おはしは舐めるのがデフォ



 近侍を一日ごとに変えていくローテーション制にした本丸は、最初こそ刀剣男士の間に戸惑いがあったようだが、最初の近侍の山姥切や次の近侍の燭台切光忠が近侍の仕事を仔細に示した一覧表を作ってからは、不満が出ることもなくつつがない日々を送っていた。審神者の日々の任務が滞ることもなく、本丸はいたって平和だった。
 本丸の主であるは、審神者の定例会議に出席するためいつもより早起きをして出かける準備をしていた。もうすぐ政府の寄越した迎えが来る頃だというときになって、燭台切光忠から声がかかった。
、もうすぐいつもの会議に行くんだよね」
「うん、そうだけど、どうしたの?」
「はい、これ」
 といって彼が渡してきたのは、風呂敷に包まれた両手でおさまる程度の箱のようなものだった。
「これは?」
「どうせ今日もお昼過ぎるんだろう? お弁当だよ」
「えっ、わざわざ作ってくれたの? あそこにも食堂あるのに」
「でも、お弁当持ってきてる審神者もいるんだろう?」
「うん、まあそうだけど」
「僕の主にはおいしいものを食べてもらいたいからね。だからこれ、持っていって」
「あ、ありがとう……いただきます」
「うん。僕の愛情をたっぷり注いだから、きっとおいしいよ」
「た、確かに光忠くんの料理はいつもおいしいけど……もう、朝からなに言ってるの」
 光忠の口調は冗談めかしているが、視線は艶っぽく細められている。その視線に思わず顔を赤らめると、光忠が腕を伸ばしてきた。弁当を両手で持っているので、どうすることも出来ずに大人しく光忠の腕の中に納まる。
「み、光忠くん、もうすぐ時間だから」
「ちょっとだけ。だめ?」
「……ちょっとだけね」
 が了承すると、光忠が腕の力を少し強めた。も光忠の胸に額をくっつけていると、彼はこんなことを言い出した。
「帰ってきたら、弁当箱洗うから僕に渡してね」
「ん? うん、わかった……」
(帰ってきたら自分で洗うけど……わざわざ光忠くんに渡す……?)
 ふと光忠の言い様に疑問を感じたが、それは母屋のほうから主を呼ぶ声によって頭の隅へと追いやられた。迎えが来たようだ。
「じゃあ行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
 光忠に見送られて本丸を出たは、その後会議を終えて、夕方に差し掛かる頃に帰ってきた。昼食の際、出掛けに光忠に言われたことが気になり、弁当箱に何かあるのだろうかと中身をおいしくいただいた後に箱をよく見てみたが、なにも変わったところはなかった。一体なんだったのだろうかと首を傾げながら台所へ入ると、光忠の姿は見えず、歌仙兼定が調理の最中だった。物音に振り返った歌仙が主を視界に入れ、口元をほころばせた。
「おや主、帰ってきたのかい」
「ただいま。歌仙さん、光忠くん見なかった?」
「燭台切光忠? 彼なら、今洗濯物をみんなとたたんでいるよ。そろそろ終わるだろうから、もうすぐここへ来るんじゃないか?」
「そっか……じゃあもう自分で洗ったほうが早いかな。弁当箱洗いたいから、ちょっと流し借りていい?」
「水につけておいてくれれば、後でまとめて洗うが」
「いいよ、すぐ済むから」
 といってが弁当を水に入れ、スポンジを取って洗い始めた。歌仙はそれ以上なにも言わず、調理を再開した。
 すると、洗っている最中に光忠が台所へ現れた。
「主、帰ってきてたんだね。おかえり」
「あ、光忠くん、ただいま」
「……あれ、もう弁当箱洗っちゃった?」
「うん、自分で洗ったほうが早いかと思って」
 といって弁当箱と箸を洗い終えて手を拭く。光忠は苦笑いしながらに歩み寄った。
「そう、もう洗っちゃったんだね。洗う前に、君が使った箸を舐めたかったんだけど」
 光忠のこの発言の後に、場の空気が凍ったのは言うまでもない。手を拭いていたも、ずっと調理で手を動かし続けていた歌仙も手を止めた。ことこと、と煮物を煮ている音だけが台所に響く。
「………………光忠くん、今、なんて?」
「え? だから、洗う前に君が使った箸を舐めたかったなぁって」
「……ん? ……舐め……って、なんで?」
「え、だっての使った箸だから」
「……んん? え? 私の使った箸、だから?」
の唾がついてるから、せっかくだから洗う前にそれを味わって、それから洗うんだよ。いつもそうしてるよ」
「いつも!?」
「君、僕たちの目を盗んでそんな気持ち悪いことをしていたのか!?」
 まさかの習慣発言に、黙っていた歌仙も思わずつっこんだ。ドン引きを隠さない表情で光忠を見ている。対する光忠はなにがおかしいのかわからない様子で、というよりおかしい行動をしているとはかけらも思っていない表情で、不思議そうな目でと歌仙を見つめている。
「二人とも、大声出してどうしたんだい?」
「大声出すよ! 私が使った箸を洗う前に舐めてるってどういうこと!?」
「舐めるし、吸ってるよ」
「そこは別に訂正しなくていい! いくら主のことが好きでも君のその行動は異常だろう!」
「えっ、そうかなぁ」
「そうだよ! いつも箸をテイスティングされるとかいやだよ! やめて!」
「えーっ、僕の楽しみの一つなんだけどなぁ。だって好きな人の唾とかって舐めたいものだよ。たまにお椀とかも舐めるよ」
「お椀も!? やめてよ!」
「当然のように舐めたいものだよ、と言われてもなに一つ同意できないんだが」
「だめなの?」
「だめだよ!」
「えー……君の近侍じゃなくなってから、どうしても淋しくってさ。淋しさを紛らわすためにやってるんだけど、だめなんだ……」
「むしろなぜ今までそれが許されると思っていたのかが不思議でならないな……」
 この日を境に、光忠を見る歌仙の目が汚らわしいものを見るような目になった。光忠はなにが原因でそうなったのかをよくわかっていない様子で首を傾げていた。


→次の話


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