないというか、眠りが浅いというか。夢ばかり見て、夜中に起きることが多い。
「君は、何か悩み事があると眠れなくなるんだね。ここに来てからずっと見てるからわかるよ」
「そう……だっけ」
「うん。……僕に、話してみる?」
 穏やかな調子でそっと促される。は優しげに微笑んでいる光忠の顔を見て、少しだけ、相談してみることにした。
「……かなわぬ恋って、したことある?」
「かなわぬ恋?」
「うん。なんて言ったらいいのかなあ……例え相手と両思いでも、結ばれる保障はなくて、むしろ結ばれない可能性が高い恋って言ったらいいのかな……」
「……うーん、そりゃまた難しいね。この体を得たのもつい最近だし」
「あ、そっか……それなら、想像でいいんだけど」
 光忠が複雑そうな表情で小さく頷いた。人間の体を得てからまだ日が浅いほうの彼にこんなことを頼むのも変な話だ。
「両思いってことはわかってるの。でも、この先ずっと一緒にいられるかはわからなくて……結ばれても、いずれ別れなくちゃいけないかもしれないんだ。だから、今ここで諦めたほうがいいのかなって思ってるの」
 光忠は何も言わずに聞いている。は、震えそうになる声を出来るだけ平坦に保ちながら続ける。
「きっと、幸せな時間が長ければ長いほど、別れるときがつらくなる。だから今ここで、相手への気持ちを諦めたほうがいいのかなって思う。けど……だけど、つらいんだ。一度幸せを知ってしまったから、余計に諦めることもつらくなっちゃった。どうすればいいのか、わからない」
 一気に気持ちを吐き出してしまうと、それきりは顔を伏せた。光忠の反応もすぐには返ってこなかった。母屋のほうで短刀たちの声がする。おやつの時間になったようだ。
「……は、弱いね」
「……?」
「とても臆病で、弱いね。賢い証拠だ」
 が顔を上げて光忠を見ると、彼は相変わらず優しげな目をしていた。から目を外して、庭で日の光を受けている洗濯物を見やる。
「僕たちは……僕はね、主人に仕えることが幸せなんだ。その人のそばにいて使われて役に立つことが、何よりも幸せだと思う。たとえ人間の生が限られていて、いずれ主が変わるとしてもね。そりゃあ、主と二度と会えなくなるのはすごく寂しいよ。でも、だからって別れを怖がったりしない。その人のために役に立てたこと、最後までそばにいられたことは、僕にとって誇りだよ。だから、後悔なんてするはずないさ」
「光忠くん……」
「逆に想像してみて。君はその相手とずっと、それこそ別れの間際までずっと一緒にいた。幸せな時間を一緒に過ごした。それは、後悔するのかな。つらいだけなのかな」
 光忠の問いかけに、自問自答する。もし、別れの時まで太郎と寄り添えたら。別れがすぐに訪れるか当分先のことか、それすらもわかっていないが、そのときまで想いを交わすことが出来たなら。
「今、無理に答えを見つけなくてもいいんじゃないかな。僕も、それが正しいかどうかなんてわからないし」
「……うん」
「ただ、僕は君が幸せになることを願ってるよ。どんな道を選んでも、僕は君を応援してる」
 の頭にそっと光忠の手が乗せられた。その優しい感触と言葉に、思わず涙が出そうになる。涙をこらえて顔を下に向けると、それに気付いているのかいないのか、光忠は少し乱暴にの髪をかき乱した。
「さてと、そろそろ洗濯物取り込もうかな」
「あ、私も手伝」
「手伝わなくていいからね。ご主人様は大人しくしててね」
「むう……」
 の言葉を読んだ光忠に先制され、は大人しく立ち上がった。手伝う気でいたのだが、それを却下されてしまった。だが仕事に戻る気分でもない。
「ちょっと夕飯まで、散歩でも行って来るかな。考え事もあるけど、気晴らしも兼ねて」
「そう? 日が落ちたら寒くなるから、上着を持っていくんだよ」
「うん」
 と頷いたものの、日が落ちるまでには帰ってくるつもりだ。わざわざ離れまで戻るのも面倒だし、このまま出歩くことにする。



 門のほうへ向かった主人の姿を見送って、かごをもって物干し竿に近寄った。手際よく洗濯物を取り込んでいたが、ふと手を止めてため息をついた。
「失恋て、こういうことをいうのかな……」
 言葉にすると、胸の痛みが少しずつ増していった。自分でも気付かないうちにかなわぬ恋をしていたらしい。ただ、それはとは違って花咲くことなく散っていったようだが。
「散ったというより、つぼみのまましぼんだ、ってところかな」
 苦笑いをこぼすと、洗濯物を取り込む作業を再開した。早く取り込んでそれをたたんで、それから夕飯の支度をしなければいけない。主人を元気付けるように、今日は主人の好物を作ってやろう。それで主人が喜んでくれれば、笑ってくれればそれでいいのだ。それで十分だと、胸の痛みに言い聞かせた。


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