7、両想いの失恋



※かなりぬるい表現ですが致しております。苦手な方はご注意ください



 が目覚めると、もう日はかなり高く昇っていた。大体昼前ぐらいだろうか。力が入らず重い体をなんとか立たせると、部屋を出た。
 母屋の洗面所に行く途中で、堀川国広に行き会った。堀川はの顔を見ると、ぎょっと大きな瞳をさらに大きくした。
「主さん大丈夫? 今日はお休みって聞いてたけど、本当に体調悪そうだね……歩いて平気なの?」
「う……ん、なんとか……」
 今日は休みということになっているらしい。それはありがたい。とにかく体を動かすことが億劫で、さらに加えてのどが枯れ気味だ。しゃべれないことはないが、喉が痛いし声も変だ。堀川もの声が変わっていることに気付き、眉を八の字にした。
「のど痛そうな声だね……風邪かな?」
「……そう、なのかな」
 本当は違うが、休みをもらった手前そういうことにしておいたほうがいいかもしれない。本当の理由などいえるはずもないのだから。
「ねえ、お風呂入りたいんだけど……使っていいかな?」
「ええ? お風呂って……入ったりして大丈夫なの?」
「う、ん……汗かいたから、気持ち悪くて……」
「うーん……だったらしょうがないか。あんまり長湯しちゃダメだよ?」
 心配そうな堀川がに念を押しながら去っていった。彼の純粋な気遣いを受けて、嘘をついている罪悪感がを襲った。だが、言えない。
 服を脱いで浴室に入る。湯を張りながら、桶で湯をすくって体に流す。
「……っ!」
 自分の体を見下ろして初めて気が付いた。胸元を中心に、体中に散らばる赤い情事の証。太郎が昨晩、に残したものだ。



 今夜で終わり、という太郎の言葉の意味がわからず、は太郎の顔を見つめ返した。太郎はそれ以上その言葉については言及せず、の頬を愛しげに撫でている。
「主……無体を強いる私を許してください。私を少しでも好ましく感じているなら、どうか拒まないで。今夜、貴女と男女の契りを交わしたいのです……」
「……!」
 これは夢なのだろうか。好きだと思っていた男に、関係を迫られているのだ。思いを自覚してから、叶うはずがないと半ば諦めかけていたのに。
「……わ、たしも、貴方がすき……太郎さんが、好き……」
 震える声でも告白すると、太郎が息を飲んだ。
「ずっと、片想いだと思って……んっ」
 の言葉を太郎のくちびるがふさいだ。一度重なって離れたくちびるは、互いの視線が交わるとまたすぐに重なってきた。深い口付けに応えるように、は広い背中に腕を回した。
 口を吸われながら、寝間着にしている浴衣の帯を解かれるのを感じた。性急な様子で肌をまさぐる手は、やはり硬くて男の人の手だと、頭の片隅で思う。
「主、……なにぶん不慣れなことなので、欲ばかりが先走って貴女を傷つけるかもしれませんが……」
「ん……大丈夫です、太郎さんになら……して、ほしい……」
「……そんなことを言わないでください。歯止めがきかなくなります……」
「あっ……」
 胸元強く吸われ、は甲高い声を上げた。太郎が触れたところが熱を持ったように熱い。じんじんとしびれるようだ。完全に裸の状態にされ、恥ずかしがる暇もなく太郎のくちびるが肌に降りてくる。敏感なところを触られると、は自分でも信じられないくらいに高く声を上げて感じてしまった。
 それからあとは、無我夢中だった。
 気がつけば、太郎と抱き合い、指を絡めながら荒い息を落ち着かせていた。まだ、太郎の熱が中に残っているような気がする。
「……夢みたい……太郎さんと、こんなことしてるなんて」
「私もです。まさか貴女と愛を交わすことになるとは思っていませんでした」
 まだ息が上がっていて、熱のこもった色っぽい声だった。耳元でそんなことを言われて、は性感帯に触れられたわけでもないのに下腹部がうずくのを感じた。
「嬉しくて死にそうって、こういうことを言うのかな……」
……」
「明日から、どんな顔してみんなの前に立てばいいんだろうな……」
 が何気なく放った言葉に、太郎の表情が変わった。苦しそうに眉を下げ、言葉に詰まった様子だ。
「……太郎さん?」
「……今宵のことは、明日からは忘れてください。明日からは、ただの近侍に戻ります」
「え?」
「もう、これきりです。想いを交わすことも、貴女を想うことも」
 その言葉を聞いて、今までの夢心地が嘘のように背筋が冷えていく。この一晩を過ぎれば、もう互いに想い合うことはないと、太郎は言っているのだ。そこで初めて、今夜で終わりにするという言葉の意味を理解した。太郎は、最初からそのつもりで部屋へ来たのだ。今日限りでへの思慕を断つために。
「太郎さ……」
「そのほうが、きっとお互いのためになるでしょう。貴女は人間で、私は刀の付喪神なのですから」
 目を逸らしたかった現実を突きつけられ、はぎゅっと太郎の手を握った。胸がつぶれそうに痛い。幸せを感じた時間があるだけ、余計につらくなる。
 嫌だといってしまいたかった。互いに想いあっているのに、なぜそんなことをしなければいけないのかと。だが、にもわかっているのだ。太郎の言うことは正しいと、わかっているから何も言えない。
「太郎さん……!」
「こんなことは、今宵限りです。ですから……今宵は、何度でも貴女を奪います」
「あっ……! んっ、んん……!」
「愛しています、……」



「あっ……だ、め、ぇっ……も、無理……!」
「ああ、すみません……ですが、止められないのです」
「ああっ! あっ、す、ご、いっ……」
っ……」
「あっ、ああっ、なん、か、きちゃう、はあっ、あああっ」
(…………っ!)
 昨晩の出来事を思い出し、かっと全身が熱くなった。結局空が白むまで行為にふけっていたので、まだ下腹部のあたりに異物感があるような気がする。の体は綺麗に拭き清められていたが、中にはまだ情事の残滓があることだろう。
 好きな男に抱かれて、確かに幸福感はある。だが手放しで喜べるものではない。
(今日からもう、なかったことになってるのかな……)
 太郎に会って確かめたい。けれど、確かめることが怖い。太郎は言葉を違えない男だ。会ってしまえば、それをまざまざと突きつけられるに違いない。
 風呂から上がり、少しはマシになったもののまだだるさが抜けない体で離れへと戻る。起きてきたそのままの状態になっている寝室を見る。そこには、昨夜の痕跡など何一つない。
「主、太郎です」
 ぼんやりとしていたせいか、足音に気がつかず、急にかけられた声にびくりと体を震わせた。太郎が来ている。会いたくて会いたくない人。
「……ど、うぞ」
 のどの痛みからまた変な声が出てしまった。今度は動揺も多分にある。
 部屋に入ってきた太郎は、手に盆を持っていた。盆の上には湯のみが一つ。
「堀川国広から、主にと。白湯に蜂蜜を溶かしたものです」
「……あ……えっと」
「無理をなさらず。どうぞ」
 しゃべろうとするを制するかのように、盆ごとこちらへ差し出された湯飲みを受け取り、一口飲む。程よい温度の湯に、蜂蜜がたっぷり入っている。それをゆっくりとすべて飲み干す頃には、喉がかなり楽になった。
「……ありがとうございます」
 というと、太郎は黙ったままだった。蜂蜜湯を飲んでいる最中、ちらちらと太郎の顔をうかがっていたが、彼の表情は無表情で、何の感情もうかがい知ることが出来なかった。
「体の具合は、いかがですか」
 太郎が不意に視線を少し逸らしながら問うてきた。は、なんと答えたものかと顔を下げた。ここで何を言えば、この人の気を引けるだろう。完全に思いを捨て去る気でいるこの人を、どうやって引き止められるのか。今ここで、つらいと言ったらどうするだろう。そんなことを考えてしまう。
「……今日一日休めば、大丈夫だから」
 迷いに迷って、結局出たのは可愛げのない返答だった。気にして欲しいけれど、素直に言えない子供のような表情をしていることだろう。見られたくなくて、は太郎から顔を背けた。
「……そう、ですか。わかりました、ではまた、後ほど……」
「……今日は、夕飯いらないから。もう今日は、ここへ来ないで」
 昨日の今日で心の整理がつかず、一人になりたかった。思わず言い方が太郎を拒絶するようなものになり、声に出してから後悔する。こんな、離れてしまった距離を自ら広げるような言い方、するつもりではなかったのに。
「…………は、わかりました」
 太郎の声には、何の感慨もないように聞こえる。一礼して部屋から去っていった太郎の足音が聞こえなくなると、堰を切ったように涙があふれてきた。
「ふっ……う、うぅ……」
 どうしてあんな風に接してしまったのだろう。もっと素直になれば、昨夜のことも話せたかもしれないのに。太郎の反応が怖くて、自分から太郎を遠ざけるようなことをしてしまった。
 後悔しても遅い。もう、彼と昨夜の話をする機会は訪れないだろう。浴衣の袖に顔を押し付けて、声を押し殺して泣いた。



 離れを振り返らないように母屋へ足早に戻ってきた太郎は、まっすぐ自分の部屋へ向かった。部屋に入り戸を閉めると、何かに耐えるようにぐっとこぶしを握った。
 の部屋から退出する間際に見た彼女の顔は、泣きそうに歪んでいた。つらいのだろう。そしてその顔をさせているのは間違いなく自分だ。
「主、私は……もう、貴女のことを想う資格などないというのに……」
 胸の痛みをこらえるようにさらにこぶしを握り締めると、手のひらからぎり、という皮膚がめり込む音が鳴った。だがそんな痛みは、胸の痛みと比べれば微々たるものだった。


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