太上老君と夢の中


 は王天君が作り出した空間へ移った途端に寝てしまった。
 宝貝になじむ、というのはどういう行為をすればよいのか、実のところよくわかっていない。疲れた様子でもなかった彼女が宝貝を体に入れた途端に寝入ってしまったことからすると、眠ることがの体なりの「なじませること」なのだろうか。
 王天君はを空間内に置いてあるソファへと放り投げた。そして自分は、対面に置いてあるもう一つのソファに深く腰掛けた。肘置きに体を預けるようにしてもたれる。

「くそっ……さすがに異世界に空間をつなげんのは疲れたぜ……」

 仙力のほとんどを使ってしまった。がいつ起きるかわからないので見張りも兼ねて起きていたいところだが、まぶたが重い。
 結局眠気に抗いきれず、王天君も眠りにつき、空間内は静寂に包まれた。



 気がつくと、目の前には草原が広がっていた。
 草原の所々に羊がいる。遊牧民のものらしきテントのようなものがみえるが、人は見当たらない。

「……ん? ここは……」

 辺りを見渡す。やはり羊と草原、まばらに飛んでいる鳥が目に入ってくるだけだ。先ほどまで禁城にいたはずだが、ここは一体どこなのだろう。王天君の作り出した空間だろうか。

「いや、それはない」

 彼が作るものはこんな牧歌的な空間ではない、とは思う。こんな平和な風景は彼の性格的に作らないだろうとなんとなく思った。
 じゃあここはどこなのか。がうんうん唸っていると、背後から声をかけられた。

「あなたは、誰……?」

 振り返ると、明るい水色の髪の人物がふわふわと浮いていた。一見すると、女性と見紛う整った顔立ちをしているが、胸がまな板なので男性、だろう。
 男性はいかにも眠そうな様子で、目を半開き程度に開けている。一応、を不思議そうに見ているのだろうか。

(……この人、太上老君、だよね)

「あ、えっと……私はといいます。貴方は……」
「私は老子。、あなたは普通の人間なのにどうしてここにいるの? ここは、ジョカの夢の中だよ」

 ひらひらと、長い袖を振りながら老子は言った。なるほど、だから人間の姿が見当たらないのだ。どんなことがあろうと現実の世界では眠っている老子も、ここでは起きている。

「えっと、なんて説明すればいいのかな……その、妲己に連れてこられたんです」

 は、事情を包み隠さず老子に話した。たとえ隠し事をしても、老子相手に嘘が通じるとも思えなかったので正直に。要領を得ないままの説明は自分でもなにを言っているかよくわからなかったが、老子は一通り話を聞いてくれた。というより、が一つのことを話せば老子は十のことを心得た様子で、言葉をかみ砕く必要がなくスムーズに説明が進んだ。
 すべて話し終わると、老子は何かを考え込むように黙った。

「あの……私はこれから、どうすればよいでしょうか」
「……あなたはどうしたいの」
「帰る手段があるのなら、帰りたいです。でも」
「……そうだね。空間を裂くだけならまだしも、時間を越えるとなると私にもできない。王天君は仙力を使い果たしたようだし、こんな芸当ができる人となれば、残るは始まりの人」
「……始まりの人を頼ると、私は妲己に殺されかねないのでは」

 うん、と老子は頷いた。始まりの人といえば、今の時点ではジョカのことを指す。ジョカに接触するとなると、妲己の計画がジョカに伝わることは避けられない。そんなことを妲己が許すはずがない。今は、元の世界に帰る手段はないということである。

「となると、私は」

 どうすればいい、と言おうとしてやめた。老子はどうしたいかを聞いているのだ。
 こんな世界に勝手に連れてこられて、変なものまで飲まされて。おまけに、妲己の意に沿わなければ命の保証はない。理不尽すぎる目に遭って当然腹は立っているが、怒りに任せて行動しても死ぬだけである。死にたくない、無事に元の世界に帰りたい。

「妲己の言うことが本当なら、私は最後まで生き残るんだと思います。というか、なんとしてでも生き残って、なんとか元の世界に帰らないと――帰りたいです」
「……そう」

 最後には伏羲が出てくるはずだ。彼ならを元の世界に帰すこともできるかもしれない。
 老子はまた黙りこんだ。が見つめる中、老子はまぶたを閉じてそのまま寝てしまった。はあわてて立ち上がり、失礼とは知りつつも老子の胸倉をつかんだ。

「ちょ、ちょっと、いきなり寝ないでください!」
「………………え、何…………?」
「何じゃなくて、他にも色々教えてください!」
「ふあぁー……一体、何を知りたいの?」

 眠そうにあくびをしながらも、老子は一応教える気があるようだ。はほっと息をついて老子の服から手を放した。

「私が飲み込んだ宝貝についてなんですけど、どうやって使えばいいんですか?」
「……自然を操る宝貝か……妲己はなんと?」
「自然を思いのまま扱えるようになりなさい、って。王天君は、術者一体となって初めて使うことができる、まずは体になじませることからだ、と」
「うーん……私にもその宝貝がどんなものか、よくわからない。でもなじませるということなら、まず自身がこの世界になじむことが必要だよ」
「私が?」
「何事にも流れが存在する。あなたに宝貝を使う必要があるのなら、おのずとその時はやってくる。それまで、あなたはこの世界で生きていくこと。この世界を知ること」
「え……それだけでいいんですか?」
「普通の人間が、宝貝に何かしようとは思わないことだよ」
「はあ……必要に応じて使うこともあるんですよね、おそらく。その時も、流れに身を任せる、ですか?」
「うん。あなたは中々賢いね」

 はぁ、とだけは返した。老子は相変わらずふわふわ漂っている。

「生きていくといっても、私はこの世界でなんのあてもありませんよ」
「そんなことないよ。あなたは封神計画に関わる人物と一緒に居るといい」

 考えてみれば、老子は王奕を知っている。の目的と妲己の目的を踏まえると、封神計画の遂行者である王奕、つまり太公望のそばにいることが一番の近道といえる。

「うーん……でも、本当にこの世界でやっていけるんでしょうか。読み書きとか」
「……心配なの? 大丈夫。この世界の文字はあなたの世界での文字に見えるし、あなたの世界の文字はこの世界の文字に見えるよ」
「心配しなくていいってことですか?」
「本来はあなたの世界の言語とこの世界の言語は別のものだけど、私とあなたは問題なく意思疎通できるでしょう。読み書きだって同じだよ」
「あ……なるほど」

 ようするに、まったく別の言語であろうと両者間でそれぞれの言語に変換されてやり取りできるということだ。それならば問題ない。
 老子は、いよいよ眠い、といった様子であくびをした。

「もう質問はない?」

 そうやって問われると、すぐには出てこないものだ。が唸っていると、老子はどこから出したのか「一発覚醒くんハイパー」と書かれたピコピコハンマーのようなものを持っていた。を起こす気だ。

「う……」
「……そんなに心配しなくても、あなたはそれなりに賢いから、やっていけるよ」
「そうだといいですけど……」
「またね」

 老子は一発覚醒くんハイパーを構えたが、ふと思い出したように再び口を開いた。

「そうそう……薄々わかっていると思うけど、あなたはこの世界に干渉はできないよ」
「……干渉、ですか?」
「流れを変えられない、ということだよ。今みたいに、この世界で生き、人と交流できる。でも、たとえ交流した人が死ぬとしても、あなたにはどうすることもできない。どんなに助けたいと、流れを変えたいと思ってもね」
「私が、この世界の人間ではないから?」
「そう。あなたはこの世界の理の外にいる。時にはつらいこともあると思うけど、これはどうしようもないことだよ」

 つまり、封神演義のストーリーは変えられないということだ。これからが関わる人たちをどんなに大切に思っても、命までは助けられないのだ。
 今はまだ、実感はない。こうして普通に老子としゃべっている今は。だが、この先は。何年も過ごすことになるこの世界で、そのことを受け止められるだろうか。

「……はい。肝に銘じておきます」
「うん。またね」

 老子はそう言うと、今度こそ一発覚醒くんハイパーをに振るった。ぴこっ、と音が鳴り、頭に軽い衝撃が走る。は次の瞬間、闇の中にいた。


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