花を憂うきみ
どうしてこんなことになったんだろうか。
正気に戻った時から自問自答を繰り返しているが、答えは得られない。むしろ簡単に答えがわかったのならこんな事態にはなっていない。こんな事態、と自分で考えを巡らせて、思い返しては頭を抱えたくなる。自分の右手は隣にいる男に取られたままなので、それはかなわなかったが。
隣にいる男は、戯れに令呪の宿る右手をもてあそんでいる。令呪の形をなぞったり、指先をつまんでみたり。男の姿を目で認識してしまうと、より頭が混乱してしまう気がしてずっと目を閉じていた。見ることができない分、男が右手をどういじるのかが予測できず、右手に触れられるたびに細かく体を震わせる。男がその反応を楽しんでいる空気は目を閉じていても感じ取れたが、それでも現実を直視するよりはましだと瞼を下ろしたままだった。男がなにを思ったのか、指を恋人のように絡ませてくるまでは。
「……っ!」
「目を閉じたままでも百面相とわかるとは、貴様は芸人だったか」
(誰が芸人だ!)
失礼な発言に突っ込んでやりたかったが、突っ込んでしまうと罵声が 百倍になって飛んでくるのは目に見えているのでぐっとこらえた。こらえたが、怒気は収まらず、目を開けて自分の右手を弄っている男を睨んだ。
赤い双眸を意地悪く細めた人類最古の王が、右隣に寝そべっている。今ほどこの王が──ギルガメッシュが、邪悪な目つきをしていると思ったことはない。視線を下げると一糸纏わぬ体が飛び込んできて、反射的に目をつぶった。
「ようやく我を見たかと思えば、なんだ? 今になって我の裸体に見惚れたか?」
「ない、それはないっ!」
「ははは照れずともよい。我の肉体はこの世の至高の芸術、おぼこい貴様が恥ずかしがるのも道理というもの」
「だから違うってば!」
「ああ、そうだったな。貴様はつい先ほど生娘ではなくなったのだったな」
「……っ!!」
あまりにもあけすけな言に、今度こそ羞恥で言葉を失くす。思わず空いた左手で身に巻き付けたシーツをかき寄せるが、その反応も目の前の男を楽しませるだけだった。
そう、そうなのだ。最後のマスターであるカルデアの少女は、ギルガメッシュに処女を散らされてしまった。抵抗はした。したのだが、百戦錬磨どころではない暴君には窮鼠にもならなかった。
ギルガメッシュがマスターのファーストキスを奪ったのは、つい先日のことだった。
あれ以来、折を見て魔力供給──キスをしてくるようになった。定礎復元は当然過酷なもの。その過程で魔力が足りずにキスをするのも致し方のないことだった。
だが、定礎復元以外では差し迫った魔力供給はそうそうあるわけではない。明らかにこちらをからかっている。生娘特有の垢ぬけない反応を楽しんでいるのだ。
隙を見せれば、あの手この手でこちらを絡めとってくる。その手練手管はさすがと言わざるを得なかった。貞操の危機を覚えた少女は、このままではいけないと思い立った。このままでは、あの横暴な王様にキス以上の魔力供給(直喩)をされてしまうのではないか。認めたくはないが、キスは上手いし魔力は極上で、毎度それを注がれるたびに腰を抜かすほどだ。認めたくはないが、寝所に引きずり込まれれば、ほぼ抵抗できずに身ぐるみをはがれてしまうと想像できるくらいに、色々な意味で上手い。
なにより、気持ちの面で、彼を拒絶することが到底できない。貞操が危ういとわかっていても、心の底から嫌がることができない。認めたくはないが、彼を男性として意識している。
(やっぱり、やっぱりこれって、好きってことなんだよね)
あの時から。後ろめたさと自責から逃げ回っていた自分を、呆れた顔をしつつ迎えに来てくれた時から。皮肉たっぷりに励ましてくれた時から、ずっと。かの王に、惹かれていたのだ。
(よりによって、あんな、あんなひとを好きになるなんて!)
いついかなる時でも自分が絶対、他人のことなど知ったことではない、自分さえ楽しければそれでいい、我に不敬を働く輩はどんな傑物であろうと殺す、お前のものは我のもの、この世のすべても我のもの。その在り方は、全盛期の若い彼と比べると少しだけ苛烈さが軟化していると見えなくもないらしいが、基本姿勢が前述の王である。理解からは程遠く、歩み寄ることも難しい。
(でも好きになっちゃったのはもうどうしようもないしなあ……)
彼が愛想を尽かさず、サーヴァントとしてそばにいてくれるだけでもラッキー、と思うことにしよう。そうしなければ、苦みをましていくだけだ、この気持ちは。
カルデア内の訓練施設で体力づくりの後、自室のシャワールームではなく、大浴場のほうで汗を流してきた。訓練に付き合ってくれたマシュと一緒に歓談しながらお風呂に入っていると、結構な時間が経ってしまったようだ。
ほかほかしている体が冷めないうちに、今日はもう寝てしまおう。そう思って自室のドアを開けると、
「遅い。我は待つという行為が嫌いだとあれほど」
思わずドアを閉めた。
なにかいた。今の今まで悩みの種だった原因が、マスターのベッドに尊大な態度で寝そべっていた……ように見えた。周囲を見渡してみる。カルデアの内装は殺風景でどこも似たような景色なので、部屋を間違えてしまっただろうかと不安になったのだ。しかし、何度見渡してもここは自分の部屋で間違いない。
恐る恐るドアをもう一度開けると、やはりキャスターのギルガメッシュが自分のベッドでくつろいでいた。先ほどよりも目尻がつり上がっている。
「貴様、王たるこの我を待たせた上に言葉を遮るとは、不敬にも程があろう!」
「ご、ごめんなさい!」
「謝って済むなら法律はいらんのだ! ええいそこに座れ雑種、礼節のなんたるかを我自らが教えてやろう!」
「えええ……っていうか待ってください、そもそもなんで王様が私の部屋に?」
待たせた、というが、そもそも彼が自室で待っていたことすら知らなかったのだ。今日はギルガメッシュの姿を朝から見ていなかったし、彼との予定もなにもなかったはずだ。彼との予定をすっぽかすなどまずあり得ない。自分の恋心どうこう以前に、そんなことをすれば首が胴体からさようならしてしまうからだ。理不尽すぎる。
「……ふむ。来い、雑種。いつまでそんなところに突っ立っている気だ」
「あ、はい」
さっきまでアナタが怒ってたので近寄れなかっただけです。こみあがってくる文句を飲み込んで、おとなしくギルガメッシュのそばへと寄った。
マスターがベッドの近くへ寄ると、ギルガメッシュは上体を起こした。さらりと金の髪とサークレットが揺れた。無機質な蛍光灯を反射してきらきらと輝く髪、そしてその髪が彩る顔は、まさしく美しいという形容詞があてはまる。長い両足をベッドからおろし、ちょうどベッドに腰かけた体勢になったギルガメッシュは、さらにマスターを手招きした。
「近う寄れ、許す」
「えーっと……となりに座れってことですが?」
なんだろう、嫌な予感が胸の中に広がった。マスターの問いに答える代わりに、自らの膝をぱん、と軽く叩いたのを見て、さらに嫌な予感が高まった。
膝に座れといっているのだ、この王様は。
そんなことを言いだす彼を、警戒しないはずがあろうか。いや、ない。最近の彼との関係も、ファーストキスを奪われた時に言っていたことも、警戒要因だった。
(いやでも、あの時は冗談だったかもしれないし……)
古今東西の美女を抱いてきたギルガメッシュが、まさか本気で自分のようなちっぽけな女を抱きたがるはずがない。ギルガメッシュの性格から考えるとそれも一興、と言い出しそうなところもあるが、からかうために言った可能性のほうが高い。
だったら警戒するだけ無駄だ。警戒すればするほど彼を楽しませることになる。あと待たせるとまたなにか言われる、絶対。
「はあ、じゃあ失礼します……」
戦々恐々としながらギルガメッシュの膝に座った。さすがに背中を向けるのは失礼かと思い、ギルガメッシュの足の間に自分の足を入れる形で座った。横抱きの体勢に近い。贅肉のない足は固くて座り心地も安定しないが、文句を言えるはずもなく黙っていた。ギルガメッシュの腕が腰に回されるまでは。
「おっ、王様……」
「風呂上がりか」
「あ、はい。マシュと訓練の後に」
「ふん……まあ、好都合か」
「はい? ……うひぃっ!?」
独り言のようにつぶやいた直後、すり、と脇腹を撫でられた。急にそんな急所を撫でられれば声が裏返るのも当然だ。だからそんな呆れたような目で見られる筋合いはないのだ、断じて。
「生娘にしても今の声はいただけんぞ」
「いや生娘とか関係なくないですか!? ちょっ、どこ触って」
と、文句を言おうとしたその矢先に、ぐらりと視界が揺らめいた。背中の柔らかい感触、視界に入る白い天井から察するに、ベッドに倒されたのだと脳が処理した。そして、自分を押し倒したのは自分を見下ろす男なのだと。
状況を脳が正しく処理しても、それを心が納得するかどうかはまた別の話だ。固まって動けないでいると、ギルガメッシュは服を脱がそうとしてきた。入浴を済ませてもう寝るだけだったので、いつも着ている魔術礼装ではなく、Tシャツにパーカーを羽織っただけというラフな格好だ。シャツをめくり上げてブラジャーをたくし上げるという早業を受け、少女はやっと意識を取り戻した。
「ちょ、なに、なに!?」
「貴様を抱こうとしているだけだが?」
「なん、んっ」
文句を言おうとしていた口をキスでふさがれた。即座に口の中に侵入してくる舌が、少女のなにもかもを奪っていく。言おうとしていた言葉も、抵抗しようと体に入れていた力も、判断能力も。
この、流れ込んでくる魔力がいけないのだ。びりびりとして、体が熱くなって、なにも考えられなくなる──
「貴様に身に余る栄誉を与えてやる。──抱かせろ」
鼻先が触れあうような距離で、赤い瞳がまっすぐに少女を見ている。あの図書室の時と同じように、奥の濃い赤が、はじけたように広がった。
ああ、この目だ。赤い色が、考える力を奪っていく。目の前の男のことしか、考えられない。
そして今に至る。まんまと処女を散らされてしまったというわけだ。
行為は嵐のようにすぎさってしまったので、なにがあったかよく覚えていない。ギルガメッシュの指と舌で経験したことのない快楽を与えられた後に、身を引き裂かれるような痛みが襲って、覆いかぶさってきたギルガメッシュの体が熱を増していって、そこからはもう、大きな背中に縋りついたことしか記憶にない。いつの間にか覆いかぶさっていた男は熱を解放して、自分の股の間にはどろどろとした感触があった。それから、鈍痛と、異物感。それは今でもだ。
「だから言ったであろう、貴様に残されている選択肢は、今抱かれるか後々抱かれるかだと」
(マジになっちゃったよ……)
冗談だと思っていたギルガメッシュの言葉が、本当になってしまった。
どうしても、だめなのだ。ギルガメッシュの赤い瞳に見つめられると、思考能力が鈍くなる。まるで魅了されたような感覚だ。今はキャスタークラスだから、もしかしたらなにか術をかけられているのかもしれない。
「……王様、スキルにはないけど、もしかして魅了とかできます?」
「質問は具体的にせよといったはずだが」
「……王様の目を見ると、その、頭がぼーっとするというか……魅了スキルを受けた状態みたいになるから、なにかしてるんじゃないかと思いまして」
「──」
具体的に説明すると、相変わらず少女の右手をもてあそんでいた男は、一瞬真顔になったかと思うと、次の瞬間には腹を抱えて笑いだした。今の質問のどこに、王を笑わせる要素があったのだろうか。まったくわからない。
「ははははは! 貴様、それは本気で言っているのか!」
「は、はい?」
「我に見つめられると魅了される、とはなぁ? ずいぶんな口説き文句だな、雑種。我を賛美する言葉、貴様にしては上出来だ。あとで日誌に記録しておこう」
「あ…………えっ!? いやそんなつもりじゃ……!」
「よい、そう照れずともよい。我の光り輝く美しさの前には、魅了スキルを受けたと勘違いしてもなんらおかしくはない」
「違いますってば! 話を! 聞いて!」
「やめろやめろ、そう何度も我に見惚れていたことを告白されては、さすがの我も頬を掻くというもの」
「ちがーーーう!!」
どこまでポジティブ思考なんだこの王様は。説明しようとしても笑うばかりでちっとも取り合ってくれない。こうもからかわれては、話す気もなくなる。
(でも……間違いではない、のかな……?)
ギルガメッシュの瞳に見つめられると頭がぼーっとしてギルガメッシュのことしか考えられなくなる。要するにそれは見惚れている、ということなのだろうか。納得はできないが、そう考えるのが妥当な線だ。
(なんだかんだで、好き、だし……あれ、ちょっと待って)
自分の思考が恥ずかしくなってきた。こんな仕打ちを受けても好きだと思えるということは、もしかしなくとも、自分はかなりギルガメッシュのことが好きなのでは。
思わず赤面していると、それを見たギルガメッシュがどう受け取ったのか。再びマスターの上に覆いかぶさってきた。
「………………あの?」
「さて、そろそろ痛みも治まっただろう。もう一度我の寵愛をくれてやる」
「は?」
もう一度、寵愛をくれてやる。寵愛のなんたるかはよくわからなかったが、もう一度という言葉から察した。また、アレをすると。
「いやいやいやもう無理、もう無理です!」
「まあ多少はまだ痛むだろうが、死にはせん。安心するがいい」
「今の言葉のどこに安心する要素が!?」
「案ずるな、貴様は股を開き、力を抜くだけでいい」
「最低だーーー!」
両脚をつかまれたかと思うと、ぐっと股を広げられる。脚を閉じようと力を入れるが、あっという間に体を割り込ませたギルガメッシュが、内腿にキスを落としたことで、あっさりと力が抜けていく。そのままくちびると舌先を、少女の股の中心に向かってゆっくりと這わせていった。
「あっ、い、や、おうさまっ」
甲高い声を上げた少女を、にたりと意地の悪い笑みを浮かべた王が見下ろす。
その赤い両目にとらわれたが最後、少女の意識は溶かされていく。与えられる快楽と痛みに、ただ翻弄されるだけの夜だった。
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