魔家四将襲来
天化とはじめて夜を過ごした翌朝、
は腰をさすりながら食堂に入った。そして天化は、彼の周りに花畑が見えるくらいに上機嫌であった。ついでになんともいえないすっきりした表情だった。
それを見た太公望たちは悟った。ああ、こいつら昨夜はお楽しみでしたね、と。天化は非常にわかりやすい。
と付き合うことになった当初も、花畑を咲かせていた。
はいつもどおり太公望の隣に座った。腰が痛くてまともに座れず、卓に突っ伏してぺた、と顔をつけた。腰も痛いしとにかく眠い。まぶたがいつもの半分くらいしか開いていられない。
太公望はそんな
に生暖かい視線を送る。それに気がついた
は、なんとも気まずくなって太公望を睨んだ。太公望はどこ吹く風である。
天化をちら、と見ると、黄一族とともに食卓を囲みながらやたらさわやかな顔をしていた。彼の隣ですべてを察した武成王が、
に気の毒そうな視線を送ってきた。自分に似た息子が、
にどんな仕打ちをしたのかまで把握したのかもしれない。
無言のうちになされたやり取りに
が思わずため息をつくと、こらえきれずに太公望が噴出した。
「かっかっか、仲がいいことでうらやましいのう」
「……望ちゃん、じじくさい」
それにしても腰が痛い。お年頃の性欲を侮ってはいけなかったのだ。三回戦が終わった後に、まだ続けようとした天化を、必死になだめすかして終わらせたのだ、昨夜は。さすが、近接戦を得意とするだけあって、体力が半端ではなかった。
「おぬし、これから大変だのう」
「…………むう」
太公望の揶揄にも言い返す気力がない。ジト目だけでも送ると、太公望は苦笑して
の頭を撫でた。
実際、その後も天化の情熱は熱を増す一方であった。なにせ、毎夜
の部屋へ通ってくる。そのたびに三回戦まで突入しようとするものだから、
は毎晩へとへとに疲れていた。この時ばかりは、情事を断る口実になる月経があって欲しいと思ってしまう
であった。
***
しかし、そんな平和な時を崩すものたちがやってきた。聞仲の代わりに周に攻めてきた魔家四将だ。
実際に見る花狐貂は、思っていたよりずっと巨大だった。こんなものの近くにいれば、いつ瓦礫の崩落に巻き込まれてしまうかわからない。
だが、そんなことを言っている場合ではない。天化が斬られてしまった上に、花狐貂によって街の中心地が飲み込まれてしまった。
いまだに屋根の上で人質に取られている太公望たちが気がかりではあったが、そこに行っても足手まといだ。とりあえず怪我をした民を助けることにして、
は城壁の下敷きになった人々の手当てを始めた。この城壁部分よりも、街のほうが被害は大きい。ここを早くひと段落つけて、そちらへ行かなければ。
そうこうしていると、雷震子が一足早く応援に駆けつけてくれた。その隙を突き、姫発を逃がすために太公望と武吉も斬られてしまった。
「望ちゃん! 武吉君!」
武吉が逃げていったほうへ、
は治療道具を持って走った。ちらり、と屋根の上をうかがうと、楊ゼンが天化の元へとやってきたところであった。天化は一旦崑崙に戻って治療を受けることを思い出して、少しだけ安堵した。
雷震子が花狐貂を封じている間に、
は太公望らを発見した。二人とも、自分の流した血だまりの中に座り込んでいた。
「
、ここは危険だ。今すぐ避難するのだ」
「もう、なに言ってんの……! 避難なら手当てした後にするから、今はおとなしく手当させて!」
「ダアホめ……!」
「
さん、僕は傷の治りが早いので後でいいですから、お師匠様を先に」
「うん、ごめん、すぐやるから」
太公望の悪態を聞き流して、勝手に手当てを始めた。傷が痛むのか、口ではぶつぶつ言いながらもさしたる抵抗はなかった。
太公望は、手当の途中でやってきた楊ゼンに策を授けていた。太公望の後に武吉の傷を診ると、驚いたことにもう血が止まっていた。なんという回復力だろうか。
花狐貂を一つ破壊すると、武成王たちが太公望の元へとやってきた。
は民の手当の手伝いということで、姫発に連れられて街へ出た。花狐貂が、いくつも天に上がっていたが、医療班の一員として目を回さんばかりに働いていると、いつの間にか花狐貂は消えていた。
終わったかなと安堵していると、西岐城の城壁の外から、ドォン、という轟音が響いた。おそらく原型になった魔家四将を打ち破った音だ。すぐに音のした方角から四つの光が天へ昇っていった。
ほっとしたのもつかの間、まだまだ運ばれてくる怪我人が運ばれてくる。手当てに追われ、
は日が暮れるまで働きづめだった。
が出来ることといえば消毒と包帯を巻くぐらいであったが、それでもいないよりはましだっただろう。
怪我人の手当てがひと段落し、そろそろ城へ帰ろうかと治療所を出ると、ひどい悪臭が鼻を突いた。鼻をつまみ、口で呼吸していても強烈に臭ってくる。魔家四将が大地を腐らせたせいで、悪臭が立ち上っていたのだ。
城壁の外へ出て、腐った大地を目の前にする。近くに来ると一層臭さがひどく、嘔吐感までする。
と、その時、
の体内にある宝貝が、存在を強く主張し始めた。
(え……まさか、ここで使えってこと? この大地を宝貝で治せってこと?)
時が来れば使えるようになる、と老子は言っていた。彼の言うとおりなら、今ここで宝貝を使うしかない。
意識を体内の宝貝に集中する。適当におなかの辺りに手を当てて、深呼吸した。おなかが熱くなっていく。
(なんていう名前か知らないけど……この大地を、治して)
どく、どく、と自分のものではない脈動が、体内に響いた。この脈動は宝貝のものだろうか。というよりも、宝貝を通して伝わってくる感じだ。大きな存在の脈動のような気がした。
(これは……もしかして、この大地のもの?)
はその脈動に、自分の呼吸を合わせる。流れに身をゆだねよ、という老子の言葉を今になって思い出す。流れとは、こういうものも入るのだろうか。
自分の呼吸を響いてくるものに合わせ、脈動を合わせる。次第に、自分の意識がすうっ、と透明になっていくのを感じた。なににも乱れることのない静かな意識のなかで、自分の中の宝貝が強く光った。
光が収まったころには、腹部の熱も消えていた。はっとして目を開けると、そこには異臭はなく、元の大地が広がっていた。
いや、元の大地にとどまらなかった。生えていなかった草木が生い茂り、辺りには季節はずれの花が咲いている。一陣の風が、草むらを揺らした。
(これが……宝貝の力?)
は生えている木の元へと近づき、幹に手を当てた。普段は感じることがない、木の脈動のようなものを感じる。大地が腐っていた時には停滞していた気が、ちゃんとめぐっている。
(あったかい……良かった)
は、不意に脱力感を覚えて木の根元に座り込んだ。心地よい眠気が襲ってくる。宝貝を使った後だからか、体が休息を必要としていた。
***
「
が戻って来てないだと!?」
戦後の処理で走り回っていた太公望は、姫発の言葉を聞いて、大声を上げた。その声量に、姫発は思わず顔をしかめる。大声を出したことで腹の傷に触り、太公望も顔を歪めた。
「それがよぉ、どこにもいねえんだ。
ちゃんに働いてもらってた治療所にいねぇし、一緒に手当てに当たってもらってた奴らにいつからいなくなったか聞いても、忙しくて覚えてないってよ」
「くっ……あやつめ、どこをほっつき歩いておるのだ! スープー、
を探すぞ!」
「了解っス!」
「太公望師叔、僕も行きます!」
「頼む! 楊ゼンは城壁の内部を空から探せ! 武王は他の治療所を当るのだ!」
「おう!」
すばやく指示を飛ばすと、太公望は四不象に飛び乗った。城壁の外へは出ないだろうが、万が一ということもある。しらみつぶしに探すしかない。武吉が帰宅してしまったのが悔やまれた。
空に飛び上がると、あたりは夕暮れに赤く染まっている。早くしないと、日が完全に暮れてしまう。そうなっては、捜索が困難になる。
「あれ……? 御主人、あの悪臭が消えてるっス」
「なに? あの、腐った大地のか?」
太公望はもしかしてと思い、四不象をそこへと飛ばす。腐っていたはずの大地には、季節はずれの光景が広がっていた。
「これは……」
「このあたりは荒野だったのに、草原になって花まで咲いてるっスね」
腐る前は、ぺんぺん草が申し訳程度に生えている荒野だった。それが、いつの間にか草が生え、花が咲き、立派な木まで生えている。
「スープー、あの木だ!」
「あっ、
ちゃん!」
四不象が木まで飛び、高度を下げた。太公望は、自分も怪我人であることなどすっかり頭にないようで、四不象が地上へ近づく前に飛び降りた。
「
!」
「…………寝てるっスね」
は安らかな顔をして寝ていた。太公望と四不象が駆け寄って
に大声で呼びかけても、
はぐっすりと眠っている。その寝顔を見て、太公望は途端に脱力した。人が必死に探していたというのに。
「……スープー。おぬしは楊ゼンと武王に、
が見つかったと知らせてくれ。わしは
を連れて帰る」
「……了解っス」
四不象も力が抜けたのか、力なく飛び上がる。
が無事でよかったものの、なんとなくやるせなさを感じてしまう。
太公望は
を揺さぶった。
「
、
! これ、起きるのだ!」
「…………ん、んー……」
強く揺さぶったところで、
はようやく目を開けた。本当に、ただ眠っていただけのようだ。
「こんなところで寝てないで帰るぞ。ほれ、立つのだ」
「……望ちゃん……? うん……」
は立ち上がろうと地面に手をついた。が、力が入らないようで、なかなか膝を立たせることができなかった。太公望は大きなため息をつくと、
に背を向けてしゃがんだ。
「仕方がないのう。おぶされ」
「……え、でも……」
「はようせい、日が暮れるであろう」
はひどく眠たそうにしながらも、太公望が怪我をしていることは頭にあるらしく、ためらっていた。しかし、太公望に急かされ、大人しく彼の背中に乗った。
「うっ……おぬし、中々重いのう」
やはりというかなんというか、
をおぶって立ち上がる時に、腹に痛みが走った。これは傷が開いたかもしれない。しかし、この状況でそんなことを気にしてもどうしようもない。西岐城に帰ったらもう一度傷を診てもらうとしよう。
太公望は、
を安定するように抱えると歩き出した。重いと文句を言っても、
から返事はない。いつもなら怒るだろうに。
「ダアホめ、あそこで宝貝を使いおったな」
「……うん……」
「まったく、なんという無茶をするのだ。そういうことは、十二仙にでも任せておけばよいのだ」
我が身を顧みない自分のことを棚にあげて、太公望は
に苦言を吐いた。
は、眠そうに間延びした声で反論してきた。
「だって……放っとけなかったもん……」
「……しょうがないのう」
太公望は一度立ち止まって、少しずり下がってきた
を抱えなおした。傷を負っていなければ、
ひとりを抱えるぐらい、なんということもないのだが。
「望ちゃん……ありがとう……」
太公望が難儀していると思ったのか、
が申し訳なさそうな声を出した。太公望は心外だと言うかのように、わざと大声で返事をする。
「そう思うなら、今度からこんな無茶するでない。気が気でないわ」
「……望ちゃん、大好き……」
「なっ……なにを言っておるのだおぬしは! そういうことは天化に言ってやれ!」
さすがの太公望も、これには参ったようだ。照れ隠しに怒鳴っているのが丸わかりだ。だが、
はそれに気付くことなく、大好きと言った直後に寝入ってしまった。治療所で走り回ってすでに疲労していた上に、宝貝を使ったのだ。相当疲れているようだ。
安らかな寝息を背中に感じて、太公望は再び脱力した。
「……ダアホめ」
太公望のため息は、西岐城の赤い空へと消えた。
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