申公豹と初対面


 その後、臨潼関付近で雷震子と遭遇し、なんやかんやあって今後協力してくれるとの約束を得ることができた。そして、場所はまた臨潼関に戻る。
 ここで、妲己の魔の手から逃げてくる二人の太子を待っているのだ。その間、はまた代書屋のバイトをしていた。今度は代書屋だけではなかった。

「先生、早く早く!」
「早く早くぅ!」
「はいはい、ちょっと待っててね」

 滞在期間中、子供たちに文字を教えることとなったのだ。読み書きができる旅の若い女ということでかなり目立っていたらしく、代書屋の近所の子供たちが好奇心でに話しかけてきたのである。その相手をしているうちになぜだか文字を教えることになっていた。
 元の世界とこちらの世界では言語が違うので教えられるか不安であったが、ここでも異世界補正が働いてるようで、今のところ五十音で教えていてもなんの違和感もない。

「わーいカバだ!」
「飛べっ! 飛ぶんだカバ!!」

 子供たちの勉強の時間が終わると、四不象と一緒に子供の面倒を見ていた。あくまでバイト優先なので遊んでやれるのは不定期だったが、子供たちは嬉しそうにしていた。無邪気な顔を見ていると、まで嬉しくなった。
 そんなある日、は呉服屋の主人に店まで招かれた。この主人、太公望と四不象に服を贈る者である。

さんも、子供たちの面倒を見てくれてありがとうございます」
「いえ、そんな……」
「そこで、あなたにも服を作りたいと思うのですが」
「えっ、本当ですか!?」

 スーツのままであったに救世主が現れた。なにせスーツ、動きにくさに定評がある。ついでに下着なども分けてもらえるとは泣いて喜ぶかもしれない。

「ええ。ですが、珍しい服なので、その……」
「いえいえ! この服は動きづらいので他の服を買おうかと思っていたところです!」
「そうなのですか。それはちょうどよかった。動きやすい服がお望みなら、いっそ男物の服を着られてはどうですか?」
「え?」
「ああ、サイズはもちろんさんに合わせたものをお作りします。それにその靴も、かかとの低いものを用意しますよ」
「ほ、本当ですか……!」

 やっとパンプスも卒業できる。まさに致せり尽くせり。ついでに下着の要望も出すと、主人は快諾してくれた。
 そうして出来上がったものを見て、は嬉しくて飛び上がったほどだ。白いズボンに、すその長い黒の中華服。帯は緋色。寒い時は上着として、白地に紺の糸で唐草模様が刺繍してあるものをもらった。丈が長く足元まであり、なおかつ高価な羊毛で出来ているので、とてもあったかそうだ。

「い、いいんですか、こんな高価なものをいただいて……」
「はい。これはお礼なのですから、ぜひ受け取ってください」
「あ、ありがとうございます!」

 早速着替え、太公望の元へと帰る。彼も呉服屋の主人から服をもらっていて機嫌がいい。彼はの服装を見て、ほう、と声を上げた。

「なかなか男装も似合うではないか」
「本当? 似合う?」
「似合ってるっス! ぱっと見、少年に見えるっス!」

 四不象の言葉に安堵の息が漏れる。

「良かったぁ。これで奇異の視線から開放される……」

 なにせ、スーツである。他の仙道たちも変な格好をしているが、スーツ姿はその中でも抜きん出て珍しいものだったのだ。太公望も頷いている。

「これで、その無駄に発育した胸も少しは隠せるのう」
「ご主人、セクハラっスよ!」
「……うん、まぁ、この時代にしちゃ大きいのかもね……」

 ゆったりとした服なので、胸の膨らみも多少ごまかせると太公望は言いたいのだろう。四不象に乗る際、は太公望の後ろに乗って彼の肩や腰につかまっている。自然との胸が太公望の背中に当たるのだ。それが気になっているのかなんなのか。異性に興味はないと言いながら、時折発言に微妙なセクハラが混じるのはなぜなのか。
 なんにせよ、女だと気づかれると危険も増える。男装でごまかして危険を避けられるなら、それに越したことはないのだ。

***

 臨潼関での滞在もかなり長期になってきたころ、やっと待ち人は来た。紂王の二人の太子、殷郊と殷洪である。
 太公望の作戦が発動し、四不象が太公望のダミーを持って、敵を引き付けている。その間には二人の太子を引率して逃げる。

「ほら君たち、今のうちに逃げるよ!」
「えっ? あ、うん」

 なぜか兄弟は首をかしげたが、が急かすと大人しくついてきた。しかし、物陰に隠れたところで二人の太子は四不象を放っておけずに飛び出していった。はあわてて二人を追う。

(大丈夫かなぁ……あの追っ手たち、宝貝じゃなくて普通の物理攻撃なんだよね……)

 ということは、いざという時に身を挺して守ることが出来ない。そんな事態になる前に太公望が深手を与えてくれることはわかっているが、万が一に備えられないのは不安だった。
 二太子に追いついた。四不象をかばっているが、まだ子供の二人に出来ることはない。は兄弟を背にかばうと、追っ手を睨みつけた。

「なんだぁ? お前が最初に殺されるか?」
「兄者、こいつ、太公望と一緒にいた男だ!」
「なに? じゃあコイツなら太公望の居場所を知っているかもしれないな!」
(見た目ってやっぱり大事なんだなあ)

 を男と信じて疑わない追っ手たちの様子に、思わず場違いな感心をしてしまうであった。
 前に出ようとする二太子を後ろ手に押さえつけながら後退する。なんとか太公望が来るまで時間稼ぎをしなければと思っていたが、太公望が間に合ったことでそれは必要なくなった。火竜ヒョウが、追っ手たちをさえぎるように横切った。

「スープー、! 両殿下を安全なところに!」
「了解っス!」
「はい!」

 は兄弟を四不象の背に乗せて、四不象の足につかまった。安全圏まで退避したところで、不意に弟の殷洪が口を開いた。

「……ねぇ、貴方は女の人だよね? どうしてそんな格好をしてるの?」
「ん?」

 先ほど首をかしげていたのは、が男か女かすぐにはわからなかったのが原因らしい。確かに、男装をしているのに女の声を発したら不思議に思ってもしょうがない。

「女の格好じゃ旅するのは危険だし、動きづらいからね」
「ふーん……お姉さん、可愛いからもったいないなぁ」
「こらっ、殷洪! お姉さんを困らせるんじゃない!」
「ま、まぁまぁ……」
(この歳でこんな社交辞令が言えるなんて……さすが太子、コミュ力高い……)

 弟を叱る殷郊をたしなめつつ、苦笑いを禁じえなかった。大人に囲まれて育つと、こんなふうに大人びるものなのだろうか。
 そうこうしているうちに、太公望は追っ手の二人を追い詰めたようだ。とどめを刺そうと脅しているところに、両太子が割って入った。
 妲己の誘惑術が追っ手から解け、一件落着――というところで、は空気がピリッと変わるのを感じた。

「お待ちなさい太公望。太子を連れて行くことはこの私が許しませんよ」

 いつの間にか、黒点虎にまたがった申公豹が眼光鋭く太公望を睨んでいた。手には雷光鞭を携えている。

(そ、想像以上に格好が派手だこの人……それに、怖い)

 今は彼がご機嫌ナナメなので必要以上に恐怖を感じるというのもあるのかもしれない。なにより、得体の知れない、底の知れない感じがする。最終的にはジョカ戦に加わってくれた申公豹だが、彼の基準は彼の中にしかない。少しでもそれにそぐわなければ、ためらいなく刃を向けられるだろう。しかも、なにが申公豹の地雷なのか余人には全然わからないのが困りものだ。
 どうやら太公望と申公豹の交渉は決裂したようで、申公豹が開始一発、雷を起こした。どぉん、と轟音が響き、は思わず耳をふさいだ。音が鳴り止んでも、まだ腹の中でごろごろと音が反響しているような、ものすごい雷鳴だった。
 その雷光をさえぎるように天から光が降り注ぐ。光は二人の太子を包み、天へ――崑崙山へと連れて行った。
 申公豹は気に入らない様子だったが、雷光鞭を収めて黒点虎にまたがった。このまま飛び去ってしまうのかとその様子を眺めていると、不意に彼と目が合った。そして、申公豹は少しだけ口角を上げた。

「少しの間彼女を借りますよ、太公望」
「え?」

 申公豹の言を問いただす間もなく、は気がつくと申公豹の小脇に抱えられていた。風を切って黒点虎が宙へ舞い上がる。

「彼女と話をするだけです。危害は加えず、話が終わり次第あなたのもとへ送りましょう」
「待て、申公豹!」
「封神計画にはまだまだ裏がありますよ。仙人界の陰謀が隠されて……」
「!!」

 申公豹は、太公望に意味深な言葉を残して黒点虎を発進させた。はというと、彼の右腕に俵のように抱えられたままで、少し腹が苦しかった。不満を言えるような状況ではないので黙って耐える。
 彼は黒点虎に、太公望が崑崙山へのぼったことを確認させてから地上に降りた。近くで見ると、黒点虎は想像よりも大きかった。

「あなたがですね。話は太上老君からうかがっていますよ」
「はあ、老子から……」
(そうか、この人は老子の弟子だった)

 あの老子がわざわざ起きて申公豹に。信じがたい話だが、申公豹がのことを知っているとすれば老子経由か黒点虎の千里眼か、あとは妲己しかいない。

「妲己からはなにも聞いてませんか?」
「いいえ。彼女は誰にもあなたのことを明かしていませんよ。あの人にとってあなたは切り札ですから。それで、宝貝は操れるようになったのですか?」

 老子は申公豹にの情報をすべて語ったようだ。この分だと、がこの世界の未来を知っていることも把握済みと考えたほうがいいだろう。であるとしたら、彼の前でごまかしたり嘘をついたりするのは得策ではない。

「いいえ。他の宝貝の攻撃が効かないことぐらいしかわからないままで……」
「ふむ。時期尚早ということですか。あなたはこのまま太公望についていくつもりですか?」
「はい」

 申公豹は面白そうに笑った。

「ふふ、あなたが太公望にどんな影響を与えるか興味深いですね。いいでしょう、せいぜい彼のもとで励みなさい」
「は、はぁ……」
「さあ、黒点虎に乗りなさい。太公望のもとへ送りましょう」

 今のやり取りで申公豹の気は済んだようだ。満足したように口を閉じて、彼はそれきりに視線をやらなかった。
 黒点虎に近づくと、黒点虎はが乗りやすいように、少しかがんでくれた。それでもには少し高かったが、なんとか黒点虎の背によじ登った。

「申公豹、崑崙山でいいんだよね?」
「ええ」
「じゃあちゃん、しっかりつかまってなよ。だいぶ高いところまでのぼるからね」
「う、うん。ありがとう」
ちゃんは普通の人間だからね。途中で落としちゃったら大変だよ」

 黒点虎が宙へ浮いた。言いつけどおりに黒点虎の背に手を当てる。落としちゃったら、の言葉に不安を覚えたが、いざとなれば申公豹の背にしがみつくのでなんとかなるだろう。それくらい申公豹も許してくれると思いたい。
 の不安を感じ取ったのか、黒点虎はかなり安全運転で飛んでくれた。最強の霊獣の名は伊達ではなく、スピードは四不象とは比較にならない。およそ三十分で、崑崙山が見えてきた。
 崑崙山と書かれた巨大な岩は、近づいてみると所々に人の通る廊下が見えた。が降りられそうなところを探すと、黒点虎はそこに近寄った。

「ありがとう、黒点虎」

 安全運転のお礼を言って、黒点虎の顎を掻いた。彼は目を細めてごろごろと鳴いた。見た目は思いっきり猫なだけに、中身も猫に近い生き物なのだろうか。

「では、私はこれで失礼しますよ。次に会うときには、その宝貝の実力を見てみたいものです」
「はぁ……」

 また無茶なことを言う。使おうと思って易々と使えるのならば、とっくに試している。の不満をよそに、申公豹は去り際にこんなことを言い残した。

「あなたは仮にも私の妹弟子なのですから、無様な真似は許しませんよ」


5話←     →7話


inserted by FC2 system