1、目を逸らされてるのは照れてるからじゃないって気付こうか



「長谷部くん、聞きたいことがあるんだけど、今いいかな?」
 と、同期の燭台切光忠が俺を訪ねてきた。今は昼休みなので時間も仕事も特に問題なかったが、俺の心情的に少し嫌だった。こいつは見た目こそこんな穏やかそうな顔をしているが、結構強引というか、我を押し通す面がある。それも、わかりやすく自分の意思を主張するのではなく、無意識に回りくどく周囲を言いくるめて、自分の思い通りに事を運ぼうとする。その辺りが不気味に思えて、俺は正直こいつを心からは信用していない。仕事はできる男なので、そういった面では何のこだわりなく付き合える男だが。
「なんだ、用があるならさっさと言え」
「うん。あのさ、前に長谷部くん、頼りになる先輩がいるって言ってたよね?」
「先輩……ああ、先輩のことか」
 先輩とは俺の二年上の先輩で、俺がこの部署に配属された頃、俺の教育係としてついたのが彼女だった。仕事にあまり私情を挟みたくないが、彼女のことは好意的に思って尊敬している。仕事は必ずしも完璧とは言えないが、丁寧な対応や入念な準、ミスがあった時の素早いフォローなど、頼りになる先輩だ。いつまでもこの人の下で動きたいと思っていたが、教育期間を終えてしまい、俺は一人立ちした。それからも彼女とは今まで通りの付き合いをしているが、少し寂しく思っているところだ。
「そうそう、そのさん」
先輩がどうかしたのか」
「ねえ、電話番号知ってるよね。教えてくれないかな」
「……はあ?」
「え、もしかして知らない?」
「いや知っているが……俺から聞いてどうする。本人に聞け」
 他人の電話番号がどうなろうと気にもしないが、彼女は別だ。尊敬する先輩に何かあっては俺の信用に関わる。第一、この男ならあっさりと聞き出しそうなものだが。入社してから三ヶ月で社内の独身女性の電話番号を総ナメにしたという、モテ男エピソードまであるのに。真偽は定かではないが。
「というか、なぜ先輩の電話番号なんて知りたいんだ。違う部署なのに、そんな関わりがあったか?」
「この間ね、ちょっと僕のミスが彼女の仕事に関わってて、それでフォローしてくれたんだ。それで知り合ったんだよ。だから、お礼に食事でも誘うおうかと思ってるんだけど」
「ふん……それなら、なおさら自分で聞けばいいだろう」
「それがさぁ、なんか避けられてるんだよね。電話番号聞こうと思って話しかけようとすると、無視されちゃって」
「はあ? なんでそんなことになるんだ」
 先輩は仕事に私情を挟むような人ではない。相手がミスをしていて反省の色が全くないという人間でもなければ、余程のことがない限り無視などしないはずだ。思わず燭台切を、何かしたのではないかとの疑いの目で見る。
「やだなぁ、僕は何もしてないよ?」
「嘘をつけ。何もしてないなら先輩が避けるはずがあるか」
「えーっ、ひどいなぁ。僕はただ、一目惚れしたから結婚してくださいってさんに言っただけなのに」
「…………お前、よくそれで何もしてないなどと言えたな」
 それだ、先輩がお前を避ける理由は。俺の声にならない指摘を全く汲み取る様子もない燭台切は、斜め上の見解を重ねていく。
「あっ、そうか、社内だし前触れもなく告白されて照れちゃったのかな? 僕も我を忘れて思わず告白しちゃったからなぁ。あれから頑固に僕と目を合わせてくれないのも照れてるのかなぁ、可愛いなぁ」
「いや違うだろ」
「やっぱり僕たち、相性がいいのかな。僕も一目惚れなんて初めてだし、もしかしてさんも僕のこと意識してくれてるのかな。どう思う、長谷部くん?」
「話を聞け」
 話しかけても無視されて、目を頑なに合わせようとしてくれない相手の様子から、一体どうしてそんな答えが導かれるのか、俺には全く理解できない。どう考えても先輩はこいつを嫌っているとしか思えない。本人に確認したわけではないが、俺はそう確信に近い予想を抱いた。
「長谷部くん、というわけだからさんの電話番号教えてよ」
「何が、というわけだから、だ。俺は教えんぞ」
「えーっ、長谷部くんのいじわる! あ、もしかして長谷部くんもさんのこと……」
「違う! 俺は純粋に先輩を尊敬しているんだ! お前と一緒にするな!」
「じゃあいいだろ、教えてくれても」
「よくない。先輩が嫌がってるのに、教えるものか」
「んー……じゃあ僕の電話番号をさんの机に置いておくから、そう伝えてくれる?」
「なんで俺が……」
「僕の電話番号渡そうとしても避けられてるからさ、せめて机に置いておくだけでもさせてよ」
 と言うと、俺の返答も聞かずにさんの机の上に紙切れを置いた。諦めの悪い奴だ。というか、嫌われてるとわかってないから諦めようがないのか。そこまで考えて、俺はあることに気がついた。俺は先輩の机の場所をこいつに教えてない。
「おい、なぜ先輩の机の場所を知ってるんだ」
「え? なんでって……そりゃあ」
 俺の疑問を受けて、燭台切は当然のことを聞くなとでも言いたげに肩をすくめた。
「においでわかるだろ? さんのにおいがあの辺りからしてたし、あの机の上にさんの使ってたペンケースもあったし……ってあれ、なんで引いてるの?」
 引くに決まっているだろう。普通ペンケースが置いてあったから、が先にくるんじゃないのか。においでわかるだろ、と当然のような顔をされても困る。こいつ、こんな人畜無害な顔をしてこんな偏執的なやつだったのか。残り香を嗅ぎ分けるなんて動物並みの嗅覚をしているのか、それとも先輩に関することには鋭敏な嗅覚を発揮するのか。どちらにしても異常であることは変わりない。
「あっ、さんだ」
 燭台切の嬉しそうな声に部署のドアを見ると、確かに先輩が昼食を終えて帰ってきたところだった。だが、燭台切の姿を目にした瞬間、顔をこわばらせて、
「ひっ」
 と短い悲鳴を上げてきびすを返し、走り去ってしまった。今の反応で俺は確信した。間違いない、完全に燭台切を嫌がっている。というより怯えているといったほうが正しいか。
「あっ……もう、なんでそんなに照れるのかなぁ。シャイなところも可愛いけど」
「いや違うだろう」
「じゃあね長谷部くん。電話番号の件、ちゃんと伝えてね」
 燭台切は上機嫌ににっこりと笑って俺に手を振ると、先輩を追いかけていった。あんな満面の笑みで追いかけられたら、逆に怖いだろう。しかもあいつのことだ、休憩時間が終わるまで延々と追いかけてくるに違いない。というか、なぜ嫌がられていると気付かない。あんなにあからさまに怯えられたら、俺でもショックだぞ。
「先輩、変なやつと同期だった俺を許してください……」
 俺が思わず先輩に懺悔したことは、誰にも聞かれることなく空気に散っていった。



「はあっ……はあ……こ、ここまで来れば、撒いた、かな」
さん、捕まえた」
「ひいぃっ」
「もう追いかけっこは終わり。残りの昼休みは、僕の充電時間ね」
「は……? そ、それより、放してよ。もう逃げないから」
「ダメ。昼からも仕事頑張るから、さんを充電させて。はい、ぎゅーっ」
「え、ちょ、何勝手に決めて……ぎゃああぁっ……」
さん、いいにおいだね……ずーっとこうしていたいな」


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