申公豹、妹弟子を突き落とす


 蓬莱島を目指していたたちは、一週間かけて「蓬莱島」と書かれたハート型バリアの周辺までたどり着いた。ちょうど、崑崙山ツーが通天砲を発射しているところであった。通天砲は、バリアを打ち破るにはいたらずに弾かれてしまった。
 申公豹は崑崙山ツーに黒点虎を寄せると、楽しげに笑った。

「パワーが足りないのですよ」
「申公豹! と、!?」
「太上老君も連れてきました」
(望ちゃん……)

 驚く太公望を、は黙って申公豹の背後から見やる。太公望と目が合うと、彼は狼狽してから目を反らした。以降もと目が合わないように、せわしなく視線を泳がせている。

(これってやっぱり、避けられてるってことだよね……ほんと、なにが原因なんだろう)

 その徹底した目線の反らしように、は胸が痛んだ。別れてから一ヶ月余り経つが、態度が変わっていない。それだけ、ふたりの間に横たわる問題が大きいのだ。その問題に心当たりをつけられないことも悔しいし、面と向かって教えてもらえないことが悲しかった。
 申公豹が雷光鞭をふるい、バリアをいとも簡単に蹴散らした。大陸を覆ってしまいそうな雷光を放ってなお、申公豹は余裕の表情である。
 申公豹のすぐ後ろにいたには被害がないとはいえ、ものすごい光と音だ。目をつぶって耳をふさいでも、残像と残響でおかしくなりそうだ。
 太公望の非難を無視して、申公豹は黒点虎を促した。

「さぁ、行きましょう黒点虎。、これからワープゾーンに入ります。しっかりと私につかまっていなさい」
「はっ、はい!」
「むっ!」

 が言われたとおりに申公豹にしがみつくと、太公望が大声を上げた。顔を真っ赤にし、腕を振り上げて怒っている。

っ! そやつにくっつくでないっ! 離れるのだ!」
「望ちゃん……?」
「ふふ、太公望、男の嫉妬は見苦しいですよ」

 申公豹に対抗して、太公望が崑崙山ツーを動かせた。そんな太公望を見て、申公豹が可笑しそうに笑った。予想通りの太公望の反応が見られてご機嫌らしい。



 ワープゾーンを抜けると、手付かずの大自然が広がっていた。小さな天体だが、地球と変わらない環境だ。
 申公豹は島の探索に出た。遠くのほうで、妲己の拡大映像が出ている。ちょうどあのあたりに、太公望らを乗せた崑崙山ツーがある。
 やがて、太公望らがもぐっていったところとは別の場所で、地下へと続く穴を発見した。そこからだいぶ深くまで下降すると、妲己が開催している大宝貝大会が見えた。妲己らと太公望たちが争っている。今は、ナタクが王貴人を撃破したところだ。
 申公豹は黒点虎を会場の上空で止め、大会の様子を見守っていた。ここまで来る間の試合は、すべて黒点虎の千里眼で見ている。

「申公豹、会場には行かないんですか?」
「私があのような下品な場所に? 冗談じゃありませんね」

 の問いに、申公豹が即座に答える。やはり、あの場所は気に入らないらしい。太公望の近くに行けないのかと、残念に思っていると、今まで寝ていた老子が怠惰スーツ越しに話しかけてきた。

「……、あそこに行きたいの?」
「老子……」

 すごく行きたい。次の試合で、太公望は封神されてしまう。こんな微妙な関係のまま別れたくはなかった。無論、本当の意味でお別れではない。魂魄だけになった太公望は、王天君と融合して伏羲として生き続ける。だが、伏羲イコール太公望というわけではない。わだかまりを抱えた状態は嫌だった。
 ただ、太公望がを避けていた理由がわからないことが二の足を踏ませていた。が彼の元へ行くことで、彼の集中を乱してしまわないか不安なのだ。
 の迷いを察してか、申公豹が薄く笑った。

「まったく、あなたは本当に鈍いですね。太公望があなたを嫌うはずがないのですから、四の五の言わずに行きなさい」
「え?」
「彼のあの態度は、好きの裏返しということですよ」

 と言うと、申公豹はいきなりを突き飛ばした。黒点虎から落とされたは、真っ逆さまに会場へと落ちていく。

「ぎゃーー! 死ぬ、死ぬーー!」
「宝貝を使えばなんとかなるよ」

 老子の静かな声が、落下中にもかかわらずやけにはっきりと聞こえた。
 は急いで宝貝を発動させると、空気抵抗を上げて浮力を発生させる。やがて、落下速度が緩やかになり、墜落死の危険はなくなった。そのまま、太公望らが控える場所まで降りていく。

「望ちゃん!」
「――!?」
ちゃん!?」

 仲間たちは、が落ちてくるのを見て唖然とした。太公望がいち早く意識を取り戻すと、の落下地点まで駆け寄り、を抱きとめた。

「ぜぇ、ぜぇ……まったく、おぬしはなんという無茶をするのだ! 心臓が止まるかと思ったではないか!」
「ご、ごめん……でも、どうしても望ちゃんに会いたかったから」

 申公豹に突き飛ばされたとは言わなかった。話がややこしくなるだけだからだ。
 の言葉に、太公望は頬を赤くした。を地面に下ろすと、数瞬視線を泳がせてから、おそるおそるを抱きしめた。体にそっと回された腕が、かすかに震えている。

「わしも、会いたかった……すまなかった、
「ううん、いいの。もういいの、望ちゃん……」

 が太公望の背に腕を回すと、太公望は硬直してしまった。からでは見えないが、彼は耳まで真っ赤にしていた。その様子を、仲間たちが生暖かく見守っている。
 太公望は、心臓の音を悟られないうちにを離した。の顔色はまったく変わっていないのが悲しいところである。

「望ちゃん、気をつけて。胡喜媚は……」

 が太公望に、胡喜媚が雉鶏精だといことを告げようとしたそのとき、の体は傾世元禳に絡めとられた。気がつくと、妲己の足元まで引っ張りこまれていた。

「妲己! おぬし、をどうするつもりだ!」
「あはん、ちゃん、試合中に不正行為はだめよぉ〜ん」
「妲己……」

 どんな地獄耳をしているのだ。妲己はの様子を耳聡くかぎつけ、太公望にヒントを与えることを封じたのだ。
 それから、はやむを得ず妲己の膝元で試合を見守ることとなった。
 の知っている通り、雉鶏精の羽で太公望は生まれる前の姿となり、封神されてしまった。魂魄の光を目で追う。上空、見えなくなるぎりぎりのところで、太公望の魂魄を王天君が捕まえたようだ。妲己がそれに気付いた気配はない。本当に気づいてないのか、わざと感知してないふりをしているのか。

(望ちゃん……)

 もう会えないわけではないが、なぜか異常に淋しさを感じ、涙がにじんだ。次に会う時は、違う彼になっている。

***

 太公望は、封神間際に王天君に助けられた。王天君の空間で、自分の正体を聞かされる。ずっと感じていた王天君との縁に、表向き反発しているが、心のどこかで納得していた。
 そして、選択を迫られる。肉体を失った今、封神台へ行くか。それとも王天君と融合して生きるか。太公望は迷っていた。

「今までの自分を、捨てる……」

 人間だった頃のこと、仙人界でのこと、仲間を得、失ったこと。そして、と出会ったこと。いつのまにか、彼女を愛していたこと。

……)

 このまま融合を嫌がっていては、と永遠に離れることになる。それだけは嫌だった。しかし、融合後の姿がどんなものになるかわからない。その姿がに拒否される可能性を考えると、太公望は躊躇せざるを得なかった。

「……あんた、本当にあのお嬢ちゃんを愛してるんだな」
「なっ……!?」

 王天君の静かな一言に、太公望が目をむいた。まさか、王天君がそんなことを言うとはとは思ってなかった。

「そんなに嫌われたくないならやめるか?」
「馬鹿を言うな! がこの世界でひとりぼっちになってしまうではないか!」
「じゃあ、大人しくオレと融合しろ。融合した後に、あのお嬢ちゃんを手篭めにでもすりゃいいだろ」
「て……! そ、そんなことできるか!」
が好きで好きでしょうがなくて、もう離れたくないんだろ? オレにはわかるんだよ、あきらめな」
「う……」

 が宝貝大会の会場へ降って来た時、危なっかしくて心臓が止まるかと思った。だが、姿を見た瞬間に心を占めたのは、喜びと嬉しさだった。会いたかったと言ってくれた。への恋情を断ち切ろうとしたが、そんなことを言われたからには、もう出来ない。逆に、一層への思いが深まってしまった。ずっとの隣に、そばにいたい。もはや、彼女を手放すことなど出来ない。元の世界になんて帰したくなかった。

「わかった。融合しよう、王天君」

 太公望が覚悟を決めると、王天君が笑った。立ち上がり、王天君と手のひらを合わせる。

……わしが変わってしまっても、わしを受け入れてくれるだろうか……)


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