大戦後のそれぞれ
仙界大戦が終結し、それぞれの仙人界を失った仙道たちは、周の西岐城へ身を寄せることになった。崑崙山と金鰲島は山中に落下したので、人的被害がなかったことが幸いだった。
戦後の処理で皆がバタバタと走り回る中、
は天化の元へ足を運んだ。弟の天祥が父親を失って泣き続けているため、天化はずっと弟の面倒を見ている。彼自身が泣いたり落ち込んでいる姿は誰にも見せなかった。
西岐城へ戻ったその日の夜、天化の部屋に行くと、彼は明かりもつけずに寝台に横になっていた。
「天化……入ってもいい?」
「
?」
彼の声は、想像していたよりも元気だった。
は小さく息を吐いて彼のそばへ寄る。寝台から身を起こした天化の表情も、表面上はいつもと変わらないように思えた。
「
……無事でよかったさ」
「うん、心配かけてごめん。あの、天化……」
「……誰かから聞いたさ? オヤジが死んだの」
は黙って頷いた。天化は
を引き寄せると、
の胸に頭を預けるようにして抱きついてきた。
は天化の頭を抱え込む。
「俺っち、わかんなくなった。なんのために戦ってるのか。今までずっとオヤジを越えるために、認められるために強くなりてえって戦ってきたのに」
は、ただ天化の話すがまま、黙って耳を傾けていた。彼の声は、静けさを保ったままだ。
「仙人界のためとか人間界のためとか、正直俺っちにはどうでもいい。だから、封神計画も――もう、わかんねぇよ。胸の真ん中に、でっかい穴が開いたみたいさ」
天化はそこで、少しの間黙った。ただ、
の胸に埋もれている。
なんと声をかければよいか、わからない。今彼になにを言っても、その心の隙間を埋めることは出来ない。彼自身が苦しみ葛藤しながら考えて、答えを見つけなければならないのだ。
(こんなにそばにいるのに……本当に、ここでもなにも出来ないの? 私はどうして、なんで……! 肝心な時にいつも……!)
そばにいるのに、彼の中の苦しみを分かち合ってやれない。傷を肩代わりしてやることもできない。
その焦燥を、和らげてやることさえできない。
歯がゆさに、くちびるをかみ締める。言葉にできない悔しさで、涙が出そうになる。
「
……泣いてるさ?」
の体が震えたのを感じて、天化が顔を上げる。天化の顔を見た瞬間、こらえていた涙がこぼれてしまった。
「天化、天化……」
「……
」
涙をぬぐわずそのままにしていると、天化が
を抱きしめたまま、寝台へ背中から倒れた。
は天化の行動に驚きながらも、天化がつぶされないように、彼の真横に手をついて倒れた。天化はそんなこと構わないとでも言うように、
を強く抱きしめてくる。
「
だけでも、無事でよかったさ。
まで失ってたら、どうしたらいいかわかんねぇ」
「天化……」
「泣いてくれよ、オヤジのために……俺っちを、そばにいて慰めて」
の背中に回っていた天化の手が、徐々に腰へと降りて臀部を撫でた。くちびるを合わせると、そのままお互いを求め合った。
情事が終わっても、天化は
に抱きついたまま離れなかった。今は、言葉ではなく人のぬくもりが欲しいのかもしれない。彼は眠りにつくまで、
の肌の感触を求めて体を撫でていた。
***
その後、武吉と楊ゼンによって封神台の無事が確認された。仙道たちが戻ってきた西岐城は、表面上はにぎやかさを取り戻していた。各自、失うものが多すぎた戦いの後の、しばしの休息をとっていた。
太公望は、しばらくひとりになって心の整理をつけていたようだ。何日か、彼の姿を見かけなかった。
昼間、天化は沈みがちな天祥の遊び相手になっている。
はというと、することがなかった。もちろん雑務は色々あったが、楊ゼンに程々にと止められていた。彼の中で、
は王天君に軟禁されていたということになっているらしいのだ。そのせいで仕事の合間にやたらと体調を尋ねてきたり、仕事量を制限してくる。全然元気なので見当違いの気遣いなのだが、心配かけた手前、それを突っぱねて働くのも気が引けた。おかげで、ぽっかりと手持ち無沙汰の時間ができる。
暇に任せて、隣の太公望の部屋へ行った。彼はまだ戻ってきていない。彼がいないため、かつて卓上にあった膨大な仕事の山はない。そうして改めて部屋を見ると、なんとも殺風景な空間だということに気づいた。執務のための卓と椅子、それと寝台だけ。物欲がない太公望は、私物というものをほとんど持たないのだ。
は、窓を開けて外を見た。崑崙山の落ちた方角は、ここからだと城壁に隠されてしまって見えない。
あの方角に、太公望はひとりぼっちでいる。
ですら、亡くなった人たちを思い出して、心に穴が空いたように感じる。太公望は、一体どれほどの喪失感だろう。特に、親友である普賢真人を無駄死にに近い形で失い、もっとも信頼を置いていた仲間のひとりである武成王をも失ったのだ。
殷郊・殷洪兄弟を失った時のように、自分を責めて――後悔しているのだろうか。
ぼんやりと窓の外を眺めていると、扉が開く音がした。
「
?」
太公望の声だった。振り向くと、彼が少し驚いたような表情で立っていた。
が太公望の部屋にいたのが、意外だったようだ。
「お帰りなさい、望ちゃん」
「……ああ」
太公望が、扉を閉めて
へと近づく。その顔には、もう悲しみの色はない。皆が眠る場所で、すべてを吐き出してきたのだろうか。
その顔を見ると、なぜだか無性に泣きたくなってきた。
このひとは、いつもこうだ。つらい顔を余人には見せない。その心の内には言葉に尽くせないほどの悲しみと悔しさ、自分に対する怒りを抱えているのに。
「おぬしとこうして話すのも久しぶりだのう。王天君にさらわれたと聞いておったが」
「うん……王天君のところじゃなくて、妲己のところにいたの」
「妲己の?」
「小間使いみたいに、妲己にこき使われてたの。みんなが戦っているのも、妲己のそばで見てた」
「……そうか。おぬしも、あれを見ていたか」
妲己が時折、王天君との通信で使っていた機材で、金鰲や崑崙の様子を伺っていた。それはそれは楽しそうに。それを、掃除などしながら覗いていたのだ。もちろん、王貴人にはさぼるなと怒られたが。
しばらく、ふたりの間に沈黙が降りた。
は窓の外を眺める。太公望も、外の景色を
の後ろから見ていた。遠くで、天祥の笑い声がする。
「……こうして戻ってきてみると、失わずに済んだものは少ないのう。失わずに済むように、戦っていたのだが」
太公望が、誰ともなくつぶやいた。特に返事は求めていないような調子だった。
は窓の外を眺めながら、それを黙って聞いていた。
太公望の両腕が
に回された。すぐに振り払えるような力で、後ろからそっと抱きしめられた。
はとっさに、太公望の名を呼ぼうとした。だが彼はそれを拒んだ。
「なにも言うな。今は、このまま」
の首筋に鼻先をつけた彼は、ゆっくりと息を吸い込んだ。触れたところにだけ、太公望のぬくもりが伝わる。彼の吐息が
の首筋の産毛をくすぐる。
「……わしのそばにおれ」
は、太公望にされるがまま、黙っていた。ただ、背中から伝わってくる体温に、身をゆだねていた。
彼の孤独が、一時でも癒されるならば、それでいい。
***
翌朝、太公望は食堂へ行くために
を呼びに行った。
とは、朝食を一緒に食べることが習慣となっている。長らく離れていたので、一緒の時間は久しぶりだ。
ノックして声をかけて、
の返事がないうちに扉を開ける。それではノックの意味がないのだが、太公望が起きる頃には大体
も起きているので問題ないだろうと判断しての行動だ。
ちなみに、
の着替えの最中に太公望が乱入するという事件も過去に起っているが、太公望はまったく気にしていない。その時下着姿だった
は当然怒っていたが、今では忘れてしまったように太公望が
の部屋に勝手に入ってきても平然としている。四不象は、いつもながら不埒な主人に涙していた。
(うーむ、今思えばあの時もっとよく見ておけばよかったのう)
などと、四不象が聞けば確実に咎められるようなことを考えつつ、
の部屋に入った。
しかし、
は今朝に限ってまだ寝ていた。このように寝坊することなど滅多にない。珍しいことがあるものだと、太公望は
の体を揺さぶる。
「
、起きるのだ。朝だぞ!」
少々揺さぶってみたが、起きない。強めに揺さぶっても、全然起きない。頭を持ち上げて枕に落としても、本当に起きない。
呼吸はあるので、死んでいるわけではない。太公望は、
の状態にぴんときた。
「まさかこやつ、また何ヶ月も眠るのではなかろうな……」
太公望は困ったように頬をかいた。実はこの日、太上老君を探すために、
を伴って旅に出ようと思っていたのだ。しかし、こうなっては連れて行くことが出来ない。だが、太上老君の捜索は急務。
が起きるのを待ってやれない。
「仕方ないのう。
のことは、天化に頼むか……」
が眠ったまま何か月も起きないという状態を、いかに天化を混乱させずに説明するか、太公望はさっそく頭を悩ませた。
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