傷に沁みるきみ


 カルデアの中には色々な施設がある。魔術師の訓練用とは別の、体を動かすためのトレーニングルームや各種のゲームを取りそろえた娯楽部屋、日光、風量、気温湿度など人工的に管理された公園や農園など、地上で生活するに申し分ない程度の施設がある。なにしろカルデアの外は標高六千メートル、一年のほとんどを吹雪に閉ざされた極寒の地である。必要物資の運搬以外は、人の出入りはおろか物品の出入りも制限されているため、カルデアの内部は自然と多方面で充実していった。
 マスターたる少女の部屋は殺風景だ。白い壁面に四方を囲まれ、床も白、寝具も白、サイドテーブルも簡易椅子も白。ひとりでいると、普段考えずに済むようなことまで思考の表面に昇ってくる。レイシフト先で負った怪我のために部屋で安静にしているように、とドクターから言いつけられているが、じっとしていると精神的によくなさそうだと、備え付けのベッドから起き上がった。
 レイシフト先で負傷した。マスターが負傷したということは、本来マスターを守るサーヴァントが守り切れなかったということを示している。采配ミスからサーヴァントを戦闘不能にしてしまったのだ。令呪によってサーヴァント達を再び立ち上がらせるその一瞬をつかれ、敵の一撃が少女を襲った。いち早くよみがえったサーヴァントがその攻撃を受け、少女は直撃は免れた。利き腕を避けた軽傷で済んだものの、目の前で自分をかばってサーヴァントが傷つくさまを目の当たりにしたことは、体の痛み以上のものをマスターの心にもたらした。
 少女は部屋を出ると、サーヴァントは寄り付かないような部屋に向かった。そこまで意識的に彼らを避けようとしていたわけではないが、人の気配がなんとなく疎ましく思えて、足が自然とサーヴァントには縁のない事務作業などを行う区画へと赴いていた。
 マスターが立ち寄った部屋は、洗濯物を干す部屋だった。
 カルデア内にはさながらコインランドリーのようにずらりと洗濯乾燥機がならんだ場所があり、職員たちは基本的にそこで衣類を洗濯・乾燥している。標高六千メートルの外に干せるわけがないので自然と手段はそれに限られてくるのだ。しかし、お日様の匂いがするシーツで寝たい、というのは人の心情としては当然のことで、カルデアの優秀な頭脳と技術をもってすれば、疑似的な太陽光と、洗濯物が乾くに十分な気候を作り出すのは造作もないことなのだ。かくして、洗濯乾燥機があるのならなんら必要ではない、ただお日様の匂いがする洗濯物を作り出すための部屋が誕生したというわけだ。技術の無駄遣いというやつだが、得てして人間とは嗜好のための無駄遣いによって息抜きをするものなのだ。
 しかし、管理はされているものの、そこに割く時間は限られている。生き残った職員で人理救済のためにカルデアの機能を保持しているという、わかりやすく言うと「人員カツカツ」の状態では、作業を中断してイレギュラーに対応するのは日常茶飯事だった。物干し場の手前にある管理室の洗濯機には、脱水まで行われて放置されている衣類が残っていた。洗濯物を洗濯機に入れて回すまではよかったものの、その後の干すという作業まではされていなかったようだ。
 いつからこの状態なのかは不明だが、このままだとせっかく洗った洗濯物がかび臭くなってしまう。少女は洗濯機の傍らに置いてある籠に洗濯物を放り込むと、物干し場へと出た。

(あ、下着とかあったらどうしよう……ま、いっか。二度手間で洗濯機回すのももったいないし)

 見知らぬ職員の誰かさん、ごめんなさい、と心の中でつぶやいてから、籠の中身を干していく。きれいになった洗濯物を広げると、柔軟剤の匂いがかすかに香ってくる。
 日の光は強すぎず弱すぎもしない。レイシフト以外ではとんと見ないその心地よい光に、思わず天井を見上げた。天井にはスクリーンが設置されており、白い雲が青空の上をのんびりと流れていく光景が映されている。無駄遣いもここまでくれば逆に気持ちがいい。洗濯物を乾かすために適度に乾いた微風がマスターの頬をくすぐる。
 いい天気だ。
 施設内の公園のように樹木や芝などはないが、思わずそう口の中でつぶやくほどには、心地よい空間だった。だから、この部屋を見つけたときは、誰も知らない秘密基地を発見したようで心躍ったものである。実際職員のほとんどは知っているのだが。

「クッションとか持って来たら、いい感じに昼寝できそう……」
「休息なぞ貴様には百年早いと言ったであろう」
「おわあぁ!!」
「やかましい」

 シーツを物干し竿にかけ、しわを手で伸ばしながら独り言をつぶやくと、どこからともなく返事が返ってきた。文字通り飛び上がって叫び、思わず手にしていたシーツの端を握りしめた。しわを伸ばしていたのに、またしわになる。
 声のしたほうを見ると、今一番会いたくない人物の姿が見えた。細い絹糸に蜂蜜を溶かしたような髪が日の光を反射してきらめいている。きれいだと見惚れる間もなく、前髪の隙間からのぞく紅玉に睨まれ、肩をすくませた。

「お、王様……なんでここに」
「ふん、貴様の行動などすべて見通している。千里眼など使わずともその矮小な頭のとった行動を予想することなど、我にとっては一桁の足し算よりもたやすいことだ」
「……そうですか」
「で? サーヴァント──我から逃げ回って、なにか言うことは?」

 目の前のキャスター・ギルガメッシュから投げかけられた言葉に、少女はまた体をこわばらせた。口の端はつりあがっているが、目が一ミリたりとも笑っていない。はからずも長い付き合いになる彼の様子を過去に当てはめると、これは下手なことを言えばただでは済まない。
 キャスターのギルガメッシュ王とは長い付き合いになる。まだ一つ目の特異点を修正し終わったばかりの頃、戦力の増強をはかって召喚したのが彼だった。召喚した瞬間から尊大な彼に、かなり戸惑ってしまい、正直なにを話したのかよく覚えていない。ぼんやりと、一つ目の特異点はワイバーンとの戦闘が多かったから彼をそこに連れていくはめにならなくてよかったと思ったことは覚えている。
 ギルガメッシュは生粋の魔術師というわけではないが、その知識量はマスターの比ではない。魔術師としての知識を補うべくあれこれと勉強をしている傍らで、暇つぶしに本を読んでいる彼にわからない用語の意味を質問すると、意外にも教えてくれる。時折呆れたような顔をすることもあるが、難解な点などは掘り下げてくれる。もちろんタダとはいかず、霊基の成長に必要な種火や素材をすべてギルガメッシュに回すことになるが。
 天上天下唯我独尊、世界の中心は自分で、人を振り回すとはまさにこの人のことだろう。現にマスターは彼のペースに巻き込まれっぱなしだ。しかし、ただマスターを振り回すだけではないと、彼と過ごすうちに知っているのだ。
 レイシフト先で、敵の攻撃から少女を守ったのはギルガメッシュだ。
 その時のことを思い出して、目の前が暗くなる。ギルガメッシュの均整の取れた体が赤く染まった。それでも攻撃を流し切れず、マスターの肩をかすめる。熱さと、一瞬遅れて痛みが体を走ったが、そんなことはすぐに頭の隅に追いやった。ギルガメッシュの宝具を発動するために、魔力を集中させる。敵が消滅したことを確認すると、ギルガメッシュがマスターを振り返るのも待たずに意識を途切れさせた。
 意識を回復させたときには、マシュとドクターしか周囲にいなかった。レイシフトに連れ立っていったサーヴァントたちは、霊基の修復の最中だとドクターが言うのを聞いて、正直ほっとした。ギルガメッシュ王は、と問うと、彼も同じだと返ってきた。
 ほっとしたのは、自分のしでかしたことを直視する勇気が、その時にはなかったからだ。采配ミスで連れ立ったサーヴァントを全滅させてしまった。その上、目の前で自分をかばって傷を負わせた。霊基の修復が終わればそんな傷は消えてなくなることはわかっているが、彼の顔を見るのが怖かった。ちっぽけなマスター、その程度のものかと、魔術師として未熟なだけでなく呼びだしておいて結局は采配すらできないのかと。
 幻滅している彼の顔を見るのが、怖かった。だから逃げた。

「ごめんなさい」

 細りきった声は彼の耳に届いたかどうかもわからないが、鼻を鳴らす音が聞こえてきた。聞こえておらずとも、口の動きを読んだのかもしれない。

「こわ、くて。幻滅したあなたの顔を見るのが」
「幻滅だと」

 俯いていたせいか、同じ言葉をなぞったギルガメッシュがその瞬間にどんな表情をしていたのか、マスターは見ることができなかった。直後に響いた笑い声に、ようやく顔を上げた。

「フハハハハ! 貴様、幻滅されるだけの評価をされていたと思っているのか!」
「え?」
「貴様のような雑種にはもともと砂粒ほどの期待もしておらん。魔術師としてまったく素養がない状態で勉学に付き合ってやったのはどこの誰だ? 覚えておらんとは言わせんぞ」
「ギルガメッシュ王ですすみません」
「ええい必要のない時に謝るな、耳障りだ。今回の件で己の愚かさがどういう結果に結びつくか、身をもって知っただろう。よくよく肝に銘じておけ、雑種」
「は、はい!」

 うむ、と鷹揚にうなずいた賢王の金髪が揺れる。不機嫌、ではなさそうだ。てっきり、「我の玉体に傷をつけた不敬、貴様の首で贖ってもらおう!」とでも言われると思っていたのに。

(えーっと、つまり……もともと期待なんてしてないから幻滅もしてない、いい勉強になったと思ってこれからは気を抜くな、ってことかな)

 ギルガメッシュは王の中の王、最も優れているといわれている。そんな優れた人の前で、こんな盛大な失敗をして、愛想を尽かされるのが怖かった。マスターといえど、サーヴァントはその命を奪おうと思えば奪える。または座に戻ってしまうのではと、知らず知らずのうちに恐怖していた。
 そう思うのは、おそらく、勉強に付き合ってくれた時の、呆れつつも返事をくれる彼を知っているからだ。
 一片の優しさも浮かべず、こちらを値踏みするような厳しく冷酷な目。緊張こそすれ、嫌だと思ったことはない。時折寛容な色を宿してこちらを見ていることを知っているから。
 今も、こうして臆病ゆえに逃げたマスターを捕まえて、言葉を投げかけてくれる。

(──ダメだ)

 弱っているときにそんなふうに接してくるなんて。ダメだ。
 自分の体の中で響いた音に、嫌な予感を覚える。手にしていたシーツを持ち上げて、しわを伸ばすふりをしながら顔を隠す。直後に、ほう、とあざ笑うかのような声が聞こえてきた。

「おい雑種、顔を見せよ」
「……えっと、だめです」
「誰が拒否権など与えた」
「い、今洗濯物干してる途中なんで」
「ほう、これば貴様のものではあるまい。ならば貴様にその義務はないはずだが」
「うう……」

 実はこの時、マスターの顔色など上背のあるギルガメッシュからは見えていたのだが。顔を隠していて彼の様子をうかがい知ることができない少女は気づけなかったのだ。
 顔を隠したマスターを暴いてやろうと、彼女の言い訳をつぶしていくギルガメッシュは、この上なく面白そうで、上機嫌だったと。
 ギルガメッシュがマスターの腕を取ると、抵抗手段が思いつかないマスターが観念してシーツを離した。その白の下に隠れていたのは、彼女を見つめる王の瞳の色と見紛うばかりの赤い頬だった。

「我の許可なく顔を隠すな。貴様は我の小間使いであろう」
「ううう……!」

 シーツがだめなら手で顔を隠したかったが、それも許さないとばかりに両手もギルガメッシュに掴まれているため、赤い顔をおとなしく彼にさらすしかなかった。この上なく恥ずかしがりながらも、おとなしくギルガメッシュの言葉を聞いている少女。彼は満足そうな色を瞳に浮かべると、今度はその頬へと手を伸ばすのだった。


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