WOL襲来 その2


 ライトとの同居が決まったことで、色々と決めなければいけないルールがたくさんあった。だが、ライトを説得できた時点で午前一時半。明日からのことは明日話し合うとして、今日はもういい加減風呂に入って寝なければ。
 お湯を張っている間、は風呂場・トイレの使い方等をざっと説明した。
 洗濯と掃除は主にライトにやってもらおう。もやれる時はやるつもりだが、大学だのバイトだの外に出ている時間が長い。ライトも家にいる間、やることがあったほうがいいだろう。
 台所の説明をすると、それまで順調に頷いていたライトがさっぱりわからんという顔をしたので、料理当番だけは固定になりそうだ。

(まあ、料理上手には見えないよな……というか、生活感そのものが薄いような)

 珍しい格好をしているせいだろうか。記憶をなくす前の彼も日常的に料理をしていたとは思えなかった。
 お風呂のお湯を止めて、はライトに風呂を勧めた。

「ライトさん、お先にどうぞ」
「いや、私は居候。君が先だ」

 ここでも遠慮するライトだが、にはライトが風呂に入っている間にやっておかなければならないことがたくさんある。

「ライトさんの寝床作ったり着替えを用意しないといけないんで、先に入ってくれると助かるんですが……」

 と言うと、ライトは渋々頷いた。

「……わかった。君が言うならそうしよう」
「はい。着替えは浴室の前に置いときますね。たぶんサイズ合ってないと思うんですけど、今日はそれで我慢してもらえませんか」
「ああ、構わない。色々とすまない」

 ライトを風呂場に残して部屋に戻ったは、箪笥の中に乱雑にしまっていた元彼のジャージを取り出した。どう見ても手足の長さが足りてない。
 部屋部分と、玄関から伸びる風呂やキッチンがある廊下は、ドア一枚で隔てられている。ドアにつけられた小さいガラス窓から、ライトの脱衣シーンがちらちら見えた。それを見ないように背を向ける。目の毒だ。

(あのガラス……明日、布かなにかを貼りつけておこう……)

 鞄から携帯を取り出して、近所に住む同じサークルに所属している男の友人に電話をかけた。
 ライトの着る衣服は、今日明日の分くらいは別れた男のものがある。だが、本格的に外に出歩く格好となると、さすがにサイズの合ったものを供給してあげるべきだ。ということで、友人を頼ることにしたのである。

『もしもし?』
「あ、もしもしカム? いきなりでごめん。ちょっと、相談……というか、頼みたいことがあるんだけど」
『どうしたー? 今から遊ぶの?』

 電話の向こうから陽気な間延びした声が返ってくる。
 がカムと呼んだ男の本名は神木という。かみき、という苗字が呼びにくいということで、一年の時に先輩から付けられたあだ名がカムである。
 ゲームや漫画の趣味が合うのでよく遊ぶが、から電話をかけることは珍しかった。
 これからなんと言って説明すればいいのか。本当ならもっと言葉を整理してから電話をかけたかったのだが、ぐずぐずしていたらライトが風呂から出てきてしまう。なんとかしてそれまでに話を終えなければならないのだ。
 どうせダメで元々。もう電話もつながってしまっていることだし、ここは思い切って言うしかない。

「いや、そうじゃないんだけど……あー、なんていうか……」
『なにさ』
「カムの持ってる服の中で、一番サイズの大きい服を一式ですね、譲ってもらえないかなって……」
『…………うん? なんて?』
「だから、あのー、カムの持ってる服の中で、一番大きいサイズの服を」
『うん』
「トータルコーディネートで、私に譲ってほしい。いや、貸してほしいんだけど……」

 の声から自信が失われ、だんだんと尻すぼみになっていく。話がまったく見えないし、一体どういう要求なのかと自分でも思ったからだ。
 それは電話の向こうも同じで、カムがぽかんとしているのが沈黙から伝わってきた。

「ごめん、いきなり変なこと言って。でも電話で詳しく話してる時間がないんだ。嫌じゃなかったら、とりあえず私んちまでいらない服を持ってきてほしい、お願い……」

 それでも、異性の友人の中ではダントツに優しい(とは思っている)彼に縋るように携帯を握りしめる。

『あー、うん、わかった。とりあえずてきとーに今から持ってくわ』

 了承の返事に、思わずその場で頭を下げた。カム本人に見えるわけがないのだが、下げずにはいられなかった。

「ま、まじで……! ありがとう、事情は後で絶対説明するから! 本当にありがとう!」
『いいよー。じゃ、またあとでね』

 なんというノリのいい優しい男なんだ。彼と友人になれてよかったと心の底から思う。異世界人を迎えるという非現実的な出来事を相談できる人が身近にいる。それだけで心が楽になったような気がした。
 カムは身長百八十だったはずだが、ライトはそれを上回りそうだ。なにしろとは頭二つ分ほど違う。友人が持ってくる服でも丈が合わない可能性大だが、こればかりは仕方ない。近いうちにカムに手伝ってもらってジャストサイズの服を調達しに行こう。
 風呂場からは、がん、とか、ごつ、とかいう、狭い浴室と慣れない設備に悪戦苦闘している音がする。自分でもたまにひじや頭をぶつける時があるのだから、彼はなおさらだろう。
 電話を切ってから二十分経たないうちに、備え付けの電話が鳴る。オートロックのインターホンからの着信だ。着信は予想通りマンションの入り口についたカムからだった。オートロックを開けてやる。
 カムの住まいはここから五分と離れていない。がライトを発見した公園のすぐそばにあるマンション住まいだ。
 オートロックは友人が訪ねてきた時などは不便だ。宗教勧誘や新聞勧誘はあまり来ないので楽と言えば楽なのだが。
 こんこん、というノックの音に玄関ドアを開けると、ほっそりとした体型の糸目の青年が、大きな紙袋を両手に抱えて立っていた。

「ありがとう。いきなりごめんね」
「いいよ、ちょうど暇だったし。手当たり次第にサイズ大きいやつ持ってきたんだけど、ちょっと見てくれる?」

 彼を部屋に上げて荷物を部屋に運ぶ。途中、浴室が使用中ということに気付き、カムは訝しげに首をかしげた。

「あれ、お客さん? もしかして、服ってその人用?」

 は首を縦に振り、事情を説明した。
 ライトはいつ元の世界に戻れるかわからない。戻れるようになるまでここにいればいいとライトに言ったものの、大の男ひとりとの同居は想像以上に難しいだろう。できれば、この先もカムに協力してもらいたい。そう思ったので、ここでライトの事情を説明した。
 話を終えると、カムは笑い出した。

「それ、思いっきりディシディアやん! その人、ディシディアに出てくるキャラ! 気付かんかったの?」
「え……ええ!? ライトさんて、FF……ディシディアに出てくるの?」
「コスモスとかカオスとかクリスタルとか、まんまディシディア。あとあの兜とかもそのまんま」

 そう言って、カムは部屋の隅に置かれているライトの鎧一式を指差した。

、ディシディアやったことなかったっけ?」
「いや、カムに一回だけやらせてもらっただけ。あの時はセシルしか使わなかったし……」
「そうかー。、ライトさんと一緒に暮らすことになったんだ」

 ほんまかあ、と言いつつ風呂場を覗こうとするカム。それはやめてくれ頼むから。今自分で言ったディシディアから来た説が正しいなら、風呂を覗こうとしたとばれた時点で無事では済まないだろうに。非現実的な展開の中でもできるだけ平穏に暮らしたいのだは。本気でライトの入浴シーンを見たいわけではないと思うが、冗談が通じる相手ではないだろう。

「俺にできることがあるなら言ってね、協力するわ」

 カムは笑いながらを振り返り、うんうんと何度も頷いた。の話を面白半分に受け取っているような、そんな軽いノリだった。でも、疑いの色は見えない。

「え……ほんとに信じてくれるの?」
「うん。ていうかまあ、そこに鎧があるのが証拠だし、疑ったりはしてないよ。なにそれおもろいとは思ってるけど」
「う、うーん……」
「なんにせよ、いるもんはいる。やらなきゃいけないことは片づけていかなきゃならんでしょ。ひとりで男の世話は不便だろうし、俺のできる範囲でならって条件で協力するわ。この服も靴もバイト着で買ったやつだからいらないし、全部返さなくていいから」

 服のことといい協力の話といい、カムの人の良さには感動した。ここにいてもいいとライトには言ったものの、実のところこれからどうすればいいか、やるべきことが多すぎて途方に暮れかけていた。男性の立場がわかる人がいるだけで相当助かる。余談だが、カムのアルバイトはシンプルさと安価を売りにした某大型衣料品ブランドである。

「あ、ありがとうカム……! いきなりこんな無茶な話をしたのに」
「ま、困ってる時はお互い様やし、面白そうだから。じゃあ明日、ライトさんに似合いそうな服買ってくるよ」
「ほ、本当に? なにからなにまでありがとう」
「あはは、いいってば。でもサイズあるかな……ライトさんて、確か百八十九センチあったと思うけど」

 まぁーぼちぼち見て回るよ。困ったことがあったらいつでも電話してねー。
 カムの言葉にはじーんと涙腺を緩ませながら、帰る後姿を見送った。持つべきものは頼りになる友人である。
 そうこうしているうちに、なんだかんだ三十分以上過ぎてしまった。
 ライトがそろそろ出て来るかもしれないので、客人用に備えてあった布団を取り出した。テーブルをどかし、ベッドの横に敷く。

(そうか……ライトさんは、FFの――ディシディアの世界から来たんだ)

 剣と盾を持って鎧を着用して、戦士然とした青年。最初は絵本から飛び出してきたのかと思った。実際はゲームの世界から出てきたらしい。
 普通だったらドッキリ撮影とか夢なんじゃないかと疑うような非現実的な状況。当然驚いてはいるし、本当にこれは現実なのか、寝て起きたらライトはいなくなっているのではと思っている。その一方で、冷静に受け止めて明日はなにをしよう、なにから教えようと考えている自分がいる。

(あ……そういえば、ライトさんてベッドと布団だったらどっちがいいんだろ)

 などと特に重要でもないことを考える余裕も少し出てきた。おそらくFFの世界観ではベッドだが、風呂の順番も遠慮した彼のこと、布団で寝ると言いそうだ。シングルベッドも日本の一般的な大きさなので、ライトの長い手足がはみ出すかもしれないし。
 考えた結果、慣れないかもしれないが、ライトには布団で眠ってもらうことにした。
 そこまでの中で決まったタイミングで、風呂から上がったライトが部屋に入ってきた。
 おとなしくの用意した寝間着──別れた男が置いていったままのジャージを着ている。

(…………ただのジャージを着ているはずなのに、なんでまぶしく見えるんだろう……)

 男前が着るとなにかが違う。このジャージを着ていた元彼が特別男前というわけではなかったので、なおさら違って見えるのかもしれない。
 そして、やはり丈が合ってない。男前がつんつるてんというのは見ていて非常に残念になるので早くサイズの合った服を買わなければなるまい。には男物の服の流行などはわからないからカムに任せるしかない。現役ショップ店員のコーディネート力を信じなければ。
 が思わず凝視しているとライトが訝しげに見つめ返してきた。

「どうした?」
「あ……いえ、なにか不都合はなかったですか?」

 その問いにライトは首を横に振った。振った拍子に、毛先から水滴が落ちた。
 ライトはバスタオルを肩にかけていたが、髪を拭こうとはしない。もしかしたら普段は、ちょっと水気を拭うだけなのかもしれない。そんな気がした。
 そう思っただけだったのに、三分後、はライトの髪をドライヤーで乾かしていた。ドライヤーの使い方を説明しては見たものの、こういう機械類は慣れていないせいか、まったくわからんという顔をするばかりだったのだ。実践してもらったほうが早い代物なので、一度使ってみればわかると言ったのだが、あまりにおぼつかない手つきに、のほうが先に折れた。

「今日は私が乾かしてあげますから、明日から見様見まねでやってみてください」

 そう言ってライトをデスクの椅子に座らせ、先にタオルで水気を切る。
 本当に「ちょっと」ぬぐっただけ、というような具合である。ぽたぽたと水滴が滴る状態でドライヤーをじっと見つめられては、こっちが風邪を引かないか心配になってくる。いくらライトが鍛えていようとも、急激な環境の変化によって体調を崩すとも限らない。春の暖かい気温とはいえ、濡れた髪を放置していいことにはならない。
 そんなことを考えながら、わしゃわしゃ、とタオルで髪を拭く。ライトはされるがままだ。

「じゃあスイッチ入れますよ。大きい音がするんで気をつけてください。あと、熱かったら言ってください」
「わかった」

 ドライヤーのスイッチを入れ、熱風を恐る恐るライトの髪にあてる。ライトは事前に注意したおかげか、それほど驚いていないようだ。根元から当てすぎにならないように乾かしていく。

(綺麗な銀髪だ……髪の毛細いし、いいなぁ)

 自分の毛髪事情と比較して悲しくなってくる。イケメンは髪まで美しいらしい。
 だいぶ水気を飛ばしたあたりで、ライトは熱風に目を細めた。こちらに来て色々あって、疲れているのかもしれない。うとうとと舟をこぐようなことはなかったが、少し眠そうに見えた。
 はなるべく刺激しないように乾かし終え、ライトの髪を梳かした。が使っているのと同じシャンプーのはずだが、さらさらと流れる銀髪は戦士のそれとは思えない。やはり髪質か。

「はい、終わりました。もういいですよ」

 がそう言うとライトはゆっくりと目を開けた。
 透き通ったライトブルーの瞳に間近でじっと見つめられると、なんだか落ち着かない。
 の所属するサークルには男も多い。異性と接することには慣れているつもりだったが、こうも美形だと話はまた別だ。まして、人の目を迷いなくまっすぐ見つめてくるイケメンだとなおさら。
 居心地が悪くなったは、視線をライトから微妙にそらした。

「どうしました?」
「なにからなにまでしてもらって、君には面倒をかけた。これからも色々と迷惑をかけると思うが、よろしく頼む」

 改めて面と向かって言われると恥ずかしい。距離も近いので柄にもなく照れてしまう。気付かれないように、少々大げさに首を横に振った。

「そんな、面倒だなんて思ってません。だからそんなにかしこまらないでください。たぶん私のほうが年下だし、もっと普通に砕けた感じでいいですから」
「私はこれが普通だ」

 それなら仕方ない。息を吸い込んで、心を決めた。

「大丈夫だよ。きっとすぐに帰れるから」

 が砕けた口調で笑うと、ライトも少し肩の力を抜いたようだ。表情の変化は乏しかったが、少しだけ声が柔らかくなった。

「ああ。そうだといい」

 その後、ライトはが用意した布団ですぐに眠りについた。やはり疲れていたのだ。
 は、あまりうるさくしないように風呂に入った後、明日の分の米を準備してベッドに入った。
 暗闇の中、目を凝らして布団に丸まっているライトを見る。
 先ほどライトにはああ言ったが、ほんの少しだけ、すぐには帰らないで欲しいと思っていた。
 ライトは、の代わり映えのしない日常に訪れた変化だ。それを、もう少し楽しんでいたい。
 ――この時は、そんな軽い気持ちで彼を受け入れたのだ。


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