ナタク一家と遭遇


 ここは殷北部、陳塘関近くの霊穴。太公望と旅をすることになった数日後、は四不象に乗って桃を探していた。太公望は釣りをしている最中だ。

「あ、アレ桃っぽい」
「行ってみるっス!」

 これから太公望とともに四不象に乗って旅をするので、今のうちに乗り心地に慣れておくという目的もあっての桃探しだ。もちろん、あくまで食料の確保が第一であるが。
 はこの世界に来たときの格好のままである。つまり会社帰りのパンツスーツ姿。世界観にミスマッチであることこの上ない。しかも動きにくい。スカートでなかっただけましだと思い込もうとしているが、折に触れて動きづらいのでなかなかうまくいってない。
 疑惑の木に近づいてみると、思った通り桃だった。それまで四不象が見つけるばかりで、が見つけたことはなかったので二人で喜び合う。

「よかった、桃だ!」
「今度こそ本物っス!」

 は近視眼だ。元の世界ではパソコンの画面ばかり見ていたので、眼精疲労から近視に発展したのである。だから今まで桃っぽいものを見かけてははずれだったのだ。
 太公望の元へ帰ると、彼は相変わらず、縫い針を釣り針代わりにした釣りをしていた。もちろん収穫はない。

「望ちゃん、今度こそ桃ゲットしてきたよ!」
「おお、ご苦労だったのう」

 四不象から降りて太公望へ桃を渡すと、よくやったと頭を撫でられた。
 太公望では少し呼びにくかったので、望ちゃん、と呼ぶことにした。ちなみに、敬語は最初の夜の時点でやめるように言われたので、あの夜以来使っていない。

「ふむ、だいぶスープーにも慣れてきたのう」
「うん。スープーは安全運転で飛んでくれるから」

 太公望の隣に腰掛けて一緒に桃を食べる。かじってみると、それは現代の桃とは違って少し硬いしそんなに甘くない。しかし、空腹の身にはなにを入れてもおいしいものである。
 なにせ、太公望は仙道。生臭を食べない上に少食だ。旅の荷物も少ない彼に、「おなかすいた」と言い出せずにいた。おかげでここ数日で少し痩せたような気がする。スープーが道士のくせに食い意地を張っている、と太公望を評していたが、それはあくまで仙道基準の話。ましてや飽食の現代日本から来たには、信じられないほど少食であった。
 これまで腹筋を駆使して必死におなかが鳴るのを我慢してきただが、そろそろ現代の食事が恋しくなってくる。そんなものを思い描いたところで、腹の虫を鳴かせるぐらいにしかならないが。

(早く、慣れないとなぁ……)

 悶々としているをよそに、太公望が桃をかじりながら話しかけてきた。


、体調はどうだ? 力が入らないといったことはないか?」
「うん、打ち身以外は元気だよ。力が抜けていくなんてことはないけど」
「おぬしが妲己から飲まされたものは、おそらく宝貝だ。今のところ悪影響はないようだが、本来普通の人間は触れただけで衰弱死する。取り除く方法があればよいが……」

 あんな異物を飲まされたのに、胃などの体内器官に異物感はない。王天君の言うように、もう馴染んでしまったのだろうか。

(消化された……とかじゃないよね。ていうかそもそも、宝貝が馴染むってどういうことなんだろう。でっかいビー玉みたいな感じだったけど、飲んでも体はなんともないし。謎が多すぎる……)

 陳塘関、ということは、もうすぐナタクが登場するはずである。ナタクといえば太乙真人。宝貝の第一人者である彼に診てもらえば、この名も知らぬ宝貝のことがわかるだろうか。

「ふむ、この辺かのう」

 と言いながら、太公望がいきなりの腹や背中に手を当ててきた。いきなりのことでびっくりしたが、彼は宝貝の気配を探ろうとしているのだろう、おそらく。太公望にされるがまま腹をしばらく撫でられていたが、やがてくすぐったさに耐えかねて笑い出しそうになる。

「ご主人、セクハラっスよ! ちゃんは女の子なんだから、そんないきなり触っちゃ駄目っス!」
「そ、そうかのう。当の本人、笑っておるぞ」
「あはははは、く、くすぐったい!」
ちゃん……もっと恥じらいを持つっス……」
「ごめん、もう恥じらいって歳でもないんだ……」

 などと騒いでいると、後方からズドン、と大きな音と衝撃が伝わってきた。振り返ると、中年の男がものすごい形相で走ってくる。

「たっ、助けてくれーっ!! 息子に殺されるー!!」



 走ってきた男は李靖。追いかけてきた息子は宝貝人間ナタクである。
 今はナタクの追撃を振り切り、陳塘関へやってきたところだ。ちなみに、四不象には二人しか乗れないので、李靖は四不象の足にぶら下がっている。

「違う違う違う!!」
「違わぬ違わぬ違わぬ!!」

 そして、太公望がナタクを揺さぶっている最中である。もう少しでナタクとの戦闘も終わる。
 は危ないから下がっていろとの言いつけを守り、李靖夫婦のさらに後方で待機していた。ことの成り行きを見守りながら、考えるのは太乙真人のことである。
 宝貝オタクと名高い彼に見てもらえば、の中にある宝貝のこともわかるかもしれない。物語はまだ始まったばかりで、宝貝に限らずとも知る機会はたくさんあるだろう。それでも、早く知るに越したことはないと思ったのだ。
 どごん、とすぐ右手の城壁が粉々に砕ける。ナタクの攻撃を太公望が防いだことによる流れ弾だ。粉塵が舞い、は思わず咳き込んだ。細かい石の破片が飛び散り、ぽつぽつと顔に当たった。

「違う違う違う!!!」

 再びナタクの一撃が来る。今度も太公望の起こした風で、ナタクの乾坤圏が狙いの太公望から逸れる。だが、その乾坤圏がちょうどのほうへ飛んでくる。考え事をしていたは、とっさに反応できずにいた。

!」

 太公望が叫ぶ。駆け寄ろうにも打神鞭を振るおうにも間に合わない。誰もがに当たる、と思ったその時。
 乾坤圏はの目の前で失速し、の足元に硬質な音を立てて落ちた。電池の切れた機械のように微動だにしなくなったのである。

「な……」

 太公望が言葉を失い、と乾坤圏を交互に見た。その視線にも気づかないで、は乾坤圏を見つめたまま呆然としていた。

(乾坤圏、あんなにスピードを持っていたのに、いきなり止まった……まるで、太極図を使った時みたいに……私の中の宝貝が影響したとか? それとも、私がこの世界の人間じゃないから宝貝が効かない、とか?)

 李靖の妻、殷氏がナタクを説得している声を遠くに感じながら、乾坤圏を拾う。やはり、宝貝に力を吸い取られるような感覚はない。そこらの石かなにかに触れているのと同じだ。

「望ちゃん……」
「…………」

 呆然と太公望の名を紡ぐ。
 ふたりの頭に浮かんでは消える疑問の数々。答えを持つものは、この場にはいない。



「うーん……それは興味深いね。ぜひともちゃんの中にある宝貝を研究したいところだけど」
「おぬし、に妙な真似はするなよ」
「わかってるよ。さすがに彼女を傷つけてまで宝貝を取り出すなんてできないよ」

 の目の前には、太乙真人がいる。太乙は、半歩分距離をとって、をまじまじと見つめている。その状況は、お世辞にも居心地がいいとは言えなかった。それが顔に出ていたのか、太乙は「大丈夫、何もしないよ」と微笑んだ。
 ちなみに、太公望は太乙の後ろで打神鞭の先を右手にぺん、ぺん、と打ち付けながら太乙を見張っている。宝貝オタクの太乙が暴走しないようにとのことだった。さらに彼の後ろには、太乙の宝貝に閉じ込められたナタクがいる。しきりに「ここから出せー!」という声と、中からの打撃音が聞こえてくる。

「うーん……やはり、彼女からは何も感じない。宝貝が効かないのは、おそらくちゃんの中にある宝貝の効力だと思うよ」
「本当かの?」
「ためしに、打神鞭を彼女に振るってみればいい」
「おぬしなぁ……そんなことをして、万が一がキズモノになったらどうするのだ」
「大丈夫だよ。たぶん」

 さぁさぁ、と太乙に促され、太公望は渋々打神鞭を軽く振るった。普段の打神風の半分以下の効力しかない風がに向かってきたが、やはりの前で風が霧散した。

「むう」
「ちなみにちゃん、今は何もしてないよね?」
「はい。突っ立ってただけです」
「うん、ありがとう。ごめんね、怖かったろう」

 と言って、太乙はの頭を撫でた。なんだかほっとして、はようやく笑みを浮かべた。太公望は太乙の手を跳ね除けると、の乱れた髪を直してくれた。

「すまん。守ると言っておきながら、怖い思いをさせてしまった」
「なに言ってるの。望ちゃんは精一杯私を守ろうとしてくれたじゃない」

 元はと言えば、あんな場面でぼうっとしていた自分が悪い、とは反省した。今回のことで、宝貝の効力が効かないということが判明したが、戦いの場で気を抜いていては太公望の邪魔になるだけである。今後は気をつけなければならない。

「太公望。ちゃんには、宝貝は効かないかもしれない。けれど、油断は禁物だよ」
「わかっておる。宝貝の起こした二次災害は普通に影響するのだろう。最初に会った時の落下もそうだが、破砕されて飛んできた石の破片はちゃんとダメージになっておる」

 は自分の右腕を見る。ナタクの乾坤圏で城壁が崩れた時、飛んできた石の破片で細かな傷ができていた。傷といっても薄皮が破れて少し血がにじむ程度だが。
 だが、宝貝の力は絶大。どんな事故に巻き込まれるかわからない上に、普通の人間であるにはとっさに対処しきれない。

「ちゃんと、しっかりしないとな……」

 太公望が何か言いたそうにを見ていたが、口を開くことはなかった。


3話←     →5話



inserted by FC2 system