永遠の放浪


 ジョカとの戦いから一ヶ月後。
 は桃を探して、近くの森に入っていた。宝貝を使えばすぐに桃の木の場所がわかるのだが、そんなことで宝貝は使わない。宝貝の扱いにも多少慣れたとはいえ、使うと疲れるのは変わらないからだ。なので、基本的に自力で探している。
 運よくすぐに桃の木が見つかった。実を採るために木に登る。
 野外活動もすっかり慣れたものだ。太公望と一緒に旅をしていた頃から積み重ねてきたので、今では野外で生活することも日常になってきた。とはいっても、屋内のほうがそれは便利だし、布団で眠りたいと思うこともあるが。
 最後の戦いで、伏羲を守りきったは、伏羲と一緒にあちこちを放浪している。朝歌を訪れたり、西岐城にも顔を出したりと、適当にぶらぶらしている。武吉と四不象にはなにも言わずじまいで悪いとは思っているが、伏羲が楽しそうなので、呆れつつも彼のやりたいようにさせている。
 採った桃を袋に入れ、河のほうへと戻る。
 そこには、伏羲と、黒点虎に乗った申公豹がいた。ふたりの話が終わるまで、は席を外していたのだ。もし、まだ話が終わってないようだったら、もう少しどこかで時間をつぶさなければいけない。なにをして暇をつぶそうかと思っていると、伏羲がを振り返った。

「おお、。ご苦労だったのう」
「うん。話はもういいの?」
「いいのだ。こやつときたら、人に喧嘩を売ることしか考えとらんようだからのう」
「失礼な。私は自分の楽しみのために生きているだけです」

 申公豹が心外そうな声を上げた。は伏羲の隣に並び、申公豹を見上げる。彼は、相変わらずの飄々とした笑みを浮かべた。

「では、お元気で。太公望と仲良くするのですよ」
「はい、申公豹も、黒点虎も元気で」
「バイバイ、ちゃん」
「……わしに、挨拶はないんかい」

 伏羲のつぶやきは無視され、申公豹は飛び去ってしまった。兄弟子の姿を見送って、は河へと視線を戻した。
 船を出して漁をしている民の姿が見える。この辺りもジョカのエネルギーが覆っていたが、さしたる被害は見当たらない。なんとか守ることができたようだ。
 無事だった人里の様子を見ると、達成感と喜びで満たされる。自分は、この世界に来た役目をきちんと果たすことができたのだ。

(妲己も、ジョカももういない。この世界でのするべきことも果たした……)

 がそんなことを考えていると、伏羲が静かに口を開いた。

。今なら、わしが元の世界に帰してやれる。おぬしは、それを望むか?」

 が伏羲の顔を見上げると、彼はいつものように微笑んでいた。は、自分だけ余裕ぶってるその顔を見て、なんとなくむかついた。素直に答えるのが癪だったので、からかってやることにした。

「……そっか。じゃあ、お言葉に甘えて帰ろうかな」

 と言うと、伏羲の顔から笑みが消えた。伏羲に背を向けて知らんぷりだ。

「いい加減家族にも会いたいし、元の世界の生活も恋しくなってきたしなあ」
「まっ、待て、……おぬし、本気で言っておるのか?」
「この世界でやることも終わったしね? もう、帰ってもいいよね」
っ!」

 伏羲の大いに動揺した声を聞いて、は振り返った。その焦ったような顔を見て、にっこりと笑いかける。素直にならないほうが悪いのだ。

「嘘だよ、冗談。今更帰ったりしないよ」
「……ほ、本当か?」
「うん。私はずっと、望ちゃんのそばにいる」

 は再び伏羲のそばに寄った。伏羲が、心底安堵したような表情を浮かべている。それを見て、も安心する。
 は、蓬莱島へと向かう際に、すでに心を決めていた。元の世界に帰らず、太公望の――伏羲のそばにいようと。
 もし、元の世界に戻ったとしても、はこの世界のことを忘れられるはずがない。愛おしく思った人たちがいる世界を離れられるはずがない。彼を置いて元の世界に帰ることに、価値を見出せなかったのだ。

「それとも、望ちゃんはやっぱりひとりがいい?」
「…………いや」

 伏羲は少しの間を置いた後、の体を抱き寄せた。の肩に顔を埋めると、息を吸い込んだ。

「わしは、おぬしが愛おしいよ。元の世界には帰せぬ。もう、どこにもやらぬ」
「望ちゃん……」
「だから、……わしの、そばにおれ」

 今まで、何度となく言われた言葉だった。はその言葉を受け止めると、伏羲を抱きしめ返して何度も頷いた。
 その言葉だ。その言葉が、をこの世界に繋ぎ止めたのだ。その時々で含まれていた意味は違うかもしれないけれど、それを太公望が、伏羲が言ってくれたというだけでは満たされていた。
 伏羲は体を少し離すと、の顔を覗き込んだ。

「おぬしは歳を取らぬ。わしも、ジョカが消えた今、死ぬことなどほとんどない。永遠にも似た時間を生きることになるぞ。それでも、わしについてくるか?」
「うん、もう決めたの」
「……ダアホめ。途中で嫌になっても、もう離さぬぞ」

 伏羲が呆れたような声を出した。けれど、声とは裏腹にその顔は笑っている。
 死ぬことなく永い時間を生きるということがどういうことか、にはまだよくわからない。老子を見ていて、永く生きるためには精神を強く持たねばならないということはなんとなく理解しているが、それは常人のが頭で理解できるようなことではない。
 先のことはわからない。けれど、は伏羲と一緒にいたい。だからここに残った。ただそれだけだ。

「太上老君に、あわせる顔がないのう……」
「老子?」
「老子は、を普通の人間のままでいさせたかったのだ。おぬしが永い時の中で……生きることのないように」

 は言葉を失って、伏羲の顔を見つめた。伏羲はふう、と息を吐くと、もう一度を胸に抱いた。老子の怒りを買うことは、すでにあきらめたようだ。

「わしは、おぬしがどのような姿になっても愛しているよ、。おぬしを、ずっと守るよ」

 大地は果てで地平線を描き、空には抜けるような青が広がっている。
 空を見上げても、仙人が飛んでいるようなことは、もうない。今まで彼と歩んできた道が、この空に表れているような気がして、は感慨深く空を仰いだ。
 遮るものがない青を瞳に焼きつけていると、伏羲がの頬を両手で包み込んだ。ふたりの視線が交差すると、伏羲は、静かにくちびるをのそれに落とした。
 最初の人と、永遠の存在になった異世界の娘。
 悠久のときであっても、ともに、二人で。


***


「……え、え?」
「なんだ、どうした?」
「えーー!? ぼ、望ちゃん、今、今のって、き、きすっ……」
「キスしたが、どうかしたか?」
「えっ!? なん、なんで!?」
「なんでって、さっきわしはおぬしに告白したであろうが! わしはおぬしを、女として愛しておるのだっ! 気付いとらんかったのか!?」
「えっ、うそ、そうだったの……!? え、いつからそんなことに……?」
「なんと、ここまでにぶちんであったか……わしは、おぬしのことを娘やら孫やら言っておったが、もうずっと前から女として見ておったぞ。気付いてないのはおぬしくらいだ」
「う、ええ……!?」
「うーむ、こんなことなら、いい人ぶらずに少しぐらい手を出しておくべきだったかのう……」
「そ、そんなこと言われても……望ちゃんのこと、そんなふうに意識したことなんて、なかったし……今そんなことされても、こ、困るっていうか……」
「ほう? それは昔のことであろう。顔をこんなに真っ赤にさせて、今はわしのことを意識しておるのではないか?」
「う……そ、それは、その」
「言っておくが、わしはもう、天化に遠慮などせぬぞ。おぬしをわしのものにすると決めた。もちろん、そういう意味でだぞ」
「え、いやあの、ちょっと待って、望ちゃ」
「ニョホホホホ、これからふたりきりの時間はた〜〜っぷりとあるからのう、覚悟せい!」
「……!! や、やだあこのエロじじい! 変態!」
「変態とはなんだ! こら、逃げるでない! 大人しくわしのものになるのだー!」
「ぎゃああぁぁ……」


おしまい


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ここまで読んでくださって誠にありがとうございました!



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