太上老君と夢の中3
は再びジョカの夢の中で、老子と会っっていた。
今回は
の意思でここへやってきた。その理由はひとつ。宝貝をもっと自在に操れるようになりたいのだ。
「こんにちは、老子」
「こんにちは。久しぶりだね、
。あれから、宝貝の調子はどう?」
老子は、相変わらず眠たそうに目を細めてふよふよと浮いていた。
「そのことで、老子にお願いがあってここに来ました」
「……うん?」
「あれから、宝貝はまったく使えません。ブランクが過ぎて、宝貝の存在を感じられるようになってからも、どうやっても使えません。だから、これを自由に扱えるように特訓してください!」
老子は特に表情を変えなかった。ただじっと
の顔を見つめている。
これから封神演義は大詰めを迎える。趙公明戦で王天君に助けてもらったような、ピンチを誰かに助けてもらうということはもう起こらない。自分の身を守るためには、宝貝を使いこなせるようになることが必要なのだ。妲己の言ったことも、もっともな話だったのだ。
「……そう。じゃあ、イメージトレーニングが必要だね。初心者特訓用のステージへ行こう」
「はっ、はい!」
が返事をすると、早速周囲の景色が変わった。山は噴火し、地震で地面は割れ、雷鳴轟き、恐竜が襲ってくる。
は、突然変わった景色に戸惑うばかりである。とりあえず、こちらに一目散に向かってきた恐竜から逃げる。
「えっ、ちょっと、いきなりすぎますからー!? 老子、どうすればいいんですか!?」
「宝貝を使うんだよ」
「その宝貝の使い方がわかりません!」
「もう一度、宝貝を使ったときのことを思い出してごらん」
老子の静かな声に、
ははっ、と目を見開いた。
そうだ。一度は確かに使ったのだから、あの時のことをよく思い出すのだ。
あの時は確か、意識と呼吸を大地と合わせた。合わせるうちに、思考が、自分の内面までもが研ぎ澄まされ、大地と一緒になったような感覚になった。まさか、それが宝貝を使うのに必要なステップなのだろうか。
だが、今は恐竜に追いかけられている。呼吸を合わせようにも意識を集中させようにも、恐怖でどうしても足が動いてしまう。
(だってこの恐竜にひと噛みでもされたら絶対死ぬ……! いやいや、冷静になって考えよう……これはイメージトレーニングなんだ! たぶん恐竜に噛み付かれても、たぶん死にはしない! ……たぶんだけど!)
無理やり自分を落ち着かせると、
は恐竜と向き合う形になって足を止めた。恐竜の足音が、ずんずんと迫ってくる。恐怖に負けそうになりながら、
は自分の呼吸を整えた。
と、その時、恐竜ががぶっと
をくわえた。痛い、本当に痛い。イメージトレーニングのはずじゃなかったのか。本当にめちゃくちゃ痛い。
(今は痛みよりも、意識を集中させるんだ……静かに、静かに)
痛みをこらえて、呼吸を、意識を静かに集中させる。自然のそれは、荒れていた。その荒れ狂う波が静かになるまで、呼吸を深く長く取りつつ待った。
少しずつ、
の体から痛みが引いていった。
無になるということは、自然の中に自分を溶け込ませること。頭の中のイメージで、
は自分の姿を少しずつ自然に溶け込ませていった。
静かに、と念じていた頭は、やがてなにも考えなくなる。音が聞こえなくなり、恐竜にくわえられている痛みもなくなった。
何時間か、何日たったか不明だが、やがて、自然は静かになる。噴火を止め、地震をおさめ、空は晴れ渡り、恐竜は
をそっと地面に横たえた。
「静かになった……
、上手くできたようだね」
老子が、
のそばに立っていた。
が集中を解いて目を開けると、そこには先ほどまでの荒れようが嘘のように穏やかな自然があった。
***
その後
は、暴風をそよ風にしたり、地表の割れを直したり、土砂崩れを水と土に分けて元の環境にしたりと、なんとか宝貝を操れるようになった。宝貝の使用には多大な疲労が伴う。最初は何日も眠り込んだが、慣れる頃には数時間でおさまっていた。
しかし、無限に使えるというわけではなく、何度も連続して使うのは難しい。使う範囲や程度、時間にもよるが、一日のうちに続けて使えるのは三度までだろう。限られた回数のうち、ここぞと思う時に使わないといけない。その力加減を習得しようと、
は日夜イメージトレーニングに励んた。
ある日、イメトレに打ち込んでいた
の前に、老子が現れた。老子は、
が宝貝を扱えるようになってから姿を消していたのだ。
「
、もうすぐお客さんが来るよ」
「お客さん? 老子の?」
「君も知っている人だよ」
と老子が言うと、景色が変わった。
が最初に来た初心者用のステージだ。そこへ、太公望が現れた。彼の手には太極図がチューニングされた打神鞭があった。
「
!? なぜおぬしがここにおるのだ!?」
「望ちゃん……私、時々老子に教わってたの。この世界のこととか、宝貝のこととか」
「何!?」
「妲己にこの世界に呼ばれた直後に、老子と出会ったんだ。何ヶ月も眠ったままの時は、夢の中で老子と会ってたんだよ」
太公望は、驚きで言葉を失くした。無理もない。彼があんなに苦労して探していた太上老君と、
はたびたび夢の中で会っていたのだ。
老子と会っていたことが、どういうことを意味するのか。老子が普通の人間に干渉することはない。
さらに言うと、本当に普通の人間ならば、妲己は宝貝を与えたりしない。
ならばなぜ、ふたりは
に関わってくるのか。それを考えない太公望ではない。
今しかない。ずっと黙っていたことを打ち明けられるタイミングは、今しかない。
太公望なら、太公望にならば。ずっと抱えていたものを、打ち明けたい。
たとえどんなに責められても、今言わなければ、もう二度と言えない気がする。
「私、この世界のこと――望ちゃんたちのこと、はじめから知ってたんだ。これから起こることも、大体のことは知ってる。だから、どうすればいいのか、老子に相談してたの。……今まで黙っていて、ごめんなさい」
「――!」
太公望はやはり驚いていた。しかし、驚きつつもまったく意外でもなさそうな表情である。
がこの世界に起こることを知っていたとなると、太公望が当初
に抱いていた疑問が解決するからだ。
は、はじめから太公望や四不象がどういう人物かを知っていて、だから太公望に対して無防備だったのだ。
「……では、殷郊や殷洪の死も、趙公明との戦いも、仙界大戦も……すべて、知っていたということか?」
太公望の震える声に、
は小さく頷いた。太公望は、こみ上げる感情を抑えられないといった様子で、
に向かって声を張り上げた。
「では、なぜなにもしなかったのだ! どれだけの仲間が死んだと思っている!? おぬしが知っていることを話しておれば、あるいはなにか対策を取っておれば、戦いが未然に防げたかもしれぬのだぞ!」
太公望の責めに、
は反論できずに俯いた。彼の言う通りだ。太公望からすれば、
は先のことを知っているにも関わらず、それをただ傍観していただけなのだ。戦いで多くのものを失っている彼は、そんな人間を許せるはずがない。
許されるとは最初から思ってない。責められることは承知の上で明かした。
けれど、やはり――つらい。太公望に憤った表情を向けられることが。その憤りよりも、はるかに深い悲しみを与えてしまったことが――
なじられるがままになっている
に、太公望はますますやりきれず、くちびるを噛みしめた。
「
!」
「彼女を責めるのは、少し違っている。太公望」
それまで黙っていた老子が、静かに口を挟んだ。太公望は老子を睨むが、彼はまったく意に介しておらず、表情を変えずに続けた。
「
は異世界人だ。この世界の理の外にいる。この世界に干渉できない」
「なに……?」
「彼女が歳を取らないこと、あなたもわかっているでしょう。彼女はなにをしても、この世界のことは変えられない。たとえ、それがどんなに歯がゆくても」
老子の言葉に、太公望ははっとして
を振り返った。俯いていて表情はわからない。しかし、太公望は
が傷つくことを言ってしまった。
は、殷郊・殷洪兄弟が封神された夜、太公望の元で泣いた。悲しい、悔しいと言った。それは、なにも出来なかった自分に対しての言葉だと、太公望は今になって理解した。なにもできない自分を誰よりも責めているのは、
だったのだ。
「
……」
「……望ちゃんの言ったことは正しいよ。私はなにも出来ないと思っていて、なにもしなかった意気地なしなんだ」
が顔を上げた。しかし、太公望と目が合う前に、
の姿はかき消えた。老子が現実へと起こしたのだ。
「老子! なにをする!」
「彼女の選択は間違いじゃない。この世界のことを変えようとして努力した末に、なにも変えられなかったら……
が苦しむだけ。狂っていくだけ」
「な……」
「私は、
が苦しむのを見たくない。無事に元の世界に帰って欲しいから、この世界にのめりこんでほしくない。未練を残してほしくない。だから、この世界に干渉できないと教えたんだ。そうすれば、彼女は賢いから下手な真似はしなくなる」
(こやつは……)
太公望は老子の言葉を、呆然と聞いていた。
確かに、
の性格上、言いつけを破ってまで行動しようと思わないだろう。
は、最後まで生き残って元の世界に帰らなければならないのだから。
老子はそれをわかっていて、
を守るために最初に助言した。太公望が出会うよりも前から、老子は目に見えない形で
を守っていたのだ。
改めて、ここまで先を読む老子の精神性に、太公望は息を飲む。
傷つけ合う人間とは、もはや違う生き物なのだ。
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