四人と学園祭



 十月も下旬に差し掛かると、寒さが身に染みてくるようになる。特に自転車通学のにとっては、気温、気候は特に重要な問題である。ハンドルを握る手がかじかむ、風を受ける顔、脚が冷える、鼻水が垂れる等の被害を受ける。
 今日も今日とては大学に足を運んでいた。しかし、いつもと目的は違った。いつもは卒論半分サークル半分といったところなのだが、今日はそのどちらでもない。何しろ、今は学園祭の真只中なのだ。
 は四年生なのでサークル活動は引退しているが、相変わらず顔は出している。の所属するサークルでは教室に展示物と、出店でホットケーキを販売している。そのどちらにも参加していないが、ふらりと顔を見せたを後輩が捕まえ、展示物の受付に協力する羽目になったのだ。
「……で、人の良い私は寒空の下、こんな格好で受付してるわけね」
 受け付けカウンターの長机にパイプ椅子、机の上には一応来場者に記帳してもらっている帳面と、展示物の内容がさらに詳しく書かれているパンフレット冊子。それらを眺めながらふんぞり返っているは、メイド服を着ていた。
 このメイド服は、安さの殿堂で知られている量販店で買ったものだ。白い半袖ブラウスにエンジ色のワンピース、ヘッドドレスと黒のニーハイソックスを着用している。
 ただ、このメイド服は主に夜のスポーツで熱を上げるために作られているコスチュームであるため、ウエストがきゅっと締まって無駄にバストを強調している上にミニスカートなのだ。ミニスカートといっても膝上約十四、五センチだが、そんなスカートなどあまり着用しないにとっては十分短いものだった。当然上着を羽織っているが、寒い。
 なぜこんな格好をしているのかというと、学園祭期間中、受け付け・売り子はなんらかのコスプレをするという決まりだからである。
 元はといえば、たちが昨年、ノリに任せてコスプレをしていたのが始まりである。コスプレといっても大半は高校生時代の制服を着ている。衣装は高いのだ。ちなみにが来ているメイド服は去年購入したもので、実際去年も着て受付をしている。であるので、たちのせいといえばそうなのだ。去年も今年もノリがいい自分が恨めしい。
「さ〜む〜い〜」
「先輩、メイドさんがそんな顔してちゃぁだめですよ。かわい子ぶっててください」
 肩に引っ掛けている厚手の灰色のパーカーを引き寄せてぼやくに、横から高谷のダメ出しが入った。
 高谷は白いワイシャツに黒いベスト、黒い蝶ネクタイに黒いスラックスという執事姿である。本来の受け付け当番だ。
「お客さんが来たら笑ってる、ちゃんと」
「遠目から見て今の表情はナシです」
「うるせー黙れ」
 大体座っているのだからメイドの格好でなくともいいのに。ああ、やはり協力を頼まれた時に後輩のブレザーにすればよかった。ブレザーなら寒さも軽減するだろうに。
 第一メイド服なのにミニスカートとはこれいかに。メイド服とは足首までのロングスカート、色はもちろん黒が常識だ。質素でありながら機能性を重視し、なおかつ品性あふれる格好であるはずなのだ。この服が作られた目的を思えばこんなにミニなのも頷けるが、やはりメイド服は足首までの以下同文。こんなものはメイド服にあらず。と思うであった。
 サークルの面々は着ぐるみ、メイド服、シスター、高校の制服姿などに身を包んでいる。もちろん私服のままのものもいる。そのせいでサークルの展示教室一帯に妙な集団がたむろする図ができているが、学園祭ということで誰も奇異に思わない。
 また、コスプレをしている団体はたちだけではなく、出店のあたりや教室棟内にもちらほらと衣装を着た学生がいる。特別目立っているわけではないのだ。
「ぼやかないの。お客さん逃げちゃうでしょ」
 カムが教室から顔をのぞかせた。展示パネルの裏側にサークル内部の人間が待機したり荷物を置いたりするスペースがある。彼はそこで買い食いをしていたのだ。
「ま、嫌じゃないからいいけどね」
 といって、は足を組みなおす。ミニだがフレアスカートなので、めくれ上がるということはない。
「そうそう。ライトさんたちも来ることだし、そうやって笑顔で可愛く座っといてね」
「…………はい?なんて?」
 カムの口からごく自然に出てきた言葉に、思わず聞き返す。カムは笑って同じことを言った。
「だから、ライトさんたち案内しといたから、もうすぐ来ると思うよ」
 言葉の意味を理解したがカムに食って掛かる。
「なんで!?ちょっと、なに教えてんのさ!」
「なんでって、いーじゃんお祭りなんだし」
「よくない!」
 あんなイケメンで目立つ四人組がお祭り状態の大学にくるとなると、一騒ぎ起こるかもしれない。大学にいる女性たちがこぞって四人の後をついてくる光景が目に浮かぶようだ。そしてそんな四人に話しかけられる。あとは想像にお任せしよう。
 想像しては頭を抱えた。
「あああああ」
「何考えてんのさ。んなこと現実に起こるわけないじゃん」
「あの人たちに関しては、非現実的なことが起こりうると思うんですけど……」
「そうなの!だから怖いんだってば!しかもこんな格好だし。そうだ着替えよう!」
 が椅子を鳴らして立ち上がる。が、カムによって妨害される。
「まぁまぁまぁまぁ、いいじゃんその格好でも。かわいいかわいい」
「やかましいわ!着替える、着替えたいんです!」
「先輩、受付嬢なんだからちゃんとコスしててくださいよ」
 高谷が苦笑いしながら言った。の気持ちはわからぬでもないが、受付はちゃんとして欲しいのだろう。意外と冷静な高谷に、は食って掛かる。
「他人事だと思って!」
 と、その時、周囲の空気がざわついているのを感じた。女の子が教室棟から中庭へ抜ける大階段に走っていく。かすかに黄色い声も聞こえる。
「…………まさか」
「ライトさんたち、来たっぽいね」
「結構近くっぽいっすね」
「さらばっ!」
 は駆け出した。こんな姿をあの四人に見られたらどんな反応が返ってくるか。
(一生の恥だ!)
 想像するだけで顔から火が出そうだ。
 大階段とは逆の方向に駆け出したを、カムと高谷が手を振って見送る。その後姿が見えなくなったと思ったら、ライト達がちょうど現れた。四人そろっての登場だ。数十メートル後方には女の子たちがざわざわとしている。そんな後ろの様子にも気付いていない四人は、カムと高谷に挨拶した。
「お、カムと高谷、久しぶり!」
「あれ、は?受け付けしてるんじゃねーの?」
 バッツが問うと、カムが苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「それが、逃げられちゃった」
「逃げた?」
「たぶんコスプレのまんまで会うのが嫌だったんだと思うけど」
「コスプレって、仮装ってことか」
 それを聞いた途端に、スコールがに同情するような顔になった。仮装した姿を見られるのは、は嫌に違いない。
(特に、俺たちには見せたくないんだろうな)
 しかし、そんなことをわかっていない男が一人。ライトが心底わからないといった調子で聞き返す。
「それで、はなぜ逃げるんだ?」
 これにも、カムは苦笑いで返した。
「恥ずかしいんでしょ。可愛い格好してるから、四人で探してみたら?」
「可愛い格好って、どんな?」
「それは捕まえてみてのお楽しみってことで」
 カムが笑いをかみ殺しながら言う。
 コスプレをしているといっても、大学構内でコスプレをしている人は少なくない。カムの発言に二人は眉根を寄せ、二人は笑みを浮かべた。見つけられるかどうかと懸念している二人と、面白そうだと胸を躍らせている二人だ。
「それは……」
「おもしろそうじゃん!はどっちに行ったんだ?」
 バッツがノリノリでライトを制した。その質問にも、カムと高谷は首を振るだけである。
「ま、逃げるように去って行ったって感じかな」
「ってことは……オレらが来た方向には行ってないって事だな。よし!手分けして探そうぜ!」
 ジタンが目を輝かせている。隣でスコールが額を手のひらで覆った。
 それから四人は方々に駆け出した。後には傍観者のカムと高谷が残った。
「誰が一番に見つけるのか、ちょっと楽しみですね」
「まぁ、予想はつくけどね」
「えっ、誰だと思ってるんですか?」
 高谷の問いには答えず、カムはが去っていった方を眺めながら微笑んだ。高谷は答えを待たず、新たな疑問を口に出す。
「それにしても、さん、逃げるほど恥ずかしいなんて」
 ほとんど独り言のようなつぶやきだが、カムがそれに答えた。同じく独り言のような声音で。
「まぁ、も好きな人の前では、いい子にしていたいんだろうね」



 は図書館の前まで来ていた。教室棟に隣接しているのであまり離れていない。
 とっさに走ってきたが、ふと自分の格好がメイド服だったということに気がついた。上半身はパーカーを羽織っているのでそれほど目立っていないが、ミニスカートとニーハイソックスが着慣れない。
 大学は小高い丘の上に建っている。山の中にあるといっても過言ではない。図書館の裏手には木々が生い茂っている。
 空気に混じる草木のにおいにクールダウンした。裏手にベンチがあったはずなので、そこで一息つこうと歩き出す。
 ベンチ周辺には誰もいなかった。元々裏手には木々が生い茂っているだけなので、よほど時間をもてあました人間でなければやってこない。ゆえに、カップルがいちゃつく穴場スポットだが、今は誰もいない。
 はふう、と息を吐くと、ベンチに腰掛けた。ベンチはひんやりと冷たい。身震いする。
(逃げてきたけど……どうなってるかな、ライトさんたち)
 彼らが大人しく教室で待っていてくれればいいのだが……いや、彼らが大人しく待っているはずもない。そもそも、待たれていては教室に帰れない。
(携帯も何もかも置いてきちゃったから、誰かに服を持ってきてもらうわけにもいかないし……)
 かといって、また教室に戻る勇気が湧かない。一度静かで安全なところに逃げ込んでしまうと、なかなか一歩を踏み出せない。
 表のほうから女の子たちの声がする。
(まさか……あの四人の後でも追っかけてるのかな)
 騒ぎになっているのなら、余計に表に出づらい。
 学園祭にせっかく来たのだから、四人を案内してあげたいのだが、あの四人といるとどれだけの騒ぎになるか。それに加えてこの格好だ。複数の要因が重なって、は出るに出られないのだ。
 だが、そこまで考えて、は自嘲めいたため息を吐いた。
「言い訳ばっか」
(本当は……)
 自分の膝を見るようにうつむいた。
 なぜ逃げたのか。誰から逃げたのか。本当は、頭の隅では自覚しつつあるのだ。ただ、それを理解してしまうと駄目なのだと、反射的に拒絶している。
 膝の上で組まれた自分の手を見る。冷えた手全体を暖めるように力を入れて組んでいるので、手が触れ合っている部分が白い。
「意気地なし……だめだな……」
?」
 唐突にかけられた声に、はびっくりして体を震わせる。
「!?……ライトさん!?」
 顔を上げると、ライトが表通りへと続く道から歩いてくるところだった。ライトは不思議そうな顔をしている。
「なんでここに……」
「教室から、君の後姿を見かけた」
 教室棟から図書館はそれほど離れていないが、それでもあの距離から後姿を判別できるとは。なんという視力だ。
(単純に見られてたのか……)
 は脱力感に襲われた。逃げ回る姿を見られるとは想像以上に恥ずかしいものだ。ましてや、あっさりとつかまったとあれば。
(なんか、ばかみたい)
 うつむいてしまったのとなりにライトは腰掛ける。は下を向いているので気付かない。ライトがの姿をじっと見つめていることに。
「……
 名を呼ばれた。そして、組んでいた手に、ライトの手が重なった。
「え?」
「指が白くなっている。力を入れすぎだ」
 ライトは強く組まれていた手を解いた。は呆然とその動きを見ていた。ライトの両手はすぐに離れていくものかと思ったが、離れなかった。
「冷えているな」
 というと、ライトはの両手を取って、自分の手で包み込むようにした。
「らっ、ライトさんっ?」
 とっさに名前を呼ぶ。驚きで声が裏返ってしまった。
 ライトの大きな手は、の冷えた手を温めるように握っては、すこし場所を変えて、また握るを繰り返す。呆然としながらその光景を見ていた。不意にライトが手に顔を近づけ、の手に息を吹きかけた瞬間に、我に返る。
「ちょっ、え!?ライトさん!?」
 ライトの顔を見たは、頬を真っ赤にした。あわてて手を引っ込めようとするが、握られているので叶わなかった。が手を離そうとしていることに気付いたライトは、さらにぐっと手を握ってきた。離す気はない、ということか。
 ライトのくちびるが、手に触れそうな距離にある。
(ちょっと待ってよ!)
 目の前に広がる光景、手から伝わる吐息と手の感触に、の思考は完全にショートしてしまった。頭ではこの事象を理解しているのだが、感情がついていかない。なんと反応して良いのかわからないのだ。慌てふためくだったが、ライトはそんなことなど気にする様子もなく手を温めている。ある程度温まったと思ったのか、ライトはの手をもう一度さすり、離した。
 やっと手が離れ、は早鐘を打っている心を落ち着かせる作業に入った。
(なんでこう、予告なしにこういうことするかな……予告があってもなんだけど)
 おそらく手先が早く温まったのは、の心情を反映してのことだろう。手で心臓あたりを押さえていると、ライトが口を開いた。
「……なるほど」
 まったく脈絡のないつぶやきに、は思わず顔を上げてしまった。それがいけなかった。
「可愛らしい」
 その言葉が、珍しく表情を緩めたライトの口からこぼれる瞬間を、はしっかりと目にしてしまったのだ。かっ、と顔に血が上るのを感じたは、口元を手で隠し、さらにライトに背を向けた。
(待って、待ってよ。落ち着いてよ)
 頬が熱い。口元を覆っている指先が熱い。今までどきりとする場面は何度もあったが、は今までになく動揺していた。元々この姿を見られたくなくてこの場に逃げ込んだのだが、それが仇となったようだ。逃げ場がない。
「君が可愛らしい姿をしているとカムに聞いていたのだが、確かに」
 背後から聞こえてくる声は、いつもどおりよく通る低い声。は羞恥に耐え切れず、口を開いた。
「ら、ライトさん……余計恥ずかしくなってくるから、あんまり言わないで……」
 はメイド服の上にパーカーを引っ掛けただけなので寒いはずだが、今は暑いくらいだ。それくらい血が昇っている。
「恥ずかしい?」
「だって、こんな格好だし……」
「そうだな。普段の君とは雰囲気が違って可愛い。普段の君も可愛いが」
「〜〜〜っ!!……………………いや、だから……!」
 落ち着こうとしていた心臓の動きは、再び活性化した。美形であるということに自覚がないように、自分の発言が殺し文句だということにも自覚がないのだろうか。
 このままライトとこの場所に二人きりでいることは危険だと判断したは、勢いよく立ち上がる。まだ顔は赤いだろうが、ここでこの話を続けるほうが命取りだ。
「ら、ライトさん、もう行こう。大学案内するから」
 が少し急いた様子で言うと、ライトは一瞬きょとん、とした顔つきになったが、すぐに頷き、立ち上がった。は安堵して歩き出そうとした。が、ライトが立ったまま動こうとしないので、訝しげに振り返った。
 ライトはをじっと見つめると、微笑んだ。
「やはり、可愛らしい」
「……っ!!」
 その瞬間に、の顔は火がついたように真っ赤に染まった。



 はとりあえず着替えるために、教室に戻った。しかし着替えようとすると、カムや高谷が止めに入ってきた。
「バッツたちにその姿を見せてから着替えれば?」
「セシルたちに頼まれてきたんで、写真一枚撮らせて下さい」
 の精一杯の抵抗はむなしく、全身写真を撮られてしまった。たちが戻って十分ほどすると、バッツたちが教室に戻ってきた。
「お!かわいいじゃん!なんで逃げたんだよ」
「可愛い!今度家ん中でその格好してくれよ」
「…………」
 三者三様の反応だったが、いずれもが羞恥で悶えたことは言うまでもない。
 ちなみにスコールはの姿を見て、そっぽを向いて腕組みをした。ジタンがこっそり教えてくれたところによると、それは照れ隠しであるそうだ。


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