太上老君と夢の中2


 西岐城に入場したと太公望であったが、がある日突然、眠ったまま目を覚まさなくなった。昏々と眠り続けているのに、なぜか衰弱していく様子はない。ただ目を覚まさない。そのまま、時間だけが過ぎていった。

ちゃん、今日も起きないっスね」
「うむ。あれからもう、二ヶ月経とうとしているのに……」

 今も、安らかな寝顔では眠っている。女性ということで、男性陣の部屋からは離れた場所に部屋を与えられる予定だったが、こんな状態になってしまったので、特別に太公望の部屋の隣に用意された。彼がを看病するためだ。
 ただ、看病といっても特別なにかをするわけではない。眠ったままということを除けば、二ヶ月前となんら変わらない状態なのだ。毎日こうやって顔を眺めることしか出来ない。
 こうなる前までは、の寝顔を見ると安心感にも似た感情を覚えたが、今はそれを感じることができない。いつ目を覚ますのか。このままでよいのか。ずっとこのままでは、は弱ってしまわないだろうか。思い浮かぶのはそんな不安ばかりだった。
 兵士の訓練の様子を見たりと一応食客としての仕事をする太公望だが、頭の片隅にはずっとのことがある。
 兵士たちの訓練はだいぶサマになってきた。これならなんとか朝歌軍とやり合えるかもしれない。
 などと考えていると、天から黄巾力士が降ってきた。

「武成王がピンチ! 今すぐ朝歌へ向かえー!!」

 武成王・黄飛虎が反旗を翻したのだ。武成王の戦力は貴重なもの、ここでなんとしても助けなければなるまい。太公望はすぐに四不象を呼んだ。

「姫昌、わしは武成王の助っ人に行って来ようと思う」
「はい! 私からもお願いします」
「うむ。それと、のことをよろしく頼む」
「お任せください」

 姫昌が深く頷くのを見て、太公望は四不象に乗って飛んでいった。その後を武吉が走ってついていく。黄巾力士はしばらく沈黙していたが、やがて天へと飛び立った。
 姫昌は城へ戻り、さっそくの部屋へと足を運んだ。さすがに毎日というわけにはいかないが、時間の許す限りの様子を見るつもりだった。
 は相変わらず眠っている。太公望の話によると、彼女は普通の人間ということだが、何ヶ月も眠り続ける状態が普通の人間に起こるはずがない。医者に診せても原因はわからずじまいだった。眠っているということ以外がわからない。人間の人智を超えた現象が彼女を襲っているということしか。
 太公望は彼女が起きなければ戦えないということはないだろうが、あの様子からすると心配で仕方ないことは間違いない。娘と彼は言い張っていたが、姫昌からすれば単なる保護者の範疇を超えているように見えた。彼女が大切なのだろう。
 姫昌はため息をつくと、寝台の傍らの椅子に座った。自分の付き人が探しに来るまで、彼はの様子を見ていた。



 一方、はというと、またジョカの夢の中にいた。目の前には老子がいる。相変わらず眠そうにあくびをして、地面すれすれの所を浮いていた。

「こんにちは、老子」
「こんにちは、。元気だったかい?」
「はい、なんとか」

 老子はそう、と言うと眠りにつこうとしたので、あわてて胸倉をつかんで起こした。このやり取りは二回目である。

「あのっ、お聞きしたいことがあるんです」
「ふあぁ……何?」
「歳をとらないんです、私」

 そうなのだ。太公望と七年余りを過ごしてきたが、一向に髪も爪も伸びない。もう三十路を超えたというのに、肌の状態も七年前のそれと同じ。ついでに言うと、月経も来ない。
 この世界に来た数ケ月のうちは、まあそんなこともあるかもしれないと深く考えてなかった。だが、七年間なにひとつ変わらないのはいくらなんでもおかしい。
 老子は、なんだそんなこと、と言った。

「あなたは世界の流れから外れてしまったんだ。時間は、その時点から止まっているよ」
「時間が止まってる?」
「そう。あなたの体は、この世界に来た時から止まっている」
「じゃ、じゃあ極端な話、なにも食べなくても死なない……ってことですか?」
「うん。でも生まれた時からの習慣は体が覚えているから、お腹は空くだろうね。この世界にとどまっている限り、もしくは物理的に死なない限り、あなたは永遠にそのままだよ」
「そんな……」
「死んでしまったその後、元の世界に帰るのか、そこで終わるのか……そこまではわからない」

 ということは、帰る機会を逃してしまうと、そのまま歳をとらずに生きていくしかないということになるのではないか。そんなのは嫌だ。なんとしても伏羲に出会って、元の世界に帰してもらわなければならない。
 死ねば元の世界に帰れるかどうかわからない以上、やはり身の安全が第一になってくる。守ると太公望は言ってくれたが、彼自身はこれから来る大きな戦いで手一杯のはずだ。

「あの、それと老子。私、まだ宝貝が使えないんです」

 これも、七年の間でわかったことだ。はまず、宝貝と意思疎通が図れるかどうか一応試してみることにした。しかし、自分の中にある宝貝に語りかけても反応が返ってくることはなかった。思えば、宝貝と意思疎通している仙道なんて作中にはいなかったので、当然といえば当然である。
 自然を操る宝貝らしいので、その辺の木や土に適当に念じてみても、なんの変化もなかった。というか、そもそも存在を感じない。

「宝貝を扱うには自信をつけることが大事だけど……あなたは本当にそれを使ったことがないの?」
「たぶんないと思います」
「そう? 太公望と初めて会った時のことを思い出してごらん」
「え? …………ええっ!?」

 王天君に宙へ放り出され、木々にぶつかりながら着地した時のことだ。打ち身や擦り傷は負ったものの、重傷には至らなかった。あの時は枝が刺さらないように無我夢中で祈っていたのだが、あれが実は宝貝の効力で重傷を免れたとでも言うのだろうか。

「ま、まさかあの時使っていたんですか!?」
「うん。必要に応じて使えるみたいだね。ただ、その発動方法までは私にはわからないよ。あと、今の君からは宝貝の存在を感じない。一度使ったらブランクがあるみたいだね」

 確かに、腹部の中も外もなにも感じない。まだ宝貝を受け入れて間もない時に使ってしまい、その後はなりを潜めているということか。

「なんだ、使えるんですね! 今までうんともすんとも言わないから、宝貝じゃなくてただの石でも飲まされたんじゃないかと不安になりました」
「また使いたければ、イメージトレーニングが効果的だ。使うべきときに使えなければ、意味がない」
「はい」
「でも、あなたはそろそろ目覚めたほうが良さそうだ」
「え?」

 老子はまたどこからともなく一発覚醒くんハイパーを取り出した。

「え、でもイメトレしたいです」
「あまり眠っていると、太公望たちに置いていかれるよ。私も眠れないし……」

 明らかに後者の理由がを起こす本当の理由だ。しかし老子が眠いならしょうがない。教えてくれる人がいなければどうしようもないのだ。

「…………宝貝を、使うときに使えるように、と言ったけど」
「老子?」

 老子は珍しく言い淀んだ。三大仙人と言われ、いろいろなことを超越していて常にマイペースな彼が、少しの間逡巡していた。

「私は、あなたには普通の人間でいることを忘れないでほしいよ。実際、あなたは普通の人間と変わらない――ずっとそのままだ」
「……老子……」
「普通の人間は、その短い一生の中で完結すべきなんだ。だから私は、あなたが元の世界に帰れるよう協力しているんだよ」

 そして、前回と同じように、唐突に一発覚醒くんハイパーでを起こした。夢の世界から彼女が消える。彼女の姿がかすんで消えていくのを見送り、老子は誰ともなくつぶやいた。

「永い時の中で、あなたが狂っていくのを、見たくない」
(人間の精神は、悠久の時を耐えられるようにできていないのだから)


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