深淵をのぞく 続き



(うーん……)
 の部屋にあたる離れ。その縁側に腰掛けて、中庭を眺めながらぼんやりと物思いにふけっていた。物思いの種とは、近侍の三日月宗近についてだった。先日、彼に金平糖をもらったあの日以来、どうも彼のことを意識してしまっている。宗近があの時、「こんなじじいも恋愛対象になるとは」と言っていたことが現実のものとなってしまった。あの時はすぐに否定の言葉が出てきたが、今同じ言葉でからかわれたら、すぐに否定できないだろう。
(いくらなんでも、あの人を好きになるなんて……刀剣の付喪神の中でも、一番厄介というか癖のあるというか……刀剣男士にこんな思いを抱くこと自体、大目玉食らうっていうのに)
 前職を休職して審神者になる際、政府からは刀剣男士との恋愛について特に明言されなかったが、禁じられていることは確かだ。以前に刀剣男士との恋愛が発覚したケースがあるそうだが、その者たちのその後は誰も知らない、誰も語りたがらないことを考えると、推して知るべきといったところだろう。数少ない審神者たちの間では、刀剣たちとの恋愛という話題を口に上らせることさえも憚られる空気がある。
 第一、ずっと一緒にいられるかも不確かな存在なのだ。は人間であるし、宗近は人間ではなく刀剣の付喪神。審神者の力がなければ人間の体を保てない。その審神者の力も、いつまでの中にあるものなのか。一生、ということは考えにくい。
 そのような背景の中で、刀剣たちを異性として見ることを拒んできたが、宗近との距離が縮まったあの日、宗近のことを少しだけ理解するとともに惹かれてしまった。もっとも、理解したというのはの気のせいかもしれない。まだまだ彼には底なし沼のようなものを感じる。ただ、ふと見せた優しい目を思い出すたびに、胸が温かくなって苦しくなる。
「うーん……」
「先程からずっと唸っているが悩み事か、主よ?」
「うわあっ」
 いきなり後ろから声をかけられ、は危うく縁側から滑り落ちるところだった。なんとか踏ん張ってその場にとどまる。後ろを振り返ると、の反応に驚いたのか、宗近が目を丸くしていた。
「む、宗近さん、驚かさないで下さい。いつからいたんですか?」
「それはこちらの台詞だがなぁ。主が縁側に腰掛けた姿を見たときからか。何度か声をかけたが、聞こえてないようだったからそのままにしておいたが……」
(ほとんど宗近さんのことで悩んでるところ全部じゃ……)
 声かけに気付かずに一人で唸っていたと思うと、恥ずかしさで穴が掘れそうな気分だった。
「私、なんか独り言言ってませんでした?」
「いや……唸っていただけだったが」
(よかった……)
 万が一、独り言で宗近の名前などをつぶやいていたら、それこそ宗近に顔を合わせられない。向こう三日間ほどは寝込みそうだ。
 腰を浮かせてしまった縁側に座りなおすと、宗近も隣に座った。何か用だったのかとが宗近を見上げる。彼は、じっとの顔を見つめ返してきた。
「な、なんですか?」
「……何か悩み事があるなら、誰でも相談相手にすればいい。主のことは、皆大事に思っているぞ。今この場には俺しかおらんが」
「え?」
「唸っていたということは、そういうことだろう。なんでも聞いてやるぞ」
 どうやらのことを心配してくれたらしい。マイペースなところが目立つが、人のことはきちんと見ている。仲間の皆がのことを慕ってくれるように、宗近ものことを大事に思ってくれているのだろうか。皆、とは言ったが、俺とは言っていなかったことが気にかかってしまう。心配してくれたのは確かなのに、もっと確かな言葉を欲しがってしまう。
「……本当に、なんでも聞いてくれるんですか?」
「ああ。俺のできる範囲だが、主の言うことなら悩みだろうが願いごとだろうが聞いてやるぞ」
「願いごと……」
 願いごとと聞いて、この思いの花を咲かせたい、と一瞬思ってしまった。だが、これはお願いして聞いてもらっても意味がない。再び考え込むを見て、宗近がのんびりと言葉を重ねる。
「付喪神とはいうが、人の願いを叶えてやれるようなありがたい力はない。今の俺には、主の意に沿うことしかできんのだよ。だから、俺の手の届く範囲限定になるが、俺は主の願いは叶えてやりたいと思っているぞ」
 宗近の言葉は、の心を浮き上がらせるには十分だった。そう思ってくれるのはすごく嬉しいことだった。気になるのは、どうしてそう思ってくれるのか、という点だ。主だからなのか、それともだからなのか。
「……宗近さんは、どうしてそんな風に思ってくれるんですか?」
「……主?」
「私があなたの主だから? それとも……」
(私自身を見てくれたから? 主としてじゃなくて……)
 それは言葉にならなかった。聞きたくてしょうがなかったが、どうしても口にできなかった。それを言ってしまえば、宗近に拒まれてしまうかもしれないのだ。
 宗近は静かにを見ていた。しばらく二人の間に沈黙が降りる。からは何もいえない。悩み事も願いごとも、どちらも宗近に関すること。それを言ってしまえば、宗近は反応を返さなくてはならない。それが怖かった。
 顔をうつむけていたの頭に、宗近の手が乗せられた。顔を上げて宗近のほうを見ると、彼は柔らかく微笑んでいた。あの底なし沼ではない目で、を見つめていた。の髪の感触を楽しむように頭を撫でられる。
「主よ、願いはなんだ?」
「え……?」
「今、思い浮かんだことを言ってしまえ」
「え……宗近さん……?」
 言ってしまえという宗近に戸惑って彼を見返すが、宗近はただ微笑むだけだった。一体なにを言わせたいのだろう。思い浮かんだことといえば、先程考えていたようなことだが、それをありのまま伝えてもいいのか。
「私の願いは……宗近さんが、無事に私のところに帰ってきてくれるなら、それでいいです」
 迷った末に、はありきたりな言葉しか口にできなかった。本心をそのまま告げてしまうことはやはりできなかった。どうしても怖くなってしまう。
「それだけか?」
「え?」
「俺が主の元に帰ってきて……それからは、どうするんだ?」
「そ、それから?」
「自分で言うのもなんだが、俺は強いぞ。戦場から無事に帰ってくることは、絶対とは言わんが、大抵の場合叶えてやれる。それから? 言え、主」
 の髪を弄んでいた宗近の手が下りて、の手に重なった。そっと手を握られ、宗近の体温がの手に伝わる。つかまえたいと思っていた手は、ちゃんと人の体温をしていた。
「そ、それから……宗近さん、一体何を言わせたいんですか?」
「主の思っていることだ」
「それって……宗近さんは、私の思ってることをもうわかってるってことじゃないんですか」
「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。女心は難しいからな」
 といって、笑い声を上げる宗近。この態度からすると、やはりの思っていることは筒抜けのようだ。なぜわかったのだろうと疑問に思うが、考えてみると先ほどのの態度や言葉はわかりやすいものだった。千年以上も存在している宗近からすれば、手に取るようにわかることかもしれない。そう思うと、諦めもつく。
「……宗近さんに、ずっと、そばにいてほしい……です」
 諦めがついたといっても、実際に言葉にすることはやはり勇気がいることだった。声が震えてしまって尻すぼみになってしまった。恥ずかしくて宗近の顔を見られないが、宗近が笑い声を上げたことからするに、ご満悦といった顔をしているのだろう。
「その願いなら、俺の手の届く範囲だ。叶えてやれるぞ、主よ」
「わ、笑わないで下さい……」
「いやいや、すまんな。主があんまり可愛いことをいうから、ついな」
「うう……宗近さんはどうなんですか?」
 宗近にそんなつもりはないとわかっているが、こう笑われてしまうと勇気を出した告白をからかわれているような気分になって、は恥ずかしさで顔を覆った。仕返しというわけではないが、宗近に問い返す。すると、宗近は笑みを消した。
「なんだ、主はわかってなかったのか?」
「え、何がですか?」
「俺は、主のような若い娘が好きだと言っただろう」
「……つまり、私のことはどう思ってるんですか?」
「……やれやれ、鈍い娘だ。そんなにはっきりした言葉がいいのか?」
「ううう……! だ、だってわかんないですよ、そんなんじゃ……!」
 ため息をついた宗近に抗議すると、宗近は心外だとでも言うように呆れ顔を作った。
「恋愛対象がどうのこうの言って俺を意識させるようにしたのに、気付いてなかったのか。だから悩んでいたのか……」
「宗近さん……?」
「好きだ。俺も主が女として好きだ。こう言えばわかるか?」
「え、えっと……はい、わ、かります」
「本当か? あとで悩むなよ。俺は主を愛しているからな」
「わ、わかりましたよ……!」
 唐突に、しかもいくつも告白を重ねられ、は手を振って宗近を制した。あっさりと愛を言葉にしておいて恥ずかしがる様子も見せないのは、年の功なのかなんなのか。は顔を真っ赤にしているというのに、宗近の変わらない顔色を見てなぜだが悔しくなる。
「そうか。では主よ、名を教えてくれるか」
「名前? 名前は最初に自己紹介したはずですよね?」
「そうだな。俺も覚えている。……もしかして、知らんのか?」
「何をですか?」
「名で呼ぶことを許すというのはな、相手に心を許したということだ」
「……それ、って」
 確か宗近はあの時、宗近でいいとに言ったはずだ。ということは、あの時からずっと。
「え、ええ……!? そうだったんですか!?」
「知らなかったのか。どうりで反応が乏しかったわけだ」
「知らなかったですよ、そんな意味があったなんて……」
「まあ、古い風習だから無理もないか。……で、主よ」
「あ……私の名前は、です」
と呼んでもいいか」
「……はい」
 が頷くのを見て、宗近は満足そうに目を細めた。一瞬だけ、底がない目をした。しかし、は恥ずかしさで顔を下に向かせていたので気付かなかった。宗近はの顎に手を当てて顔を上げさせると、そのくちびるに口付けをした。そして、の肩を抱き寄せてその耳に甘く囁いた。
よ、俺は強いぞ。が言うなら、どんな相手でも斬ってきてやる」
「宗近さん?」
「どんな相手でもだ。その意味がわかるか」
「……あ……」
 どんな相手でも。そう、例えそれが政府の人間でも。宗近の言わんとすることを察して、は言葉をなくした。の考えていることなど、宗近にはお見通しなのか。思わず彼の目を見ると、優しい色をした吸い込まれそうな深淵が、の目を覗き込んでいた。
「だからよ、他のものが言うことなど気にする必要はない。俺がずっとのそばにいる。ずっとだ」
「宗近さん……はい、ずっとですよ」
 もう一度口付けが降りてきた。口をふさぐくちびると肩を抱く手は、まるで子どもに接するかのように優しい。宗近がを大切に思ってくれていることは、触れ方一つでも伝わってくる。
 つかみどころがない、底なし沼のような人だと思っていた。底が見えず、気がつけばずるずると足を取られて抜け出せなくなっているような感覚に陥る人だと。それは間違いではなかったようだ。現に今、は宗近にとらわれて動けなくなってしまった。やっとつかまえたと思ったら、つかまえられたのはのほうだったのだ。


←前の話      次の話→


inserted by FC2 system