武吉のつくった縁


 申公豹が去った後、は適当に崑崙山の建物の中をうろついていた。人気はなく、静かなものだった。下のほうを見下ろすと、人間界がうっすらと見える程度の高所である。空気は薄いような気がするが、澄んでいる。
 歩きながら申公豹の発言を反芻する。

(それにしても、妹弟子って……確かに老子には色々教えてもらったけど、あれは弟子入りしたことになるのかな)

 よくわからないうちに妹弟子扱いされて、無様な真似は許さないと脅されても困る。いつどこで黒点虎の千里眼で見ているかわからないだけに恐ろしい。
 歩いているうちに、大きな円状の扉の前に出た。その扉になんとなく見覚えがあったので眺めていると、中から太公望が出てきた。隣に白鶴童子もいる。

? ではないか!」
「あ、望ちゃん」

 ナイスタイミングで会えるものだ。はほっとして、顔をほころばせる。太公望は対照的に険しい顔をして、のほうへ駆け寄ってきた。

「おぬし、無事か? 申公豹に何もされてないな?」
「うん、なにもされてないよ。ついさっきここまで送ってもらったんだ」
「そうか……」
「太公望師叔、彼女は?」

 白鶴がを指しながら太公望に尋ねた。ああ、と白鶴の存在を思い出したように声を上げてから、太公望はを紹介した。

はわしが保護した、妲己によって別の世界から召喚された人間だ」

 太公望が説明すると、白鶴は驚き、その両手――両翼かもしれない――をばさばさと振った。

「なんと、別の世界の方ですか!?」
です。よろしくお願いします」
「あ、私は白鶴童子と申します。それにしても、貴方は普通の人間のようですが、どうして崑崙山に……」
「やはり、は特別な体質なのかもしれぬのう」

 体質というか、老子の言によれば、別世界の人間なのでどこにいてもこの世界のルールには当てはまらないだけなのだ。それをなんと説明すればよいか、上手い言葉が見つからない。やはり体質と言うほかない。

「一応、元始天尊様にものことを聞いてみたのだが、知らぬ存ぜぬでなにもわからなかった。ただ、このような別世界から人間が召喚されるなど前代未聞である、とだけ」
「…………」

 太公望の師・元始天尊は、封神計画の本当の意味を知るものだが、妲己の意図には関与していない。妲己が異世界から人間を呼び出すなど、想定の範囲外だろう。彼は基本的に、自分の思い通りに他人を動かして結果を得んとするタイプなので、に直接関わってくることはなさそうだ。あまり深く考えないようにしようと思った。
 その日は四不象が休暇中だったので人間界に戻れず、太公望が以前使っていた部屋で一泊した。翌日、土行孫に四不象を誘拐されるなどのアクシデントがあったが、無事に下山した。
 そして、太公望は来る戦いのために霊穴で修行をし、四不象は情報収集、は資金調達をして過ごし、七年の月日が流れた。

 ***

 七年後、姫伯邑考の封神を見たは、すぐに資金調達を切り上げ、太公望と合流した。西伯候姫昌が開放され、西岐へと戻る。彼と会うために、太公望は西岐を目指した。
 西岐の都、豊邑到着後、は再び資金調達のため、代書屋でバイトすることとなった。太公望が豊邑についた折に、丼村屋のあんまんを食べまくったせいで旅費が心許なくなったのだ。もう七年も各地で代書屋のバイトをしているせいか、はすっかり代書屋エキスパートである。
 太公望ももちろん占い屋を開業しているが、豊邑の人々はそれなりに豊かなので、あまり占いなどに乗らないようだ。もっとも、太公望の占いは資金調達だけが目的ではない。姫昌との縁を待っているのだ。

「ねぇ聞いた? 西伯候姫昌様が、ご子息の姫発様と周公旦様とお出かけなさった際に怪我されたらしいのよ!」
「そうそう。なんでも、若い男がすごい勢いで姫昌様にぶつかったらしいわねぇ。もう投獄されたらしいけど、姫昌様を傷つけるなんて、明日には死刑ね」

 さらさら、と筆を動かしながら、代書屋の奥さんたちが話す噂話に耳を傾ける。姫昌を傷つけた男とは、武吉のことだ。おそらく明日には、太公望がいざこざを解決して武吉を連れてくるだろう。
 はバイト採用の時に、旅費が貯まったらそれまでと雇い主に伝えてある。だから基本的に給料は日当だった。今日の日当をもらったら、今日までにしたいと伝えて去らねばならない。武吉を助けたら、太公望はすぐに姫昌に招かれる。それについていかなければ。
 太公望と合流するには、西岐城の近くにいれば問題ないだろう。とりあえず今日の仕事を終わらせるため、は筆を走らせた。



 翌日、太公望と合流したは、彼とともに四不象に乗って、霊穴である沢までやってきた。ここで姫昌がやってくるのを待つらしい。
 と、そこへ、土煙を上げながら武吉がものすごいスピードで走ってきた。

「本当にありがとうございましたお師匠様!! これで、ぼくもお母さんも助かりました!!!」

 大きな声で礼を言いながら、武吉は深々と頭を下げた。はその声量にびっくりしつつ、武吉のストレートさに好感を持った。さわやかでいい子だ。

「静かにせぬか! 魚が逃げるであろうが!!」
「す、すみません!!」

 魚など釣る気がないので、太公望の発言は照れ隠しだ。がこっそり笑みをこぼすと、太公望がじろりと睨んできた。目聡い。

「あれ、お師匠様、この方は……」
「ああ、こやつはだ。わしの供をしておる」
「わー! お師匠様のお供の人だったんですね! 僕は武吉といいます!!」
「うん、まぁお供で間違ってないけど……です。よろしくね、武吉君」
「はい!! じゃあ、僕はお母さんの所に帰ります! また来ますね!!」

 と挨拶すると、武吉はものすごいスピードで走り去った。あっという間に後姿も見えなくなってしまった。唖然として彼の走っていった方向を見ていると、四不象が言った。

「いい子っスねぇ。ボクは好きっスよ!」
「だがのぅ……わしを師匠と呼ぶのは勘弁して欲しいのう……」
「御主人は武吉君が苦手っスか?」
「苦手とかそういう問題ではない」

 と、その時、足音が響いた。はそちらに目を向けずとも、誰がやってきたのかわかっていた。

「釣りをなさっておいでか……釣れますか?」

 太公望はその人物を姫昌と認めると、にやりと口の端を吊り上げた。

「大物がかかったようだのう」

 ***

 その後、姫昌に殷を討つことを進言した太公望は、西岐城に招かれることとなった。

「おや、そちらのお嬢さんは……」

 ふたりの話を邪魔しないように少し離れたところに立っていたを、姫昌は目に留めた。太公望がのことをなんと言ったものかと頬を掻いていると、

「太公望どのの細君であられますか。貴方もぜひ、太公望どのと一緒に、わが城にお越しください。衣食住と安全は保障しますよ」
「「ちょっと待った──!!」」

 姫昌がにこやかに言い放った言葉に、太公望とはまったく同じタイミングで大声を出した。

「違います! 私は望ちゃんの奥さんじゃありません!」
「そ、そうだ! こやつは、そ、その……」
「奥方ではない? では……」
「わ、わしの娘のようなものだ!」

 娘ときた。太公望とではのほうが年上に見える外見をしている。それで娘とはかなり無理のある設定だが、実年齢を考えると妻というのはもっと無理がある。は小さく諦めの息を吐くと、姿勢を正して姫昌に挨拶する。

「私はと申します。血縁はありませんが、太公望の養女です」
「う、うむ……」
「そうですか。どの、あなたもわが城へ。どうか太公望どのを支えてもらいたい」
「はい。よろしくお願いいたします」

 は深々と腰を追った。
 ここからだ。太公望と姫昌が出会ったことで、ストーリーは急激に動き出す。


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