6、始まって終わる夜



 初遠征を全員無事に帰還という形で成功させてから、一月が経とうとしていた。遠征部隊の運用もそろそろ成果を期待してもいい頃になった。
 山姥切国広は遠征から帰ってきてからも新しく入った仲間の面倒を見たり、本丸の雑事を手伝ったりと忙しそうだったが、との連絡は欠かさなかった。それでも近侍の頃と比べると接触は減った。減った分、の変化に目ざとくなった。
「……で、あいつとは上手くいってたんだろう? 何をまた悩んでるんだ」
 太郎が近侍の仕事を終え、の部屋から下がった後のこと。夜も更けてもうそろそろ寝たほうがいい時間だが、浮かない顔をしているを気遣って山姥切が部屋へと来ていた。遠征の計画はあるもののそれは今日明日の話ではないので、多少の夜更かしは許容範囲だろう。ここは素直に相談に乗ってもらうことにした。
「うん、上手くやれてると思う。私からはそう見えるんだけど……」
「あいつは違うのか?」
「なんていうかね……いつもじゃないんだけど、たまに心ここにあらずって感じでぼんやりしてるっていうか……んで、その時に大体ため息つくから、どうしたのかなってちょっと気になってるんだ」
「ため息……それは、あんたの前でってことか?」
「大体部屋で控えてる時かな? 私が仕事終わるまで待ってたり、用がないか確認しに来た時とか……あとちょっと雑談してて、話が途切れたりして間が空いた時とか。ため息って言ってもそんなあからさまじゃないんだけどさ」
「……で、それはいつからなんだ」
「えっといつだったっけ……あ、そうそう、初めての遠征から帰ってきた日の後からかな?」
「あんたに心当たりは」
「ないよ! ないから困ってるんだ……」
 山姥切からの質問に答えていると、答えを聞いていくうちに彼は押し黙ってしまった。もしかして、なにかわかったのだろうか。
「え、なに? なんかわかったの?」
「…………いや、俺も正直わからん。ある程度の推察はできるが、それは俺の想像だからな。本人に聞いてみたらどうだ。別に、雰囲気が気まずいとか喧嘩したわけじゃなくて、普通に話せるんだろう?」
「う、ん……そうだけど」
「このまま悩んでいても仕方ないだろ。あいつも何か、言い出せない事情があるのかもしれない」
「……わかった。明日、仕事が終わったら聞いてみる」
 が小さく頷くのを見て、山姥切が立ち上がった。彼と話していると気兼ねしなくていい。気の置けない仲とはこういうことを言うのだろうか。
「山姥切くん、ありがとう。忙しいのに、相談に乗ってくれて」
「まったく、本当に世話が焼ける主だな。人間のことは、あんたのほうが詳しいだろうに」
「うっ……すみません……」
「別に……あんたが変な顔をしていると、本丸の士気に関わるからな」
「……ありがとう。おやすみなさい」
 素直ではない心配の仕方に、は苦笑いをこらえつつ、母屋へ帰っていく山姥切を見送った。
(さて……明日、かあ……勇気を出して聞いてみよう)



「……本日の報告は以上です。主、何か御用はありますか?」
 日課任務やら家事をこなすうちに、あっという間に夕方になってしまった。最近新しく仲間になった太刀の燭台切光忠が来てから、が家事を手伝うことなどほとんどなかった。いつも堀川国広と光忠に上手く追い出されてしまう。としては、家事はほんの息抜きとしてやっているつもりなのだが、二人にとってはそれでも家事をやらせたくないようだ。「人も増えたんだし、いつまでも主さんにこんなことさせられませんよ」というのが堀川の言い分だ。が不満そうにしていると、「僕の料理、楽しみに待っててくれると調理のしがいがあるんだけどな」と光忠に綺麗に微笑まれてしまった。女性の扱いを心得ているような言動に、なぜだかかなう気がしない。気概をそがれたは、それ以来二人が揃っている日は家事に手出ししないことにしている。しかし、今日は光忠のほうが戦場に出ていたため、久しぶりに家事を手伝っていたのだ。
 できれば、太郎に話を聞こうとする前に考えをまとめたかった。あの雨宿りの一件以来、太郎の前で変に力を入れることがなくなったのだが、それでも好きな人の前では少なからず緊張してしまう。しかし、今日思い切って聞かなければ、もう勇気が出ない気がする。
「えっと、用というか……太郎さん一つ聞きたいことがあるんですけど」
「なんでしょう」
 ここまで言ってしまったのだ、聞いてしまえ。そう自分に言い聞かせると、は思い切って太郎に尋ねた。
「最近、太郎さんの様子が変というか……あの、何か悩んでるような様子だったので、どうしたのかなと。気になってしまって」
 思い切って聞いてみた。恐る恐る太郎に視線を向けると、彼はいつもの無表情だった。
「……主が気にするようなことではありません」
「あの、でも……本当に何もないなら、いいんです。でも何か気にかかることがあるなら、話してみて下さい。私では頼りないかもしれませんが、これでも一応人間生活は太郎さんより長いですし、解決しなくても、話してるうちに太郎さんの中で考えがまとまるかもしれませんし」
 一旦にべもなく断られてしまってくじけそうになるが、昨晩の山姥切の言葉もあって、そこで諦めなかった。何か、言えない事情のようなものがあるのかもしれない。できるだけ強要にならないように言葉を選びながら、さらに食い下がる。すると太郎は、視線をさまよわせた。言おうか言うまいか、迷っているようだったが、やがて再びと視線を合わせた。
「……そう、ですね。主に関係する話ですから、他の者に話すわけにもいきません。主、聞いて下さいますか」
「はい、もちろんです」
「……では今夜、休まれる前に、また伺いましょう。今はまだ、人目が憚られるので」
「へ? あ、はい、わかりました……」
 てっきり今ここで話してくれるものだとばかり思っていたは、今夜と聞いて拍子抜けした。部屋から退出し、遠ざかっていく太郎の足音を聞きながら、頭の中は疑問符でいっぱいだった。
「人目を憚るって……今ここでも、誰が聞いてるわけじゃないのに……どうしたんだろう?」
 のつぶやきに答えるものはおらず、そのまま夕方の空気に溶けていった。
 夜、は入浴を済ませた後に今日の報告と成果をまとめながら太郎を待っていた。しかし母屋のほうが静かになっても、太郎は来なかった。変だなと思いつつ、太郎が言葉を違えるとも思えないので、そのまままとめを終えた。やることがなくなったは、政府からの書類に手を伸ばした。任務以外の、通達やらただの情勢を知らせるものやら、数が多くて普段は中々読む気にならないものを、この際だから読んでしまおう。少し行儀が悪いが、灯りを近づけて布団の上で寝転がりながら読む。こんなところを山姥切などが見たら、さぞかし口うるさく「もっと慎みを持て」だの言ってくることだろう。
(……太郎さん、まだかな……)
 政府からの書類は、お世辞にも面白いとは言えない。つい文を追うことをやめて太郎のことを思っていると、そのまま睡魔に襲われてしまった。
「……主……」
 不意に、耳元で太郎の声で呼ばれた気がした。危ない、完全に寝入ってしまうところだった。慌てて目を開けて声のしたほうを見ると、やはり太郎がいた。言ったことを違えたわけではないようだ。しかし、は太郎が目の前にいること、つまり、寝転がっているに覆いかぶさっている太郎という状況に、心がついていけずにいた。
「た、ろうさん……? ご、ごめんなさいついうとうとしてしまって……あの、起きるので、放してくださ……」
「いいえ、このままで……」
 なんとかこの状況から抜け出そうと、なかったことにしようとしたのだが、それは太郎に却下されてしまった。どういうつもりなのだろう。混乱しかける頭を、疑問を浮かべることでなんとか踏みとどまらせる。太郎も入浴を済ませた後のようで、夜着で髪も下ろし、邪魔にならない程度にゆるくまとめていた。
「主、私が悩んでいるのではないかと言いましたね。これが、答えです」
「え……」
「貴女に、主としてお慕いする以上の感情を持ってしまったのです。貴女のことを思わない時はない。それが、主には私が悩んでいるように見えたのでしょう」
 信じられない。これは夢でも見ているのだろうか。今までずっと自分の片想いだと思っていた相手に、告白されている。それだけでも嬉しいやら驚きやらでついていけないのに、さらにこの体勢の意味とは。知らないわけではない、これから起こり得ることを。そして、知らず知らずのうちにそれを期待してしまっている。
「……太郎、さん……んっ」
 太郎はの頬に手を添えると、ゆっくりと撫で、親指でくちびるをなぞった。指の感触に、ぞくぞくと体が震える。
「ですが、それも今日で……今夜で終わりにします」


5話←     →7話


inserted by FC2 system