やきもちキス


「……それでね、ニキチッチ。お風呂上がりのが疲れた様子だったから、僕が髪を乾かしてあげてね」
「……お前がマスターの部屋に勝手に入り込んでいたことは、もう誰も突っ込まないのか」
「え? だってももう気にしてないですよ? なにも言わないし」
「それは、たぶん、呆れてるだけだ」
「えー」

 ある日のストームボーダー。とある戦闘用シミュレーター内では、太公望とニキチッチが戦闘の合間に恋バナに花を咲かせていた。太公望が終始ニコニコと恋人であるの話をする中、ニキチッチは戦斧の手入れや、四不相と戯れている愛馬を撫でて太公望のほうを向いていない。明らかに話半分の様子だった。

「まあそれはいいとして。でね、髪を乾かしてると、ドライヤーの熱でがうとうとし出したんです。すっごく眠そうなのに寝ちゃいけない、でも眠くてしょうがないって感じで船を漕ぎだして、そのうち思いっきりガクンてなっちゃって。その後ハッとなったのかすぐに僕のほうを振り返って、顔真っ赤にして『寝てない! 今のは寝てないから!』って言うんです。髪を乾かしてもらってるのについ寝ちゃって、僕に対して申し訳なくなったんでしょうね。あんまりにも慌ててるからついつい笑っちゃって、そしたら恥ずかしそうに僕に抱き着いてきてね。今のは忘れて、っていいながら顔を隠そうとするんです」
「……それで?」

 一体なんの話なんだろうか……と思いつつ、ニキチッチは一応先を促した。
 太公望は、興味薄そうな様子を隠そうともしないニキチッチのほうを向いて、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに満面の笑みになった。

ってほんと、可愛いなあ〜……って」

 もう可愛くて可愛くてしょうがない。恋人の初々しい姿にすっかり緩み切った表情になる太公望に、ニキチッチのイライラが頂点に達した。黒いおかっぱ頭に向かって迷うことなく拳を振り下ろす。

「いだっ! いきなり殴るなんてひどい!」
「ひどいのはお前の話の内容だ! 惚気話とはいえ、聞いてやってるこっちの身にもなれ! 色ボケにもほどがある!」
「えー、だってがなにをしてても可愛い〜って思っちゃうんだから、そういう話になるのは必然というか……」

 ニキチッチの耳がイカのように横にピンと張りつめたのを見て、太公望は口答えをやめた。また殴られてはかなわない。
 ニキチッチはまだイライラしているようだったが、太公望が一旦大人しくなったのを見て座りなおした。その横で四不相と愛馬が戦々恐々としている。

「それで、風呂上りに髪を乾かしてあげて、その続きは」
「え? おやすみのキスをして、僕は退散しましたけど」
「……? キスだけで?」
「まあ、今はまだね。はまだ心が追いついてないし、僕ものそばにいられるならそれで充分ですから」

 と答えると、ニキチッチはあきれた様子で息を吐いた。

「まあ、それでいいならいいんだろうとは思うが。お前、そんな暢気なことでいいのか」
「暢気、というと?」
「マスターはみんなのマスター、だぞ? 一体どれだけのサーヴァントがマスターを取り囲んでると思ってるんだ」
「それは……」

 そんなこと、ニキチッチに言われるまでもなく承知している。だから日中はこうやってちゃんとを手放しているではないか。ちなみに今は新所長や経営顧問らと戦術面の講義中である。軍師としては、ついていっても怒られない可能性を模索しつつ、に公私混同させるわけにもいかず、マスターとしてのの顔を立てている。

「知っているか、ジークとは戦闘が終わるとハイタッチしてうえーいと言い合っているらしいぞ。仲がいいな」
「も、もちろん知ってますよ。ほら、ってノリがよくてさっぱりした性格だから、同年代の男友達多そうじゃないですか」
「そうだな。俺も、マンドリカルドとマスターが仲良さそうに遊んでいるところを見かけるしな」
「……う、うん、そう、彼、とすごく仲良さそうですよね、マイフレンドとかいって……」
「しっかり不安になってるじゃないか」

 だんだんと自信をなくして肩を落とす太公望に、再び大きなため息をつくニキチッチ。この男、知恵者を自称して、実際有能ではあるのだが、自分や他者――この場合はだが――に対する感情については途端に煮え切らない。天然気質も合わさって、いつかとの間に事故でも起きるんじゃないかとニキチッチは懸念している。

「物わかりがいい大人の男を演じるのもいいだろうが、それだけでを自分のもとに縛り付けておけると思ったら大間違いだぞ。相手に求められるのもまた愛の喜びだろう。まあ、に彼氏彼女候補がたっくさんいることは、知恵者のお前がわかってないはずないだろうがな」

 肩を落とした太公望は、そのままがっくりと地面に手をついてしまった。

(そんなことは、十分わかってるつもりなんだけどなァ……)

 その後、ニキチッチに言われたことを引きずって、結局戦闘シミュレーターには集中できなかった。を取り囲むサーヴァント、という光景は容易に想像できるし、実際によく目にする。みんなのマスターということは、とっくに承知しているのだ。のだが。
 戦闘シミュレーターを出た太公望が食堂までとぼとぼ歩いていると、前方からの声が聞こえてきた。見ると、新しい白い魔術礼装に身を包んだが、同じく食堂に向かって歩いていた。

「り、」
「――なんだ、目の下に隈できてんじゃねえか。おまえさん、ちゃんと寝てるのか?」

 声をかけようとした太公望だったが、若い男の声が聞こえてきて口を閉じた。ちょうど死角になって見えなかったが、の隣に、とよく似た色合いの髪を持つ若武者がいた。
 実際には刀鍛冶らしい若武者は、の頬を見下ろしながら眉をひそめている。

「え、寝てる寝てる、睡眠時間は昔と全然変わってないよ」
「ふぅん? すると、寝つきが悪いのか、眠りが浅いのか? 夢は見るのか?」
「見るような、見ないような……見たかもしれないけど、起きると全然覚えてなくて」
「まぁ、そうか。戦闘訓練だの微小特異点だの、忙しくしてる割には眠りの質は良くねえみてぇだが、儂は魔術的なことはからっきしでなあ。なにか力になってやれると良かったんだが」
「いやいや、その気持ちだけで十分だよ。どうしてもって言うんなら、またお餅焼いてくれると嬉しいかな」
「あん? あの火鉢はおまえさんにやっただろうが。……まあ、餅が手に入ったら、だな。それまでは、あの赤い弓兵にでも寝つきが良くなるモン作ってもらえ」
「やった! ありがとう村正! きなこ、砂糖醤油、磯部餅!」
「ったく、しょうがねえなあ」

 などとじゃれ合いながら食堂に向かっていくふたりの姿は、まるで仲睦まじい兄妹のようで。その間に割って入ることができず、思わず後姿を見送ってしまった。
 別に遠慮する必要なんてない。堂々と彼氏面で混ざっていけばいいじゃないか。彼氏面じゃなくても、普通に会話に入っていくこともできるはず。なのに。
 とほかの男が親しげに話しているところを見るだけで、胸の中心が不快になる。その不快感を押し殺して表情を取り繕っているだけで余裕がなくなって、そこに割って入るまでには至らない。誰に言われるまでもなく、嫉妬だと自分でわかっている。

(こんなのは、僕が我慢していればいいだけのことなんだろうなァ……)

 だって、いちいち気にしていたらきりがない。ニキチッチも言ったように、を慕うサーヴァントはそれこそたくさんいるのだ。縁あって契約を結んだマスターとは、誰だって交流を持ちたいだろう。交流を持ちたくないサーヴァントも少なからずいるが、交流は持たないまでものことは気に入っている、ということはままある。
 それに、恋人の地位を脅かされたわけでもない、あんな他愛もない会話にすら嫉妬を覚えるなんて、に言えるわけがない。まだ二十年そこそこしか生きていない少女に、年長者の自分がそんなこと言って、気を遣わせてどうする。
 大丈夫、とふたりの時間を過ごせば、そんな些細な嫉妬はすぐに忘れる。だから、一時のことだと思って耐えればいいだけのこと。

(ふたりっきりになれば、僕にしか見せない顔をしてくれる)

 そう、太公望にしか見せない、可愛い一面を。それを独り占めできるなら、自分の嫉妬なんて瑣末なことなのだ。

 ***

「――太公望? どうしたの?」

 の声で、思案に沈んでいた太公望は顔を上げた。
 見ると、太公望に背中を向けて座っていたがこちらを振り返っていた。就寝前のふたりで過ごす時間、の髪を梳いている最中に考え込んでしまったらしい。になんでもない、と笑顔を返すと、まだ少し怪訝そうな様子であったがそれ以上の追及はなかった。

「はい、終わりましたよ」
「うん、ありがとう」

 太公望が櫛を置くと、が体ごと太公望に向き合った。オーバーサイズのTシャツと短パンという、ラフな寝間着スタイルである。オーバーサイズだからこそ体のラインがくっきりとあらわになる上半身と、短パンからすらりと伸びた白い脚がまぶしくて、最近この時間の目のやり場に困っているのは秘密である。
 正面に向かい合ったを抱き寄せて、くちびるを重ねる。うっすらと目を開けると、の頬が紅潮しているのがわかる。
 ああ、幸せだ。こんなふうにがくちびるを許すのは僕だけ。体に触れるのも、指を絡ませるのも――。
 いつまでもこうしていたい。けれど、ふたりの時間は限られている。の睡眠時間を削るわけにはいかない。

「今日も一日お疲れ様でした。おやすみなさい、
「……う、ん」

 くちびるは離したが名残惜しく指を絡ませていると、がなにやらもじもじとしている。太公望の手をも握って離そうとしない。おやすみを言うと大体手を離すのに。

「あの……もう少しここにいて、って言ったら、ダメ?」
「え」
「もうちょっと、一緒にいたい、んだけど」

 そう言った後、かーっと顔を赤くしたを、一も二もなく抱きしめたくなった。僕もそうしたい、ずっとそばにいたい。なんなら添い寝したい。
 だが、夕食前に聞いた村正との会話が頭をよぎる。確かに睡眠の質はここのところ良くないように見える。

「……でも、疲れてないですか? 早く休んだほうがいいのでは……」
「……本当は、そうしたほうがいいってわかってるけど……今日は、もうちょっと太公望といたい。その、もっと」
「もっと?」
「……い、いちゃいちゃ、したい……です」
(か、可愛い……)

 尻すぼみになっていくの言葉の意味を理解して、問答無用で押し倒したくなった。恋人にこんな可愛いことを言われて、一体どれだけの男が大人の仮面を保てるだろうか。太公望も危うくを襲うところだったが、長年の修業のおかげでこらえることができた。

「フフ……じゃあ、少しだけ。もっといちゃいちゃしましょうか」

 忍耐は試されるけれど、嬉しいことには変わりない。にっこりと笑みを浮かべると、はほっとしたように肩を下げた。
 怖がらせないようにそっと細い肩を抱き寄せて、空いた手での顔を上げさせる。

、口を開けて」
「んっ、……!?」

 薄く開かれたくちびるに吸い付いてから、口の中に舌を滑り込ませた。初めて舌を入れられたことで、の体が強張るのが伝わってきた。口の中で固まっていたの舌に絡みつく。びっくりしたように奥へ引っこもうとするそれを追いかけて、舌先でチロチロとくすぐってやる。

「ん、んぅ……」

 ざらざらした舌の感触に、が喉の奥で声を上げる。色っぽいとまではいかないものの、太公望を煽るには十分だった。体が熱くなっていく感覚がじわじわと理性を蝕んでいく。
 一旦口を離すと、が乱れた呼吸をした。そこまで長く吸い付いていたつもりはないので、また息をするのを忘れていたのだろう。

「可愛い」
「う……からかわないでよ」
「まさか、からかってなんて。でも、少しずつ鼻から息をするのに慣れましょうね。色事に慣れないあなたもすごく可愛いけど、もっと長いキスもしたいから」
「……!」
「ほら、顔上げて、
「ん……」

 また舌を絡ませる深いキス。今度は、の舌は逃げなかった。
 くちびるを合わせる直前に見た、の表情。真っ赤に染まった頬と、太公望の唾液で濡れたくちびる、初めてのことに戸惑いつつも拒んではいない金茶の瞳。
 それらを見た瞬間の、背中に走るゾクゾクとした感覚。彼女のこんな表情を見るのは自分だけ。彼女の恋も愛情も欲望も、今この時は太公望が独占しているのだ。
 そう思うと、を自分だけのものにしたいという気持ちが止められない。

「あ、んっ……!」

 の舌はまだ固い。自分からはどうしていいのかわからないといった様子がありありと伝わってきた。しかし、ゆっくりと絡みつく太公望の舌から逃げようとはしない。むしろ、ぎこちなくともからも舌を押し付けてきているような感触もする。

(――無理かも、我慢)

 唐突にそう悟ると、太公望は舌を入れたまま、をベッドにゆっくりと押し倒した。態勢が変わったことで再びの体が強張る。安心させるように額や瞼、頬にキスをしてやる。顎の先から喉元にくちびるで触れると、がさすがに困惑の声を上げた。

「太公望……? どうしたの、なんかいつもと違う?」
「……いつもと違うように見える?」
「なんかちょっと……余裕ない感じ? 上手く説明できないけど……」
「……そう、かも」

 まさか、言い当てられてしまうとは。巧妙に大人の仮面を被っていたつもりなのに、さすがといったところか。ほかの男と仲睦まじい様子を見てしまってから、心がずっとざわついている。

「僕、自分で思っているよりも嫉妬深かったんだなあ……」

 まさかと一緒にいる時もあの光景が頭から離れないとは。誰も知らない、太公望だけが知っているを見る時だけ、この心のざわつきが治まる。嫉妬の苦みよりもずっと甘美で強烈な独占欲が満たされて、もっともっととその先を求めてしまう。
 嫉妬を我慢するなんて無理だった。大人の仮面を被ることで、可愛い恋人を自分だけのものにしたいと思う心を抑えこんできたのに、嫉妬のせいでそれも難しくなってしまう。だからといって、がカルデアのマスターである限り、嫉妬しないことなんてないだろう。の心も体も自分のものにしても、おそらくこの苦しみは続く。
 長い息を吐く。我慢すれば丸く収まると思っていたが、それができないとなると、どうしたらいいのか。

。僕のこと好き?」
「な、なにいきなり……す、好き……」
「もっと一緒にいたい?」
「う、うん、そりゃあ……」
「僕も。僕も好き、もっと一緒にいたい。僕の知らないところでほかの男と過ごしているなんて、本当は……」
「……!」

 まあ、仙術を使えば日中のの様子を知ることは容易いが、知ったところでどうすることもできない。がみんなのマスターであることはどうしようもないからだ。
 太公望を見上げてくるの目は、先ほどまで大人のキスに狼狽していたものと同じとは思えないほどまっすぐだ。太公望がなにを言わんとしているのか、なにを思っているのかを読み取ろうとしている。体勢こそ太公望がに覆いかぶさっていて艶っぽく見えるが、ふたりの間に流れる空気は艶っぽさとはかけ離れていた。

「私にできることはない?」
「そう、ですね……じゃあ、もっと僕との時間を増やしてほしい、って言ったら? 僕だけのあなたでいてくれる時間がもっと欲しい。こうやって触れて、口を吸って、その先も……」
「その先、って……」
「いくらでも待つって言ったけど……もっと、僕だけのあなたを知りたい。……ダメ?」

 くちびるを突き出せばの口に届きそうな距離で囁く。頬に軽くキスをして、耳元にも触れるだけのキスをする。頬から首筋へゆっくりと手を這わせ、さらに鎖骨を経由して胸元に触れる。の体は一度小さく動いたが、その後はおとなしかった。

「いいよ、もっと一緒にいよう、太公望」

 はっきりとしたの声に頭を上げる。はやはり、まっすぐに太公望を見つめ返してきた。

「要するに、私が太公望を独占する時間を増やせばいいってことだよね? なら全然構わないよ。むしろ、え、いいんですか、という感じ」
「……いいんですか?」
「うん。……まあ、私もどうしてもやきもち焼いちゃう時とか、不安になったりする時あるし。自分だけが知ってる相手の一面を増やしたいって気持ちは、わかるよ」
「それは……」
「太公望はあんなに毎日好きって言ってくれてるのに、不安になるなんておかしいって自分でも思うよ。でも、どうしても考えちゃう時があってね」

 おそらく、妲己のことだ。恋人になる前もひと悶着あったが、忘れられないと公言してしまったことといい、契約しているサーヴァントの中にも妲己によく似た英霊がいることといい、完全に平気な顔はできないのだろう。それでなくとも太公望は妻帯者であったし、普段はなにも言わないだけで思うところはあるのだ。

「あと、その……太公望がほかのサーヴァントにやきもち焼いてくれてるって知って、ちょっと安心したというか、嬉しい……」
「嬉しい?」
「なんていうか、太公望でもそうなるんだ、って……太公望はいつも大人っていうか余裕あるし、道士として修行してたから、やきもちとか焼かないんだろうなって思ってた。あとは……本当に両想いなんだなあって……」

 などと、可愛いことを可愛い顔をして言うものだから、我慢できずにに抱き着いた。
 確かに、こんな嫉妬なんて言えるわけがないと、今までに明かしたことがない。それがにはそんなふうに見えていたなんて、思いもよらなかった。
 の言う通り、より人生経験もあって道士として修行もしてきて、本当は余裕のあるところを見せたかった。けれど、みっともなくほかのサーヴァントに嫉妬して、それを隠すためにを欲しがる太公望を、私も同じだと言ってくれた。そして、そんな姿を知れて嬉しいとまで言ってくれた。自分のかっこ悪いところを受け止めてくれる恋人を、可愛く思わないわけがない。

「フフ……確かに、欲望とか執着から解放されるために修行してきたのに、道士失格ですね」
「あ、いや、そういうつもりで言ったんじゃないんだけど」
「ええ、わかってます。――ありがとう、
「?」

 腕に力を込めると、太公望の下でが少し窮屈そう身じろぎした。いつもならすぐに力を緩めるところだが、今はできそうになかった。こうしていないと、への愛しさが溢れそうだ。
 嫉妬してささくれだっていた心が、今はが好きという気持ちで満たされている。このみっともない嫉妬をどうすればいいのかと、ひどく憂鬱だったのに。は共感して、愛を示して寄り添ってくれた。それだけで、こんなにも楽になるなんて。

……好き、あなたが大好きです」
「ん、太公望……」
「やっぱり、あなたの心が追いつくまで待つなんてできないなァ……襲ってもいいですか?」
「え……!? そ、それはちょっと、え、あの襲うって」

 瞬時にの顔が真っ赤になる。ようやく今の体勢が危ないことに気づいたのか、言葉が途端に要領を得ないものになる。しかしもう遅い。太公望はしっかりとを捕まえて離さない。
 頬にキスして、それから真っ赤な耳たぶを食む。の体がびくっと跳ねた。

「あっ、ちょっと、耳、ダメっ……!」
「さっきもしたのに?」
「や、耳元で、しゃべらないで……!」
「耳、弱いんですね。感じる?」
「っ……!」

 耳元からくちびるを離しての顔を見る。質問には答えずにただ赤い顔を横に振るだけだったが、その反応が答えを言っているようなものだった。そして、それが逆に太公望を煽っていることに気づいてない。

「フフ……可愛い」

 引き結ばれたくちびるに口をつけて、舌をねじ込む。固まっていたの舌を撫でた後、上顎をちろりと舐める。

「んっ!」

 またの体が跳ねた。口の中だとここだ。
 上顎の形をなぞるように舌を回す。時折息継ぎのために口を離して、の表情を見る。口の中を愛撫される未知の感覚に、金茶の瞳が潤んでいた。
 の呼吸が荒くなるまでそれを繰り返した。最初は太公望の腕を強く掴んでいたの両手は、太公望がキスをやめる頃にはすっかり力が抜けていた。
 唾液で濡れたくちびるを舐めてから体を起こす。はしばし呆然と息を整えて、それから両手で顔を覆った。

「バカバカえっち! このエロ道士!」
「えー、ひどいなァ。僕はキスをしただけなのに」
「だってえっちだったもん……声とか顔とか手つきとか……」
「あなたをその気にさせたいんだから仕方ないじゃないですか。それで、どうです?」
「な、なにが?」
「えっちな気分になった?」
「〜〜〜!!」

 がばっと体を起こしたが、太公望に向かって弱い拳を繰り出してくる。赤い顔とわかりやすい反応に、太公望は笑みをこらえきれなかった。

「いたたた、可愛いなァもう、いたたたた」
「ばかぁ! これから寝るのにどうしてくれんの!」
「僕のキスで、眠れないくらい興奮した?」
「なっ、なに言ってんの!? 違うからー!」

 ちっとも痛くない拳を受け止めつつ、太公望は幸せを噛みしめていた。
 嫉妬心や不安だから彼女が欲しいのではなく、彼女が愛しいから本当に欲しい。
 彼女が愛しいからもっと触れたい。好きという気持ちを伝えたいから触れたい。
 ――そうだ、それでこそだ。嫉妬や不安を紛らわせるために抱き合うのでは、あまりにも寂しい。愛しいという感情を触れたり言葉を交わすことで伝え合ってこそ、相思相愛というもの。
 太公望の心のもやもやを取り除きつつ、それを気づかせてくれたが無性に愛おしい。の手をつかんで抱き寄せると、耳元に口を近づけた。

。僕はあなたが好きです、心から」
「う、うん? どうしたの?」
「いえ、改めてそう思ったので」
「そっか。私も、大好きだよ」
「はい。眠れないなら僕が添い寝してあげますから、いつでも呼んでくださいね」
「うん……うん? いや、それ余計に眠れないんじゃ……」
「え? 添い寝するだけなのに? ってばえっちなこと考えてませんか?」
「ち、が、う! ドキドキして眠れないかもっていう意味だから!」
「まあ、手を出さないとは限りませんけど」
「!?」

 そんなじゃれ合いを繰り返していると、の就寝時間はなんだかんだと減っていった。
 翌日、眠そうなの顔を見たニキチッチが、こいつがまたなにかやったんだろうと太公望を殴っていた。太公望はなかなかに鋭い拳を甘んじて受けていた。


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