第四話


 先日連絡先を交換して以来、俺とは毎日のように連絡を取り合っていた。
 というのも、の仕事が忙しい期間が続いていて、俺がほぼ毎日夕方に水をやることになっていたからだ。俺も部活があるから、そんなに早く帰れるわけじゃないんだけど、の帰宅時間よりかはマシだった。
 毎日メッセージのやり取りをしているといっても、今日も遅くなりそうなのかな、とか、ごめんそうなると思う、お願いします、とかの事務的なものが多い。けれど、いつでもやり取りできるという状態は、常にと繋がっているような感覚を俺に与えた。
 要するに、休み時間ごとに携帯端末を気にする程度には、俺はとのメッセージの応酬を楽しみに思っていた。

「そうか、さんとのやり取りは毎日続いているのだな」

 この間の一件以来、部活の最中にのことを蓮二と話すようになった。相談というほどでもない、こういうことがあったとかの報告がほとんどだ。隠してもいつの間にかデータを取られているので、いっそ自分から言うことにしたんだ。まあ、なんにせよ話し相手がいるのはいいことだ。

「うん。最近はいつもあっちが寝落ちするから、返事が返ってこないまま朝に会うってことが多いけどね」
「ふむ。その様子では休日に出かけたりもままならないようだな」
「そうだね。あっちはあっちで日曜は用事を片付けたり家事をしたりでやることがあるようだし、俺もほとんど部活だしね」

 この時気づいてなかったけど、蓮二の言葉を俺はごく自然に「ふたりで出かけたことがない」という意味で捉えていた。蓮二は「が休日を楽しめていないのではないか」というような意味で言っていたと気づいたのは、かなり後になってからだった。

「お前の恋は、なかなか進展が難しそうだな。相手が社会人と聞いて、手強いとは思っていたが」

 蓮二が思わず苦笑いをこぼして言った。

「ちょっと待って。誰の恋だって?」
「俺は今、精市としか話してないぞ」
「はあ? 俺が、恋だって? に? 有り得ないよ、どうしてそう思ったのかな。俺とは十歳も違ってて、しかもは現在進行形で不毛な片想い中だ。そんな女に、どうして俺が恋なんかしなくちゃいけないんだい」
「……恋などしてない、と?」
「当たり前だよ。あんまり変なこと言わないでくれよ」

 蓮二の言葉があまりにバカバカしくて、ついちょっとだけ熱くなってしまった。
 蓮二が物言いたげに口を開いたが、結局なにも言わなかった。これ以上俺を刺激しないように気を遣ったのだ。
 そうだよ、には恋なんてしてない。
 俺はあんな女、好きなんかじゃない。
 というか、俺自身、に対してどう思っているのか分かりかねるところがあった。
 のことは気になる。それは確かだけど、それが異性としてなのか、単にの事情に興味を持っているだけなのか、自分でもわからなかった。
 と話していると、同い年の女の子と話すよりは気を遣わなくていいし、頭の回転も悪くないから会話が楽しいと思う。
 一方で、同い年の女のこと話す時よりもイライラさせられたりもする。俺と話しているのに想い人を連想させるバラばっかり見て、俺がイライラしているのにも気づかない。察しは悪くないのに俺の様子には鈍感で、そういうところもまたイライラしてしまう。
 見た目……は、どうだろう。そりゃあ、同年代の女の子と比べると当然垢抜けてるし、いいにおいもするし、肌も髪も指先も手入れされているし、体の曲線だって……

(――って、俺は一体なにを考えているんだ)

 慌てて頭を振って煩悩を振り払った。女性の服の下が気になってしまうのは本能だ。そういう年頃だからしょうがない。しょうがないけど、よくない。考えただけで体は熱くなってしまうし、に対しても後ろめたくなる。
 はあ、とため息をついて、部員の動きに目を向けた。部活に集中しよう。俺たちが引退するまで、あと少ししか時間は残されてない。

 ***

「やっと仕事が落ち着きそう」

 そんな日が続いていた九月の末頃、からメッセージが入った。

「やっと?」
「そう、今週の土曜の午前中までだから。だから、もう幸村くんに夕方バラの様子見てもらわなくてもよくなるよ。結構長いことお願いしちゃってごめんね」

 は今週に入ってから早出もするようになったらしく、朝に俺がマンションの前を通りかかっても会うことはなかった。水を吸った鉢植えを見て、なんだかおもしろくないような気もした。少し前に抱いた後ろめたさを隠す猶予ができて、ほっとしたような気も。
 でも、これで日曜日からは会って話せるんだ。メッセージの味気ない文じゃなくて、顔を見て直接声を聞ける。
 そう思うと、妙に落ち着かなかった。そんなに離れていたわけでもないのに、日曜日までの時間がいつもより長く感じた。
 俺だって別に暇なわけじゃない。部活は正式に引退してないからまだ部長ではあったし、次の部長も決めなくてはいけないし、引き継ぎの準備もしなきゃいけない。そのために部員の技術や人物面にも注目しなければならなかった。大会を控えている時のような忙しさではないが、やることは多かった。

(だから、のことばかり考えてられないんだよ)

 なのに――
 土曜日の部活帰り、のマンションの前を通りかかると、少しだけ水をやった鉢植えがあった。いるのかな、と思ってマンションの、この間が入っていったドアを見上げる。でも、玄関のあるドアのあるこちら側は、室内の様子を窺えるような窓がない。部屋の明かりがついているのかまでは、わからなかった。
 その夜はからのメッセージがなかった。まあ、自分で鉢植えの世話をやっていたから当然と言えば当然。
 翌朝、日曜日も部活はあるけど、今日は午前中のみ。
 今日くらいは、会えるかな。と、ちょっとそわそわしながらマンションの前に差し掛かる。
 でも、そこにはの姿はなくて、鉢植えの土も湿ってない。これから来るのかな、と思って少し待ってみたけれど、一向には現れなかった。

「おはよう。起きてる?」

 俺は携帯を取り出してメッセージを送った。五分くらい待っても、返信はないし既読もつかない。まだ寝てるのかもしれない。俺はを起こすつもりで、続けてメッセージを送る。

「ちょっと、もういつも水やってる時間過ぎてるけど」
「おーい」
「起きなよ」
「おねーさんてば」

 だめだ、全然反応がない。熟睡してるのかな。メッセージの通知に気が付かないほど深い眠りについているか、それとも返信できる状況にないか。例えば、携帯が手元にないとか。それか、部屋にいないか。

(部屋にいないって……それって、朝帰りってことじゃ)

 そこまで考えて、俺は腹の底が重くなるような感覚を覚えて、思考を停止させた。いや、まだそうと決まったわけじゃない。というか、は片想い中じゃないか。片想い相手はとはもう会わないはずだし、それ以外の男が寄りついてるようなそぶりもなかった。だって、俺と毎日のようにメッセージを送り合ってたんだし。
 そのことについて、以前にちょっとからかってみたことがある。

「俺とこんなにやり取りしてて、やきもち焼くような男っていないのかい」

 は確実に俺を年下扱いしてるから、ちょっとした意趣返しのつもりで送ったものだった。そんな年下の俺にばっかり構ってていいの、ほかに男いないの?

「そんなこと気にしなくてよろしい」

 ちょっとムッとしたような雰囲気が伝わってくる文面だった。

「いないんだ」
「うるさいなー、いないよ悪かったね。男にモテるほうじゃないの」
「え、まさか彼氏いたことないとか?」

 これには返信までちょっと時間が空いた。さすがに踏み込みすぎたかな、と思って画面を眺めていると、簡潔な文が返ってきた。

「あるけど、長続きしない」

 ……彼氏、いたことあるんだ。高校の時からずっと先生が好きだったって言ってたけど、ほかの男と付き合ったりもしてたんだ。
 なんと返せばいいか悩んでいるうちに、から「もうこの話は終わり! 中学生は早く寝なさい、おやすみ」という、話をぶった切るメッセージが届いて、その話はそこで終わった。
 ――そんなふうに言っていたから、朝帰りっていう可能性は低いんじゃないかってことを言いたいんだ。
 まあ、から返信がないことを、ここでうだうだ考えていてもしょうがない。俺ももう行かなきゃいけない。
 意を決してマンションのエントランスに入って、がいつも寄っているあたりに目をやる。園芸用品が固められている一画に、がいつも使っている如雨露があった。それを手に取って、表の蛇口から水を入れる。
 ここまでしてやるなんて、俺って結構面倒見いい男なんじゃないだろうか。妹がいるから世話を焼くのも慣れてるといえばそうなんだけど、別には俺の妹じゃないし。
 水をやり終わって如雨露を元の場所に片づけて、俺はさっさとマンションを出た。部活には、ちょっと急げば間に合いそうだ。

「水やっておいたから」

 部室で着替えている間に急いで送ったから、いつもよりそっけない文になってしまった。でも、が目を覚ました時の反応が楽しみなので、これはこれでいいかもしれない。俺は携帯を鞄にしまうと、ロッカーを閉めて部室を出た。
 驚いたことに、部活が終わってもまだからの返信がなかった。もうお昼だよ。疲れがたまっているとしても、昼には起きてもいいんじゃないのか。
 これはさすがに、別の心配も浮上してくる。体調が悪いんじゃないか、とか。
 なんか食べていこうぜ、という丸井の誘いを断って、俺はのマンションへと向かった。
 途中でもう一度メッセージを送ってみるが、やっぱり返事はない。本当に、どうしたんだろう。部屋にいるといいんだけど。
 俺はマンションのエントランスを抜けて、の部屋のドアの前に立った。なにもない時だったらインターホンを押すことも迷っていたかもしれないけれど、今はなにかあったのかが気になって、さっさとインターホンを押していた。
 すぐには反応がなくて、何回かインターホンを鳴らす。さすがにこれ以上は近所迷惑になる、といったところで、ガチャリと鍵が開く音がした。
 よかった。は部屋にいた。

、一体どう…………っ!!」

 開かれた玄関の向こうにいたの姿を見て、俺はとっさにドアを閉めた。閉められたことが不思議なのか、向こう側からドアを開けようとする力がノブから伝わってきた。だが、俺はそれ以上の力を込めて開かせなかった。

「あれ……? 幸村く」
「いいから、服、着てくれよ……!!」

 薄く開いた隙間からそう言うと、ばたんとドアを閉めた。静かになった向こう側が、間を置いてどたどたと騒がしい足音を立てた。自分がどんな格好で中学生男子の前に出たか、気が付いたようだ。
 服を着てくれと言ったが、は全裸だったわけじゃない。服と呼べるものを着てなかっただけだ。どう見ても下着姿だったんだ。上は肌着であろう黒のタンクトップ、下はパンツだけ。日の下にさらされた白い肌も下着も、一瞬だけだったけどばっちりと見てしまった。それと認識した後、ドアを閉めた自分の判断力を褒めたい。俺ってやっぱり優しい男だ。

(水色の、レース……)

 長い息を吐いて、ドアにもたれかかった。なにも今日に限って、俺の好きな色の下着着けてることないじゃないか。いや別には俺の好きな色とか知らないけど。知らないのに俺好みの下着を着けてたことが嬉しいとかそんなことは全然思ってない。
 今は九月の末で、もう十月に入る。衣替えの時期だっていうのに、今日はなんでこんなに暑いんだろう。シャツの上にベストを着てきたけど、いらなかったかもしれない。
 もうは服を着て顔を洗い終わった頃だろうか。ちょっと今回は言いたいことがありすぎる。なんでこんな時間まで返事もしなかったのかとか、普段そんな格好で寝てるのかとか……いやこれは別にいいか。あと、思春期の男の前にそんな格好で出てきて無事で済むと思ってるのか、とか。
 もう、どうしてくれるんだよほんと。俺の心を弄んで一体どういうつもりなんだよ。夕方のバラの世話のこともあるし、今日はなにがなんでも埋め合わせしてもらわないと気が済まない。ちょうどお昼時だし、なにか美味しいものでもごちそうしてもらわないとね。


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