WOLと夜道


 ライトとの生活が始まってからは、毎日がめまぐるしい。といってもまだ三日しか経っていないが、たった三日でそう感じるほど、彼と過ごす日々は濃かった。女のひとり住まいに長身の成人男性が住むことになったのは、が想像していたことよりもずっと大変なことだったのである。
 まず掃除・洗濯・買い物・ごみ捨てを教え、が学校やバイトで家を空ける日でも不都合がないようにした。
 ライトは、先述の家事に関しては慣れればなんの問題もなかった。目もくらむようなイケメンにこのような家事をさせるのは非常に気が引けたがやむを得まい。
 ただ、料理だけはだめだった。非常に手元が危なっかしく、が一秒たりとも目を離せなかった。まな板を両断されそうになったところで台所を預けるのは諦めた。
 次に問題になったのは、ライトが異性ということだった。
 の下着がライトの目に入るのは、もう慣れてもらうしかなかった。ライトは、その点についてはかなり渋りつつ最後は折れた。が、それらには一切触らないと頑なだった。
 ライトの服については、カムが当分の生活に困らないように一通りのものを揃えてくれた。初日にカムからもらったものを足せば、なんとかなるだろう。
 カムは「ライトさんがどういう好みなのかわかんなかったから、全部俺の勝手な見立てで買ってきた」といっていたが、メンズ服がさっぱりわからないからすれば、カムが仏に見えるくらいだった。というか普通にセンスよかった。見立てどおり、ライトにはジャケット姿が良く似合った。カムがバイト着で着ていたようなオーソドックスなスタイルも、そつなく着こなしていた。
 それもそのはず。ライトは美形の上、なんといってもスタイルがいい。筋肉もバランスよくついているし、もうなにを着ても文句の付けどころがない。むしろ感嘆のため息しか出てこなかった。脚長い、上腕二頭筋が素晴らしい……と、コーディネートの感想を言うのも忘れて見入ったほどだ。

「美形だと、なに着ても似合うんだねぇ……」
「ほんとにねぇ……」
「?」

 買ってきたものを色々着てもらっていたが、なんでも似合ってしまうライトに、とカムがしみじみ嘆息した。ライトひとりが首をかしげていた。
 外に出歩けるようになったところで、初めてライトと出会った公園に行ってみた。ディシディアの世界に帰れないか、または帰れずともなにか手掛かりがないかと思ったのだ。しかし、公園には手掛かりになるようなものは見つけられず、ライトの身にもなにも起こらなかった。
 そもそも、どうしてライトがこちらの世界に来たのか。その理由がわからない。それがわかれば、帰る方法を探しようもあるかもしれないのに。その理由がはっきりするまでできることは少なそうだった。そう結論付けて、ライトはこの世界で暮らすことを割りきったようだ。
 そして三日目の夕方。バイトに行く際に起こった出来事である。

***

 そろそろバイトの出勤時間だ。は化粧を始めた。
 デスクに座って前髪をピンでとめ、ファンデーションやらアイシャドウやらアイブロウやらを取り出す。洗濯物をたたみながらテレビを眺めていたライトが、不思議そうな視線を送ってきた。女の化粧シーンなど見たことがないので新鮮なのかもしれない。見られるのは恥ずかしかったが、結局最後までなにも言わずにおいた。
 化粧を終えると、は洋服を持って浴室へ向かった。着替えるためだ。
 脱いだ部屋着を簡単にたたんで枕もとに置くと、ライトが声をかけてきた。

「出かけるのか?」
「うん。これからバイトに行ってきますね」

 ライトが少しだけ首をかしげた。バイトがなんなのかわからないのだろう。そういえば言ったことがなかったかと、バイトという言葉の意味と、のバイト先の場所と仕事内容も簡単に説明した。

「なるほど。は今から働きに行くのだな」
「うん」
「帰りはいつになる?」
「営業が終わるのは十一時だけど……それから色々やることもあるから、帰りは十二時くらい」

 十一時の発言あたりからライトの目が細くなる。渋い顔だ。

「日付が変わる頃だな。危険ではないか?」

 そら来た。は予想どおりのライトの言葉に苦笑いした。真面目な彼のことだ、女性が夜遅くに外を出歩くなど……とか言いそうだなとは思っていた。

「いや、でも自転車だし、そうそう変な人には捕まらないよ」
「相手が複数で、囲まれたらどうする? 逃げ場をふさがれてしまえば、自転車だとしても危険は変わらない」
「はあ……うーん、でも、早退すると給料減るし……」

 は困ってしまった。ライトは両親とは違い、簡単には説得されてくれない。
 自分の身を案じてくれているのはありがたいことだが、そんなことを言い出したらすべてのバイトが危険になる。学生の身でバイトできる時間帯というと、どうしても夕方から夜間になる。もう四年で講義はほとんどないから昼間でも入れるが、夜間のほうが時給はいい。なんと言われようと今のバイトはできるだけやめたくない。
 仕送りがあるとはいえ、自由にできるお金はあるに越したことはない。ライトのこともある。
 ライトも、が危険だと理解した上でライトの忠告を聞けないのは自分のことが理由のひとつになっていると察しがついている。だが、それと家主の身の安全は別の問題らしい。
 彼は目を閉じて考え込んでいるようだったが、やがて目を開くとこう宣言した。

「わかった。それなら、帰りは私が迎えにいこう」
「…………はい?」
「電車で通えなくはないのだろう? 帰りは駅まで迎えに行く」
「えっ、ライトさん、ちょっと待って」

 バイト先は一駅先の駅前にあるショッピングモール内。確かに電車通勤も可能だが、突然こんな提案をされるとは思ってなかった。電車と自転車であまり通勤時間は変わらないのだが、電車賃がもったいないし電車を待たないで済むからずっとチャリ通だった。
 電車通勤に変えることはできる。だが、わざわざライトに迎えに来てもらうことなのか。今まで通りチャリを飛ばして通っていれば問題ないのではないのか。
 困惑しているに、ライトは真剣な表情で言った。

「君に受けた恩に少しでも報いたい。君の身の安全くらい、守らせてもらえないか」

 はとっさになんと言えばいいかわからず、目を見開いたまま固まった。
 なにしろこんなことを言われるのは初めてだ。からかう調子もなく、真剣に夜道を心配してくれるなんて。
 真剣なまなざしでじっと見つめられ、はなんとか言葉を返そうと口を開いた。

「あ、え、そ、そんな風に、思わなくてもいいのに」

 というか、恩を売ったとは思っていない。出ていこうとするライトを結構強引に引き留めた自覚がある。バイトも一年以上前から変質者に遭ったことはないので、通勤に関して危険という認識は本当にあまりないのだ。
 しかし、彼はここだけは譲らないつもりのようだ。

「世話になっている以上、アルバイトをやめろとは言えない。だが、私はが心配だ」
(まあ、そりゃ確かに絶対に安全とは言えないんだけども……)

 世話になっている以上、と言っていた。もしかしたら、家事以外でもなにか手伝いたいのかもしれない。がライトの立場だったら、確かにどんなことでも役に立ちたいと思う。に世話になりっぱなしという状態が心苦しいのなら、彼のためにも少し甘えたほうがいいのだろうか。

「じゃあ……お願いしようかな。バイト先を出る前にここの家電に電話するから、駅まで迎えに来てくれる?」

 が承諾すると、ライトの表情が明るくなった。

「ああ。わかった」
「じゃあ、行ってきます」
「気をつけて」

 こうして、今日は久しぶりに駅まで歩くこととなった。
 歩きながら、不思議な気分だった。
 こうやって歩くのが面倒くさくて時間がかかるから、雨の日でも自転車で通っていたのに。今は、面倒だとは思わなかった。
 ――迎えに来てくれる人がいるなら、歩くのも悪くないかもしれない。

***

 バイトが終わり、駅に降り立つと、ライトは待っていてくれた。
 黒いパーカー姿でもばっちりと決まっているライトに、周囲の視線が集まっているのを見て、はやはりやめておけばよかったと思った。
 あのイケメンはどこの誰だと、バイト先でもうわさになっていることに違いないのだ。


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