妲己、マザーになる


 大宝貝大会はまだ続いていた。
 が、燃燈道人が気合で残りの試合相手を一気に打ち破り、妲己の元まで気合を飛ばしてきた。はあわてて傾世元禳の影に隠れた。彼の気合による攻撃は宝貝依存ではないので、の宝貝で防げないのだ。
 ついにバリアを破った燃燈が、こちらへ飛び掛ってくる。妲己は傾世元禳を手放し、捕虜ルックに着替えて投降した。なぜか、まで巻き込まれて捕虜ルックになっている。

「いや、なんで私まで……?」
「いやん、ちゃん。これもサービスのうちよん」

 一体誰に対してのサービスなんだ。天化が見ていれば喜んだかもしれないが、彼はもういない。自分がこんな格好をして喜ぶ人物が、ほかにいるとも思えなかった。
 楊ゼンらとともに妲己に導かれ、ジョカの元へと歩く。楊ゼンが、の格好を見て、複雑そうな表情をした。

ちゃん……師叔が見たら泣くよ」
(嬉し泣き的な意味で……)
「うう……好きでこんな格好になったわけじゃないし……」

 は、パンツが見えそうなスカートの裾を引っ張る。この歳になってパンチラなどしたくない。
 ジョカの魂魄体から歴史の修正の事実を聞かされ、仲間たちとジョカの戦いが始まった。しかし、すぐにジョカの宝貝・山河社稷図によって、全員異空間へと閉じ込められてしまった。

ちゃん、わらわたちはこっちよん」

 は妲己に抱えられ、ジョカの本体がある部屋へと連れてこられた。ここから、モニターを通して皆の様子が伺える。奥には、永久氷壁に封じられたジョカの本体がある。
 妲己はジョカ本体の前に行くと、髪を解き、狐の耳と尻尾を出した。これから借体形成で、ジョカの本体を乗っ取るのだ。

ちゃん、もうだいぶ宝貝を思い通りに使うことができるみたいねん。やっぱり、わらわの見込んだとおりだわん」
「妲己……」

 は思わず不安になった。これから妲己は地球と融合し、と共にジョカの破壊から地球を守るのだ。しかし、には自信がなかった。最終決戦の余波は、文字通りこの大陸全土に及ぶ。広範囲にわたる宝貝の使用は、あまり長く持たないのである。ジョカとの戦いが終わるまで耐えられるだろうか。

「ねぇ、ちゃん。もし今、元の世界に戻れるとしたら、貴方は戻るかしらん?」

 妲己が突然、こんな質問をしてきた。はその質問の意図がわからず、答えずに妲己を見つめる。妲己は、相変わらず妖艶に微笑んでいるだけだ。
 彼女はいつもこうだ。はっきりした答えを示すのではなく、自分自身で答えにたどり着くように導くだけ。
 太公望もも、そんなふうにして妲己にここまで導かれてきたのだ。

「長生きの秘訣はね、自分にわがままになることよん。そして、そのわがままをいつでも叶えられるように、力をつけること」
「自分に、わがまま……」
「貴方は、もうその力があるわよん。どの道を選ぶことになっても、自信を持ってねん」

 妲己はそう言うと、ジョカの本体へ向き直った。すると、背後に王天君が現れた。妲己は偶然のふりをして、ジョカの本体を地上に転送すると、王天君はあきれ返って太公望の元へと帰った。
 妲己はの手をつかむと、ジョカの本体の元へと飛んだ。本体を前にして、借体形成を開始する。はそれを目をそらさずずっと見守っていた。
 借体形成が終わった後、は妲己の元の体を湖に流した。まだ温もりが残っている体は、今しばらく浮かんでいることだろう。はきびすを返し、ジョカの本体の元まで戻る。ここにいれば、伏羲となった太公望が見つけてくれる。
 妲己の術が解けたのか、は捕虜ルックから、元の男装に戻っていた。どういう仕組みの術なのかまったく謎である。
 遠くのほうで伏羲と武吉の声がした。変身した四不象に乗った彼らは、ジョカの本体の近くにいるを見つけ、驚きに目を瞠った。

っ!?」
さん! 無事だったんですねー!」

 ふたりがこちらへやってくる。その背後から、申公豹があわてた様子で伏羲を呼ぶ。直後、伏羲の背中から小さなトカゲが飛び降りた。ジョカの魂魄体である。

「どけ、小娘!」

 と言ってトカゲが本体へ飛び掛る。そのとき、ジョカ本体の目がカッと開かれ、永久氷壁が内部から破壊された。トカゲのジョカは、焼き焦げてしまった。
 ジョカの本体が歩き出そうとして、ふらついて前に倒れこんだ。慣れない体を、思うように動かせないのだろう。

ちゃん、借体形成は成功よん」
「妲己……」
「妲己! どういうつもりだ!?」

 伏羲が声高に問うが、妲己はそれにはすぐに返答しなかった。再びの手を取り、飛び上がる。

「ついてらっしゃい、太公望ちゃん」

 妲己はと伏羲を連れ、地球へと戻る。そして、妲己の本当の目的を明かした後に、地球との融合を始めた。

「待て、妲己……! まだ消えては……」
「貴方には、ちゃんがついてるわん。ちゃん、太公望ちゃんと仲良くねん」

 そう言い残すと、妲己は完全に姿を消した。の腹部から、自分のものではない鼓動がかすかに伝わってきた。には、宝貝を通して妲己の存在を感じることができるのだ。

「……、おぬしは、すべて知っておったのだな」
「……うん。私が元々この世界に呼ばれたのは、妲己がジョカの体の乗っ取りに失敗した時の保険だったの。私なら、宝貝を通して自然を操れるし。理の外にいるから、永遠に生きることもできるし」
「そうか、そうだったのだな……それで、先のことを知っていてもなにも言わずに黙っておったのか。ジョカに悟られぬために」
「うん」
「妲己め、見事にわしやジョカの裏をかきおったわ」

 伏羲との会話の最中に、異様な静電気があたりを包んだ。肉体を手に入れたジョカが、攻撃を仕掛けてきたのだ。

、おぬしは地球、出来るだけ人間の村を守るのだ! わしは崑崙を守る!」
「わかった!」
「頼んだぞ!」

 伏羲が飛び上がった直後に、巨大な爆発が起こる。は宝貝を発動させると、地球に意識を重ねた。

(妲己、聞こえる? 出来るだけ、人間の村を守りたいんだ。場所を教えて……)

 すると、妲己からの返答がきた。直接頭の中に、人里の場所が流れ込んでくる。は、この大陸全土を覆うバリアを張った。ジョカとの戦いで壊れないように、出来るだけ強力なものを。
 バリアを張った途端に、の体から汗が吹き出した。体の状態に集中を左右されないよう、集中しやすい体勢を取る。顔の前で手を組んで、両手に力を入れた。
 太極図で皆の力を吸い取った伏羲が、ジョカと戦っている。しかし、その戦いは徐々に不利になっていく。
 ジョカの攻撃で伏羲の体が消滅しようとした時、の上方の空が陰る。なにやらズンドコという太鼓の音と、よくわからない経を読み上げるような声が聞こえてきた。
 思わず目を開けてみると、それは封神台だった。元始天尊が最終決戦のために封神台を解放したのだ。
 伏羲は普賢真人の魂魄体に守られ、一命を取り留めた。過去に封神された敵、仲間の力が、伏羲へと流れ込む。より強力な力を手に入れた伏羲が、ジョカを圧倒する。

(良かった、望ちゃん……でも、私ももう、限界かも……)

 伏羲とジョカ。宇宙人どうしの戦いは、の目には捉えられないほどに速い。なにがどうなっているかよくわからないが、戦いの余波は相変わらずすさまじい。バリアを張ってからそう時間は経っていないのに、範囲が広すぎるせいで息が切れていた。膝ががくがくと笑い始めた。もう、立っている力もなくなってしまった。

!」

 膝が崩れ、地面に激突すると思われたその時、は誰かに体を抱きとめられた。なんとか目を開けると、そこには、恋い焦がれた愛しい男の姿があった。

「……天化?」
……! 会いたかったさ」

 天化はにっこりと笑うと、を強く抱きしめた。
 は、思わず涙が出そうになる。もう一度天化に会えた喜びもある。しかし、喜びと嬉しさだけではない。半透明の彼の姿は、温もりが伝わってこない。確かにに触れているのに。声だって、直接頭に響くテレパシーのようなもの。神界以外の場所では、天化はどうあっても触れられない存在なのだ。
 その事実を改めて肌で実感し、悲しみがを襲ったのだ。
 だが、今は泣いている場合ではない。ぐっと奥歯を噛みしめて涙をこらえると、天化の顔を見上げた。

「天化、どうしてここに? 望ちゃんのところに行ったんじゃないの?」
が頑張ってる姿見たら、ほっとけるわけねえさ。それに……会いたくて、仕方なかったから」
「……うん、私も、会いたかった。ずっとずっと……天化に会いたかったよ」

 もう一度しっかりと抱き合うと、天化は腕の力を緩めた。触れているところを通して、彼の力がに流れ込んでくる。膝にも力が入るようになり、は自分の足で立った。

「俺っちの力、にあげる。だから、もう少し頑張れ!」
「うん……頑張る! 絶対、守るよ!」

 再び、宝貝に集中する。今度は、先ほどよりも強固なバリアを展開する。
 もうすぐ、ジョカの体に限界が来る。その際に莫大なエネルギーが放出されるはずだ。そのエネルギーからみんなを守るための防壁だ。
 光が大陸を覆わんとする。はその力を跳ね返すだけで精一杯だ。天化に支えられて、立っているのもやっとの状態である。だが、ここで気を抜くわけにはいかない。

(もう少し、もう少し……最後に、望ちゃんを助けないと……最後に、頑張らないと!)

 奥歯をかみ締め、自分を奮い立たせる。天化が、一層強く抱きしめてくる。心も体も彼に支えられて、は力を振り絞った。
 生体エネルギーは、どうやら力のピークを過ぎたようで、後は収束していくだけだった。あともう少しだ。
 その時、脳内に直接妲己の声が響いた。

ちゃん、ちゃん)
(……妲己?)
(太公望ちゃんを、助けるわよん。ちゃんも来てねん)

 その声が響いたと同時に、の姿が消えた。天化があわてて周囲を見渡すが、どこにもいない。

!? どこ行ったさ!?」

 が目を開けると、ジョカが消えていくところであった。伏羲の体も、胴体がなく、頭部も半分が崩れている。伏羲は、それに抗わずに消えようとしていた。は、迷わず彼の元へ駆け寄った。

(本当にそれでいいのん? 太公望ちゃん……)
「望ちゃん!」

 が伏羲の体を抱きとめ、さらにふたりを妲己が包み込んだ。
 は最後の力を振り絞って、妲己と意識を合わせた。

***

 最終決戦から一ヶ月後。
 新しく蓬莱島を仙人界とし、楊ゼンが教主となった。問題はまだまだ山積みだが、楊ゼンは焦らず、どっしりと構えている。不老不死の彼らからすれば、時間など関係ないので気長にやっていくのだろう。
 神界のシステムも、滞りなく稼動している。元始天尊がボケない限り、よろしくやっていくだろう。
 伏羲とは、ジョカの最後の光に巻き込まれて死んだ――ということになっている。元始天尊の千里眼をもってしても、ふたりの姿を把握できないでいるためだ。どこにもいないのであれば、消滅したと考えるのが妥当だ。ふたりを惜しみつつ、誰もが消滅したと思っていた。
 実際のところは、伏羲の最初の人の力を使って姿をくらましているだけだった。それを、禁城を訪れた四不象と武吉が知ることとなり、仙人界、神界ともに大騒ぎとなった。しかし、生きているとわかっただけで、彼らを捕まえることは誰にもできなかった。
 武吉と四不象は神界へ行き、このことを天化に伝えた。あの戦いの最中で消えたのことを、彼は半狂乱で探していたのだ。
 天化はやはり、髪を振り乱して怒った。をさらった犯人が始祖となれば、居場所を補足することはほぼ不可能である。

「あんのアホスース〜〜今度会ったら覚えてろよ!!」
「天化さん……」
「一回別れたとはいえ、まだをあきらめたわけじゃねぇからな! 居場所がわかったらを神界に連れてきて、絶対結婚してやるさ!」

 こぶしを握って宣言する天化を、四不象と武吉が見守る。やがて、二人顔を見合わせると、そっと神界を後にした。


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