精神修行の冬
※番外編その1の後の話。初詣に行くバカップル。幸村くんは思春期。
年が明けると、ただでさえ短い冬休みがもう終わりに近づいているんだなと思い始める。冬休みの課題を終わらせてない人間にとっては、そろそろ手をつけなければいけないと焦り出す頃だ。
(赤也あたりも今頃……いや、あいつはわかっててもやってないな)
いつも長期休暇の最終日直前になって騒ぎ出す後輩を思い出して、幸村はひっそりと笑った。幸村はいつも課題というものを溜めたことがないので、そういった焦りとは無関係だ。
その後輩を含むいつものテニス部連中で初詣に行ったのは、つい昨日のこと。大晦日の深夜から大行列の神社に行き、いつものように無病息災と家内安全を願ってきた。テニスや勉強は自分の努力次第だから、願掛けはいつも前述のことだった。こう言うと、いつも夢がないとか現実主義者とか言われるのだが。
今年は新たに恋愛事が幸村の願い事に加わっているのだが、それも自分次第だと思っている。まあ、テニス部の仲間と来た初詣で願うことでもないだろうと思ったのもある。
家族で初詣に行ったりと、なんだかんだ忙しい元日が明けた今日、恋人であると初詣に行く約束だ。待ち合わせの駅まで行くと、時間までまだ余裕があるというのにがすでに待っていた。近くのコーヒーチェーンのカップを持ちながら、幸村に手を振っている。
「ごめん、待った? いつからいたんだい」
「ううん、待ってないから気にしないで。休み中ずっと部屋にいたから、早めに出て色々見て回ってただけ」
「ずっと? 実家には帰ってないのかい?」
「うん。休みも短いし、帰省ラッシュの中帰るのも疲れるから今年はいいかなーって。幸村くんとの約束もあったし」
「そう言われると、俺がご家族からを奪い取ったみたいに聞こえるなあ」
「……満更でもなさそうに聞こえるよ、幸村くん」
「満更でもないからね」
が苦笑いしながら、空になったカップを捨てに行った。今頃照れて赤くなっているかもしれないと、後ろ姿を眺めながら思う。付き合う前は歳の差を気にしたこともあったが、こうやって付き合ってみると案外気にならないものだ。
(は可愛いし、話も合うから楽しいし、男慣れはしてるのに初々しいところもあるし、つまり可愛いんだよな)
こんなに夢中になっていいんだろうかと思う。今まで付き合った同年代の女の子たちは、可愛い子もいれば賢くて話が面白い子もいた。けれど、一日中彼女らのことを考えたことはなかったし、全身が熱くなるほど欲しいと思うこともなかった。関係はいずれもキス止まりで終わっている。だから幸村は、今まで自分のことを性欲が薄いほうなのかもしれないと思っていた。を好きになってからは、そんなことはなかったと思い直した。
「お待たせ。さ、行こう」
思案に耽っていた幸村を、戻ってきたが覗き込んできた。その上目遣いが可愛いと思った瞬間に、を抱き寄せていた。
「ちょっ……ちょっと、幸村くん!?」
「うーん、可愛いなあもう」
「こ、こんな衆人環視の中、な、なにやって……!」
の抵抗に逆らわずに解放してやると、やはり顔を赤くしていた。いきなり人前でいちゃつき出した幸村を睨んでいる。
「もう、そ、そういうのは恥ずかしいからふたりきりの時にお願いします……」
抱きしめること自体は嫌がってない言い方に、言っている本人は気づいているのかいないのか。また抱きしめたくなった幸村は、あとで部屋に行ったら思う存分抱きしめてキスしまくってやろうと思った。
「フフ、ごめんね、が可愛くてつい。じゃあ行こうか」
の手を取って歩き出すと、赤い顔のまま幸村の手を握り返してきた。こんなことでも、いちいち抱きしめたくなってしまう。
(あとで……の部屋で、抱きしめて、たくさんキスして、いやらしいほうのキスもたくさんして……できたらその先も……)
その先のことを想像しかけて、思わず握った手に力が入りそうになった。テニスで鍛えた精神力でなんとか堪えた。
付き合ってまだひと月も経ってないが、そろそろ手を出したいと幸村は考えていた。
なんといっても幸村は絶賛思春期。正直、といる時にその事を考えない瞬間はない。は可愛いし、柔らかいしいい匂いだし、キスした時の顔もエロい。思い出しても興奮できるほどだ。
いささかがっつき過ぎているかもしれないが、こうしてゆっくり会えるのも、今日の次は一体いつになるかわからない。やれる時にやるというのが幸村の主義だった。
***
駅から少し歩いたところにある神社は、元日と比べると人は少なく、窮屈に感じるほどではなかった。ただ、それでも普段とは分母が違うので、はぐれないようにしっかりとの手を握った。
本殿の前には参拝の列が出来ていたが、流れ自体は早かったので、案外と時間をかけずに終わった。
ふたりでおみくじを引くと、は吉、幸村は大吉を引いた。
「あ、大吉だ」
と、特に表情を変えなかった幸村に、が首を傾げた。
「幸村くん、あんまりおみくじとか信じないほう?」
「うん。昨日テニス部で行った初詣でも大吉引いたし」
「そ、そうなんだ……」
中身にさっと目を通すと、大吉というほど運勢に太鼓判を押されているわけでもなかった。特に、願事の欄に「焦らず時を待つべし」と書かれてあったのが少し気になった。
(まあ、気にしてもしょうがないか)
願い事なんて家内安全無病息災ぐらいしか思いつかない幸村には、焦るようなことはなにもない。というか、これは別に願い事が叶わないとは書かれてない。幸村はおみくじをポケットにしまうと、早々に忘れることにした。枝におみくじを結び付けていたを待って、駅まで歩き始めた。
「はなにをお願いしたんだい?」
「え、お願い事って言っちゃっていいのかな」
「うーんどうだろう。でも、ひとりに教えるくらいならいいんじゃない?」
「そうだね、幸村くんに教えるくらいなら……」
は、本人に言うのはちょっと恥ずかしいんだけど、と前置きしてから言った。
「幸村くんがこの先も健康でいられますようにって」
「……俺?」
とっさに言葉が出てこなかった。幸村の病は完全完治と診断が出ている。ただ、病の発症は急だった。元々健康で、家系的にも体は弱くなかったのに大病を患ってしまった。だから、この先もそんなことがないように。の願い事は、そう思ってのことだった。
「自分のことはいいのかい?」
「私のことは……神様に叶えてもらうようなことでもないから。幸村くんともっと一緒にいられますように、とかも考えたけど、それってやっぱり自分でなんとかするしかないかなーって思ったし」
幸村が考えていたようなことを言うに、じんわりと胸が熱くなった。
(やっぱり、考え方が似てるんだね、俺たち)
付き合う前にも同じようなことを思ったが、ここまでくると気のせいではない。フィーリングが合うとはこういうことを言うんだろうか。ふつふつと湧いてくるへの愛おしさに、また公衆の面前だが抱きしめたくなった。
「、早く帰ろう」
「ん?」
「抱きしめていっぱいキスしたくてたまらないから」
「なっ……!?」
「俺はここでしてもいいけど」
「だ、ダメです……! ていうかなんでそんな急に」
「が大好きだなって思って。ありがとう、俺のことをそんなに考えてくれて」
「う……は、恥ずかしいから、そういうこと言うのも部屋に帰ってからにしてくれるかな……」
「フフ、可愛いなあもう」
「……!」
真っ赤になった顔を隠すように、がマフラーに鼻先を埋めた。そんなことをしても、耳も赤くなっているから、照れていることを全然隠せてないのだが。これ以上言うと睨まれるので口には出さず、代わりに繋いだ手をぎゅっと握った。
***
の部屋に入った瞬間に、靴も脱がずにを抱きしめて、彼女がなにかを言う前にくちびるを奪った。
「んっ……!」
後ろ手でドアの鍵を閉めながら舌を入れて、逃げるの舌に強引に絡める。ざらついた舌の表面で舌裏や上顎を擦ってやると、が幸村にしがみつく手に力を込めた。
(欲しい、)
ずっとしたかったキス欲を落ち着かせようとしたのだが、逆にもっとしたくなってしまった。キスも、それ以上のことも。
気がつけば玄関脇の壁にを押し付けて、くちびるを吸いまくっていた。の口内には、幸村との唾液が混ざり合ったものが溜まっている。くちびるを一旦離して、
「飲んで」
と言うと、は素直にそれを飲み込んだ。喉を鳴らすによからぬ欲望を重ねた幸村は、さらに口付けを重ねようとする。
「ま、待って……部屋に入ろう?」
の制止が入り、一瞬残念な気持ちになったが、確かに玄関先で押し倒すわけにもいかない。分厚いコートの上からだと体の感触もわかりづらい。の体に触れる気満々の幸村は、こくりと頷いてやっと靴を脱いだ。
コートとマフラーを脱いでハンガーにかける。同じく上着類をハンガーにかけているをじっと見つめると、「座ってて」と言われた。エアコンをつけてから、は幸村の待つソファに座った。言葉もなくその体を抱き寄せて、キスを再開する。
「ん、ぅ……」
が吐息を漏らすたびに、幸村が欲望を募らせていることを彼女は知っているんだろうか。そそる声と、ぴちゃぴちゃという唾液の音を聞くたびに、口の中の粘膜を擦るたびに。
好きで好きでどうしようもなくて、欲しくてたまらない。
スボンの下で欲望が窮屈を訴えている。もう我慢できない。
キスに集中しているに体重をかけて押し倒すと、覆い被さるようにしてまたキスをする。
「あっ、ん……ゆ、き」
口の隙間から漏れ出たの声に、これ以上ないほどムラっとした。ああ、もうダメだ。体に触りたい。
が着ているニットの上からそっと胸に手を当てると、の体が大きく震えた。
(柔らかい……)
その感触に感動して、思わずくちびるを離して胸を見た。やわやわと手を動かすと、の胸は手の動きに従って形を変えた。
かーっと体が熱くなってくる。もっと、もっと触りたい。
「ま、待って幸村くん、ダメ」
「……ダメ?」
「今は、ダメ……幸村くんに、話したいことがあるの」
正直、この興奮をどうにかしたい欲でいっぱいだったが、の声は思いのほか真剣だった。幸村は目を閉じて息を吐き出すと、体を起こした。
が居住まいを正して、幸村に向き直った。
「あのね……その、幸村くんは、私とエッチしたいって思ってる、んだよね」
「うん、そうだね。できるなら今すぐにでも」
「それは……ちょっと、待ってほしい」
「……どういうことだい?」
幸村がの目を見つめ返すと、は言いづらそうに視線を泳がせた。なにか、幸村にとって不都合なことでも言おうとしているのか。
(なんだろう……まさか、別れ話……?)
いやまさかそんなはずは。先程の初詣でも、あんなに幸村といちゃついてたではないか。幸村のことを神様にお願いしていたし、好きでもない男にそんなことするはずない。しかし、こんなに深刻な雰囲気で話すことなんて、ほかにあるだろうか。
いや、そんなはずはない。でも、もしかしたら……などと思っていると、が意を決したように口を開いた。
「私ね……決めたの」
「な、なにを……?」
「私……幸村くんが中学卒業するまで、エッチはしないって決めたから!」
が言い切った後、部屋に沈黙が流れた。頭の中での発言を処理し終わった幸村は、脱力のあまり背もたれにバタッと体を投げ出した。
「あ、あれ……? 幸村くん?」
「…………よ、よかった……別れ話かと思った……」
「え?」
「ううん、なんでもないよ、こっちの話……」
(いや、でも待てよ……中学卒業までエッチできないってどういうことだ?)
ついさっきも、できるなら最後までしたいと思っていた。そのために避妊具だってこっそり買っておいた。だから、いつでもいけると思っていたのに。
幸村の怪訝な視線を受けて、が居心地悪そうに身動ぎした。もじもじと指先を動かして、先程の発言の真意を語る。
「幸村くん、内部進学とはいえ仮にも受験生でしょ。この時期に、その……そういうことに耽ってたらいけないと思う」
「俺、成績は十分足りてるけど」
「それはわかってるけど、万が一ハマっちゃったらダメだから」
(いや、もうすでに煩悩だらけなんだけどな……)
正直に言うと、したくてしたくてたまらないし、毎夜のようにとのセックスを想像して自慰をしている。そんな中で制限されると、解禁された時に余計にハマりそうな気がした。
「その……十八歳未満との交際について、条例もあるし、少なくとも中学は卒業してからのほうがいいんじゃないかって私は思ったの」
確かに、条例だけはどうしようもない。当人たちが結婚を前提とした真剣交際だったとしても、それを法律的に立証することは、婚約もなにもしてない今の時点では難しい。万が一との交際を余人が告発したら、が非難される側なのだ。この関係を知っているのは、真田や柳といった、幸村にとって信頼できる人物だけだが。それを思うと、家族にも打ち明けるべきかどうか、悩むところだった。
幸村がいくら、以外もう考えられないと思うほどに真剣でも、思いだけではどうしようもない事態になる可能性を考えなくてはいけないのだ。
「の言いたいことはわかったよ。中学卒業まで、我慢する」
と言うと、はほっとしたように顔を上げた。
「ごめんね。話を聞いてくれてありがとう」
「いいんだ。俺たちふたりの問題なんだから」
そこで、やっとは笑みを浮かべた。
――これが同年代の交際だったら、こんなこと気にしなくていいのに。
そんなことを思わずにはいられなかったが、それこそ考えてもしょうがないことだ。もう好きになってしまって、もう離れがたいほどに好き合ってしまっているのだから。
安心させるようにを抱き寄せると、素直に幸村の胸に擦り寄ってくる。愛しさが込み上げてきて、腕に力を込めた。
「卒業したら……その時は俺の童貞をもらってくれるんだよね?」
「う、うん……あの、幸村くん、卒業式と誕生日、近いよね」
「うん、そうだけど」
「誕生日の週末に、誕生日のお祝いと卒業祝いもかねて、旅行にでもいかない? 一泊だけだけど」
「えっ」
腕を離してを見る。顔をほんのり赤くして、恥ずかしそうにもごもごとしているが、冗談で言っているのではなさそうだ。
「その時は……好きにしていいから」
「……!!」
一泊だけとはいえ、と旅行に。そしてその時にを好きにしていいと。それはつまり、一晩中を幸村の自由にしていいということであって。時間を気にせず一緒に過ごせるだけでも嬉しいのに。そんなエロいイベントが十五の誕生日にあっていいのだろうか。
(焦らず時を待つべし、ってこのことか……!)
おみくじに書いてあったのはこういうことかと、幸村は直感的に思った。願い事とはと早くセックスしたいということで、それは焦らずに卒業まで待てば叶う……と考えれば辻褄が合う。神様はお見通しだったのか。
「行く。絶対、予定空けて行くよ」
「う、うん……計画立てないとね」
「うん。卒業まで二ヶ月も我慢するのは、正直きついけど……ご褒美がもらえるなら頑張ろうかな」
「そ、そんなに?」
「俺がいつからを性的な目で見てると思ってるんだい。九月末からで想像してるんだから」
そうだったんだ、とが頬を染めた。
そういう反応もいちいち可愛くて、触れたくなってしまう。どうせ我慢しなければならないことを考えると、極論を言うとに触れなければいいのだが、そんなことは不可能だ。キスもハグすらも我慢するとなると、想像しただけで参ってしまいそうだ。キスやハグでそこまで興奮しないよう、精神をコントロールする術を身に着けなければ。
俺ってまだ十四なのにな、と思わずにはいられなかった。
***
「そういえば、ずっと思ってたんだけど」
「なに?」
「俺のこと、名前で呼んでくれないの?」
幸村は、この間からずっとそれが気になっていた。一旦名前を呼ばせることに成功したのに、瞬く間に苗字呼びに戻っていた。別にそこまで不服というわけではないのだが、一旦呼んだはずなのになぜ戻るのか疑問だった。
それを指摘すると、はばつが悪そうな顔をして目線を反らした。
「う……な、名前で呼ばなきゃダメ……?」
「まあ、どうしてもそうじゃなきゃ嫌ってわけじゃないけど……でも、一回は呼んだんだからいいじゃないか」
「……う、うん、そうなんだけど……」
「ふーん。なら、これから俺のことを苗字で呼ぶたびにキスするよ、場所がどこだろうと」
「えっ!!」
「それなら俺のこと名前で呼びやすくなるだろ?」
幸村はまたしても、なんという名案を思い付いたんだろうと自画自賛した。これならいつでもキスできる上に、に名前で呼んでもらえるようになる。一石二鳥すぎる。
はさぞ困っているだろうなと思って彼女の表情を窺うと、頬を染めて、だが困ったような顔はしていなかった。
「?」
「……あ、あの……それじゃ、たぶん直らない、と思うけど……」
と言って、また顔を赤くして俯いた。
「……………………」
その言葉の意味を理解するまで、少々時間がかかった。
(待てよ……まさか、そのたびにキス、してもいいって、言ってる……?)
かっと顔に熱が上ったのを自覚して、思わず口元を押さえた。今絶対に顔がにやついている。
「〜〜俺に禁欲しろって言ってるのに、なんでそんな可愛いこと言うんだよ……」
(そんなんじゃ、いつか俺が爆発しても文句は言わせないからな)
困ったようにため息をついてから、の体をぎゅうっと力強く抱きしめた。赤い顔に自分の赤い顔を寄せ、短いキスを顔中にしてやる。
この先の二ヶ月間を思って、幸せな気分と精神的な疲労が同居した、微妙な心境になってしまった幸村であった。
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