深淵をのぞく 後日談


※2015年の10月で完売したweb再録本「深淵をのぞく」の書き下ろし部分です
※名前変換ありません


 ある日の午後、審神者が近侍の三日月宗近と昼食後のお茶を飲んでいると、部屋の外から声がかかった。

「主さーん、ちょっといい?」
「堀川くん?」

 脇差の堀川国広の声だった。彼はこの本丸では山姥切国広に次ぐ古参で、本丸の家事などは彼が取り仕切っている。ゆえに、普段母屋にいることが圧倒的に多い彼が離れに来ることは珍しい。なにかあったのだろうかと、審神者が堀川を招きいれた。

「ごめんね、特に差し迫った用事じゃないんだけど」
「ううん、それならそれでいいんだ。どうしたの?」
「今日、買出しに行くんだけど、よかったら主さんも行く?」
「買出しに?」

 堀川の提案に驚いたように言葉を返す。今まで買出しに行ったことがなく、また当番の誰からもこのように誘われたことがない。一体どうして、急に審神者を買出しに誘ったのかと堀川を見つめ返す。

「主さん、今までこの本丸から出たことないでしょう? だから、買出しのついでって言ったらなんだけど、気晴らしにでもなるかなぁと思って。あ、もちろん荷物持ちなんてさせないよ。どうかな?」

 彼は近侍ではないのだが、審神者との付き合いが長いせいか、審神者の仕事量や体調などを細かく気遣ってくれる。最近は検非違使という強敵も出てきて、審神者の仕事も心労も多くなってきている。堀川はそれを暗に心配しているのかもしれない。宗近のほうを見ると、彼はいつもの穏やかな微笑を浮かべて小さく頷いた。それを見て、審神者も堀川に笑いかけた。

「ありがとう、じゃあ行こうかな」
「本当? よかった。じゃあ三十分後に出発だから、それまでに玄関に来てね」
「俺も行っても構わないか? 近侍は主を守るものだからな」
「もちろん」

 堀川は宗近の言葉に二つ返事で頷くと、足早に部屋を出て行った。買出しに行く準備をするのだろう。審神者も準備をしようと立ち上がる。

「あ、外に行くんなら、着替えたほうがいいですよね。なに着ていこうかな」
「俺が選んでやろうか?」
「宗近さんが?」
「俺が主に似合う服を見立ててやるぞ。なんなら買出しに行った先で買ってもいい」
「え、そんな、外に行く機会もあんまりないですし、悪いですよ」
「遠慮するな。自分が見立てた服を惚れた女が着るというのも、男冥利に尽きるものだぞ」
「……! も、もう……今日はそのつもりの買出しじゃないし、急だと堀川くんにも悪いですよ」

 惚れた女、という台詞に思わず動揺する。顔に熱が集中するのを見られたくなくて顔を背けながら箪笥の前に移動する。だが、そんなことも宗近にはお見通しのようだ。

「ふむ、今日はそうだな、やめておくか。二人きりで出かけたときにでもするか」
「え?」
「そのときは、今日のように逃げるなよ、主」
(ばれてる……!)

 顔を引きつらせる審神者。対する宗近は表情を変えず、箪笥の中身をあさる。

「さて、服を選ぶか。そんなに時間がないからな、着替えも手伝ってやろう」
「え、なに言って……手伝わなくていいですよ!」
「なにを今更照れることがある」
「照れますよ! ま、まだ昼間ですよ!」
「ふむ、昼間でなければいいということか」
「そ、そういうわけじゃ……!」
「はっはっは、可愛いやつだ、顔を真っ赤にして」

 というやりとりを繰り返していると、あっという間に三十分を過ぎてしまっていた。待ち合わせの時間になっても現れない二人を迎えに来た堀川は、箪笥の前で着替えもせずに戯れる二人を見て、深いため息をついた。その後、二人が彼にこんこんと説教されたのは言うまでもない。

 出発の際に少々問題が生じてしまったが、買出し自体は順調に進んだ。堀川は最後に小さな駄菓子屋へと立ち寄った。短刀たちの誰かに頼まれたのか、お菓子を買うらしい。
 堀川が買い物をしている間、審神者と宗近は店の入り口付近をぶらついた。そのとき、審神者の目に入ってきたのは懐かしいお菓子だった。色とりどりの小さな砂糖菓子、金平糖だ。

「あ、これ……」
「どうした?」

 審神者が思わず声に出すと、宗近が審神者の近くまで寄ってきた。審神者の視線の先にあるものを見ると、ああ、と頷いた。

「いつだったか、俺が主にやったものだな。覚えていたのか」
「はい。だって、これをもらった日から宗近さんのこと……その、好きになったから」

 好き、と言うことにも照れてしまって言葉を詰まらせる審神者を、目を細めて見つめる宗近。そっと肩を抱き寄せられ、審神者はさらに顔を赤くした。

「あの頃は、少しでもお前の気を引こうと苦心していたな。成功していたようで何よりだ」
「そ、そうだったんですか」
「ああ。あの頃から、主への気持ちは変わらない。……いや、変わったかな」
「え?」
「さらに愛おしくなった。この気持ちは尽きることがないんだろうな」
「……む、宗近さん……! そ、その、私も……」
「うん?」
「……あなたのことが、前より、ずっと好きです……」

 恥ずかしさで死にそうになりながらも宗近への思いを言葉にすると、肩を抱き寄せる腕に力がこもった。人がまばらにいる狭い店内で気付かれないように、一瞬だけ掠めるように頬にくちびるを落とされた。その感触にも慈しむような宗近の視線にも照れて、ますます頬を紅潮させる審神者。その二人の背中に、呆れたような声がかかる。

「主さん、三日月さん……こんなところで堂々といちゃつかないでよ……」
「!」

 堀川の声で我に返った審神者が、慌てて宗近から離れた。宗近は小さく息を吐くと、堀川を振り返った。

「無粋だな」
「どっちがですか。公衆の面前でわかりやすくいちゃつかないでくださいよ。僕が恥ずかしいじゃないですか」
「ほ、堀川くん、いつから……」
「いつって、さっきだよ。二人でなにを話してたかはわからなかったけど、でもあれだけくっついてたらいちゃついてるって丸わかりだよ、主さん」
「あああぁっ……!」

 声と同じように呆れかえっている堀川の表情を見て、審神者は恥ずかしさで穴があったら入りたくなった。宗近と愛を囁きあっているところを見られた。なにを言っていたか、会話の内容までは聞こえていなかったのが不幸中の幸いか。だが、それを差し引いても、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
 主の様子を見て、堀川は買い物袋を抱えなおしながら、やれやれとため息をついた。

「まだ、付き合いの長い僕でよかったんじゃない? 他の人が見たらなんて言うか……」
「う……ごめん」
「主さんに免じて誰にも言わないけど、気をつけたほうがいいよ。誰がどこで見てるかわからないんだから」
「はい……ごめんなさい」
「そうだな、すまなかった」

 審神者と宗近が素直に謝ると、堀川は最後に大きなため息をついて駄菓子屋を出た。二人も彼の背中を追うように店を出る。その際、宗近が審神者の耳元に低く囁いた。

「続きは、夜にな」
「……っ! む、宗近さん……!」

 囁かれた言葉の意味を理解した審神者が、再び顔を真っ赤にすると、宗近もまた目を細めた。今度はその視線に艶が混じっている。

「存分に可愛がってやるぞ、今夜も。楽しみだな」
「も、もうっ、堀川くんに注意されたばっかりなのに」
「はっはっは、主が可愛くて、ついな」
「宗近さんのばか……」

 というやり取りは、当然前を歩いている堀川にも伝わっている。正確には、なにを話しているのかはよく聞き取れないが、甘い空気だけはひしひしと伝わってくるのでどうせいちゃついているのだろう、という予想だが。

「ねえ……僕がさっき言ったこと、忘れてないよね? って聞いてないし……」

 二人だけの世界に入ってしまった審神者と宗近から視線を外すと、堀川は盛大にため息をついた。今日だけで、いやこの買出しに関連する出来事だけで、何度ため息をついたことか。

(もう絶対、この二人を買出しには誘わない)

 ため息とともに心の中で誓ったことは、当然審神者と宗近は知らないことだった。


←前の話



inserted by FC2 system