スコールと夜道


 大型ショッピングセンター内のこのスイーツ売り場は、個人経営のケーキ屋が数店舗、有名洋菓子メーカーが数店舗入っている複合型テナントスペースに近い。それぞれの店の一部の商品が置かれている。
 平日も利用客は比較的多い。さすがに土日と比べると売り上げ、客数ともに落ちるが、特売チラシが入っている火曜日、花の金曜日などが、案外忙しい。
 今日は金曜日。普段金曜にはバイトを入れていないだが、代わってくれと急に頼まれたので代打で入っている。その代わり、日曜が休みとなる。
 引越ししてから電車を使わずに済むようになった。時間的にも金銭的にも節約できる。が、それでもライトは頑なに迎えに行くと主張している。
 コスモスの援助があって金銭面ではかなり楽になったし、ライトは自分のためにあまり金を使わない。としては以前のように自転車で通いたいのだが、バイト先が駅をまたがずに済むようになってからは、ライトはバイト先にまで足を伸ばしてくる。
 目立ってしょうがないが、迎えに関してライトは本当に頑固なので、はもうなにも言わないことにした。
 変わったことといえば、他の三人も迎えに来てくれることとなった。ローテーションが組まれているらしく、メンツは毎日違った。
 今日は思いのほか閉店作業に時間がかかってしまった。家でライトが悪人面になっていなければいいが。
 そう思ってバイト先の入り口を出た時、あっと声を上げそうになった。携帯電話を家に忘れてきた。
 仕方なく入り口の警備員さんに電話を貸してもらい、家に電話をする。出たのはスコールだった。今日はスコールの番らしい。言葉少なに電話を切り、は家に向かって歩き出した。
 本当は迎えが来るまで待っていなくてはいけないが、途中で合流したほうが早く家に帰れるのでフライングだ。こんなこと、ライトが知ったら怒るので内緒にしてもらわなければ。
 ――週に何度も行き来している道なのだ。そうそう変質者は出ないはずだ。
 と、思った数分後。は自分の能天気さを激しく後悔することになる。

***

 道路の反対側の歩道を歩いている人影。が向かっている方向とは逆で、そのうち車道を挟んですれ違う。身長とシルエットから男性だと思われる。
 道路の向こう側だから、特に気にすることはない。なんてことはない、通行人だ。
 そう思い、足を進める。バイトの疲れか、歩がいつもより遅い。

「すみません」

 後ろから声をかけられた。びっくりして振り向くと、先ほど車道の反対側を歩いていたと思われる男が、すぐ後ろにいた。
 は一瞬振り向いた後、すぐさま歩き出した。もしかすると、やばいかもしれない。

「これから帰るとこですか」

 男はの様子に構うことなく声をかけてくる。完全無視は男の神経を逆撫でするかもしれないので、ええ、と小さい声で返した。

「これから、遊びに行きませんか」

 話し口調は理性的だが、それが逆に得体が知れない感じがする。変質者に会った経験が乏しくて、どう対処すればよいかわからない。
 まずい、混乱してきた。とにかく帰らなければ。

「帰りますんで」

 とだけ言って、重い足を無理やり働かせる。
 背後の気配は消えない。まだついてきている。

「僕の夢に、ちょっとだけ付き合ってもらえませんか」

 一体なにを言い出したんだろう。夢とは。
 怪訝に思いつつ足は止めない。止めたら最後だ。

「一回でいいから、ひとりでしてるとこ見てて欲しいんです。夢だったんですよ」
(──っ! 知るかぁ!)

 決まりだ。これは変質者で間違いない。
 全身の毛が逆立つような嫌悪感。みるみるうちに、自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。

「すぐに済みますから」
「いや、ほんとすみません、すみません」

 口から出てくるのは、なぜか謝罪だった。謝るから見逃してくれという心が言葉になったのだろうか。
 これは最終手段に出るしかない、警察を呼ぼう。
 と思ったところで、携帯電話を持っていないことに気がつく。今日に限って忘れてきた自分が恨めしい。
 男が立ち去る気配はない。

(どうしよう、どうしよう)

 混乱が極まって目をつぶった時、後ろの男の足音が止まった。
 ぐいっ、と体を引き寄せられた。
 目を開けると、黒いTシャツが見えた。これは、見覚えがある。

「そんなに構って欲しいなら、俺が付き合ってやろうか?」

 スコールの声だ。スコールがの右手を握って、自分の背中にをかばっている。

「もちろん、警察もご一緒してもらうけどな」

 スコールの声に凄味が増した。睨みも効かせたんだろう。男が走り去っていった。
 完全に男の姿が消えてから、スコールはの方を振り向いた。

「……大丈夫か?」

 先ほどより優しい声音に、の緊張が解かれていく。スコールが来てくれた。危ないところを助けられたのだ。
 握られた手が少し熱い。走ってきてくれたのだ。

「だ、いじょうぶ」

 下げっぱなしだった顔を上げようとするが、上手くいかない。足から力が抜けていく。
 思わず目の前のスコールの体にしがみついた。Tシャツに皺が寄ってしまう、と思っても、手が離れてくれなかった。

「……じゃない、かも」

 スコールが遠慮がちにの背に手を回して、体を支えてくれた。人の体温にますます安堵して、力が入らない。

「ごめん、ちょっとだけ」
「……別に、構わない」

 スコールの了承を得たので、はスコールの腰に腕を回した。今頃になって震えが出てきた。

(こわかった)

 ライトの言うことをおとなしく聞いておけばよかった。なにかが起こってからでは遅いということを、彼は口を酸っぱくして言っていたではないか。
 スコールが、空いている左手での頭を撫でてきた。
 年下の彼に頭を撫でられている状況はなんとも苦しいものだったが、体がまだ言うことを聞かない。それに、今はとても安心できる。

「スコール……」
「……?」

 やっと口が動いたのに、後が続かなかった。まだ恐怖が抜けきらないのか、さっきのことを思い出そうとすると、体が動かなくなる。
 しばらく、彼に支えられたままだった。ようやく自分で立てるようになるころには、走ってきたスコールの汗も引いていた。

「……大丈夫か?」
「うん……ごめん、ありがとう」

 スコールが辛抱強く待ってくれたおかげで、震えは収まった。
 小さく礼を言うと、スコールは家に向かって歩き出した。手はまだつないだままだった。

「今度からは、俺が行くまでちゃんと待ってろ」
「うん、ごめん」
「……心臓に、悪い……」

 彼は黒い半袖Tシャツに紺色のジーンズというシンプルないでたちだった。そのシンプルさが、彼の整ったルックスやスタイルを際立たせている。
 スコールの格好にも目が行く程度には、冷静さを取り戻しつつあった。

「スコール、お願いがあるんだけど」
「……?」
「このこと、ライトさんには内緒の方向で……」

 ライトに知れたら、コスモスの援助でお金の心配がない今、今度こそバイトをやめろと言いかねない。
 不動明王を背負って仁王立ちするライトが浮かび上がったのか、スコールは小さく息を吐いた。

「……仕方ない」
「ごめんね、ふたりの秘密ってことで……」
「貸しだ」
「貸しですか」

 スコールはの手を引っ張りながら歩いているので、からは彼の背中と後頭部しか見えない。
 見えないのに、スコールは今、少々疲れたような表情をしているんだろうな、と思った。


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