四聖襲来


 が目覚めると、窓からちゅんちゅん、と鳥のさえずりが聞こえてきた。陽光がのぼっている方向から、今は朝のようだ。

「……老子、ありがとうございます」

 今はもう目覚めてしまったので、この言葉が老子に届かないことはわかっているが、それでもは礼を言った。彼はのことを心配してくれているのだ。
 身を起こして、いつもの男装をする。これを着ていると遠目からでは本当に少年に見えるらしい。が、それでも姫昌は初対面でを女と見破ったのだから、さすがの慧眼というべきか。
 身だしなみを整え、部屋を出た。この前は三ヶ月も眠っていたが、今度はどれくらい時間が経っているのか。

「おお、さん! 起きられたか!」
「姫昌様!」

 姫昌が、数人の付き人とともにの下へとやってきた。城主が表情を輝かせて小走りにこちらへ来るものだから、は焦ってしまう。

「あの、私はどれくらい眠っていました?」
「もう三ヶ月になります」
「また三ヶ月も……」
「体調はなんともないのですか? 突然目覚めなくなってしまったので、皆で心配しておりました」
「はい、なんともありません。ご心配をおかけしました。それで、望ちゃ……太公望は」
「それが……」

 姫昌は東側の空をちら、と一瞥した。

「太公望は、朝歌の武成王が反乱したため、彼を追っ手から救いに行ったのです。もうかれこれ一ヶ月が経とうとしています」
「武成王が……」
「そして今、東の山岳地帯に仙人同士で争っている気配があります。おそらく、太公望でしょう。先ほど東の区域で山が崩落し、辺り一帯が壊滅しました。旦が救助の指揮を執っております」
(九竜島の四聖と、聞仲だ……)

 確かに、街の東側の先には粉塵が上がっており、時折閃光が走っている。なにより、空気が緊張感で満ちている。
 太公望や楊ゼン、ナタクらが聞仲ひとりに総出でかかっても手も足も出ず、怪我を負わされるはずだ。彼らの治療の準備をしなければならない。

「姫昌様、私は太公望たちを出迎える準備をします。皆怪我を負っているはずです」

 姫昌は不思議そうにを見つめた。出会った時から少々不思議な振る舞いをする娘だと思っていた。初めて太公望と顔を合わせた際、霊穴に現れた姫昌を見ても、彼女は動揺したそぶりを見せなかった。姫昌を知らないわけではなさそうだったが、変に度胸が据わっていたというか。
 今もそうだ。眠り続けていたはあらかたの状況把握を済ませると、すぐさま怪我の治療の準備をすると言った。まるで、誰と誰が戦っているか、どのような怪我を負うか、最初から知っているかのようだ。

(わけあって、仙道に保護されている娘か……)

 一見するとごく普通の彼女が仙道である太公望とともにいるのは、その辺の事情が関係しているのかもしれない。太公望は、普通の人間をむやみに戦いに巻き込んだりはしない。
 その時、東の山岳地帯が一段と轟音を立てた。見ると、山の頂上がごっそりと削られていた。その衝撃から被害の大きさを想像して、姫昌もまた頷いた。

「わかりました。私も手伝いましょう」
「はい、ありがとうございます! お願いします!」

***

 日が落ちかけようとした頃、西岐城に太公望たちが運ばれてきた。四不象や、人間であったため仙道に攻撃されなかった黄一族、怪我の治りが早い武吉らが運んできてくれたのだ。
 仙道らの怪我を手当てし、用意した一室の寝台へ寝かせる。夜も更けるころに、武成王と太公望以外の仙道が、意識を回復させた。

「楊ゼンさん、大丈夫?」
「ああ……ちゃん、久しぶりだね」
「もう、そんなあいさつ今はいいから」
「はは……太公望師叔が守ってくれたおかげで、なんとかね。あと二、三日もすればもう大丈夫だよ」
「……望ちゃんは、まだ目を覚まさないよ」

 外傷の具合で言えば、武成王が一番ひどいものだった。太公望はその次に深手であった。おまけに、宝貝を使いすぎたせいで治療の途中も血を吐いていた。今も、苦しげに眠っている。

ちゃん。僕たちはもういいから、師叔についてあげて」
「え……でも」
「師叔のことが心配ってありありと現れてる顔で看病されても、僕は嬉しくないよ。四不象や武吉君もいることだし、今は素直に僕の言うことを聞いて」

 楊ゼンが、少しふてくされたように言った。体も起こせない容態なのに、を気遣ってくれたのだ。

「んもう……じゃあ、あとのことは武吉君に頼んで、望ちゃんのとこに行くね」
「ああ、師叔が起きるまで戻ってこなくていいからね」
「……ありがとう、楊ゼンさん」

 は、武吉に皆のことを任せると、一目散に太公望の元へ向かっていった。楊ゼンはその足音を聞きながら、七年前と変わっていない彼女に安堵を覚える。

「楊ゼンさん……今の、誰さ?」

 隣の寝台で寝ていた天化が、楊ゼンよりかは幾分元気そうな声で話しかけてきた。彼の隣では、一番の重傷だった武成王が、もう身を起こしていた。天然道士、恐るべし。

「彼女はちゃんといって、太公望師叔とずっと一緒に旅をしていた子だよ。普通の人間だけど、こことは別の世界からやってきたんだ」
「べ、別の世界……!? まさか、そんな風に見えないさ」
「まぁ、詳しい話は、怪我が治ってからするよ」

 楊ゼンは天化との会話を半ば無理やり終わらせると、目を閉じた。今は少しでも早く回復して修行を再開しなければ。



 は一旦自室へと戻り、姫昌に与えられた服に着替えた。もう走り回ることもないだろうと、後ろでまとめていた髪も解いた。
 太公望の部屋へ行くと、寝台の傍らに四不象がいた。

「スープー、少し休んだら?」
ちゃん……ちゃんこそ、さっきまで休みなく手当てしてくれてたじゃないっスか」
「私は三ヶ月も寝ていたんだし、その分がんばらないとね」
「そういえば、体はなんともないっスか? ボクも御主人も心配したっス」
「うん。心配かけてごめんね」

 四不象の隣に置いてあった椅子に腰掛ける。見れば、四不象も疲れきった顔をしていた。無理もない、九竜島の四聖と戦った後に、聞仲ともやり合ったのだ。
 窓からは月が見える。今日はよく晴れているので、遮るものがない月の光は強かった。室内に影が出来るぐらいだ。
 太公望は、泥のように眠っている。痛みに顔をしかめることもなく、血を吐くこともない。様態は安定したようだ。だが、顔色は月の光のせいではなく青白い。
 いつの間にか、四不象が寝入っていた。が来たことで安心して疲れが一気に出たのだろう。今までつきっきりで太公望の看病をしていたのだ。

「望ちゃん……」

 治療をしている最中、太公望はの腕の中で血を吐いた。血を見ることなどこの世界では珍しくない。なのに、は血を見て、硬直してしまった。太公望を失うかもしれないと、未来のことを知っていても思ってしまったのだ。戦いというものがどんなことを起こすのか、そのことで初めて実感したのだ。

(こんなんじゃだめだ。いざっていう時になにもできなかったら、私は……)

 太公望も仲間たちも、これから苛烈になっていく戦いでより多くの血を流すというのに。
 この世界のことに干渉できないことはわかっている。それでも、彼らのために少しでも強くありたいと思った。


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