小ネタ 太公望に今日の運勢を占ってもらうぐだ。付き合ってない


「おや、マスター。今日は読書ですか?」

 藤丸が地下図書館の一席に座って本を開いていると、糸目の痩身の道士――太公望が声をかけてきた。今日は、の部分に珍しいという意味をくみ取ったは、苦笑いをこぼした。

「うん、まあ。この後の素材集めまで時間があるから、ちょっと立ち寄ってみたんだ」
「ふむ。相変わらずお忙しいですね、マスターは。僕はほぼ毎日ここに入り浸ってますけど、あなたをここで見かけたのは初めてなので、つい声をかけちゃいました」
「確かに、普段はなかなか来れないかも。一応、新所長に言いつけられたレポートとか書くために本を借りていったりすることはあるんだけどね」
「なるほど、ただ読書を楽しむという点では、僕が召喚されてからは初めてということですね。で、なにを読んでるんです?」

 身を乗り出してきた太公望に、持っていた本の表紙を見せてやると、彼は糸目を丸くした。

「封神演義、ですか」
「うん。読んだことなかったなあと思って。太公望――姜子牙が活躍してる場面で本人に声をかけられたから、さっきほんとはびっくりしてたんだ」
「へえ、どれどれ……ああ、算命館のところですね」

 算命館というのは、崑崙山を無一文で下山した太公望が当面の生活のために開いていた占いの館のことだ。商売を色々とやってみたものの、どれも上手くいかなかった太公望がようやく成功させた金稼ぎである。

「太公望、占いも得意なんだね」
「ええ! 占いというと西伯侯――文王のほうが話題になりがちですけど、僕も外したことはないんですよ」

 隣の席に座った太公望が得意げに胸を張った。確かに、本の中の太公望も、半信半疑で算命館にやってきた薪売りの男にぴたりと占いを当てている。姜先生は本物だと感動した薪売りが呼び込んだ客にも占いを当て、その評判がまた客を呼び……と、算命館を開いて四、五ヶ月後にようやく収入を得ることになるのである。

「なんなら、殿も占ってみましょうか?」
「え、いいの?」
「もちろん。今日の運勢くらいならすぐにでも」
「じゃあ、せっかくだしお願いしようかな」
「ではお手を拝借」

 と言うと、太公望はの右手を取った。手相を見るかのように手のひらを見つめている。
 太公望は何気なくの手を取ったのだろうが、彼のような整った容姿の異性に手を握られると、さすがのも少し意識してしまう。内心の動揺を悟られないよう、平常心と自分に言い聞かせる。

「おや、これは」

 言うや否や、手のひらの小指の下のあたりにある、膨らんでいる箇所を親指で軽く揉んだ。すると、鈍い痛みが走った。凝っているらしい。

「いたたた」
「やっぱり。お疲れのようですね、マスター。それもデスクワークで」
「う……確かに、新所長から言いつけられたレポートを昨日書き上げたばっかりだけど……」

 カルデアのマスターとして、座学がまったくないわけではないが、それでも体を動かしていることのほうが多い身だ。パソコンと向き合い、慣れないレポートに追われるのは、にとっては疲労がたまることなのだ。

「うーん……この後の素材集めなんですが、まあ悪くはありません。でも、得られる成果としては良くもないですね。別の日にしたほうがよいでしょう」

 凝りをほぐすようにの手のひらを両手で揉みながら、太公望が占いの結果を告げた。

「え、そうなの?」
「ええ。どうせやるなら効率よく集めたいでしょう?」
「うん」
「なら、今日はあまりおすすめしません。行くなら止めはしませんが、それよりも別のことをしたほうが賢明ですね」

 素材集めはシミュレーターとはいえ戦闘があり、その戦闘に駆り出されるサーヴァントがいる。付き合ってもらう以上、かけた労力に見合う成果は欲しいところだ。

「そっか……なら、太公望の言う通り、別の日にしようかな」
「ええ、それがいい。そして空いた時間にやることなんですが。お疲れの殿に、とっておきのリフレッシュ方法がありますよ」

 満面の笑みを浮かべる太公望を見て、なぜだか言わんとすることがわかってしまった。絶対、釣りと言うつもりだ。
 そして次の瞬間、その通りになった。

「釣りに行きましょう、殿」
(やっぱり……)
「釣りなら体を激しく動かすこともないですし、自然の中に身を置いて無念無想、いい気分転換になりますよ! ね、行きましょう!」
「でも、太公望も本を読みに来たんじゃないの?」
「それはいつでも僕ひとりでできますし。殿と釣りにいけるチャンスなんて、これを逃したら次にいつになるか。だから、ね?」

 の手を握りながら迫ってくる太公望に、やはりこの男の言いくるめスキルは一流だと改めて思う。いや、仙術やほかの色んな知識においても一流ではあるが。

「わ、わかった、一緒に釣りに行くから……その、そろそろ手を離してもらえるかな」

 近くなった太公望から逃れるように身を反らしながら言うと、太公望がきょとんとした顔になった。

「あ、すみません、握りっぱなしで。嫌でしたか?」
「嫌じゃないけど、太公望みたいなイケメンに手を握られながら迫られるとドキドキしちゃうから」
「え」
「だから、太公望かっこいいし、手を握られながら見つめられるとドキドキするって。太公望のこと好きだから余計に」

 以前に太公望と部屋で世間話をした際、「マスターのことは好きですね」と言っていた。人への好意をさらっと言う人なんだなあと思ったので、ちょうどいい機会だしも口にしてみたのである。
 これには太公望もびっくりしたようで、薄紫色の瞳を見開いた。がそんなことを言うと思っていなかったのだろう。人に対する好意はさらっと表現するが、人からの好意には鈍い一面がある。

「そ、そう? いやあ、照れるなァ」
「前に自分でイケメンて言ってたのに?」
「それはそれ、これはこれ。殿にそう言ってもらえるとは思っていませんでしたし。嬉しいですね」

 イケメンを自称する割にの言葉に素直に照れている。この調子のいい照れ顔を見ていると、まで照れくさくなってきた。悔し紛れに太公望の手から自分の手を引く。

「も、もうその話はいいから。今日の素材集めに付き合ってくれる予定だったみんなに、中止になったことを伝えなきゃいけないから、そろそろ行かなきゃ」
「ええ。では、僕は先にシミュレータールームに行ってますね」

 立ち上がった太公望に返事を返そうと、隣を振り返ろうとした。そのの両肩に、白い手がそっと乗った。

「――ああいうこと、あんまりほかの男に言ってはいけませんよ」

 耳元のごく近く――ともすれば、そのくちびるの温度が伝わってきそうなほどの――で聞こえた低音。

「では、また後で。殿」

 どういう意味だと聞こうとした時には、太公望は地下図書館を去っていくところだった。残されたは、封神演義の訳本を手に、のろのろと立ち上がった。

(今の、なんだったんだろう)

 太公望の発言の意味も、なにをされたのかも、今のにはよくわからなかった。
 ただ、心臓の音は、先ほど彼に手を握られた時よりも、ずっとうるさかった。


←小ネタ11          小ネタ13→



inserted by FC2 system