WOLと買い物


 一週間も経つと、ライトも異世界での生活というものに慣れてきたらしい。
 ただ、慣れてくると時間を持て余すようになった。がバイトに行っている間などは特に手持ち無沙汰なようだ。こちらの世界の文字は問題なく読めるので、部屋にある本を好きに読んでいいとは言ったものの、それも限界がある。もう少しこの世界の常識に慣れたら、ひとりで外を出歩くこともできそうなのだが。
 単純に暇をつぶしたいというよりも、のためになにかしたいという気持ちのほうが強いみたいだ。真面目すぎる。
 その気持ちはわからないでもないが、は彼になにをしてもらいたくて迎え入れたわけではない。気を遣わなくてもいいし、なんなら元の世界に帰る方法を探すことに集中してもらって構わないのに。
 がそのことについて頭を悩ませながら、ライトを伴って買い物に行こうと部屋を出た瞬間。

「あ、さーん。筍ご飯つくったからおすそ分け……って、どちら様?」

 おすそ分けで各部屋を回っていた大家に遭遇した。

(うわああ一番見つかっちゃいけない人に見つかっちゃったー!)

 が心の中で戦慄していると、大家が「はいこれね。今日中に食べるんだよ。ふたりいるからふたつあげる」とプラスチック容器に入った筍ご飯を渡された。出汁のにおいがほのかに香る。おいしそう。今日の夕飯はおかずだけ買って、筍ご飯をいただこう。
 大家は夫婦でマンションの管理人をしている。今目の前にいるのは、旦那さんのほうだ。いつも仲良さげににこにこと笑顔を浮かべて、玄関のガーデニングの手入れしている。おしどり夫婦の見本みたいな人たちだった。

「あ、ありがとうございます」
「いいよいいよー。で、後ろの超イケメンは新しい彼氏?」
(そんなこと訊くなー!)

 そりゃあ一緒に部屋から出てきたところを見たら大家としては気になるとは思うが、今だけは見逃してほしかった。よりにもよって一緒に部屋を出るところを見られるなんて、うかつだった。

(ど、どうしよう……新しい彼氏……彼氏っていうことにしておくか? 銀髪碧眼の彼氏とか無茶にもほどがある……でもそれしか思いつかない……!)

 嘘も方便、住まいを追い出されないためにもなんとかごまかさなくてはならない。ライトさん、勝手に彼氏にしてごめんなさいと心の中で謝りつつ、は口を開いた。

「そ、そうなんです……本当は引っ越して同棲したかったんですけど、両親から交際を反対されちゃって、それで仕方なくここで半同棲というか……やっぱ、だめ、ですよね……」

 言いながら、は冷や汗が噴き出すのを感じた。いくらなんでも苦しすぎる。
 このマンションは当然一人暮らし用だ。最悪このマンションを出て行かなければならない。そうなったら終わりだ。とライトは路頭に迷うことになってしまう。だからなんとかここでごまかさなければならないのに、出てくる言い訳がこれとは。情けなさで泣きたくなってきた。
 後ろに立っているライトの表情がからではわからないのが怖い。おそらく表情ひとつ動いていないだろうが、なんと思われていることやら。
 大家は、驚きの表情でとライトの顔を交互に見ている。早くなにか反応してくれ。焦らされるぐらいなら、早々に死刑判決でもなんでも聞いたほうがすっきりする。
 思わずが不安に眉を曇らせると、大家が口を震わせた。

「そう……だったんだ……」

 声も震えている。人の良さそうな旦那さんとはいえ、堂々と契約違反をかまさては黙っていられないのか。しかし次に大家の顔に浮かんできたのは、同情するような表情だった。

「大変なんだね……そこまでしてるってことは、本当に愛し合っているんだね……!」
「え?」
「わかったよさん! このことは、管理会社には秘密にしておいてあげる!」
「……はい?」
「妻にだけは報告させてもらうけど、もちろん妻も反対はしないさ! ふたりが幸せになれるように応援するから!」

 ぽかんと口を開けているをよそに、大家がどんどん話を進める。彼はの肩をたたくと、うんうん頷いた。

「大丈夫、さんならきっとご両親を説得できるさ! それまで狭いかもしれないけど、ここにいるといいよ!」
「えっ、ほ、ほんとですか?」
「うん、前途ある若者を叩き出すなんてしないよ。丸く収まるといいねぇ」

 「困ったことがあったら何でも言ってね!」と、おすそ分けに戻った大家を見送るとライト。ふたりの間に沈黙が降りる。
 恐る恐るライトの顔を見上げる。
 ライトは無表情だった。なにを考えているのか読み取れない。そのいつもと変わらない表情に、ほっとしたような、落ち込んだような。
 とりあえず、難関はしのいだ。買い物に行こう。歩き出すと、ライトはおとなしくついてきた。とライトでは歩幅がだいぶ違うので、彼にとってはゆっくり歩くことになってしまうが、ライトはそのことに文句を言ったことはなかった。
 玄関を出て、自転車を引いていく。一緒に乗るわけではない。買い物の荷物を載せるためだ。
 歩き出してから、はライトに謝った。

「ごめんね、ライトさん」
「なんだ?」
「さっきの大家さんに言ったこと。勝手に恋人にしちゃってごめん」
「構わない。管理者の手前、ああ言うしかなかったんだろう」
「うん……とっさにあんな苦しい言い訳しか思いつかなかったんだ」

 なんだ、本当に気にしてなかったのか。ライトの返答を聞いて、またほっとしたような、なんだか落ち着かないような気分になった。
 それから、少し足を伸ばしてバイト先の総合スーパーまで買い物に行った。
 ライトが私物を買いたくなった時のために案内するのだ。がいつも付き合ってやれるとは限らないし、ライトも同伴では買いにくいものもあるだろう。
 店内の案内をひと通り終えて食品売り場に行こうとしたとき、バイト先であるケーキ屋を通りかかった。
 仮にも男連れの時に通りたくはなかったが、ケーキ屋は食品売り場に隣接しているので避けられなかった。私服を着ているときにだと見抜かれたことはないから、まあばれないだろう。

「あっ、さん!」

 しかし、あっけなくパートさんに見つかった。なぜ今日に限って目聡いんだ。もしかして、ライトが目立つからか。イケメンがいると思ってみてたら見覚えがある小娘がいた。それで見つかったのかもしれない。
 声をかけられた以上無視するわけにはいかない。は渋々店先に近寄った。

「お疲れ様です」
「ちょっとちょっと、どうしたのよこのイケメンは! さんの彼氏?」

 挨拶とかどうでもいいと言わんばかりの勢いである。やはりライトが原因だった。

「いや、違います。彼氏違いますから」
「ええーーじゃあなんなのよ、こんな超美形とどうやって知り合ったの?」
「いや、ちょっと事情があって」
「事情? 事情ってなによ聞かせなさいよ」
「いや〜〜あはははまあちょっとした事情ですよ。今日はなんか安いですか?」

 ケーキ屋でこんなことを聞くのははばかられたが、パートさんも主婦だ。安いものは当然チェックしているはずなので情報を分けてもらう。

「うーんそうねぇ、今日はしょうゆが安いって。あとごまドレッシングも」
「おお、しょうゆ買わなきゃ」
「カレーも安かったかな。あと豚バラとか」
「うわー買うもんいっぱいあるな。味噌もなくなりそうだし……冷蔵庫ちゃんと見てこればよかった……」

 もともとは自炊してなかったが、ライトが増えたことで節約のために自炊を始めたのだ。
 は料理が下手というわけではないが、慣れてないころに作ったものはどう考えてもおいしくはなかった。それでも、ライトは出されたものに文句を言わない。偏食もしないようなので大変助かる。
 彼の好物も少しずつわかってきた。意外と和食が好きらしく、味噌汁を出すと喜ぶ。

「ライトさん、今日は荷物多くなりそうだけど、いい?」

 がライトを振り返って聞くと、彼は頷いた。

「構わない。そのために来たのだから、もっと使ってくれていい」
「……ありがとう」

 男手があるとやはり助かる。今日のように買い物が多い日は、重いものを持ってくれる人がいるだけで、家に帰った時の疲労感が違う。
 が嬉しそうに笑うと、ライトも目元を緩めた。その雰囲気を眺めていたパートさんが、苦笑いした。

「あんたたち、本当に恋人じゃないの? なんだか新婚さんみたいよ、会話が」
「え」

 思いがけないことを言われて、は目が点になった。
 確かに生活感あふれる会話をしていたが、恋人同士のような雰囲気だったのだろうか。柄にもなく少し赤面する。照れ隠しで大げさに笑ってみせる。

「あはは、違いますってば。じゃあ、そろそろ行きますね」
「じゃあね。そっちの彼、また連れてきなよ」

 パートさんと別れると、カートにかごを入れて歩き出す。ライトは黙ってついてくる。
 頬の熱さは引いたものの、まだ照れくささが残っている。こんな美形と恋人同士に見えたのならそれは大いに光栄なことなのだが。
 ライトのほうをちらりと見ると、ライトはいつもどおりの無表情で、の視線に気付くと首をかしげた。

「どうした?」
「ううん、なんでもない」

 首を振って、食材に視線を向ける。気にしてるのはだけのようだ。
 ライトは表情こそ乏しいが、慣れれば感情は読み取りやすい。不愉快なことがあった場合は眉間に皺を寄せたり目を細めたり、特にわかりやすい。

(ライトさんが特に気にしてないんなら、私も意識することなんてないか……)

 思春期の乙女でもあるまいし、いちいち気にするのは性に合わない。
 この件についてはそこで考えるのをやめた。いつまでも気にしていたら、ライトを意識してしまいそうだ。
 考えを振り払って、目の前の特売品に集中し始める。その後ろでライトがぼそりとつぶやいた言葉は、には聞こえてなかった。

「……さすがに、あんなにはっきり否定されるとさびしいものだ」

***

 その後、暇をもてあましたライトは、大家夫婦の手伝いをすることになった。マンション周りの掃除や手入れ等をして、バイト代も出してくれるらしい。

「これで、少しは君の負担を減らせそうだ」

 がバイトから帰ってくると、珍しくライトから話し出すものだからびっくりした。珍しく口角を上げたライトの顔を見て、もよかったねと笑顔を返した。
 これで彼の居心地が少しでも良くなれば、はそれでいい。
 そう、これくらいの距離がちょうどいいのだ。誠実に気持ちを返してくれる、この関係が。


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