3、あなたのことが知りたい



 自分の名を名乗った大太刀・太郎太刀の言葉は、確かにの耳に入って、その言葉の意味を認識していた。だが、はつい先程まで太郎に見惚れてぼうっとしていたので、すぐには言葉を返せなかった。しきりに瞬きをして口をぱくぱくとさせていると、その様子に戸惑ったように、太郎が首をかしげた。
「あの……」
「はっ……! はいっ」
「貴方が私の主なのでしょうか」
 と、そう問われては我に返った。名乗ってもらっておいて、いつまでも黙ったままでは失礼だ。まだ声が裏返っているようだが、黙っているよりマシだろう。
「あ、はい。私はといいます。審神者をやってまして、こうして刀剣男士として目覚めた貴方たちの主……です」
 主、という部分で自信をなくして声が細ってしまうが、目の前の太郎には聞こえていたようだ。その言葉に小さく頷いた。
「そうですか。では主、これからよろしくお願いします」
「は、はい。こちらこそよろしくお願いします」
「重いでしょう、もう御手をお放しください」
「あ……そうだった」
 いつまでも太郎の本体をしっかりと握っていたことに気付き、なぜだか恥ずかしくなって赤面した。初めての大太刀を仲間に出来て、浮かれているのだろうか。胸がざわついてしょうがない。
「それじゃあ、みんなの……ほかの仲間のところへ行きましょう。案内します」
「はい」
 刀匠に後のことを頼み、太郎を連れて鍛冶場を出た。思ったとおり、立ち上がった太郎はとても背が高く、の頭二つ分ほど高い。本体の大太刀は太郎の身長以上の長さで、当然厚みも他の刀たちよりも増している。先程までは、刃先を床につけた状態で持っていたのだが、それでも結構な重みだった。三十キロほどはありそうだ。太郎はそれを右手に持って、重そうなそぶりも見せない。
 落ち着いた青年、というのが彼の第一印象だった。母屋まで歩いている間はが家屋を説明し、それに対する受け答え以外はしゃべらなかった。母屋にたどり着くまで、は必要以上に緊張してしまって生きた心地がしなかった。年嵩の男性もまだ仲間内で少ないし、初めての大太刀だから、どのように接していいのかわからなかったのだ。
 母屋の玄関に入ると、そこには山姥切国広が仁王立ちで待ち構えていた。眉間に深く刻まれた皺から察するに、かなり怒っている。思わず立ち止まって後ずさりすると、後ろにいる太郎も少し後ずさりしたのが足音でわかった。
「あんたは……! どうしていつもいつも、何も言わずに部屋からいなくなるんだ! 探したんだぞ!」
「ご、ごめんなさい!」
「刀匠から連絡の使いの者が来るまで、俺がどんな気持ちで……! 大体、鍛刀した刀は逃げも隠れもしないんだから、起きてすぐに様子を見に行く必要なんてないだろ! なんだってあんたはそんなに落ち着きがないんだ!」
「ごめんてばー……」
 ひとしきりに怒りをぶつけて少し落ち着いた山姥切国広は、深いため息をついた。眉間の皺を指で伸ばす彼を見て、は軽率な自分を反省した。
「……俺たちとっては、あんたしかいないんだ。例え敷地内にいるとわかっていても、憶測のうちは、あんたの身に何かあったらと気が気じゃない。これは俺だけじゃない、他のやつだってそうだ。だから、必ず誰かを連れて歩くか、誰かに言付けてから出歩いてほしい」
「う、わかった……心配かけて、ごめんなさい」
 素直に謝るに、安心したようにもう一度ため息をついた山姥切国広は、そこでようやく後ろで黙っていた太郎に目を向けた。新入りの前で主人を叱りつけたあとなので、少々ばつが悪いようだ。
「あんたが今朝目覚めた……大太刀か」
「はい」
「あ、ええと、太郎太刀さんだよ。で、太郎さん、こっちが打刀の山姥切国広くんです。刀剣たちの中では最古参で、一応私の近侍です。わからないことがあれば、私か彼に聞いてください」
「わかりました」
 がお互いの紹介をしたところで、ぱたぱたと複数人の足音が聞こえてきた。見ると、短刀の薬研藤四郎と今剣、脇差の鯰尾藤四郎と骨喰藤四郎が急ぎ足でこちらへやってくる。どうやら、山姥切国広の怒鳴り声を聞きつけてやってきたようだ。
「帰ってきたのか、大将」
「あるじさまーっ、どこいってたんですかっ!」
「短刀たちなんか血相変えて大騒ぎするし、大変だったんですよ!」
「……無事で良かった」
「ご、ごめんねみんな……」
「はは、まあ何もないんならいいさ。今度から気をつけてくれよ。さあ、朝飯にしようや。堀川の飯が冷めちまうぜ。後ろのあんたも来るだろ?」
 詰め寄る三人をたしなめて、薬研がの後ろにいる太郎に声をかけた。短刀たちと戯れる主人の様子を黙ってみていた太郎は、薬研の言葉に静かに頷いた。



 それから大広間へ行くと、朝食の準備をしていた堀川国広にもはしこたま怒られた。他の刀剣男士たちが揃ったところで、太郎の紹介をして朝食を取った。背の高い太郎は短刀たちから羨望の目で見られていた。朝食後は、家屋の案内を再開した。刀剣男士たちが家事やら農作業までやっていると知ると、今までの仲間たちは「そんなことまでやるのか」というような反応を返していたものだが、太郎の反応は、ただ頷いただけだった。表情もあまり変わらないので、本当はどう思っているのだろうかと、は少し気になった。
「すみません、こんなことまでやらせるなんて……と思いますよね」
 言ってしまった後で、こんな言い方は卑怯だと自分でも思った。仮にも主人に当たる人物にこんな風な言い方をされれば、相手は否定するしかないだろう。
「主、私にそのような言葉をかけていただく必要はありません」
「え?」
「私は……私たちは主にお仕えするもの。ここで貴方とともに過ごし、生活をともにしていますが、戦場に出てしまえば明日をも知れぬ身。ただの道具としてお使いください。そのほうが貴方のためでしょう」
「太郎さん……」
 人間の形をしていても、所詮は刀なのだと、が刀剣男士たちの意見を汲み取ろうとしていることはためにならないと、そういうことを太郎は言いたいのだろう。太郎の言い分は正しい。現に、政府の命令にはそう書いてあるのだ。刀剣男士たちはあくまで刀の付喪神であり、あまり深入りすることのないように、ただ上手く使えと。戦場へ出す以上は傷を負うこともあるし、再起不能までに壊れてしまう──命を落とすかもしれない。それにいちいち深入りして悲しんでいては、政府としては駒として使えないのだろう。それは、としても理解できる。ただ、感情の部分で「はいわかりました」と簡単に頷けるものではない。出会って言葉を交わしてお互いを知って、一緒に暮らして感覚を共有して、そうしていくうちにやはり愛着というのか、情がわくのだ。
 その場に落ちた沈黙に困ったように頭を掻くと、
「……とりあえず、案内、終わらせちゃいましょう。次はこっちです。道場があります」
「……はい」
は案内を再開した。道場まで歩きながら、はぽつりと独り言のように言った。
「太郎さん、今から言うことは独り言なので、聞き流してもいいですよ」
 太郎が返事をする前に言葉を続ける。
「頭ではわかってるんですよね、太郎さんの言ってることも、政府の命令も」
「……?」
「戦場にみんなを送り出すときは床がなくなったんじゃないかってくらい不安でふらつくし、傷を負って帰ってきた子を見るたびにやっぱり送りだすのやめておけばよかった、無茶はするなって何回も言っとけばよかったって後悔ばっかりするし、明日はどうなるかわからなくて眠れないときもあるし……正直、仲良くなるほどしんどいんですよね」
「……」
「でも、そんなしんどいことなんて全部吹き飛ぶんですよ、みんなの笑った顔を見てると。戦場から帰ってきて、おかえりっていうとただいまって返してくれたり、慣れない家事を頑張ってこなしたのを褒めてあげたり、一緒におやつをたべてお茶を飲んだり……そんなことで、重圧とか後悔とか不安とかいっぺんに吹き飛んで、明日も頑張ろうって思えるんですよね」
「……」
「だから、私は私のためにみんなと仲良くしたいんです。みんなのことを知りたいんです。このことについては、絶対後悔しないって断言できますよ」
 太郎はの一歩後ろを歩いているので、からは彼がどんな表情でこの独り言を聞いているのかわからなかった。今は、まだわからない。これから、後ろを振り向かなくてもなんとなくわかるようになるかもしれない。
「あ、道場につきましたね。一応、使える時間は限られてるんですけど、空いた時間があれば誰でも自由に使えます。今も誰かいるかも」
 自分ひとりでしゃべっていたことになんだか気恥ずかしさを覚えて、太郎の顔を見れないまま道場に入ろうとする。出入り口をくぐると、の後ろからごつ、という鈍い音が聞こえてきた。何の音だ、と振り向くと、太郎が額を押さえてうつむいていた。人間の体になれないせいか、高低差がよく計れずに頭をぶつけたようだ。
「だ、大丈夫ですか!? 背が高いから、頭ぶつけちゃったんですね……」
「……大丈夫です……」
 うつむいてもなお太郎の顔はの身長よりも上にある。見上げた太郎の顔は、ここへ来て初めて、無表情以外の顔になっている。痛かったのだろう、少し目元が潤んでいる。それを見て、なぜだかは噴出してしまった。口元を押さえて笑いをこらえている主人に気付き、太郎が見咎めるような視線を送ってくる。
「……主」
「ご、ごめんなさい笑ったりして……でも、太郎さん、あんまりにも痛そうだから……」
「……いえ」
「……太郎さん、もっと気安い感じでいいですよ? 山姥切くんとか見たでしょう? あんな風に、主従とか考えなくても私はまったく気にしませんから。というか、そのほうがいいですから」
「しかし……」
「ああ、無理にとは言わないです。でも、私に言いたいこと言うくらいなら誰も何も思いませんよ?」
 と言うと、太郎は困ったように眉を寄せた。目線をさまよわせて考えていたが、やがてため息を一つつくと、静かに口を開いた。
「……不本意なことで笑われるのは、心外です」
 よっぽど笑われたことがくやしかったのだろう、その憮然とした様子に、がまた噴出したのは言うまでもない。
「……はい、ごめんなさい太郎さん」
「笑っていらっしゃるではないですか」
「ち、違いますよ! これは……その、太郎さんが自分の思ってること、口に出したり表情に出してくれたことが嬉しかったから……」
 が額を押さえている太郎の手を取って、額の状態を見る。赤くなってはいるが、そんなにひどくぶつけたわけではないようだ。冷やさなくても腫れることはないだろう。
「しばらく、ここ触ったら痛いかもしれませんね。でも痣にはならないと思います」
「は……ありがとうございます」
「太郎さん」
 太郎の手を離さずにそのまま握る。一見綺麗なように見えて、大きくて節ばっていて、刀剣を握る手のひらはごつごつしていた。剣を握る手だった。
「あなたのことももっと知りたいです。これからも、よろしくお願いしますね」
 太郎は、再び戸惑ったようにに握られた手との顔を見比べていた。ふと、目元が柔らかく変化したかと思うと、太郎もの手を握り返した。
「不思議な方だ、貴方は」
「太郎、さん」
「主、私も、貴方のことが知りたくなりました」
 かすかに微笑んだ太郎の顔と、つながった手から伝わる体温が、の中で変化した。なぜだか目が離せなくなって、目の前の太郎のことしか考えられなくなった。道場を使っていた鯰尾と骨喰が声をかけるまで、と太郎はしばし見つめ合っていた。



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