好きなものの話
「釣りのほかに好きなものは?」
がそう聞くと、太公望は、ん−、と少し悩むような間を置いた。
召喚に応じてくれたサーヴァントに好きなものと嫌いなものを聞くのは、もはや恒例となっていることだった。どんな英霊であろうとコミュニケーションは重要。好みを把握しておくことはその第一歩である。召喚して間もないサーヴァントは、こうやってマスターの部屋に呼び出されて色々と話をすることになっている。
霊体化している時以外、太公望は同じ軍師系のサーヴァントや中国出身のサーヴァントと話していたり、図書室や娯楽室で見かけることがある。しかし、彼にとって一番の趣味といえば釣り。このノウム・カルデアには釣り堀はないので、ほかにどんなことが好きなのか、単純に興味があった。
(もし釣り以外にたいして娯楽がないなら、マシュとかに相談して釣りができるシミュレーター、作ってみようかな……)
と考えていたりもする。釣りが第一の趣味という人間がスタッフを含めていなかったので、作ってみるのも面白いかもしれない。もちろんリソースとマシュの時間が許せばの話だが。
案外ダ・ヴィンチちゃんも面白がってくれるかも。などと計画を立てていると、太公望が思いついたように声を上げた。
「ああ、マスターのことは好きですね」
「……ん? 私?」
「はい。またあなたと釣りがしたいものです」
そういう意味での好きなものを聞いたのではなかったが、笑顔を向けてくる太公望を見ていると、まあそれでいいか……という気分になってくる。
「うーん、やっぱり釣りができるシミュレーター作るかあ。釣り、したいよね?」
「それは……まあ、できるならしたいですけど。でも、いいんですか?」
「相談してみないとわからないけど、たぶん大丈夫じゃないかな。マシュもきっと賛成してくれると思う」
と言うと、太公望は細い目をさらに細め、にこーっと嬉しそうに笑っての手を両手で握った。
「ありがとうございます! ああ、本当にあなたは話がわかる人です。早くあなたと釣りがしたい!」
「え、あ、うん……そんなに喜んでくれるとこっちも嬉しいよ」
まだ釣りシミュレーターができると決まったわけではないのだが、この喜びようを見ていると、なんとかしてあげようかな、という気持ちになる。
「なんていうか、太公望って人たらしだよね」
「え、そうですか?」
「うん、なんか、ほっとけないっていうか、しょうがないなあ〜っていう気持ちになる」
ツングースカでの初対面でこそ、そのかなりの胡散臭さと遠回しな立ち回りで疑いの目を向けてしまったものの、胡散臭さとは裏腹に至極まっとうに協力してくれた。しかも全力以上を発揮して、自らの霊基がぼろぼろになって別れ際の言葉も途中で切れるほど。人をだまそうとか人を利用しようとか、そういうこととは無縁だった。警戒させておいてからの、こうやってストレートに好意を伝えてくるところなど、特ににくめない。まあ、警戒していたのはこちらの勝手な事情からなのだが。
「そうかなァ……僕としては、あなたのほうがよっぽど人たらしだと思いますけど」
の手を放した太公望が、思わぬことをつぶやいた。
「人理焼却の危機に立ち向かい、見事人理を取り戻し、今また人理の白紙化に最後のマスターとして向き合っている。そんな重責を負っているにしては、あまりにも人が良すぎる。正直、お人好し、という範疇を超えています」
「そうかな? 太公望のことだって最初は疑いの目で見てたよ」
「でも、すぐに信頼してくれたでしょう?」
「まあ……それは、太公望の言動に矛盾はなかったし、目的も共通してるってはっきりしてたから。一応、私だって初対面の人の言動には気を付けてるよ」
だって、ツングースカの内情をあれだけ自分で調査して、強敵もニキチッチとふたりで何体か倒した、と聞くと、「コヤンスカヤ打倒」に関しては目的が一致していると思うほかないだろう。多少胡散臭いが、目的に関しては下準備を怠らず油断もしないところを見ると、この人は裏切らないと信じられると思ったのだ。
「第一、私ひとりじゃなくてマシュもいるし、新所長もダ・ヴィンチちゃんも、ムニエルさんとかもいるし」
そう、むしろ周りにいる人達が初対面の人物に対する疑いの目を持っている。そうやって言動を精査してくれるから、も初対面の人物に対して必要以上に疑心暗鬼にならないのだ。
がそう言っても、太公望は困ったように息を吐くだけだった。
「そういうところなんですよね、殿の人たらしって」
「え?」
「そうやって人を信用して、その人がいるから大丈夫っていうところです。そこがなんともまあ、危なっかしい。もし僕がマスターをだまそうとしている人だったら、あなたのそんなところを見ていると、あんまり危なっかしくて放っておけないものだから、だます気もなくなっちゃうと思います」
(それは、単に太公望が善側の人間だからでは……?)
はそう思ったが、太公望がすぐに口を開いたので黙っていた。
「あなたを見ていると、一生懸命で、ひとが好くて、自分の危険も二の次で――目が離せなくて、つい手を貸してあげたくなる。だから自然と人が集まる。そういう人を人たらしと呼ばずして、なんというのでしょうね」
気が付けば、太公望は薄紫の目を開けて、のことを見つめていた。その視線がなんとも気恥ずかしくて、慌てて口を開いた。
「あ、あのさ、私は別に気を抜いてるわけでも、裏切られてもいいかーなんて楽観視してるわけじゃないからね。ただ……裏切られても、いいように利用されても、マシュやスタッフのみんな、仲間のサーヴァントがいてくれたから、今まで生き延びてこられた。私は、それは本当にすごいことだと思ってるんだ」
今までの特異点や異聞帯は、決して楽な道中ではなかった。命の危険に晒されることは何度もあった。もうダメだと思った瞬間も少なくはない。けれど、それらを乗り越えて今はここにいる。それは、の周りにいてくれた人がを信じ、もまた彼らを信じて全力以上で戦ったからこその結果だとは思っている。
ひとりでは太刀打ちできなくとも、誰かと一緒なら。仲間たちの信頼を力に変えて、は踏ん張ってきたのだ。
「だから、これからもきっとみんなのことを信じるし、初対面の人でも信じることから始めると思うよ」
としては思ったことを言っただけだったが、太公望は目を丸くした。かと思うと、また困ったように眉を下げて、笑い出した。
「いや、本当に……僕のマスターは肝が据わってますねえ……!」
隣に座っていた太公望は、突然の頭に手を伸ばし、頭をなで始めた。
「えっ、ちょっと……!」
「今まで一体どれほどの修羅場をかいくぐってきたのか、あなたの言葉だけでその艱難辛苦の旅路がうかがえます。ええ、本当に――つらかったでしょう」
太公望の手つきは優しいのだが、毛流れなどお構いなしになでてくる。自分の髪が乱れていく気配を察知して、は太公望の手から逃れようと首を反らした。
「〜ちょっと、もう、髪がぐちゃぐちゃになっちゃうからやめてって」
「おや、これは失敬。でも」
太公望の手が止まり、の頭頂部から離れていく、と思ったら。
の乱れた髪を、長い指で梳いていった。
「また僕が髪を整えて差し上げますよ。先日のように」
「……!」
この前の朝のことだろう。あの時のことを思い出して、カッと頬が熱くなった。
そうだ。あの時もこんなふうに、白く長い指が、髪を優しくなでていった。
あの時も、こんなふうに、薄い紫の瞳が、優しく見つめていた。
だめだ、これ以上あの時のことを思い出すと、ますます顔が熱くなる。なにか、しゃべらなくては。
「で、でも、そんなことわざわざしてもらうのは、悪いよ」
「おや、僕は構いませんよ。あなたのためとあらば、いつでも」
「……!!」
にっこりと笑いかけてくる太公望を見るに、たぶん本気でそう思っているんだろう。本当に裏表なく、の頼みならば二つ返事で聞いてくれる。まるで孫を可愛がるおじいちゃんみたいだ。
「け、結構です……っていうか、もう手を放してよ」
「あっはっは、マスターは本当に可愛いなァ!」
「も〜〜やめてってば!」
もうこれは絶対に面白がっている。楽しそうに細められた目を見ればわかる。
もう話は十分聞いたし、これ以上この男を部屋に置いておいたら精神的によくない気がする。は話の礼をやけくそ気味に言いながら、太公望を部屋から追い出した。
(あ……釣りシミュレーターの話、マシュとダ・ヴィンチちゃんにしなきゃ)
忘れないうちに相談しなくては。釣りをできる環境だけなら普段のシミュレーターを応用できるかもしれないし、そう時間はかからないだろう。太公望も、まだできると決まっていない段階の話でも喜んでいたし。
(そういえば、また、って言ってたよね、太公望)
またあなたと釣りがしたいものです――確かに、太公望はそう言った。
(つまり、ツングースカの記憶があるってことだよね。ここに来てからは一緒に釣り、してないし)
特異点や異聞帯の召喚の記憶は座に持ち帰ることはない。「どこぞで召喚されて戦った」という記録が座に残るだけ。一緒に戦った仲間でも、カルデアで召喚された時には基本的に初対面である。
太公望が普通の英霊ではないこと自体は、それはもういい。あれだけ強い存在が力を貸してくれるのなら、細かいことは気にしない。
ただ、それはそれとして、伝えなければいけない。
あの時、どちらかが倒れるまで戦うという手ではなく、対話で解決するという方法を取ってくれたことに、ありがとうと。
釣りシミュレーターを作ったら、彼を一番に誘って、一緒に釣りをしよう。そこで、が感謝していることを伝えられたらと思う。
そのためには、まずはシミュレーターを作らなくては。思い立ったが吉日、はさっそくマシュのところへと向かった。
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