OH!MY DARLING!


※現代パロ
※名前変換ありません
※付き合ってないのに体の関係の描写あり。R15



 窓の外から聞こえてくる電車の走行音と、カーテンの隙間から差し込んでくる光に目を覚ましたのが約十分前。ぼんやりとした頭を覚醒させ、自分の今の状況を把握し、寝ていたベッドの周りに散らかった衣類をかき分け、自分のパンツを見つけ出して履いたのが三分前。ブラジャーを拾おうとしたところでシャワールームから出てきた男に一足先にそのブラジャーを拾われてしまったのが二分前。腰にタオルしか巻いてない男がにっこりと笑いながらそのブラジャーをひらひらともてあそび、私の隣に座って、

「ねえ、これで僕と付き合う気になった?」

 と言ったのがついさっき。
 その笑みと成人男性にしては高めの声は、一見すると優しい印象を受ける。現にこの人は私の属する会社では抜群の高評価を得ているし、人当たりもいい。「ちょっとマイペースだけど仕事は優秀だし良い人」というポジションだ。私もつい昨日まではそう思っていた。
 しかし、私にとってはもう得体のしれない人物になってしまった。その見た目がどんなに整っていて、声も顔も体も私のストライクど真ん中をぶち抜いていたとしてもだ。昨日のことを思いだすだに恐ろしい。こんな人畜無害そうな平和な表情の下に鬼がいたなんて、ただの会社の後輩でしかない私が知るはずもなかった。

「ねえ、聞いてる?」
「ひいっ……」

 先ほどの男の問いに私がなにも答えずにいると、男は焦れたように顔を近づけてきた。鼻先がくっつきそうなほどの距離に、私の理想を詰め込んだような顔がある。やめて、心臓に悪い。いろんな意味で。

「つ、付き合う気になったかって……」
「うん。なったよね?」
「なってないです! 昨日の今日でなんでそうなるんですか!」
「あれ、だって気持ちよかったでしょう? 僕の下でも上でもさんざん喘いでたよね」
「なっ……! あ、あれは……!」
「いっぱい気持ちよかったよね、僕とのセックス」

 にっこりと笑って言うセリフじゃない。そう思ったけれど、実際に口にはできなかった。男の乾ききってない毛先から滴った水滴が首筋を通って鎖骨に流れていった。その様子がたまらなく色っぽくて、私は思わず唾を飲み込んだ。
 その沈黙を肯定だと受け取ったのか、男が私の肩を抱いてきた。

「僕もすごく気持ちよかったよ。ねえ、だから恋人になっちゃおうよ」
「いっ、いやいや待ってくださいって! と、とりあえず服着てください、髭切先輩!」

 私はそう言って髭切先輩の腕を振り払った。腰にタオルしか巻いてない状態でベッドに腰かけ、悠々と脚を組んだ髭切先輩の姿はとても美しいが、それ故に心臓に悪い。というか私もパンツ一丁だしそろそろ服を着たい。なんというか、こんな薄着でいるのは羞恥心以前に、嫌な予感がするのだ。一応胸を両手で覆って隠しているが、昨日散々見られて(ついでに堪能されて)しまった後ではあるし。
 髭切先輩が持っているブラに手を伸ばそうとするが、私がブラをつかむよりも前にそれを高々と掲げられてしまった。

「ちょっ……ブラ返してください」
「いいよ。僕と恋人になってくれるならね」
「えっ……!?」
「ほら、いいこだからうんて頷いて。これがないと外に出られないよ?」
「脅しじゃないですか! そんなんで頷くと思いますか!?」
「だめ? うーん……じゃあもう一回する?」
「なんで!?」

 この人の思考回路はどうなっているのか。なんで今のやり取りでもう一回床に誘われたのかさっぱり理解できない。というかこんな状況になってしまったのにも正直理解が追い付かない。昨夜、確か飲みに誘われて……それからどうなっただろうか。順序を追って思い出そう。



 髭切先輩とは前回の異動で部署が同じになって知り合った。最初に顔を合わせた時の衝撃は忘れられない。なにせ、自分のタイプのど真ん中もいいところの男性が目の前に現れたのだ。それも直属の先輩。わからないことはなんでも聞いてね、と優しくのたまったその人に好意を抱かないはずがない。そう、私は面食いだった。
 その髭切先輩や上司に教わりつつ仕事に明け暮れる日々。その日々の中で、私の中の髭切先輩への好意は大きくなっていった。それが恋と呼ばれるものだと自覚していた。それを励みにして仕事をしていたのも少なからずあった。部署内では抜群の高評価を得ている先輩。加えて、自分の超好み。役満である。
 昨夜、花の金曜日。その髭切先輩に、飲みに誘われた。もちろんその時は部署内の数人も一緒だった。その誘いに乗った私たちは、居酒屋で楽しい時間を過ごした。そして、その一次会がお開きになった後。一緒の方向に歩き出した私に、髭切先輩がこっそりと耳打ちしたのだ。二人だけでもう一軒行かないか、と。
 その時の声が、会社では聞いたことのないような低くて甘い声だった。その二人だけの二次会では、飲むだけでは済まされないような不穏な空気。それを感じ取った。
 髭切先輩が好きな私としては、不穏な空気を感じつつも、誘いを蹴るはずがない。私は手を引かれるままにホイホイと髭切先輩の行きつけのバーへと足を運び、勧められるままにお酒を飲んだ。普段ならまず行かないようなおしゃれで落ち着いた空間のバーで、普段は飲まないような度数の酒を飲んだ。
 そろそろ視界が回り始めたというところで、髭切先輩が私の耳元にこう囁いた。

「ねえ、僕と付き合わない?」

 私は、とっさになにを言われたのか理解できなかった。発想が少し独特な先輩の発言に戸惑うことはよくあることだった。その上酔いもかなり回っている頭だ。へ、という間抜けな声を上げてしまったのも無理はないと思う。

「どういう意味です……?」
「僕と恋人になって、っていう意味だよ」
「……え? う、うそ……」
「嘘なんてつかないよ。こんな、口説く気満々の店に連れてきておいて、今更こんな冗談で君をからかうと思う?」

 そう言った髭切先輩の顔は、いつも通りの微笑みをたたえていたけれど、目は艶っぽく細められていた。その視線にもどきりとして、私は慌てて目線をずらした。すると、肩を抱かれた。ふわりと漂ってくるお酒のにおいの中に、髭切先輩のにおいが混じっている。もう頭が沸騰しそうだった。

「な、なんで私なんですか……」

 私はかろうじてそれだけを口にした。ここで私がなにかを言うとは思ってなかったのか、髭切先輩が少し体を離した。

「だって君、僕のこと好きだよね」
「……ん?」
「違った?」
「あ、いや……違わないですけど……それが、私を誘った理由ですか?」

 私が髭切先輩を好きだから。それってなんかおかしくないか。普通は私が好きだとか気になるからとか、そういう理由で交際を申し込んでくるのではないか。これではまるで、断るはずがないから誘った、というふうに取れる。もやもやしたものを感じて、私は少し冷静になった。冷や水を浴びせられた気分だった。

「そうだねぇ……あとは、君の体つきが気に入ったからかな?」

 そして、重ねられた彼の言葉によってさらに冷静になった。というか冷めた。体つき?

「……それって、体目当て、ってことですか?」
「やだなぁそうじゃないよ。ただまあ、体の相性は確かに良さそうだけど」
「ええ……まず体の相性なんですか……? 確かに髭切先輩のことは好きですけど、それはさすがに引きます……」
「そう? でも体の相性は大事だよ。性格や好みは相手に合わせられるけど、体だけは合わせられないし。試してみたほうが早いかな」
「ためすって……なに言ってるんですか……!? もう私帰ります……!」
「もう終電ないよ。どうやって帰るの?」

 髭切先輩の声にはっとして腕時計を見る。もうとっくに都営もメトロもない。いつの間にこんな時間になっていたのか。タクシーという手もあるが、あいにく手持ちがない。今の有り金ではとてもではないが自宅まで着きそうにない。さーっと血の気が引いていく。
 私の青い顔を見て、くすりと小さく笑みをこぼした髭切先輩が、カードを店員に渡した。店員がそれを持ってカウンターに引っ込み、しばらくして先輩に返しに来た。さらっと勘定を済ませた髭切先輩が私の腕を取った。

「じゃあ行こうか」
「は? どこへ……?」
「どこって、いつまでもここにいるわけにはいかないだろう?」

 その通りだと思った私はおとなしく先輩の後についていった。腕を引かれたまま、私は目の前の背中に声をかける。

「あ、あの、さっきの店のお勘定……」
「ん? なんのこと?」

 エレベータホールにたどり着いた。上階へのボタンを押した先輩は、いったん私の腕から手を離し、それから改めて肩に手を回した。

「いや、だから、あの」
「ああ、もしかしてお金のことを気にしてる?」

 それに小さく頷いた。前述の通り、今の手持ちでは先ほどのようなお高そうな店の支払いが非常に心もとないが、全部先輩のおごりということにはしたくなかった。
 エレベータのドアが開く。それに乗り込んだ。先輩の指が、上階のボタンを押すのを何の気なしに見る。そこではっとした。
 上階? これからさらにどこへ行くのだ?

「お金より、僕はこっちのほうが欲しいかな」

 言葉を脳が理解するより先に、くちびるをふさがれた。驚いて上げた声はキスによってかき消される。顎をつかまれて、もう片方の腕で腰を抱かれ、壁に体を押し付けられた。ぐぐもった声が私の口内で響く。すぐさま入り込んできた舌に、無遠慮に口内を荒らされる。

「ん、んん……!」

 抵抗しようにも、私の体を抱き寄せている力が強くて腕を動かせない。びくともしない。首を振ってキスから逃れようにも、顎をつかまれていてそれもできない。その間にも髭切先輩は私の口の中を暴いていく。決して力任せではないけれど、不思議と抗えない。ゆっくりと上顎を舌でなぞられて、ぞくぞくとしたものが体の中心を走った。
 少しだけくちびるが離れたかと思えば、舌で舌を絡めとられて引っ張りだされた。なにをするのかと思った瞬間に、軽く歯を立てられた。彼が笑うと口元からのぞく犬歯に。

「ひゃっ」

 驚いて引っ込めようとした舌を、再び自分の口に含んだ彼は、私の舌から唾液を搾り取るように舌を吸った。そうすると、先ほど噛まれた箇所がじんじんとうずいた。

「んんっ……んう……!」

 足から力が抜ける。思わず彼の腕にしがみつくと、薄く目を開けて彼が笑った。その視線にもぞくぞくとした。立っていられない。
 ポーン、という軽快な音が鳴り、エレベータのドアが開いた。バーの上階のホテルの部屋が立ち並ぶフロアだった。
 髭切先輩は再び私の肩を抱いて歩く。一室の前で立ち止まって、胸ポケットからカードキーを取り出して部屋のドアを開けた。
 体がうずいてしまっていた。このままでは髭切先輩と一夜を共にしてしまう。わかりきっている状況を正しく理解しているけれど、体はされるがままになっていた。部屋のベッドに私を押し倒した男は、上着を傍らの椅子に放り投げ、ネクタイをゆっくりとほどきながら私にのしかかってきた。

「せんぱ、」
「気持ちよさそうだったね、キス」
「……!」
「ふふ……正直だね。いいこいいこ……もっと気持ちよくしてあげる」



 それからのことは、正直よく覚えてない。酔いのせいじゃない。酔いは部屋についたときにはとっくに冷めていた。その、なんというか、気持ちよすぎて覚えてない。必死に髭切先輩の行為に合わせていたから、もあるけれど、とにかく気持ちよくてもうなにがなんだかわからなかった。普段のおっとりした彼の、どこにそんな激しさが潜んでいたのか。行為の間は彼に翻弄されっぱなしで、まさに嵐のような夜だった。
 確かに体の相性はよかった。抜群といっても過言じゃない。今までこんな気持ちいいセックスをしたことがない。彼の下で、彼の上で何回失神しそうになったか。そこは素直に認めよう。
 だけど、それで付き合えるか──恋人になれるかといったら、答えはノーだ。私は確かに髭切先輩を好きだった。だがそれは過去形だ。正直に言うと、昨夜の一件で引いてしまった。気持ち的に恋愛感情がない女を、体つきがいいという理由で抱いた先輩についていけない。なんだろう、たぶん今まで生きてきた環境が違いすぎるんだろうか。こんなに美形で声も良くて優秀だったらそりゃあモテるだろうし、女なんて入れ食い状態だったに違いない。だから私のことも、自分に惚れてるならちょっとつまみ食いしてもいいと思ったのではないだろうか。
 ごめんだ。そんな関係は。

「あの、私帰ります。だからブラ返してください」
「僕と付き合う気になった?」
「なってません」
「参ったなあ……君も案外強情だね」
「どっちがですか!? 大体、好きでもなんでもない女を抱くようなあなたのほうがどうかしてますよ! そんな人と付き合えますか!?」

 押し問答に堪忍袋の緒が切れた私が大声を上げた。もしかしたら近隣の部屋の客にも聞こえてしまったかもしれないが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
 そんな私に、髭切先輩がえっ、と意外そうな声を上げた。

「好きだよ?」
「は?」
「だから、君のこと。好きだよ」
「…………私のこと、そんなに手籠めにしたいんですか? そんな嘘誰が信じるんですか」
「嘘じゃないよ。都合のいい女にしたいだけなら、こんなめんどくさいことしないよ。わざわざ行きつけの店にまで連れていってその気にさせて、ホテルの部屋まで事前に取っておくなんてさ」
「…………」

 まだ疑わしいが、確かにそうかもしれない。自分に言い寄ってくる女をちょっとつまむぐらいなら、わざわざ酒なんて飲ませなくてもいいし、ホテルだって取らなくてもその女の部屋に行けばいい。ただやり捨てるだけの女に対する態度にしては、手が込んでいるような気がする。まだ疑わしいが。
 私の視線がいまだに険を含んでいることに、髭切先輩が肩をすくめて苦笑いした。

「まあ無理もないかもねぇ。ちょっと強引だったもんね」
「ちょっとどころではないですけど」
「ふふ、僕が本気かどうかはこれから知っていけばいいよ。ゆっくりとね。……どうせ、逃がさないし」

 どういう意味だ、と問おうとしたけれど、それはできなかった。髭切先輩に再びベッドに押し倒され、くちびるをふさがれたからだ。徐々に深くなっていくキス。思わずまた体が震える。しかし、視界の隅で髭切先輩が私のブラを遠くへと放るのを目撃し、私は正気に戻った。

「ちょ、ちょっと! なに投げてるんですか!」
「だって、もうしばらくいらないよ?」
「え? なに言って」
「ふふ……まだ時間もあるし、もう一回しようよ」
「時間があるとかそういう問題じゃな……んっ……」

 するりと肌を滑った髭切先輩の手。その感触から昨夜のことを思い出し、私は甘い声を上げてしまった。その声に、目の前の男は満足そうに眼を細め、くちびるを食んだ。

「また気持ちよくしてあげる……だから、いいこにしておいで」

 直後に入り込んできた舌の動きに思考能力を奪われた私は。そのままチェックアウトの時間まで彼としっぽりとしけこんでしまうのであった。
 ──体の相性は大事だよ。
 昨夜の髭切先輩の言葉だ。言葉を発するよりも強い効力を持って私を組み伏せる快楽の前に、その言葉は私に強く突き刺さった。


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