恋をゆるすきみ


 どうしてこうなったのだろうか。
 半分は自分が望んだ展開なのだが、本当にこうなるとは思っていなかった。あまりの事態に、視線をあちこちに泳がせていると、至近距離から咎めるような声が飛んできた。

「王の膝の上で考え事か? 随分余裕だな、カルデアのマスターよ」
「あ、いや、考え事っていうか……この状況なんなんだろうなあって思いまして……」
「ここでは不服か? 今すぐ我の寝所に行くか」
「すみませんここでいいですここにいさせてください」

 ここはジグラットの玉座。夜も更け、昼間はひっきりなしに人が訪れる空間も、今は王とカルデアのマスター以外は誰もいない。王は昼間と変わらず玉座に座しており、カルデアから来た少女はその王の膝の上に横向きで座っていた。
 ──どうしてこうなったのだろう。
 先ほどから同じ疑問が浮かんでは消えていく。至近距離にあるギルガメッシュの顔をまともに見ることができない。この第七特異点にレイシフトしてから、こんなに近くにこの男を感じることなどなかったのだ。厳密に言うと、今マスターが乗っている男は、マスターの惚れた男ではない。今ここで、この時間を生きているギルガメッシュだった。
 第七特異点のレイシフトには、サーヴァントであるキャスターのギルガメッシュは同行していない。いつもなにかにつけてついてきていたのだが、今回はあっさりとマスターを送りだしたのだ。

『キャスタークラスなら間に合っていよう、今回は我が出るまでもないわ』

 レイシフト前から、第七特異点に生前の自分やマーリンがいるとわかっていたような口ぶりだったので、もしかしたらなにか覚えているのかもしれない。特異点の記憶はサーヴァントにはないが、ここの彼は生きている。忘れるという機能を持たない、となにかの折に言っていたこともあるので、ここでの記憶を持っていてもおかしくはない。

『雑種、貴様にひとつ指令を与える。これを遂行せずしてカルデアへの帰還はないと思え』

 管制室へ行く前のマイルーム。いつになく厳格な声をしたギルガメッシュに、自然と緊張が高まった。
 なんだろう。こんな声を聞くのは久しぶり、いや、初めてかもしれない。いつもマスターを冷たく突き放すような声をしていても、臣下に命を下すような声を出したことはない。一体、なにを言われるのだろうか。

『此度の特異点、現地にいる我に抱かれてこい』



 どういうつもりであんなことを言ってきたのか。問い返してもなにも答えてもらえず、さっさと管制室へ行けと言わんばかりにマイルームを追いだされてしまった。おかしい、自分の部屋なのに追い出されるとはこれいかに。
 そうしてレイシフトしてきたこのメソポタミアには、本当に生きている頃のギルガメッシュがいた。サーヴァントの彼とは少しテンションが違う気がしたが、それでも同じ顔、同じ声、同じ姿の彼だった。
 彼に認められようと下働きで頑張ったこと、ギルガメッシュが召喚したサーヴァントたちとの出会いと別れ、この世の終わりともいえる光景の数々。その中でもきらめく彼の姿は、まさしく英雄の中の王と言われるものであった。
 最後の夜、マシュとともにギルガメッシュに謁見し、そしてマシュとともに帰ろうとしたのだが、そこをギルガメッシュに呼び止められたのだ。マスターのみを残して、マシュは先に帰るようにと。
 そして、冒頭に至る。なにを思ったのか、彼はカルデアのマスターを膝に乗せて、腰を撫でまわしている。

(いや、うん……王様の指令云々は置いといて、なんでこんなことになってるんだろう……)

 何回目かの自問に、やはり答えは出ない。ちらりとギルガメッシュを見ると、自分を見ていた視線とぶつかる。どくり、と心臓が脈打った。思わず視線を逸らすと、腰を撫でまわしている手とは逆の手で顎をつかまれた。

「やはりな」
「……王様?」
「貴様、我に惚れているな」
「は、……はい!?」

 突拍子もない、しかし的を射た指摘だった。ここでそんなことをずばり言い当てられるとは思っておらず、声が裏返ってしまった。その慌てようにギルガメッシュは口の端をつり上げて笑った。

「いや、正確に言えば我ではなく、貴様のサーヴァントとしての我か」
「な、なんで」
「なぜわかったのか、だと? 貴様の目を見ればわかる。わからぬほうがおかしい、それほどまでにわかりやすい」
「ま、まじですか……」
「マジだ。貴様程度では英霊としての我を召喚できないだろうと思っていたが、貴様の評価を修正せねばな」

 これはもしかして褒められているのだろうか。もともとの評価がどれだけ下だったのだろう。まあ、魔術師としては本当に素人の知識と、並の魔力量しか持っていないのでその通りなのだが。
 腰を撫でまわしていた手が、腹部へと回り、乳房の下を撫でていった。びくりと体に力が入る。顔を引き寄せられたかと思うと、くちびるをあたたかな感触が覆っていた。
 するりと滑り込んできた舌が、少女の舌先を撫でていく。それ以上奥に入って来ようとしない。動きも知っているものとは違って、こちらが焦れったくなるようなものだった。
 だが、舌先から伝わってくる甘い痺れ。それはまさしく、恋い慕う男と同じものだった。

「ん、おうさま……」

 もっと、と口を開きかけて、正気に戻った。顔を振ってキスから逃れると、不機嫌そうな顔をした王が鼻を鳴らした。

「随分我好みに躾られているな。あざとすぎていささか興が冷めるが」
「王様……?」
「それで、英霊である我からなにを言いつけられたのだ。我に惚れておるくせに、この我から逃げぬということから察するに、そういうことだろう」
「あ、はい……あの、なんていうか……王様に、抱かれてこいって」
「──」

 一瞬、ギルガメッシュの動きが止まった。その後、すぐに声を噛み殺して笑い出した。

「くっくっく……! まあ、予想はしていたが、本当にそれを、我が貴様に言いつけたのか」
「はい、そうですけど……」

 すると、口元を覆って笑い出した。夜も更けているし兵や巫女たちに気を遣っているのだろうか。声を出さないようにしているが、これは爆笑している。なにがギルガメッシュの笑いのツボを刺激したのかさっぱりわからないが、ものすごく笑っている。相変わらず笑い上戸だなと、マスターはぽかんとそれを眺めていた。
 やがて笑いが収まったギルガメッシュは、目元の涙を指で拭うとマスターを抱え直した。いまだに彼の首元が赤くなっている。どれだけおかしかったんだ。

「いいぞ、興が乗った」
「え、あ、王さ、まっ」

 カチリ、という音とともに胸元が急に楽になる。見ると、ギルガメッシュの指が胸元のベルトを外していた。開きかけた口をまたキスがふさいで、その間にもうひとつのベルトも外されてしまった。少女の口に入ってきた舌から、ギルガメッシュの唾液が伝ってくる。

(あ、だめ、これを飲んじゃ、)

 甘い痺れの塊が口内を満たしていく。舌が動くたびに、くぷ、くぷりと、いやらしい音がする。飲んではいけない、と思っているのに、口の中がいっぱいになったそれを、少女は飲み込んだ。

「んっ……あ、王、様……」

 一気に蕩けた声を出す少女を見て、嘲笑うかのように男は目を細めた。男はそのまま、少女のだらしなく開いた口の端からこぼれた唾液を舐め取りながら、いつの間にかジッパーを胸元まで下ろされて露出した首筋へと、くちびるを落とした。

「貧相な女だと思っていたが、なかなかどうして淫らな女の顔をする」
「あ、あ、王様」
「よいぞ、このまま王の寵愛をくれてやろう」
「あうっ……!」

 肌をきつく吸われ、腰が落ちるような感覚に陥った。男の肩にすがり付くと、腰を支える手に力が入った。
 ひと月ぶりの触れ合い。この地に来てから久しく感じていなかった、愛しい肌の感触。指がもたらす快楽と、ぬくもり。
 はた、と閉じていた目を開けた。溺れそうになっていた意識を覚醒させる。

「王様、ごめんなさい。やっぱりいいです」

 肌をまさぐっていた手がぴたりと止まり、胸元に顔を埋めていた男から怪訝な視線が飛んできた。その赤い瞳をしっかりと見返すと、ギルガメッシュは顔を上げた。

「許す、我の寵愛を突っぱねる理由を申してみよ」

 思いのほか静かな表情だった。その値踏みするような赤い瞳を見つめたまま、少女ははっきりと言い切った。

「理由……だって、あなたは、私の好きな人じゃないです」

 それを聞いたギルガメッシュは、今度こそ我慢できないといった様子で、声を上げて笑い出した。

「ははははは! 貴様ら、そろいもそろって、滑稽にもほどがあろう!」

 そうかもしれない。はじめからここにいる男は、自分が恋をしている相手とは違うと、わかっていたのに。こうなることは予測できていたのに、結局。
 だって、違うのだ、体温が。肌の感触も、もたらす快楽も同じだったのに、そのぬくもりだけが違っていた。微々たる違いなのに、しかし決定的だった。
 英霊のギルガメッシュの体温がどうであったか、このウルクでの過酷なひと月の間で、自分の中でもかすれかかっている。どう違うか自分でもはっきりと説明できないが、とにかく違う、ということだけは確かだといえる。
 ひとしきり腹を抱えて笑って満足したギルガメッシュは、また目じりににじんだ涙をぬぐうと、カルデアの少女に触れていた手を離した。それを機に、マスターは彼の膝から降り、乱された服を整えた。

「ああ、これは傑作だったな。貴様ら、痴話喧嘩……いや、のろけか? 我を巻き込むな。さすがの我でも自分の所業に目を覆いたくなるわ」
「はあ、すみません」
「まったく、見れば見るほど貴様は我の好みではないな。貴様が召喚したという英霊の我は本当に我なのかと疑うレベルで、外見の好みからはかけ離れている」
「いやまあ王様の好みじゃないってことは十分わかってますけどね!? そんなに言わなくてもいいじゃないですか! 第一、王様の考えることはいまだにわかりませんよ……」
「ふん。まあ貴様の生への執着心──生き汚さはなかなかの見物だ。我が貴様をそばに置くとしたら、大方その辺の理由であろう」
「生き汚さって」

 また褒められているのかけなされているのか微妙な評価である。今の流れからすると、おそらく褒められているのだろうが。
 その「生への執着心」だけで魔術師としての才能も特にない、ごく普通の一般人は、この第七特異点までやってこれたと言っても過言ではない。マシュやカルデアのスタッフ、今まで特異点で出会ったサーヴァントたちの協力も大きいが、土壇場で自分を生かしているのはそれだろう。
 ギルガメッシュは小さく息を吐くと、すっかり落ち着いた様子で手をひらひらと振った。もう貴様に用はない、と言うような仕草だ。

「貴様はもう大使館へ戻るがよい。明日は決戦だ。しっかりと眠っておけ」
(あ……)

 そう、明日はティアマト神との決戦。今夜はしっかりと休んで、少しでも魔力を回復しておかなければならない。そこまで考えて、マスターは自分の中の魔力量が回復していることに気が付いた。謁見する前は、指先がすっかり乾いていたのに。この短い間で魔力が回復するあてなど、ひとつしかない。
 ギルガメッシュは、少女のもの言いたげな視線を追い払うように、また手を振った。

「貴様には生き残らねばならん理由も山ほどあろう。せいぜい最後まで生き残って、そちらの我に愛想をつかされぬように励め。そうすれば貧相な貴様でも我の后候補に…………いや、それはない。それはないな」
「二回も言った!?」
「候補とはいえ、貴様を娶るなぞ有り得ん。有り得んな」
「追い打ち! ひどい!!」
「ええいやかましいぞ、そら早く帰れ! 衛兵、こやつを大使館まで送り届けてやれ!」

 ギルガメッシュの声に、どこからともなく兵士がやってきた。元気よく王に返事をすると、マスターを玉座から連れ出そうとしてくる。

「あ、あの! 王様、ありがとうございました!」

 兵士に連れられて玉座を去る間際に、後ろを振り返って礼を告げた。王はすでに少女のことを見ていなかったが、それでも伝えておきたかった。



 カルデアのマスターと兵士の足音が遠ざかった。玉座に残されたギルガメッシュは、先ほどよりも長い息を吐いた。
 カルデアに召喚されているギルガメッシュの意図は、大体察した。遠回しで乱暴な、と言いたかった。仮にも自分にそうさせたのは、貧相だと評した少女である。
 先刻、少女に言いかけた言葉。自分でも有り得ない、とすぐに打ち消した言葉を、口に乗せる。

「貴様のような女は、生きて幸福にならねばならん」

 ──だから、妻にはしない。


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