みんなで風邪っぴき



 十月の中旬にもなれば、気温が下がり、朝晩は冷え込む。季節の変わり目ということで、居候たち四人が風邪を引いた。鍛えているので普段は風邪一つ引かず、元気にしていたのだが、急な気温変化に体がついていかなかったようだ。
 しかし問題なのは、四人一斉に風邪を引いたということだった。大の男が四人も一度に倒れたので、は看病のため文字通りてんてこ舞いだった。
 病院まで連れて行けるわけもないので、風邪薬、冷却シート、スポーツドリンク、食材を買い込み、そこからおよそ三日間、付きっ切りで看病した。途中で必要になったものは、カムに頼み込んで買ってきてもらった。バイトは休んだ。大学は授業がないから支障はない。
 トイレやキッチンが近いという理由で四人をリビングに寝かせ、食事や水分補給、着替えなどを休みなく続けた。もちろん四人は着替えや汗拭きなどの世話を嫌がったが、病人が抵抗できるわけもなく、最後には大人しくしていた。さすがに下半身は自分でやってもらったが。
 四日目にして四人は全快し、そのまま何事もなくいつもの日常に戻る……はずだった。



 男衆が全快した後、は疲れを取るためにゆっくりと風呂に入っていた。最中はまさに無我夢中で疲れなど感じる余裕がなかったが、こうして乗り切ってみると中々の疲労感である。
(今日は風呂から上がったらもう寝るか……)
 そう思い、何気なくつばを飲み込む。ツキン、のどに違和感を覚える。なんとなく嫌な予感がして、喉元を押さえる。
(やばい感じかな……でも関節も痛くないし寒気もしないな)
 きっと気のせいだと思い込み、は湯船を後にした。
 次の日、は久しぶりにバイトに出勤する。昨夜の喉の違和感は、今朝になってみると消えていた。かわりに少々寒気がする。いつもより厚着していくことにする。
「じゃあ、バイト行って来るから、まだ大人しくしてるんだよ」
 男衆は大事をとって全員家にいる。本人たちは大丈夫だといって聞かないが、ぶり返しでもしたらの苦労が台無しである。不満そうな四人に声をかける。
「ああ、気をつけて」
 ライトがいつものように送り出してくれる。彼に手を振って玄関を出、バイト先へと歩き出した。もくもくと歩くこと十分、は異様な熱を感じていた。
 体が熱い。なのに寒く感じる。家を出る時には、感じていなかったもの。
(……やばい感じだ。でも、もう休めない、これ以上迷惑かけられない)
 寒気を振り切るように、早足で歩く。バイト先へたどり着き、一気に更衣室まで駆け上がる。更衣室には、今日のもう一人の夜間アルバイトの女の子がいた。
「あ、おはよー」
「おはよ」
「どうしたの?顔赤いよ」
「いや、遅れるかと思ってちょっと走ってきたから」
「全然遅くないのに?変なのー」
「なんか焦る時があんの」
 といって、は自分の制服を取り出そうとしゃがんだ。
 ごん、と音が鳴る。しゃがんだ体勢で、そのまま前のめりになって頭をロッカーの扉部分にぶつけたのだ。
「いったぁ……」
「ちょっと、大丈夫?って熱いよ!熱あんじゃん!」
「え?」
 肩に手をかけてきた女の子が叫ぶ。すると、近くで着替えていた違う部署の中年女性がこちらの異変に気付き、駆け寄ってくる。の額に手を当てる。
「あら本当!あなた完全に熱があるわ!ちょっと、今日は帰ったほうがいいわよ!」
「いや、でも最近休みっぱなしで」
「あんた、社員に事情話してきなさい!」
「わかった!、ちょっと待ってて」
「いや、だから大丈夫だって」
 騒動を聞きつけて、パートの女性たちが寄ってくる。皆口々に休め、帰れといってくる。
 がぼんやりと、大丈夫なのに、と思っていると、社員に説明し終わった女の子が戻ってきた。社員を連れてきた。上司である社員は、の状態を見るなり、こう言った。
「今日は帰っていい。歩ける?送っていこうか?」
 ちなみに社員は女性である。
「いや、歩けます。本当に、すみません」
 と、が立ち上がろうとする。立ちくらみを起こして、またロッカーと接触する。
「歩けないなら、送っていくから」
「……はい。すみません」



 そうしては、数十分前に出た我が家へと帰って来たのである。社員の車に乗り込んだは、そのまま家まで寝てしまったらしい。気がついたときには自分の部屋で寝かされ、そばには憮然とした表情のライトがいた。
(あれ……?なんで自分の部屋に……)
「君は、バイト先の上司の方に送られて帰って来たんだ」
 ライトが、の疑問に答える。声が硬い。確実に怒っているようだ。
「そう、だっけ……」
 が、びくびくしながらつぶやく。絶対に怒られる。
「ライトさん……怒ってる?」
 の問いに、ライトは長い息を吐くと、
「君は馬鹿だ」
 とはっきり言い放った。
「ば……ばかって……」
 ライトの口から聞いた初の罵倒だった。意外すぎて耳を疑ってしまう。
「どうして無理するような真似をしたんだ」
「いや……無理してたわけじゃないけど……一気に熱あがっちゃっただけで」
「だが、少なからず風邪の前兆があった筈だ。それにも気づいていなかったというのか」
「う……」
 確かにのどの違和感や寒気はあった。まずい、と思いつつすぐに治るだろうと安易に考えてしまった。病は気から、とも言う。あまり気にしすぎるとどんどん症状が重くなっていくような気がして、あえて考えないようにしたのだ。それが、この結果だ。
「心配かけて、ごめんなさい……もっと、気をつけてればよかったね」
 素直に謝る。ライト達から風邪をもらうかもしれない、と警戒していればよかった。すると、ライトが押し黙った。表情を険しくして、首を横に振った。
「……すまない。八つ当たりだ」
「……?」
「私たちが風邪を移してしまったかもしれないのに、君の変化に気付けなかった」
 実際風邪をもらってしまったのかもしれないが、風邪気味らしい振る舞いはライト達の前ではしていなかった。昨日の今日で気づけというほうがおかしい。そこまで気にする必要はないのだ。
「ライトさんたちのせいじゃないし、熱もさっき急に上がったんだから、気付かなくて当然だよ。気にしないで」
「しかし」
 ライトの表情は険しいままだ。責任感の強い彼らしい。こういうときの対処法はすでに習得済みだ。甘えることだ。
「じゃあ……ライトさんが治るまで看病してよ。それで、チャラ」
 というと、ライトの表情が少し緩んだ。
「ああ、もちろんだ」
 ライトはの額に手を当ててきた。額には冷却シートが貼られているが、シート越しにライトの手が冷たいことがわかった。
「ライトさんの手……冷たい」
「熱のせいだろう。頬も、熱い」
 頬を触られると、やはりライトの手が冷たい。ひんやりとした手が心地よくて、目を細める。
「なんか、久しぶり」
「?」
「ライトさんと二人きりは久しぶりだなぁって」
 ライトの手に自分の手を重ねるように触れると、ライトが手を握り返してきた。彼の表情も、先ほどとは違って柔らかい。
「まったく……君にはかなわないな」
「ん?」
「君が上司の女性に抱えられて帰って来たとき、心臓が止まるかと思った」
 あの時のことを聞くと、一人では歩けずに社員に肩を借りて、赤い顔でぼんやりしていたそうだ。そんな状態なら、責任感の強いライトなら自責の念にとらわれて当然かもしれない。
 がなんといえばよいか迷っていると、ライトが先に口を開いた。
「まだ熱が高い。少し眠ったほうがいい」
「うん……」
 まだ手を握られているのが少し気になったが、誰かがそばにいてくれるという安心感から、はすぐに寝付いた。
(明日には治ってるといいなぁ……)
 ライトのいたわるような視線を感じつつ、意識を沈めていった。



 すぐに寝息を立て始めた。つないだ手から力が抜けて、完全に寝入っている。熱のせいか、少し寝息が苦しそうだ。
「……代われるものなら代わってやりたい。看病といわず、君のためならなんでもしてやりたい……」
 先ほど心臓が止まる、といったのもあながち過剰な表現ではないかもしれない。ぐったりしたを見るたび自責の念が押し寄せ、つぶれそうだった。
 が苦しむくらいなら自分が苦しんだほうがましだ。こんなことをが聞いたら怒り出しそうだから、彼女には言えないが。
 起きない程度に、彼女の手を握る。
 小さい手だ。今までこの小さい手で自分たちを世話してきたのだ。
……」



 翌朝、明るくなった部屋に徐々に覚醒する。もそもそと起き上がる。傍らにおいてあった体温計を取り出し、脇に挟む。
 ライトはいない。
 ぼんやりと部屋の中を見渡していると、こんこん、とドアがノックされた。
、起きてるかー」
 バッツの声だ。うん、と小さく返事すると、バッツが部屋に入ってきた。手に盆を持っている。の朝食を持ってきたようだ。
「おはよ、。どうだ、気分は?」
 言われてみると、昨日のような寒気も熱っぽさもない。
「おはよ。気分、いいと思うけど……」
 ちょうどよく体温計が鳴った。見ると、平熱だった。
「お、熱下がってるじゃん。よかったよかった!」
「うん、ありがとう」
「で、これ朝飯、おれ特製の玉子粥!」
 盆に載っているのは玉子粥とたくあん、梅干、かぼちゃの甘煮である。おいしそうだ。さっそく、いただきます、と手を合わせて箸を運ぶ。いつもどおり、美味である。
「それにしても、一晩で治るとはな」
「うん、長引かなくてよかった」
「これも、リーダーの看病のおかげかもな。本当に朝まで一睡もせず付きっ切りだったんだぜ」
「え?」
 思わず箸を止めてバッツを見ると、彼は肩をすくめた。
「夜中とか、途中交代しようか?って声かけたんだけど、私がやるって聞かないし」
「ええ?」
「おれらも、朝起きてみてびっくり。寝る前に見たのと同じ体勢で、ずーっとそばに張り付いてるんだから」
「……はぁ……」
「で、リーダーが倒れたら元も子もないって三人かがりで説得して、今下で朝飯中」
「そ、そうなんだ……」
 やるかもしれないと予感していたが、本当の意味での「付きっ切り」とは。後で礼を言わなければならない。嬉しいやら申し訳ないやらで複雑だが。
が元気になったんだから、いいけどな。心配かけさせやがってよー」
 バッツが、熱が下がったばかりの額に手を当ててくる。寝起きなのであまり見ないで欲しいが、心配してくれたのは嬉しい。
「ごめんね」
「ま、風邪移したおれらが言うのもなんだけどな」
 というと、バッツが立ち上がった。
「それ食べ終わったら、一応薬飲んどけよ」
「うん」
「それから、平気そうだったら、みんなに元気な姿見せてやれよ。一応、おれから熱は下がったって言っとくけど」
「うん。食べ終わったら、行く」
「ん」
 満足そうに笑って、バッツは部屋を後にした。なんだかんだ言って、バッツはスコール、ジタンより年上とあってしっかりしている。頼りになる存在だ。
 のどはまだ少し痛いが、熱は持っていない。体も痛くないので、風邪は治りかけだ。
 スコールとジタンの姿を見ていないが、バッツの話からすると、心配をかけただろう。なにより、人一倍気を揉んでいたライトに、元気な姿を見せなければ。


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