施しの英雄から体温をもらう話 続き


 目を閉じたカルナの顔が、視界いっぱいに広がっている。顔がくっつきそうな、と思う間にくちびるどうしが触れ合った。
 じわりとくちびるからカルナの体温が伝わってくる。あったかいな、と思うと同時に、なにが起こっているかを脳が把握した。キスされている。

「……! ……!?」

 顔を離そうと動きかけると、いつの間にか私の肩を抱いている腕がそれを阻んだ。もう一方の手は私の頬をやんわりと押さえていて、首を振ることもできない。カルナの口づけから逃れることができず、ただそれを受け入れるしかなかった。視界には相変わらずカルナしか見えない。その距離の近さに、彼とキスをしているのだという事実を否応なしに突きつけられる。それに羞恥心が耐えられず、目を固く閉じた。

「ん……!?」

 私のくちびるを湿ったものが撫でた。薄く開いたカルナのくちびるから舌が伸びてきたのだ。閉じている私のくちびるを、開けろとでも言うようにつつく。
 冗談ではない。これ以上は心臓が本当に持たない。開けてまるかと口を引き結ぶ。
 私が一向に口を開けないのを悟ったのか、カルナの舌が引っ込んでいった。それからくちびるも離れていく。やっと解放されたと息を吸う。

「マスター」

 相変わらずの至近距離で呼ばれ、なんだろうと目を開けた。次の瞬間、再びくちびるをふさがれる。警戒を解いたくちびるの隙間から電光石火の速さで舌先が滑り込んでくる。あっという間に舌を絡め取られる。

「んっ……!  んん!」

 性急に這い回るのではなく、私の舌の形を確かめるようにじっとりとなぞられる。カルナの舌のざらりとした舌の感触に、体の内部が弾けるような音を立てた。合わさっている口の間から出た私の声は、自分のものとは思えないほど上ずっている。
 両手でカルナの体を押してみるが、びくともしない。こんなに細いのにどこにそんな力があるのか。しかし触れてみると、その胸は筋肉の硬い感触がする。男の体なのだ。
 どれくらいの時間舌を愛撫されていたのか。カルナの舌がようやく口内から去っていく。舌どうしが離れると、その間には粘性を持った唾液が糸を引いた。その糸が私のくちびると顎に張り付く感触がする。ああ、舐めとらないと、と思っていると、目の前の男の顔がまた近づいてきた。
 顎についた唾液を舐め取り、先ほどのキスでくちびるを濡らしていた唾液も残さないとでも言うかのようにくちびるも舐められる。

「ひゃ、ん」

 批難するように視線を向けると、自らのくちびるをひと舐めするカルナが映った。見なければよかったと思った。
 蒼氷の瞳が情欲に濡れながら私を見つめていた。

「貴女の魔力は、甘美な味がする」
「な、ん……」

 なにを言い出すのかと思ったら、唾液のことだとすぐに思い当たった。マスターの体液を介して魔力供給する手段があると聞いたことがある。唾液も体液のひとつだ。

「か、甘美って」
「貴女のくちびるに触れた喜びもあるかもしれないが」
「な……! なんで、こんな」
「好きだ」

 なんでこんなことを、キスなんてしたの。
 問おうとした言葉は、カルナの端的な言葉で遮られた。この場合の好き、が男女間の情愛の意味であることぐらい、さすがにわかった。なんと反応したものか、言葉が浮かんでこない。

「貴女をひとりの女性として見ている。貴女の手に触れて、触れられて、抑えきれなかった」
「カルナ」
「今も、貴女が欲しいと……そう、思っている」
「え、あ……え?」

 キスが終わったと同時に緩められたカルナの腕が、再び拘束力を持った。それこそ、またキスされそうな距離で、情欲の火がついた目線をくちびるに落とされる。あ、やばいと脳の片隅で警鐘が鳴る。

(また、あれを、される……?)

 無意識に顔が強ばっていたのか、私を見つめていたカルナの表情が不意に曇った。

「……いや、だっただろうか」

 柳眉をひそめ、ありありと悲しみが滲んでいる声色で問うてくる。わかりやすくしょんぼりとされ、私は目の前の胸板を叩きたくなった。

(こっ……ここまでやりたいように事を進めておいて、今それを聞くの!? あとその顔やめて!)

 施しの英雄と呼ばれ、普段はめったに自分の欲を表に出したりしない──むしろ欲そのものが薄い──彼にそんな表情をさせるほど求められて、拒めるものなどいるのか。

「ああもう、それわかっててやってる?」
「……? わかってて、とは」
「だよねえ無自覚だよねえ……うん、わかってたけど……」
「マスター?」
「あのさ、本当に嫌だと思ったら令呪使うよ。あんな、貞操の危機を覚えるようなキスされたらさすがにやばいと思うし」
「……そうか」
「だから……だからね、嫌じゃない、から……私も……」

 一気に恥ずかしくなってきて、もごもごと言葉を濁す。頬が、いや首から上がこれ以上なく熱くなっていく。こんな有様でも、目の前にいる彼には伝わったのか、息を呑む気配がした。恥ずかしくてまともに顔を見られないが、きっと驚いた顔をしているんだろう。
 今さら、こんな時になって自覚するなんて。むしろ戦いの最中に自覚しなくてよかったのかもしれないが、それにしたって遅くないだろうか。彼が召喚されてから一年ほどたっている。
 けれど、彼がきちんと言葉にして伝えてくれた気持ちに、私も応えなくては。
 勇気を振り絞って顔を上げる。

「カルむぐっ」
「その先は、貴女の部屋で聞いてもいいだろうか」

 私のくちびるを軽くついばんだカルナは、私を抱きかかえて立ち上がった。突然不安定になった体勢に、思わず彼の肩に手を回してしがみつく。その接触にも喜色を浮かべるカルナの瞳を見てしまって、私はまた恥ずかしさで身を縮こませる。

「私の部屋?」
「ここは冷える」
「あ、うん、そうだね」

 すっかり忘れていたが、この部屋は寒い。空調が効いていないのか、または節約のために温度設定が低めなのか。どちらにしろ長居はできない部屋だ。なるほど、と納得していると、カルナの両目が細くなった。

「……口づけより先を、期待してもいいだろうか」
「え」
「言ったはずだ」

 貴女が欲しいと。
 私がカルナの言葉を理解する前に、カルナは私の部屋へ向けて歩き出した。

「あ、あの、カルナ、ちょっと、待って」

 理解も感情の処理も追いつかない。抱きかかえられたまま歩く振動で揺れる視界も相まって、脳がぐるぐるする。頭がフットーしちゃいそうとはこのことだろうか。

「悪いが、待てない。オレもこんなに欲を抱いたのは初めてで、抑えがきかない。だから」

 その先の言葉は続かなかった。ただ、彼の切羽詰まったような様子で、言わんとしていることはなんとなく伝わってくる。
 ──だから、大人しくオレに抱かれてくれ。
 私を落とさないようにか、それとも力の加減をする余裕がないのか、私を抱きかかえる腕の力は強く、ともすれば痛いほどだった。けれど、その痛みもどこか嬉しくて、なにも言う気になれなかった。
 足早に歩くカルナの腕の中で、移り変わっていくカルデアの内装を眺める。だんだんと短くなっていく自室までの距離に比例して、私の緊張も高まっていった。
 どうか、途中で誰にも会いませんように!


←前の話     次の話→



inserted by FC2 system