崑崙山、金鰲島崩壊


 ふたつの仙界のぶつかり合いは、苛烈さを増す一方であった。ひとり、またひとりと、仙界の最高幹部たちが封神されていく。
 崑崙十二仙たちは王天君の寄生宝貝によって苦しめられていたが、太公望の助言でスープーパパを呼び寄せ、エナジードレインで寄生宝貝を吸い取ることに成功した。
 ほっと一息、といきたいところだが、休んでいる暇などない。楊ゼンは、なにも語ろうとしない元始天尊との会話を終わらせると、太公望の黄巾力士に電話する。の安否が判明したということを、一刻も早く彼に知らせなければ。
 が行方不明になってから、太公望はいつもと変わらない態度だった。しかし、それは表面上のこと。誰の目に見ても空元気であることは明らかだった。仙界大戦が始まらなければ、彼は可能な限りを探していただろう。
 の恋人の天化は、目に見えて落ち込んでいた。肝心な時に自分がそばにいなかったから守れなかった、と自分を責めていた。再び離れ離れになってしまい、夜もあまり眠れない様子だった。

「楊ゼン!? 無事であったか!」

 太公望が電話を取った。言葉の端々に心配の色が現れている。それを申し訳なく思った直後に、なにかを咀嚼する音が聞こえてきた。汚すぎる。申し訳なく思った気持ちを返してほしい。

「師叔もご無事でなにより……って、そんなことより、ちゃんのことです! ちゃんは無事です! いえ、無事と言えるかは断言できませんが、とにかく生きています!」
「なに!?」

 電話の向こうで、太公望が口の中のものを吐き出した音がした。汚すぎる。電話の向こうで、普賢真人の非難の声が聞こえる。当然だ、電話口の楊ゼンですら汚いと思ったのだ。それを見ている普賢真人はもっと汚いと思っていることだろう。
 しかし、太公望が食べ物を粗末にするということは、それだけ衝撃が激しかったということを物語る。太公望の声が、受話器から割れんばかりに響く。

はどこにいるのだ!? 無事かどうかわからんとはどういうことだ!?」
「それが、王天君が身柄を預かっていると……」
「なっ……! なんだと!?」
「王天君の言うことを信じれとすれば、彼女は無事です。とうの王天君も封神されました。しかし……」

 太公望が絶句している。王天君の今までの所業を考えれば、無理もない。に宝貝は効かないといっても、物理的には無防備なのだ。天空に浮かんでいる金鰲島にいるとなると、身の危険は飛躍的に増える。足場は不安定であるし、妖怪仙人たちが多く潜んでいるのだ。

「とにかく、僕はみんなを連れてそちらへ向かいます」
「……うむ。頼むぞ」

 楊ゼンは受話器を置き、ため息をついた。太公望の声は明らかに動揺している。これからの戦いに支障が出なければよいが。
 王天君は、身柄を預かっているとだけ言っていた。どこで預かっているのか、具体的な場所までははっきりしない。王天君の星なのか、それとも別の場所か。
 楊ゼンは他の回復した十二仙を率いて、太公望の元へ目指した。とにもかくにも、一刻も早くこの戦いに決着をつけなければ。

***

ちゃん、喉が渇いたわぁん」
「はいはいっ」
、はいは一回!」
「はいっ」

 ここに来てからどれくらいの時間が経っただろうか。室内で窓がなく、日没などがわからないため、時間の感覚があいまいだ。妲己三姉妹にこき使われ、走り回っているうちに、時間を気にする余裕もなくなった。

(みんな……)

 この戦いで、崑崙山と金鰲島は崩壊する。仙道たちは半数以上封神されてしまう。これまでの戦いは、妲己が時折通信機器で観戦しているのを盗み見ても把握してきた。それも久しく見てないので、ここにきて状況がわからないことに不安を覚えた。

ちゃん、早くぅ〜」
「あ、はいっ」

 妲己に急かされて冷たいお茶を彼女に持っていく。傍らでは貴人が垢すりをし、胡喜媚はドブロクを抱えている。
 妲己にお茶を渡すと、彼女は満足そうに高笑いし、身を起こした。

ちゃん、王天ちゃんから通信があったのん。今頃、聞仲ちゃんの揺さぶりに成功した頃かしらん?」
「王天君から……まさか、武成王が」

 妲己は王天君に、武成王を使って聞仲の弱いところをつけ、と指示したはずだ。とすると、武成王は今頃、王天君の紅水陣によって封神されてしまったかもしれない。

(武成王……天化……!)

 天化の顔が頭に浮かぶ。彼にとって、父を失うことは目標を失うことだ。には、戦うことの意味などわからない。ただ死にたくないから、元の世界に帰りたいからという思いだけで太公望に着いてきただけだ。そんなが、天化にかけてやれる言葉などあるのだろうか。わからない。
 戦いに参加する以上、太公望が理想とすることも、天化が戦う理由も、理解しているつもりだった。
 けれど、わからない。がそばにいて天化にしてあげられることは、一体なんなのだろう。

「わらわたちも、そろそろ地上へ降りる準備をしないとねん」
「はーいっ」
「はい、妲己姉様」

 妲己の声に、喜媚と貴人は立ち上がり、準備を始めた。仙界大戦が終わると同時に地上へ降り、紂王の改造を始めるのである。

「ちょ、ちょっと待って妲己! 私はどうすれば……」
「あはん。心配することないわよん。その辺は、王天ちゃんに任せてあるから」
「は、はぁ……」

 が不安で気の抜けた返事をする。妲己の発言を待っていたかのように、の周りの空間が切り取られる。王天君だ。

「またねん、ちゃん。次に会う時までには、もう少し宝貝を使いこなせるようになってねん」

 妲己が最後にに流し目を送ってきた。その艶っぽさに思わずどきりとする。傾世元禳の効果がなくても、妲己は絶世の美女なのだ。女性同士であってもどきどきしてしまった。宝貝が効かないでこうなのだ、誘惑術をまともに浴びている男たちが前後不覚になるのも無理はないかもしれない。
 妲己たちの姿が見えなくなると、は唐突に白と黒の空間に出た。壁には銀製の十字架がかけられており、部屋全体が無機質な感じがした。王天君の星の中である。当の王天君の姿が見えない。
 と、その時、どおん、と轟音が鳴り響いた。外は危険なことは承知で外の様子をそっと伺った。
 見ると、崑崙山の一部が倒壊していくところだった。一つの魂魄が封神台へと向かった後、倒壊した部分から人影にしては大きいものが飛び立った。あれがおそらく聞仲と黒麒麟だ。とすると、さっき封神されたのは二人目の王天君の魂魄だ。
 なるほど。王天君は、自分の魂が封神されるとをここへ転送するよう、術をかけていたようだ。
 最後の戦い、太公望と聞仲の一騎打ちが始まった。仙界大戦が、もうすぐ終わろうとしている。
 ということは、もうすぐこの金鰲島も落ちるということだ。

「とにかく、ここから出る手段を探さないと」

 とは言ったものの、うかつにこの部屋から出れば、そこら中に潜んでいる妖怪仙人に見つかって食われてしまう。かといってここにとどまっていれば、金鰲島の崩壊によって命を落とす。どうすればいいのだ。ほかに移動手段もない。の頭で思いつくものは、命の危険があるものばかりで、試す気になれなかった。
 焦りで、部屋の中をぐるぐると歩き回る。こうしていても、時間だけが刻々と過ぎていく。仕方ない、一か八かでこの部屋から出てみるかと、足を踏み出した。
 星から連なっている道路のようなものの上を歩いていると、崑崙山の方角からまた一つ魂魄が飛んだ。今度は封神台へはまっすぐ行かず、下界のほうへと飛んでいった。あれは、聞仲の魂魄だ。紂王や彼の部下たちへ、最後のあいさつをしに行ったのだ。
 なんとなくその光をぼんやりと眺める。聞仲と顔を合わせたことはないが、強大な敵だった。ふたつの仙人界を壊滅させ、結果として封神計画を進めた。爪痕は、文字通りすさまじいものになる。
 ぼやぼやしていたら崑崙山の墜落が始まった。それに合わせて、金鰲島も傾き始める。まずい、このままだと地上へたたきつけられて死ぬ。

「あら? じゃないの!」

 そこへやってきたのは雲霄三姉妹である。は知り合いに遭遇できたことに安堵し、思わず笑顔が浮かんだ。今はビーナスが本物の女神に見えるくらいだ。

「ビーナスさん! クイーンさん! マドンナさん!」
「あなた、ずっと行方がわからないと思っていたらこんなところにいたのね! って、そんな場合じゃなかったわ。会ったばかりだけど、話は後よ! 急いで脱出しなきゃ!」
「こっちよ、着いてきなさい!」

 三姉妹に連れられ、金鰲島の中枢部にやってきた。ここはまだ崩落を免れているようだ。中に入ると三姉妹はまた走り、格納庫のようなところに出た。そこには巨大宝貝ロボが安置されていた。三姉妹とともに、急いでロボに乗り込む。

「ビーナス、発進準備完了よ!」
「発進しますわ!」

 まさか自分がロボットに乗ることになるとは思っていなかったは、空いた口がふさがらなかった。もっとも、このロボットも宝貝なので、が触るわけにもいかないのだが。操縦に忙しいビーナスとクイーンの後ろで、マドンナは相変わらず食べ続けている。
 途中、妖怪仙人たちを、ロボットの手で掬えるだけ掬っていく。ロボットの手につぶされやしないかと冷や冷やしていたが、ビーナスの操縦テクニックをもってして、誰ひとりつぶさなかった。

「さぁ、行きますわよ! しっかりつかまって!」

 ビーナスはそう言うと、金鰲島の外壁に突っ込んだ。すがん、と轟音が鳴り響き、衝撃が四人を襲った。はバランスを崩して、マドンナのおなかに倒れた。抜群のクッション性で、痛くない。

「太公望様! 金鰲島の妖怪仙人達は、私たちが救出しましたわ! この仙人界の姫、雲霄三姉妹が!」
「ビーナス、クイーン、マドンナ! かたじけない!」
「それだけではありませんわ!」

 ビーナスがを振り返って笑った。姿を見せてやれ、ということだろうか。意図を察したは、ここぞとばかりに精一杯背伸びをし、太公望たちに手を振った。

「望ちゃん、天化、みんな!」
「──!?」
! 無事だったさー!」

 太公望をはじめとする仲間たちが、安心したように笑顔を見せてくれた。しかし、仲間たちと一緒にいる仙道の数がどう考えても少ない。ここにいない者は皆、死んでしまったのだ。

「金鰲島が……」
「崑崙山が……」
「落ちる……」

 夕暮れの空に、二つの山の影が映し出される。影はひとつに重なり、やがて地上へと落ちていった。


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