6、十月その1


 十月に入って衣替えもすんで、朝晩の気温が少し下がって過ごしやすくなる。十月末から十一月にかけて開催される文化祭に向けて、生徒会は忙しくなった。会長の妲己先輩が何を言い出すかわからないので、何が起こってもいいように文化祭前のスケジュールは余裕を持たせている。その分、期間中が忙しい。十一月には予算編成も控えているので、この時期は特に忙しい。と言っても、私は妲己先輩の小間使いのようなものなので、他のメンバーに比べれば切羽詰っていない。しかし、いつ妲己先輩がわがままを言い出すか気が気でない。そして、そのわがままを言い出した後には聞仲先生の説教が待っている。気が重くなるのは仕方ない。
 生徒会を終え、書道部の活動も終えると、外はすっかり暗くなっていた。日が落ちるのも日に日に早くなっていく。校舎は、文化祭の準備の生徒もさすがに数が少ない。いそいそと特別教室棟から生徒通用口へと向かっていると、望ちゃんとバッタリ会った。

、まだ残っておったのか」
「あ、うん。ちょっと書道部によってたら遅くなっちゃって」
「今から一人で帰りか?」
「うん、そうだけど」
「ふむ。なら、今日は特別にわしが送っていってやろう。わしも仕事を切り上げて帰るところだしな」
「えっ!? ……い、いいの?」
「どうせ近所だし、こんな遅くに一人で帰すのもさすがに心配だしのう」
「あ、ありがとう……」

 思いがけない出来事に、私は気分が浮かれるのを感じた。あきらめなければと思いつつも、やはり好きな人と一緒にいられるのはどうしたって嬉しいことなんだ。口元がゆるくなるのを我慢していると、望ちゃんの後ろのほうから歩いてくる人影を見つけた。すらっとした立ち姿に、長い黒髪、小作りな顔。

「竜吉公主先生……」

 私が思わず声に出すと、望ちゃんは一目でわかるほど緊張しだした。ぎこちない動作で後ろを振り返ると、同じくぎこちない声で「こ、公主」と言った。これは私でなくても、望ちゃんの気持ち丸わかりだ。公主先生は気付いてないみたいだけど。

「太公望と、といったか。たしか生徒会だったか。少し遅くなりすぎではないか?」
「あ、いえ、今帰るところです」
「ああ、わしが送っていこうかと思ってな」
「なに、そうなのか? 少々太公望にたずねたいことがあったのだが……」
「わしに?」
「私が受け持っている家庭科部の、文化祭での準備物についてなのだが。聞仲に聞けば、太公望の担当だと言われたのだが……」
「あ、ああ、確かに……」
(あ……)

 望ちゃんが私のほうをちらりと見て、少し困ったような顔をした。話の内容から察するに、公主先生の相談はすぐに終わるような用件ではなさそうだった。

を送っていくというなら、明日にしたほうがいいだろうか」
「あ、いや……」

 困っている。たぶん、仕事だから早めに聞いて処理したほうがいいのだろう。でも、さっき私を送っていくといった手前、遅くまで待たせては……と悩んでいるのだろう。

「いいですよ、太公望先生。私なら一人で気をつけて帰りますから」

 気付けば、私はこんなことを言っていた。望ちゃんと公主先生が驚いたように私を見る。

「だが」
「家まで、そんなにかかりませんから大丈夫です。だから、仕事頑張ってください!」
「…………」

 望ちゃんが心配そうな顔をしている。けれど、その表情には明らかな安堵も含まれていた。その表情を見て、私は胸にとげが刺さったような痛みを覚えた。痛みをごまかすかのように笑顔を作る。

、気をつけて帰るのだぞ」
「はーい! 太公望先生、公主先生もさようなら!」

 私は二人に手を振ると、通用口へと駆け出した。ちゃんと笑えていたかな。自然だったかな、私の声。震えてなかったかな。
 自分の下駄箱につくと、靴を取り出しながら息を整えた。涙が出そうになったけど、目をつぶって我慢する。

(意気地なし)

 なんで、教師と生徒なんだろう。なんで同じ学校なんだろう。毎日のように顔を見られるのは嬉しい、けど、そのせいで私は望ちゃんに「一緒に帰ろう」といえない。本当は公主先生ではなく私を優先して欲しかったのに。立場のせいでもある。けれど、勇気を出して帰り道が不安です、の一言でも言えていたら、今頃は望ちゃんと一緒だったかもしれないのだ。どうしようもないことだけど、このときばかりは恨めしかった。

「……ばかみたい」
「…………?」

 不意に声をかけられてびくっと肩をすくませる。声のほうへ振り向くと、そこには天化が立っていた。

「天化? どうしたの、こんなに遅くまで」
「それは、こっちのセリフさ。俺っちは自主練で残ってたんだけど」
「そっか……私も、書道部で作品仕上げてたから」
「ふーん。ほら、帰ろうぜ」

 天化は靴を履き替えると、私を促した。私も靴を履き替えて校舎から出る。家に帰る頃にはとっくに夕飯も出来上がっていることだろう。私は気を紛らわせるために、明るい声を出した。話題は九月にあった運動会についてだ。

「天化、運動会の活躍すごかったね」
「ん? ああ、まぁ、あれくらい頑張らねぇとコーチがうるさいんさ」
「一年の女の子が、天化かっこいいって言ってたよ。告白とかされたり?」
「あーたね……そんなこと聞いてどうするんさ」

 天化が呆れたように私を横目で見る。否定しないってことは、されていると見て間違いない。天化は正直だ。

「もてる男は大変だねぇ」
「……あのなぁ……あーた以外に、言われても意味が……」
「え? なんて?」
「……なんでもねぇよ。からかってんじゃねぇって言ったんさ」

 天化は呆れたようにため息をつく。誰かと付き合っている様子がないから、告白はすべて断っているんだろう。まぁ、部活が忙しいだの言ってるのかな。
 ちらりと横目で天化を見ると、普段の明るい彼からは程遠い物憂げな表情をしていた。このときは、この話題は嫌だったのかな、とぼんやり思っていた。後々思い返してみると、このときの自分ほど殴りたくなるものはない。鈍感は、人を傷つけることがあるのだと。


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