3、六月その1


 封神高校の本校舎は、普段の授業を受ける教室がある棟と、音楽室などの特別教室が集まる棟でわかれている。生徒会の会議が予定よりも早く終わったため、私は妲己先輩につかまる前に生徒会室を飛び出した。そしてそのまま、特別教室棟の最上階である四階へ足を運んだ。
 私は生徒会とは別に、部活にも所属している。普段は生徒会の活動が忙しいので、特に行事予定もない月に顔を出している。生徒会の活動と言うより、妲己先輩にちょっかいをかけられて忙しいと言うべきか。さらにそのせいで聞仲先生に説教を受けるハメになり、余計に時間を取られる。望ちゃんがその場にいれば、なんとか助けてもらえるんだけど。

(はぁ……今日はなんとかつかまらずに済んだ……)

 ため息は心の中にとどまらず、私の口からこぼれた。四階の東の隅にある書道室の扉の前に立つ。中から、かすかに物音がするので、今日は活動しているようだ。

「失礼しまーす……」
「おや」
「あら」

 扉を開くと、部屋の隅の水場から、書道部の部長である申公豹先輩と、一年生の邑姜が顔を上げた。道具の片づけをしていたようだ。
 書道部は申公豹先輩と、副部長の私、一年の邑姜の三人だけだ。顧問はおらず、外部の先生を招いている。その先生とはいえば、私が来ても取り立てて反応はなく、教卓に突っ伏して寝ている。年がら年中寝てばかりいる先生は、これでも有名な書道の先生で、弟子は多いらしい。ちなみに、指導する時はかなり眠そうにしているが、きちんと起きている。なぜか部員が少なくても、活動が日によってあったりなかったりしても書道部はつぶれない。色々謎が多い部だ。

「こんにちは、部長、邑姜」
「二週間ぶりですね、。今日は会議では?」
「早く終わったんです」
先輩がいらっしゃるなら、もう少しやっていれば良かったですね」
「あ、いや、もう片付けちゃったんならいいよ。手本もらって、自分でやるから」
「老子、起きてください!先輩が来てくれましたよ!」
「………………」

 邑姜が先生である老子に声をかけるが、このぐらいのことでは中々起きない。うんともすんとも言わない老子に、申公豹先輩がため息をついた。手をタオルで拭いて、教卓のそばに置いてあった、一発覚醒くんと書かれてあるメガホンを口に当てた。

「起きなさいっ!」
「…………っ!」

 老子の体がびくっと震え、顔を上げた。今まで寝ていたのに、表情だけはずっと起きていましたというような体だ。寝ていたのがバレバレなのに、なんでそんな顔を作るんだろう。ちなみに、老子は見た目が若くて中性的な顔立ちをしている。聞仲先生より年上とはとても思えない。

「お、起きてるよ」
「嘘おっしゃい。老子、が来ましたよ。手本を」

 申公豹先輩がメガホンを置きながら、呆れたように言った。メガホンの隣には、一発覚醒くんハイパーと書かれたピコピコハンマーがある。メガホンで老子が起きなかった場合に使われる。

「こんにちは、老子」
「ああ、。久しぶりだね」
「生徒会は今日でひと段落つきますから、明日からまた来ますね」
「そう……はい、これ」
「ありがとうございます」

 手本をもらって、老子にお礼を言うと、老子はもう眠たそうにしている。どれだけ寝れば気が済むのだろう。

先輩、明日から来られるんだったら、何もここで手本をもらわなくても……明日も老子は来られますし」
「うーん……でも、文化祭は生徒会で忙しいから、今のうちから文化祭の準備しとかないといけないし」

 夏休み中には、作品を仕上げる勢いで準備をしないといけない。普通の生徒会員ならここまでしなくてもいいだろうけど、私は妲己先輩のおかげで、普通の生徒会員の二倍は生徒会活動に拘束されてしまう。九月に入ってしまうと、運動会やら文化祭やら予算委員会やらで、生徒会が忙しい。去年は、仕事のペースがわからずに、申公豹先輩に随分とお世話になってしまった。申公豹先輩が妲己先輩から私を解放してくれなかったら、作品が文化祭に間に合ってなかった。だから、今年はそうならないようにしないといけない。もう二度と、妲己先輩と申公豹先輩の、笑顔で繰り広げられるやり取りを見たくない。
 その後、私は片づけを手伝って書道部を後にした。四階から一階に降りて、教室棟に行こうとすると、後ろから声をかけられた。

「あっ、先輩!」

 聞き覚えのない声に振り向くと、剣道着を来た女の子がこちらへと駆け寄ってきた。剣道部の一年生だ。見覚えがない子だが、おそらく天化つながりで私のことを知っているんだろう。天化は大会で優勝したり、その外見が目立つことから校内で有名だ。そして、私と天化が幼馴染ということも。

「あの、て、天化先輩を見かけませんでした? 休憩が終わっても戻られなくて……」
「はぁ。見てないですけど」
「そ、そうですか……すみません、突然。あっ、あの」
「ああ、もし見かけたら、戻るように伝えます」
「す、すみません、お願いします」
「いいえ、それじゃあ……」

 女の子は会釈して、また走り去った。その後姿を見送りながら、校内放送で呼び出せば早いのに、と思った。道徳先生から言われて探しているだけで精一杯で、そこまで思考が回ってないんだろう。彼女にはああ言ったけど、私はこれから帰る気満々なので、おそらく天化を見かけるようなことはないんじゃないだろうか。と、漠然と思いながら歩いていると、特別教室棟の小さい中庭から、うっすらと煙が昇っているのが見えた。この中庭は三方を教室棟の渡り廊下と特別教室棟の壁面とで囲まれていて、唯一の通り道の南側は、入り口近くの壁面がせり出していて狭くなっており、南側に面しているグラウンド側からは中が見えにくくなっている。何気なく近づいて窓の下を覗き込んでみると、そこには先ほど探されていた人物が、袴のまましゃがんでタバコをふかしていた。彼の頭頂部しか見えなかったが、胴着を着ている人物が他に出歩いているとも考えにくい。
 私が窓を開けると、天化はこちらを振り返った。目が合って、そのまま私たちは黙った。

「…………」
「…………」

 天化は目をぱちくりさせていたが、やがてタバコを携帯灰皿の中に押し込んで、気まずそうな顔で私を見上げてきた。私はため息をついて、タバコの煙を追い払うように手をひらひらと振った。

「学校で吸うのはやめときなよ」
「いつもは気をつけてるさ。ていうか、つっこむところ、そこ?」
「別に、天化がタバコ吸ってるの、前から知ってるし」
「え? いつから?」
「いつからって、大分前から。においに気を遣ってるかもしれないけど、案外残ってるもんだよ」
「マジかよ」
「マジ」

 天化はまたため息をついて、頭をかいた。私ももう一度ため息をつくと、先ほど出会った剣道部の女の子のことを思い出した。

「そういえば、さっき剣道部の一年の女の子が探してたよ」
「ん? ああ、もう休憩終わりか」

 というと、天化は立ち上がった。袴の裾についたほこりを払って道場へ向かおうとする。

「天化」
「ん?」
「誰にも言わないよ。わかってるとは思うけど」
「ん、あ、そうさね。うん、頼むわ」

 天化は私に向かってひらひらと手を振った。タバコのことを、あまり口止めする気はないのだろうか。飛虎おじさんにばれたらただじゃすまないくせに。それとも、私が誰かに言うなんて、最初から考えてなかったのか。
 いつもと変わったところがない天化の後姿を見送って、私もその場を後にした。タバコのにおいは、もうしなかった。


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