4.食べちゃうぞが冗談に聞こえません



に出会って、俺は世界を変えられた。
俺の父は科学者だ。その道では、名を知らぬ人がいないほど、有名な科学者だ。
母はいない。俺が物心つく前に他界した。
父は忙しい人だ。決して愛情がないわけではないが、二人で暮らすマンションにいることはあまりなかった。夜遅くに帰ってきて、俺より先に起きて出て行く。
俺は意図せずして、父と同じ分野の科学者を志した。ほかにも興味のあることはあったが、その道を選んだ。
高校三年、大学は努力が実り、受かった。そして、まったく意図しない賛辞を受けた。
「さすが、不動博士の息子さんだ」
思い浮かばなかったわけじゃない。しかし、実際に言われてみると、素直に受け止めきれない言葉だった。
父と同じ道を選ぶということは、「不動博士の息子」がついて回る、ということ。
急に現実味をもったその意味に、押しつぶされそうだった。
思わず、友人であるクロウの部屋に押しかけた。少しでも重圧をまぎらわすために。
クロウは終電まで付き合ってくれた。俺の様子には、気付かないフリをしてくれたようだった。
しかし、帰りの電車の中、また重圧が襲ってきた。
これからの人生で何度これを味わうのだろうか。自分で選んだことだから、文句の言いようもない。
強く両手を握り締め、うつむいた。
自分の情けなさと、どうしようもない現実に打ちひしがれていると、突然、手をつかまれた。
俺の右手に何かを握らせた手。視線を上げると、若い女性が笑っていた。
「明日明日!元気出せ!」
ぽんぽん、と強く肩をたたかれる。その衝撃で、肩に乗っていた重いものが降りていくようだった。
彼女は電車を降りていった。俺はあわてて立ち上がるが、電車のドアは閉まった。
スライドしていく窓の景色の中、あの人の後姿を見つけ、目に焼き付ける。
あの人は一体?どんな顔だった?降りた駅名は?
それまで鈍い回転だった頭が、勢いよく回りだす。
俺は右手を開く。そこには、あの人がくれた、二粒のチョコレート。
一粒食べてみる。甘くて、舌に残る味。なぜだか、ほっとする味だった。



それから、熱に浮かされたように、彼女のことを考えた。
どういう人なんだろう。名前は、年齢は、好きなものは、学校は、…………恋人は。
知りたくて、彼女のことが知りたくて、あの駅で張り込んだ。あとをつけた。
名前も、年齢も、学校も、知った。恋人はいないみたいだ。
気付けば、俺は高校を卒業していた。彼女のことしか頭になかった。
恋人もいないみたいだから、思い切って告白した。ホワイトデーだと言って。
理由なんてどうでもいい。彼女に声をかける口実なら、なんでもいい。
彼女は戸惑っているようだった。断られた。でも、俺を嫌っているようではなさそうだった。
それから、いつも彼女の周りをついて回った。彼女は露骨にいやがっていたが、俺は構わなかった。
仕方ないんだ。彼女がいやがらないように、無難な男でいるなんて、それだけは嫌なんだ。
だってそうだろう。彼女は、きっと無難な男なんてどうでもいいから、恋人を作らないんだ。
彼女の特別になるには、いやがっていてもいいから、他の男とは違う感情を植えつけるしかない。
幸い俺は、真性の変態らしい。印象付けるには事欠かなかった。(自覚はなかったが、彼女が真顔で言っていたから、そうなんだろう)
でも、もう少し近づきたい。そろそろ、俺の限界も近い。
さあ、次はどんな手をとろうか。



「…………せい、遊星!」
に呼ばれて、意識を戻した。どうやら考えにふけっていて、ぼうっとしていたようだ。
が怪訝そうな顔で俺を見ている。この視線が好きだ。もっと変なものを見るような目で見て欲しい。蔑んで欲しい。
「どうしたの、いきなり黙り込んで」
「いや、君の事を考えていた」
本当のことをいうと、は視線を強くしてきた。もっと睨んで欲しい。その分、君は俺を見ているから。
「…………話を元に戻すけど、何か食べたいものある?この前おごってもらったから、お返し」
この前とは、アイス屋に寄った日のことだろう。コーンに垂れた白いアイスを舐めるに欲情して、我を忘れて写真を撮ってしまった。
うかつな行動のせいで、俺のフォルダが消されてしまった。まあ、パソコンにバックアップを取っていたから問題ないが。
想像だけで抜くのもいいかもしれない。もっとも、想像だけなら俺たちは何十回とやりまくっているが。それも、はとんでもなくいやらしくなっている。
「君が食べたい」
そんなことを考えていたら、つい本音が口をついて出ていた。
…………真っ赤な顔して、そんなに睨んでも、可愛いだけだぞ



「人の厚意を無駄にしやがって!まともに答えろ!」
「すまない、つい本音を言ってしまって」
「おいぃぃぃ少しは否定しろよ!冗談に聞こえないから余計怖いんですけどぉぉぉ」
「怖がるも可愛いな……ハァハァ」



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