味をしめるきみ


「王様、魔力供給ってなんですか」

 カルデア内にある娯楽施設には図書室なるものも存在する。ほとんどの資料は電子化され、データベースを検索すればいつでもどこでも見られるようになっている。そんな中で、場所も取る上に管理にも気を遣わなければならない紙媒体を置いておくのは、ひとえに個人の嗜好のためだ。紙の質感がいい、紙をめくるのがワクワクする、紙とインクのにおいが好き、電子端末をずっと見ていると目が疲れるなど、その理由は様々だが、図書室の設置に関して根強い要望があったのだという。国連や魔術協会が予算の用途に目を光らせている中、娯楽施設に使える少ない予算を割いて図書室が設けられた。以来、予算よりもっと余裕がない人員を割いて管理が行われていたが、それも人理焼却が始まったあの日から、この静かな場所には誰もいなくなった。人員カツカツだからだ。
 その静かな図書室で人類最後のマスターである少女と、少女が人理修復を始めた早い段階で召喚に応じた人類最古の王が隣り合って座っていた。マスターはいつものように空いた時間を使って魔術の勉強、ギルガメッシュは暇つぶしでそれに付き合っている。
 こんなふうに王様とはっきり呼びかけて尋ねても、答えてくれる時もあれば聞き流す時もある。そうかと思えば、ぼそりとつぶやいた独り言に付き合ってくれることもある。答えてくれる時の内容は様々で、共通点が見い出せない。王の気まぐれというほかない。
 今回は王様の興が乗るだろうかと整った横顔を見ていると、本に落としていた視線を上げて、こちらのほうを見た。付き合ってくれるらしい。

「貴様、質問はもう少し具体的にせよ。聞き返すのが手間であろう」
「その、魔力供給っていうのは単純にマスターとサーヴァントの魔力の繋がり云々ていうのはわかってるんですけど、ドクターが」
『なんかどんどん敵性個体が強くなっていってるしどんなサーヴァントが敵としてでてくるかわからないから、そろそろ君に魔力供給の方法を知ってもらったほうがいいのかなあ……いやいや、そうならないようにするのが僕たちスタッフの仕事だよね、うん……あっ君が心配するようなことはなにもないよ!』
「──ってぶつぶつ言ってたので、魔力供給ってなんだろうって」
「つまり、ロマニが濁した部分を知りたい、というわけか」
「そうそれです」
「ふん」

 ギルガメッシュは頬杖をついてマスターの顔をじろりと見下ろしていたが、不意になにかを思いついたようににやりと笑った。それを見た瞬間、あ、なんかまずいことになったかもしれないとマスターは思った。

「魔力が供給される基本的な仕組みについては知っておるだろう」
「は、はい。魔術回路にパスを繋いで、マスターから魔力を供給するって」
「そうだ。だが魔術回路が損傷してそれが断たれたとする。その場合はなんとする? それも、ゆっくりパスを繋ぎ直している時間もなく、魔力を注がなければサーヴァントがその身を保てないという、火急を要する場合は」
「うーん……つまり、通常の方法よりももっと手っ取り早い方法があるってことですか?」
「そうさな。ロマニめが貴様に隠したかったのはその方法だ」
「なるほど……」

 カルデアでは魔力の供給はマスターからではなく電力で賄っている。数多くのサーヴァントと契約するマスターの魔力をそのサーヴァント一体ずつに供給していては、たちまちマスターが干上がってしまうからだ。だがなんらかの理由──例えば、カルデアのシステムがダウンして電力による供給ができなくなったとか、レイシフト先でカルデアのバックアップが断たれてしまったとか──で今すぐ魔力供給が必要、という場合に備えて、その方法とやらを知っておいても損はないだろう。
 そう思って顔を上げると、雑種の考えることなど御見通しと言わんばかりに口角をつり上げた王の顔があった。

「どうしてもというのであれば我自らが教えてやろう。どうしてもというのであればな!」
「ワァゼヒオシエテホシイナー」

 ギルガメッシュの態度に思うところがないわけではないが、上機嫌のうちに教えてもらいたかった。どこで機嫌を損ねるかいまいちつかめない上に気まぐれなのだ。
 マスターが棒読みで教えを乞うと、ギルガメッシュは頬杖を解いてマスターに体を向けた。

「よいぞ。そうさな、対価は──」

 そうだった。この王様はただでは教えてくれないのだった。マスターが断る間もなく、顎をつかまれる。深紅の双眸が少女の視線をとらえる。

(だめだ、この色に見つめられると)

 体が動かない。目の前の男のことしか考えられなくなる。
 動かなくなったマスターのくちびるを、ギルガメッシュが顎に添えた手の親指でなぞる。

「──貴様の魔力をもらおうか」

 そのまま赤い瞳を見つめていると、その瞳がだんだんと近づいてきて、やがて視界いっぱいに赤い色が広がった。くちびるに、やわらかい微熱。
 くちびるどうしが合わさった状態で、お互いに目を閉じずに見つめ合っているという、はたから見れば不思議な光景だっただろう。もっとも、少女はなにをされているかまだ把握しきれていないのだが。
 ギルガメッシュの舌先がマスターのくちびるを潤す。その感触で、やっと意識を取り戻したマスターは、目を白黒とさせた。

「おうさまっ……!」
「こういう時は目を閉じるものだぞ、雑種」
「え、いや……え!?」
「まあいい、今回は許す。そのまま我の目を見ていろ」
(王様の、め)

 赤い色。神様と人間の血が混ざった色。その赤の一番色の深い部分が、不意に、氷が溶けだしたように広がった。
 次の瞬間には、湿ったもので口を割られていた。

「んっ……!」

 キスをするのも、こんなふうに他人の舌を味わうことも初めてのことで。息苦しさも、ざらりとした舌の感触も、目の前で揺れる赤い瞳も、いつの間にか背中に回された腕も、すべてがマスターを翻弄する。
 ギルガメッシュから流れてくる唾液が、マスターの口内を満たしていく。ぐちゅ、と舌の動きに合わせて汁の音がする。耐え切れずに飲み下すと、しびれるような感覚が体に広がった。

「は、あっ……ふ、んんっ……!?」

 舌を抜かれ、口が自由になったマスターは苦しい呼吸を繰り返していたが、数瞬休む間を与えてからまた口を覆われた。今度は、マスターの唾液を搾り取るように舌を吸ってくる。

「んん〜!」

 その強い力に痛みを覚えて目の前の胸板をたたく。すると今度は、すぐに顔が離れていった。とっさにくちびるを押さえながらギルガメッシュをにらむと、彼は濡れたくちびるをひと舐めしていた。

「……な、なにすんですか王様……」
「だから、魔力供給だ。マスターとサーヴァントの間で触れあいや体液を介して直接魔力のやりとりができる」
「体液……体液!?」
「唾液は体液だが?」
「そうだけど……そうだけど……!」
(初めてだったんですよ!)

 そう怒鳴りつけてやりたかったが、初めてとわかるとそれはそれでまたからかわれると思い、心の中で叫ぶにとどまった。
 そもそもロマニが隠したかった魔力供給の方法を教えるだけなら、べつに実際にやらなくても言葉で伝えればいいだけなのに。触れあい、というからには手をつないだって魔力の供給はできるはずなのに。
 そんな思いをこめて恨みがましくにらんでみても、ギルガメッシュはまるで意に介さない。意地の悪い笑みを浮かべたままだ。

「なに、貴様が土壇場で初めてだのなんだのを気にせずに済むように、我自らが貴様の初物を奪ってやっただけのことだ。我の慈悲を泣いて喜ぶがいいぞ、雑種」
「ばれてるぅーー初めてだってばれてるぅーー!?」
「はっ、貴様のような見るからにおぼこい女が経験ありなわけなかろう!」
「ひどい! 王様のバカ!」
「貴様、我を愚弄するか!」

 眉を吊り上げたギルガメッシュがマスターの腕をつかまえようと手を伸ばしてくる。少女はその前に立ち上がって逃げようとした。が、体に力が入らない。

(腰が抜けてる!?)
「ははははは! キスひとつで腰を抜かすとはな!」
「ひいっ、お助け!」
「馬鹿め、我から逃げられるとでも思ったか! 先ほどの不敬、貴様の体で償ってもらうぞ!」
「おーたーすーけー!」

 マスターの体を抱きあげ、高笑いとともに立ち上がったギルガメッシュ。マスターはなんとか動かせる腕をじたばたと動かして抵抗するが、そんな抵抗ではギルガメッシュの拘束はびくともしなかった。

「ひとつ言い忘れていた、雑種よ」
「はーなーせー! ……はい?」
「なかなかの味だったぞ、雑種」

 なにを言ってるのかよくわからない。味とは、と首をひねっていると、ギルガメッシュがわざとらしく舌なめずりをした。それを見て、たちまちに何のことを言っているのか理解したマスターが、顔を真っ赤にしたのは言うまでもない。

「我の味はうまかったか?」
「な、ななななんのことですか!?」
「とぼけよるわ。口いっぱいに注いでやっただろうに」

 味、とは。彼の唾液を飲んだ時に感じた、あのびりびりとした──?
 先ほどのキスを思い出して羞恥に身悶えるマスターを抱え、図書室を出るギルガメッシュ。このままどこへ連れていく気だと、マスターは気を取り直すと再び抵抗を開始した。

「王様!? ちょっとまってください!」
「我は待つという行為が酢豚の中のパイナップルよりも嫌いだ」
「あ、そうなんだ……じゃなくて! 早いから! 展開が!」
「なんだ、このまま貴様の処女をこの我がもらってやると言っているのだぞ? 光栄に思えばこそ、なにをぐずぐず言う必要がある」
「なんでそんなに自信満々なんだ!? いやこういうのは心の準備とか色々あるしなにより恋人同士でするものでは!!」
「はっ、この期に及んでまだ恋だの愛だのと。貴様に残されているのは今すぐ我に抱かれるか、後々我に抱かれるかの二択だ」
「なんでさーーーー!!」


 この後、近くを通りかかったマシュによってマスターが救出され、今回は事なきを得た。しばらくギルガメッシュがそばに来るたびに警戒していたマスターだったが、その警戒むなしく、不意をついて魔力を奪われる羽目になるのだった。


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